たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

菊理比売姫は誰?

2022-12-28 16:07:07 | 猿田彦
以前にも書いています。

菊理比売姫(くくりひめのみこと)

ウィキペディアより引用します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』正伝には登場せず、『日本書紀』の異伝(第十の一書)に一度だけ出てくるのみである

神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる。
そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った。
つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある。
菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない

菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前、白山比咩神社の最初の祭神は、彦坐王と書きましたけど違うかもしれません。

菊理媛を倭姫ではないかと思っていたのですけど、サタヒコの足跡を考えると違ってるかも・・・

その後、いろいろ発見しましたのでこれから少しずつ書こうかと思います。

まず最初は、白山比咩神社ですよね。



4m海面を下げてみます・・・あまり意味が無かった・・・


白山比咩神社は、ちょうど、糸魚川と丹後半島の中間ですね。

ここから白山を越えて行くのです。

時代を考えてみましょうか。

サホヒコが伊勢を追い出されたのが、281年頃。その3年ぐらい後には糸魚川に居るとします

284年に糸魚川に来たときにはすでに大きな船を持っていました。

彌彦神社で船を建造していると考えます。

このころの船は、準構造船と呼ばれるものです。
兵庫県立考古博物館より引用させてもらいます

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
船の種類は、準構造船とよばれるものです。
縄文時代以来、船は木をくりぬいただけの丸木船が使われていましたが、その上に、板を立てて囲みをつくり、波が入らないようにしたものです。
丸木船と、後の時代にでてくるような船全体を板でつないで作る構造船との中間的な形であるので、準構造船と呼んでいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サタヒコ達は、鉄の斧やそのほかの鉄でできた道具を持っているので、効率よく木を加工できたと思います。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白鳥塚古墳その2

2022-12-28 07:10:06 | 猿田彦
ずいぶん長いこと書き込んでいませんね。

仕事の内容を大きく変えたので、まったく時間が無かったのです。

少し時間が出来たので、再開しましょうか。。。

さて、白鳥塚古墳ですけど、

「南北方向に主軸を持つ二つの埋葬施設が東西に並んで存在する可能性が指摘されている。」

とのことですね。つまり、二人埋葬されているわけですよね。

その二人とは、誰でしょうか?

レイラインがありますので、もう一度見てみましょうか。


おいら、彦坐王に気を取られすぎていたかもしれません・・・

大碓命(オオウスノミコト)の墓のある、西宮からのレイラインが、白鳥塚古墳を通るならば

そこが、サタヒコ(猿田彦)の墓と考えるのが適当なのではないだろうか?

しかも、朝鳥明神もそのライン上にあります。

詳しくはこちら参照してください

そうすると、二人の埋葬者は、「彦坐王」と「サタヒコ(猿田彦)」と考えるのが適当なのでは?

彦坐王の棺は、途中の祠から、尾張部神社古墳に移されています。

普通ならば、それでおしまいなのですけど、さらに、白鳥塚古墳に移されたということと考えなければなりませんね。

理由はわかりませんけど、サタヒコが生前に望んでいたのかもしれません。

そうすると、青塚古墳の埋葬者は誰?

もうお分かりですね。

東之宮古墳の被葬者である、 尾張大印岐 (おわりのおおいみき)の 子.である、

真敷刀婢 ( ましきとべ ) つまり、さたひこの妻ではないでしょうか?



尾張に住んでいた人たちが古くから高蔵神社磐座を崇拝していたかもしれません。



高蔵神社磐座からのレイライン上には、白山1号墳(愛知県丹羽郡大口町下小口1丁目)があります。


これは、 真敷刀婢 (マシキトベ)の兄弟かもしれません。

そう考えると、青塚古墳は 真敷刀婢 の可能性が高くなります。

娘である「玉姫」おそらく、宮簀媛(みやずひめ)と同じ人物と思いますけど、

彼女もこの青塚古墳に埋葬されているかもしれませんね。



















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする