徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「その木戸を通って」―巨匠市川崑監督、幻の名画!―

2008-11-14 15:30:00 | 映画

   ・・・どこからかふらっとやって来て、
     男に束の間の幸せと、可愛い娘を与え、
     またいずこへともなく去ってゆく女・・・

こんなに素晴らしい作品が、いままで眠っていたなんて・・・。
何とも、美しくも、不思議な、哀切の物語だ。
今年2月、92歳で他界した巨匠、市川崑監督は70数本の作品を世に残した。
その中で、生涯でただ一本だけ未公開となっていた作品である。

ハイビジョン試験放送のため、日本では初めてのハイビジョンドラマとして、1993年に完成し、直後のヴェネチア国際映画祭では、フィルムで上映されたものだ。
ハイビジョンマスターから35ミリフィルムに返換され、今、再びスクリーンに甦ったと言われる逸品だ。
人目にほとんど触れることなく眠っていたこの作品は、まさしく正統派ドラマとしての気品と、市川監督特有の映像美を堪能させてくれる。

山本周五郎の原作で、市川作品では、「どら平太」「かあちゃん」に先立って一番初めの映像化作品になる。
“美しい不思議小説”と称される、同名の周五郎の短編は、淡々とした、しかし実にいい話だ。
映画の冒頭、緑の竹の葉から滴り落ちるしずくが、きらりと光ってストップモーションになる。
そこから、主人公の回想になって、ラスト近くでしずくが落ちる・・・。
そうなのだ。ほんの一瞬の間に、主人公の脳裏をよぎったドラマなのだ。
市川監督の、丁寧で、凝った構成が躍如としている。

記憶を失った若い娘(浅野ゆう子)が、突然、城勤めの武士・正四郎(中井貴一)を訪ねて来て、家に居ついてしまう。
そのために、家老の娘との婚約もながれてしまうのだが、ふさと名付けられたその娘は、誰からも愛され、やがて正四郎と結婚する。
娘も生まれ、幸せな日々が続く。

だが、ふさは時々昔の意識が甦るようになる。
庭先の笹の道の向こうに、小さな木戸がある。
現実にはないはずのその木戸が、正四郎の目には映っている。
ある日、ふさは、笹の道のそこにある木戸を通って、去ってゆく・・・。

紫の雨、緑の竹やぶ、武家屋敷の広い空間、市川崑監督ならではの、その雨に濡れた銀ねずみ色の瓦屋根、いずれもどこか現実的であって、現実ではない。
人工的なのだけれど、非現実を感じさせる。
そして、極めつけは、竹やぶの方へ向いた木戸で、その木戸は、もう現世と異界の美しい境なのである。
女は、異界から現れ、異界へまた去っていったのか。

淡い幻想と現実が、美しく調和し、観ている者を不思議な世界へと誘いながら、日常生活のかけがえのなさ、人間同士の思いやりと優しさ、人の真心が、人の頑なさを穏やかにほぐしてゆく様が描かれる。
素直で、健気で、はかなげな、どこか陰のある女を演じる、まだ若い頃の浅野ゆう子が特にいい。
他に、石坂浩二、岸田今日子、井川比佐志、フランキー堺、神山繁、榎木孝明といった豪華メンバーが好演している。

市川崑監督その木戸を通っては、淡々(あわあわ)とした、哀切の余韻が後を引くドラマだ。
ヴェネチア、ロッテルダム、二つの国際映画祭でも、その映像の美しさは喝采を受けたと言われる。
こういう映画には、なかなかお目にかかることが出来ない。(多分、これからも・・・)
見終わって、ため息の出るような、静かな抒情の漂う、珠玉の作品である。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿