またやっていますか。
迫りくる参院選の数合わせのために、著名人の担ぎ出しの何とあわただしいことだろうか。
与党も野党も、乱立小党までがやっきになっている。
情けない、現代の日本の政治を象徴するかのようだ。
単なる人数あわせで、有名人の出る党は、それは安上がりだし、無党派層の浮動票を容易に集めることができるからだ。
そうした‘読み’自体が安直な発想で、こうしたことしか選挙対策は考えられないのだろうか。
何だか、紙芝居を見ているようで、まるで素人の政治集団だ。
民主党は、柔道の谷亮子氏まで引きずり出して、夏の選挙戦を戦おうとしている。
「地球を覆うほどの愛で頑張りたい」との決意表明に、異議を唱えるものではない。
そこまで彼女をして言わしめたものは、何か。
果たして・・・?
柔道家、妻、4歳と生後7ヶ月の2児の母、そして政治家となると、“4足のわらじ”を履くことになる。
大丈夫なのか。
“2足のわらじ”だって難しいのに、“4足のわらじ”である。
常識では考えられない。
国会議員の仕事は暇ではないはずで、中途半端に出来るものではない。
国会を甘く見てはいけない。
どうも、そのあたりに甘えの構造が透けて見える。
国会議員と五輪選手の両立に限っても、橋本参院議員だけで、当選したとしてもその道は厳しい。
スポーツ選手、お笑い芸人、俳優、文化人、作家、キャスターと、有名人だやれタレント議員だといっても千差万別である。
政治の舞台に登場していけないとは思わないが、現役生活を続行しながらというのもどうか。
大いに疑問だ。
民主党は、参院比例区で20議席以上の獲得を目指しているらしいが、五輪体操の池谷幸雄、女優の岡崎友紀、落語家の桂きん枝らを公認していて、谷氏で43人目の候補者だ。
それも、ピークを過ぎた(?)人が多い。
いま絶頂にいる人は、ほとんどが誘いを断っているのだ。
現役を断念してというのなら、わかる気がする。
しかし、これまでこうした経緯で国会議員になって、どれだけ多くの人が国会から去っていったことか。
知名度を頼りに、片っ端からツバをつけて、まことに品性のない、情けない人集めにしか見えない。
有権者を見くびっていないか。
票を入れたい人は入れるだろう。
世の中、少しは明かるくという効果ぐらいは期待できるかもしれない。
その先は未知数だ。
数合わせさえできれば、中身はどうでもいいのか。
人寄せパンダばかりが増えてどうするか?
しかも、民主党のみならず、自民党はもちろん、国民新党、みんなの党、立ち上がれと、そろい踏みで著名人を参院選に出馬させようとしている。
当選して議員ともなれば、年収は最低でも2000万以上は保証され、6年間で1億2000万は下らない。
議員バッジさえ手にすれば、国会を休もうが居眠りをしていようが、身分は安泰だ。
報酬に見合うだけの仕事をしている政治家が、はたしてどれだけいるだろうか。
この国はどうなっていくのだろうか。
普天間の問題とて不透明だ。
何があろうと、鳩山総理も小沢幹事長も辞任など考えていない。
マスコミや、一部の閣僚、政府高官らが、公然と総理らの辞任を要求するような言動を弄しているけれど、そんなことがいえる立場かどうか。
辞任するなら、自分がさっさと辞任すればよろしい。
文句があるなら、それからだ。
重ねて言いたい。
集票マシンや客寄せパンダに、有権者が一喜一憂しているようではこころもとない。
パンダは所詮パンダなのだ。
日本人の民度とは、いまその程度のものなのだ。
日本人の選んだ自民党議員たちが、悲しいかな、これまで半世紀以上もこうした堕落の民を許してしまったのだ。
国会議員になってみたけれど、政治を知らない人もいる。
国会議員になってみたけれど、結局何もしないまま去ってゆく有名人の多いことも確かだ。
よしんば谷亮子氏が小沢ガールズ入りして「地球を覆うほどの愛」で頑張って、果たして有権者は民主党や民主政権に「愛」を抱けるのであろうか。
何もかもが不透明である。
過大な期待というものは、しばしば耐え難い失望と絶望を招く。
恥も外聞もかなぐり捨てて、数だけ合わせて、そこに生まれてくるものは何か。
古代ギリシャ、デルフォイの神殿に書かれていた銘を、ソクラテスは座右の銘にしたというではないか。
曰く、「汝自身を知れ」・・・。
総理大臣といえども、ただの人なのだ。
国会議員といえども、ただの人なのだ。
どこを見渡しても、いまの政治家(?)のなかに、ひときわ飛びぬけた資質と才能とを兼ね備えた、そんな偉い政治家などひとりだっていやしない。(?!)
みんな、どんぐりの背比べだ。
誰が政治家になっても、誰が総理大臣になっても同じなのだ。(?!)
愚かな民が、愚かな政治家を選んだからだ。
・・・国会議員のバッジが泣いている。
参議院は「良識の府」だ。
「良識の府」も泣いている。
こんな参議院はいらないと――。
初夏だというのに、この夕暮れに吹く風の、冷たさよ。
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やはり「国会議員というのは良きにつけ悪しきにつけ、われわれ有権者の代表」なのだなぁと。
なんとも・・・。
知人が次期参議院選に全国比例区で立候補準備していますが、いくら政治を勉強しても、この制度のもとでは、有名人を擁立したほうがお金が掛からないようです。
有名人を擁立することももちろん批判の対象に値すると思いますが、この選挙制度そのものが有名人選挙の温床なのではないかと思えてしまいます。いかがでしょう。
キリマンジャロ様。
以前からさんざん言われていることですが、確かに「選挙制度」、いけませんよねえ。
まさにおっしゃる通りです。
同感です。
コメント有難うございます。
いまインターネットによる選挙(運動)が検討され始めていますが、あまりにも遅れていますよね、日本の選挙制度・・・。
わが国の選挙は、お金ばかりかかって、とにかく旧態依然で・・・。
街頭演説しかり、遊説しかりで、選挙なんて、たとえば演説会と広報(テレビの政見放送、新聞などマスコミ)だけでやれば、選挙に莫大なお金がかかるなんていうこともなくなる筈なのです。
そもそも、『公職選挙法』からして大改正の必要があることはわかっていることなのです。
わかっていて、それが、いろいろな試案が出ては、手つかずのままで‘頓挫’しているのですから・・・。
幾度も幾度も、過去に叫ばれ続けてきているのに、いまだに何の手も打たれていない状態です。
お金のかからない選挙が何故出来ないか。
本気でやれば出来ることですよ。全く・・・。
やり方をかえることで、変わってくるんですからね。
それに、とにかく、日本の『公職選挙法』の難解さ、複雑さとあの膨大な条文をみただけで、立候補者はため息が出るのは当たり前です。
読んでも、とても完璧に理解など出来ません。
専門の弁護士さえそう言っているのですから。
ほんとうに、制度の「根幹」を変えていかないと、カネのかかる選挙からは脱却できないのでは・・・。
法改正こそ焦眉の急です。
「政治」以前の問題です。
素人ながら、私もそう思います。
それと、有権者もいろいろ勉強しないと・・・。