徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

新型インフルエンザ騒動(続)―トンだ災難!―

2009-05-07 17:15:00 | 雑感

テレビは、ゴールデンウィークが終わっても、相変わらず、連日インフルエンザ報道のオンパレードだ。
映像メディアというのは、ときにインフルエンザそのものより怖ろしい。
高校生が入院している病院の前で、白いマスクをつけたリポーターが絶叫している。
一体、誰が犯罪者だというのだろうか。

海外へ、幾度も出張で出かけている、親しいビジネスマンの話を聞いた。
現地でマスクをしているのは、日本人だけで、恥ずかしいと言っていた。
感染源のメキシコでさえ、マスクをしている人を見かけない。
欧米人は、だからといって、危機意識がないわけではないのだ。
むしろ、日本人以上に危機意識は持っていて、日本人ほど騒がないだけなのだそうだ。
そういう話であった。
欧米人は、マスクをするくらいなら外出はしない。
日本のパニックぶりは、まことに奇異に映るそうだ。
それも、そうだろう。

厚生労働大臣の興奮ぶりを見ると、うなずける。
 「国民が一丸となれば、見えない敵であるウィルスとの戦いに勝てる。
 だから、オールジャパンで力を合わせて戦いたい」
・・・この言葉を、一般の人々はどう聴いただろう。
いよいよ戦争でも?と思ってしまうほどだ。
感染の疑いのあった高校生が、犯罪者扱いされるのも仕方がないというのか。

ともあれ、感染者は世界で2400人を超え、「フェーズ6」に引き上げる条件としての「パンデミック(世界的流行)」も、時間の問題となってきた。

海の向こうのエジプトでは、感染拡大に伴って、国内すべての豚35万頭(!)の処分を決めた。
これもまた、ひどい(!)話だ。
先祖代々からの、唯一の収入源を断たれた人たちは大変だ。
驚くべきことに、国内には一人も感染者が出ていないと言うではないか。
ああ、それなのに・・・。‘運命’の皮肉と言ったらいいか。
哀れなのは、豚たちである。(?!)
これは、もうトンだ(!)災難でなくて何だろう。

これは余談になるけれど、エジプト人の9割は熱心なイスラム教徒だ。
この国では、豚は不浄な動物とされ、主にキリスト教の一派が飼育していると言われる。
国民の間では、このことでパニックが起きたり、キリスト教徒への反感も根強いものがあることは事実らしい。

幸い日本では、今日現在一人の‘真性’感染者もまだ出ていない。
世界的に急増中の感染は困ったことだが、戦前から変わらぬ日本の国民性(日本人はきれい好きで、神経質が美点?)もさることながら、メディアの狂騒ともども、一日も早く終息へ向かってほしいものだ。


新型インフルエンザ騒動―「豚ファイター」まで登場―

2009-05-04 08:00:00 | 雑感
世をあげて、ゴールデンウィークのさなかで、騒ぎは起きた。
新型インフルエンザの疑いで、幾人もの人たちが、「水際作戦」で検査を受けた。
 「国民の皆さん、落ち着いて行動してください」
厚労相の、未明の緊急会見には驚いた。
こころなしか目も血走っているし、早口で、何か異常だった。

新型インフルエンザかどうかが、まだはっきりしていない段階での会見だった。
結果は、幸いなことに陰性だった。
横浜市とのコミュニケーションも充分ではなかったようだ。
どうやら、厚労相の勇み足だったらしい。
検査の結果が完全に出ていないのに、一方的に国が会見を行ってしまった。
そのことが、パニックを引き起こした。
大臣は、もっと落ち着いてほしい。
一時、日本中が振り回される結果を招いた。

集団感染をおそれて、卒業式シーズンを迎えた外国の大学では、卒業証書の授与の際の握手をやめることにしたなど、教育現場にまで影響が出ているそうだ。

今回の感染騒ぎで、多くの専門家は「弱毒性」だと言っている。
感染しても、軽症ですむ可能性が高いということだ。
ならば、いたずらにパニックになることはない。
大臣の言動が、あろうことか危機感を煽っているかのような印象すら与える。

政府は、成田空港での検疫を強化するなどして、「水際対策」にやっきとなっている。
聞くところによれば、こうした水際対策を重視しているのは、世界中でも日本ぐらいだそうである。
WHOも、集団発生の封じ込めは現実的ではないと言っている。
同じ島国のイギリスも、SARSのとき、こうした対策はあまり効果はなかったとして、空港でのチェックはしていないそうだ。

ここ数日の様子によっては、WHOも「フェーズ6」への引き上げを慎重に考えていると言われる。
感染については、最低でも三世代まで確認する必要もあって、2週間や3週間は経過を見ないと完璧にはわからないとしている。

新型インフルエンザ騒ぎで、マスクが飛ぶように売れ、なんと、早くもこの騒ぎを笑い飛ばそうとするネットゲームまで登場した。
「豚ファイター」と言うのだそうだ。
世界地図を背景に、マスク姿・白衣の医者が、空飛ぶ豚を大きな注射器で撃ち落して点数を競うらしい。
反応もまずまずだというから、商魂のたくましさ、まざまざだ。

この騒ぎのさなかで、国内最多の感染者が確認されているアメリカ・ニュヨークでは、皮肉なことに(?)いまだにマスク姿の人はほとんどいないと言うではないか。
この期におよんで、手指の洗い方まで親切に(!)テレビニュースが教えている。

警戒を怠ってはいけないが、騒々しい、連日の感染報道もほどほどにしてはどうか。
マスコミの過熱報道にも困りものだが、こんなときだからこそ、落ち着くことも大切だ・・・と、あくまでも個人的には思う次第です。

映画「レイチェルの結婚」―家族の葛藤と再生―

2009-05-02 06:00:00 | 映画

心に深い傷を負った、家族の葛藤と再生の映画である。
ジョナサン・デミ監督が、ジェニー・ルメットの脚本を得て、過去の悲劇が原因で、互いの心を閉ざしながら、それでも少しずつ理解し合おうとする家族を描いたアメリ映画だ。
脚本のジェニー・ルメットは、言わずと知れたシドニー・ルメット監督の娘さんだ。

ドキュメンタリータッチのこの作品は、人間として生きていくことの喜びと痛み、愛と孤独を描きながら、一家族の動く肖像画のようにカメラが追っている。
ここでは、俳優たちは思うがままに動いて、しゃべり、撮影監督は半ばキャストの一員となって、手持ちカメラで家中を歩き回っている感がある。
直観と技と自信を頼りに、カメラを向けるべき方向を瞬時に判断しつつ、ホームビデオのように撮影していったようだ。
なかなか面白い、カメラの使い方である。
この撮影方法は、演技陣にとっても、いつカメラが自分に向けられるか分からないのだから、さぞかし大きなチャレンジだったことだろう。
そのぶん、登場人物の心象風景は、非常にリアルに表現されている。

幸せな結婚を目前にひかえた姉、麻薬中毒から抜け出そうともがく妹、そんな妹に厳しいことが言えない父、そして娘たちにもどこかよそよそしい実母、家族のひとりひとりが心に深い傷を負っているのだ・・・。

姉ルイチェル(ローズマリー・デウィット)の結婚式に出席するため、キム(アン・ハサウェイは、式の準備で華やいでいる家に帰ってきた。
ところが、麻薬中毒の治療施設から一時退院したキムは、ささいなことから、ピリピリとして周囲とぶつかってばかりいた。
父親や姉が向ける眼差しや、言葉に尖らせるキムの存在は、結婚式直前のバックマン家の空気を一変させる。

キムには、16歳の時に、鎮痛剤でハイになったまま幼い弟イーサンを車で公園に連れて行き、その帰り道、湖に車ごと落ちてその弟を溺死させてしまった、悲しすぎる過去があった。
彼女を苛む辛い過去は、家族の運命を変えた出来事であった。
それらの秘密が、結婚という人生最良の日に明かされていく。
姉と妹、父と母、それぞれが愛を求めてやまない、心の旅路だ・・・。

人と人のつながりの中で、家族ほど濃密な葛藤をはらんだ関係はないかも知れない。
些細な言動が、心を癒したり、深く傷つけたりもする。
ひとたび大きな傷が生じたとき、それを修復するのは容易なことではない。
家族とは、かけがえのない存在でありながら、実は厄介な存在でもある。
そうした家族の情と葛藤を、長女レイチェルの結婚式まで三日間という時間設定の中で、浮き彫りにする。

キムの帰還は家の中に緊張をもたらし、彼女のあけすけな言動が、一家の抱えている深い傷を明らかにしていく。
それでも、家族は愛し合っていて、強い絆で結ばれている。
痛みに満ちていても、お互いの傷が容易に癒されなくても、レイチェルの結婚式は幸福いっぱいに包まれる。

ジョナサン・デミ監督の演出は、脚本家ジェニー・ルメットのデビュー作を、十分過ぎるくらいに活かしている。
ただ、ときに物語の説明部分にあたる、俳優たちの長広舌なセリフ回しは、苦しい場面もある。
もう少し、どうにかならなかったか。
ヒロインのアン・ハサウェイは、これまで明るい役柄が多かったそうだが、この作品では、一転して深い傷をかかえた複雑な女性像を、繊細な演技で表現している。
アメリカ映画「レイチェルの結婚は、観終わったあとに、人生はどんな形にせよ、前に進むしかないことに気づかされ、勇気と希望を持ち帰れるのではないだろうか。
スリリングなホームドラマの体をなした、見応えのある感動作だ。