筆者が学生の時に夢中になったものの一つに、「歴史を学ぶ」というものがあった。
振り返ってみれば、中学生の頃に戦国時代を舞台としたテレビゲームに夢中になったことがきっかけであった。
それからしばらくして、高校生のときにこれまた戦国時代を舞台としたとある映画を観たことでその方向性が決定的なものとなった。
ちなみに、その映画は話の面白さも去ることながら、時代考証の緻密さが評価され文化庁から表彰を受けた、ということもあった。(これは余談)
歴史に対する興味は初め、歴史上のヒーローの一生、いわゆる英雄譚であった。
しかし、歳を重ねるごとに物事の成り立ち、例えばこの街は如何にして発展してきたのか、日本のお役所仕事はどのようにして出来上がってきたのか、そういうことに興味が移っていた。
10月の末に、東京に出張した折、江戸東京博物館を長年の友人とともに観覧した。
隅田川にかかる木造(!)の両国橋をメインとした江戸の街のミニチュアや、日本橋の原寸大復元など、江戸城を中心とした生きた都市としての江戸の姿が実に鮮やかに示された展示であった。
また江戸が長い年月をかけて如何にして発展し、今の東京となるかという経緯についても実に丁寧に解説され、物事の成り立ちを理解することは大事だな、と思わされた。
歴史を学ぶことは今に至るまで本当に好きで、受験もほとんどそれだけで乗り切ってしまったのだが、進学した先では紆余曲折経て何故か史学を専攻しなかった。
史学の代わりに専攻したのは、「他人が考えていることが少しでも分かるようになれたら…」という望みから、心理学であった。
しかし、他人が考えていることなど簡単にわかるわけがなかった。
その代わりに身についたことといえば、実験や調査によってデータを収集し、数字を客観的に分析するという「科学的思考」であった。
就職後は、歴史への興味も心理学も単なる趣味の一つとなったが、ある日、学生時代の思い出に浸りながら、ふと思いついた。
「世の中のことは、物事の成り立ちと客観的分析ができれば、大体理解できるのでは」
当たり前のことだけど、大事にしたい感覚だなと思った。
私たちの労働組合も、その成り立ちと、置かれている状況を客観的に分析しながら活動していけばなすべきことが見えてくるのでは、とこれまた非常に当たり前であるが、大変生意気にもふと思ったので、学生のときの思い出にこじつけて僭越すぎる寄稿をさせていただいた。
【北海道・意問う】