たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

菊理比売姫は誰?その5

2022-12-30 08:51:42 | 猿田彦
この、白山比咩神社から白山を越えて美濃に行くルートを泰澄が再現したと考えていと思うのです。

ウィキペディアより引用します
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言い伝えでは、景行天皇12年の創祀で、雄略天皇9年に護国鎮護のために剣を奉納したと伝えられている。養老元年(717年)に泰澄大師が白山中居神社の社域を拡げ、社殿を修復したという。
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景行天皇12年はいつ頃なのか?  12年をそのままの年数で考えると、322年頃です。

半分の6年とすると、316年頃になります。その時サタヒコは、51歳ぐらい。

彼が生きているならば、白山中居神社の創祀は、サタヒコが行ったことになります。

そうでなければ、景行天皇が行ったかもしれません。

どちらにせよ、白山中居神社の場所は最初からあった場所の可能性が高いのではないでしょうか。

長瀧白山神社は、養老元年(717年)、泰澄が創建したと言われます。

この場所に以前から何かサタヒコ達の痕跡があったのか?全く分かりません。

今後の課題にしておきましょう。



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菊理比売姫は誰?その4

2022-12-30 08:09:27 | 猿田彦


長良川に出れば、あとは小さなカヌーを作り川を下ることが出来るので早く楽に行くことが出来るでしょう。 帰りは歩きですけど・・・

.川の流速は、平常時でおおよそ秒速0.2mから秒速3m程度と言うことです。

まず、平常時以外には川下りはしないでしょう。

それから、川の流速は、川下りの速度ではないということ。少し遅いでしょう。

秒速3mは時速10.8kmですが、その約半分のスピードとすると、時速5km。

この数字が適当かどうかはわかりません。

とりあえず、この数字で考えてみましょうか。大きな違いは無いと思います


長瀧白山神社からの距離は、郡上八幡で25kmぐらい。

5時間ほどかかります。この付近に滞在する場所を決めたとすると、ちょうどいい場所と考えます。

前回と同様で、確信できる滞在場所はわかりません。

まだ彼らは若く、権力があるなどとは程遠い存在なので仕方ないでしょうね。

郡上八幡から須原神社も同じくらいです。

須原神社から、長良志段見(伊波乃西神社付近)までも同じくらいです。

長良志段見は伊奈波神社の近くなので、そこまでは行っていないでしょう。











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