徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「ウルトラミラクルラブストーリー」―超奇跡的なファンタジー―

2009-10-16 07:00:00 | 映画

1978年生まれの横浜聡子監督の、商業映画としては初挑戦作品である。
期待の新鋭、戦慄異端のデビュー作というわけだ。
現実世界では絶対に起こらない、全く驚くべき‘亡霊譚’である。
ありえない出来事が、幾つも起きる。
先読みの不可思議な世界を演出する。
どこに、こんな才能を宿しているのか。

日本の青森県を舞台に、全編にわたって、台詞は一人の女性を除いて全員が津軽弁と、究極の片想いを描くファンタジーなのだ。
それも、観ようによっては執拗なまでに徹底して・・・。

子供みたいな青年・水木陽人(松山ケンイチ)は、青森でひとり農業をして暮らしている。
畑のキャベツは、青虫のせいで、今日も穴だらけだ。
ある日、陽人は、東京からやって来た保育士の神泉町子(麻生久美子)と出会い、生まれて初めての恋をした。
けれども、町子が青森に来たのは、カミサマと呼ばれる占い師に会うためだった。
何故なら、事故で死んだ元カレの首がまだ見つかっていないからだ。

でも、陽人はそんな噂なんておかまいなしで、町子に猛アタックを続ける。
それは、しかしいつまでたっても、彼の片想いでしかなかった。
ある日、畑で遊んでいた陽人の身体に起きた“ある出来事”が、陽人を少しづつ変えていく。
その出来事は、次から次へとありえない事態を引き起こして・・・。
彼は、農薬を自分の裸の身体にかけていたのだ。

ひとり道を歩く陽人の眼の前を、首のない身体が通りかかる。
町子の元カレだ。
元カレは、自分の靴を陽人に残して去っていく。
次の日、馬と駆けまわっていた陽人が、突然ぱたっと倒れ動かなくなる。
病院に担ぎ込まれ、心臓停止が確認されるが・・・。

さらに次の日、陽人は生き返ったのか、家の畑で子供たちと元気にぴんぴんしている。
町子は、この頃の陽人の体調だけが気になっていた。
彼は、何も食べようとしない。
それどころか、小屋でまたも農薬を浴びていたのだ。

陽人は狂ったように、森の中を走っている。
猟師が、茂みの中を動く黒い影を見て、銃を構える。
とどろく銃声、倒れる陽人・・・。
陽人の葬儀がとり行われる。
町子は、荒れた陽人の畑を手入れすることにした。
畑から家の中に入ると、壁のホワイトボードには、自分の脳みそは町子にあげると書いてあった。

子供たちと森へ出かけた町子は、リュックから瓶に入った陽人の脳みそを取り出した。
森の中で、四人は輪になって座る。
真ん中に、陽人の脳みそを置いて・・・。
その時、茂みの向こうから、黒い影が現われた。
熊であった。
町子は立ち上がり、瓶を手にして中の脳みそを取り出すと、それを熊に向けて投げつけた。
熊は、ゆっくりと近づくと、それをぺろぺろと食べ始めた・・・。
あっと驚きの、衝撃的なラストである。

このラストシーンに込めたものはとの問いに、横浜監督は、さらりと「希望です」と答えた。
日本映画史上に残るような、瞠目的なシーンである。
青森という土地と、津軽弁のリアリティへの徹底的なこだわりもここでは貴重だ。
彼女は、これより前に自主制作した映画「ジャーマン+雨」で、2007年に日本映画監督協会新人賞受賞している。

出演はほかに、藤田弓子、原田芳雄、渡辺美佐子らが集結している。
横浜聡子監督ウルトラミラクルラブストーリーは、まるで子供のような乱暴さと純粋さに満ち満ちた世界を演出する、愉快、壮快を超えて奇怪なファンタジーを作り上げた。
そうなのだ、これは、きわめて具象的な、しかし奇想天外なアヴァンギャルドの世界だ。
この作品の出来不出来とは別に、横浜監督の、その稀有な眩しい才能と同時に、自己観念こだわりの、まことに危うい暴走は大いに懸念されるところだ。

何でもありの、終わりのない時空、それが陽人と町子の異界ではない居場所なのか。
虚構の現実と真実・・・、既成の概念を、みずみずしく乗り越えていく感性の鋭さは、この映画作家からは感じられる。
それは、間違いなく、未来に向かって開かれているものだろう。
だが、「省略」と「奇跡」の繰り返される、常識を超えたこのドラマの脚本は、もっと十分な説明もほしいし、詰めもほしい。
練られた跡は見えるけれど、それでもかなり粗っぽいからだ。

  ・・・・あめりか あおもり あおいうえ
     うきよに おぼれて あわをふく
     かまきり こつこつ かけきくこ
     かまくら おしゃまに かざりつけ
     させぼに しがらみ さそしすせ
     そらには せんかん すいすいすい・・・・(「ウルトラミラクルラブストーリー」より)