昨日はサッカーのW杯予選が、ありました。
日本は前半の早い時間帯に先制しましたが、後半に追いつかれ、惜しくも1-1の引き分けでした。
TVで観戦しましたが、日本の失点シーンを見て思ったことを。
ゴール前の混戦からこぼれ球を押し込まれての失点ですが、日本のDFとGKの両方に、相手はこうしてくれるだろう(または、してほしい)という、相手まかせ(他者依存)の意識があったように感じます。
DFは、GKが飛び出しキャッチしてくれるだろう。(飛び出してキャッチしてほしい。)
GKは、DFがクリアしてくれるだろう。(クリアしてほしい。)
お互いに相手まかせな判断をしたことで生まれた、一瞬のためらいの隙をつかれてしまいました。
誰かがやってくれるだろうという意識は、誰しもあるかと思います。(こと、組合活動にはその意識が顕著?)
昨日の失点、どちらかが自発的に動いていれば失点は防げたかも。また、同じ失点するにしても後味の悪さの度合いは違うのかなと感じたりもします。
誰か、じゃなく、自分が。そこには、勇気や犠牲を伴う決断が必要かもしれませんが、自ら行動することで周りの人や組織の助けになる事もあるんじゃないか、と考えさせられました。
あと、チャンスが潰えたと思った中、足を伸ばして日本のGKのファンブルを誘い味方の同点弾につなげたイラク選手の、最後まで諦めない気持ちも見逃せません。
中央執行委員 T.K
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