「ツナグ」とは、死者との再会を仲介する“使者”を表す言葉なのだそうだ。
そんなことは現実にはありえない、ファンタジックな都市伝説である。
誰かを想い、想われる・・・。
会えるはずのない人に会いたいと望むとき、その願いが叶ったらという、仮定の物語だ。
「ツナグ」は、死んだ人と、それもたった一度だけ会わせてくれる案内人だ。
辻村深月の原作を得て、平川雄一朗監督で映画化した。
生きているときに伝えられなかった、母へ後悔。
裏切られた親友への殺意。
信じつづけた、婚約者への愛。
・・・死んだ人と会わせてくれる案内人、そんな人がいたら・・・?
たった一人と一度だけである。
死者との再会を叶えてくれる人がいるらしい。
工務店を経営する畠田靖彦(遠藤憲一)は、土地の権利書のある場所を、亡くなった母親・ツル(八千草薫)に聴きたいと考え、死んだ人間と再会させる能力を持った「ツナグ」との接触を試みる。
約束の場所に現れたのは、男子校高校生・渋谷歩美(松坂桃李)だった。
半信半疑だったが、死んだ母親との面談について依頼すると、待ち合わせのホテルに現れたのは、間違いなく靖彦の死んだ母親・ツルだった。
母は、「話したいことはほかのことでしょう?」と言った。
その言葉に、思わず涙をこぼした靖彦は、自分の息子との不和を打ち明けるのだった。
そして、喧嘩別れをしたまま自転車事故で死んでしまった、親友・御園(大野いと)に聴きたいことのある女子高生・嵐(橋本愛)、プロポーズ後に失踪してしまった、恋人・キラリ(桐谷美玲)のことを信じて待ち続けるサラリーマン・土谷(佐藤隆太)・・・。
歩美は、実は「ツナグ」を祖母のアイ子(樹木希林)から引き継ぐ途中の見習いで、その過程で様々な疑問を抱く。
死者との再会を望むというのは、生者の傲慢なのではないか。
会いたかった死者と会うことで、果たして生きている人たちは救われるのだろうか。
人は変わるものだろうか。死者はどうなるのか。
それらの疑問は、自身の両親の不可解な死の真相にも向けられていく・・・。
ドラマによると、生者と死者が会うのにはいくつかのルールがあり、たとえば依頼者が死者と会えるのは生涯に一度だけだし、両者が会えるのは月の出る夜、夜明けまでの限られた時間だけだというのである。
それは誰だって思うだろう。
もし生きているときに、自分の伝えたいことをちゃんと相手に伝えることができれば・・・と。
親友だと思っていた、たった一人の理解者に裏切られたと思い、相手の死を願ったのか。
どこまでも、人と人とのつながりを温かく見守ろうとするドラマだ。
確かに、人は生きてやがて死んでいく。
その人生で出会った人たちとの間に、どんなことがあっただろうか。
取り返しのつかない後悔の念だって生じるし、もしも本当のことを知っていたらとか、もっと優しく接することができていればとか、考えれば枚挙にいとまがない。
「ツナグ」は架空の人物だ。
平川雄一朗監督の作品「ツナグ」は、自分たちのいま生きていることの意味を、この作品から感じ取ってほしいのだと言っている。
死者への想いというものは、とどのつまりやや感傷的にもなってくる。
親友、恋人、家族の様々なエピソードがある。
人間は、生きていれば伝えたい想いは沢山あるものだ。
そうだ。想っていることを人に伝えるというのは、容易なようで一番難しいかもしれない。
あの人が生きていたらと考えると、虚しさが付きまとうが、その仮定に立って人間を広く見つめなおすことから、このドラマは生まれたのだろう。
樹木希林が好演だ。
大変真面目な作品だけれど、荒唐無稽な話ではある。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
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話とは荒唐無稽だからと言って価値を損なうものではない。そう言うことなのでしょうね。
どうしてこういう荒唐無稽な設定が必要なのか,そこを思ってみていくべきなのでしょうね。
好き好きもあれば、いやいやもある。本当ですよ。
馬鹿馬鹿しく可笑しいのも、ありえないファンタジックも、全くでたらめな話も、映画だからできる・・・。
観客にだって、いろいろな人がいるのですから。はい。