たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

菊理比売姫は誰?その3

2022-12-29 08:16:55 | 猿田彦
白山比咩神社創祀之地が、彼らが滞在した最初の場所と思われます。

船岡山の頂上にあります。前にも書いていますけど、船岡と言う地名は、彦坐王が丹後半島で、久我耳三笠を退治してから住んでいた所です。

その藤岡で奉仕していた八乙女の一人が彦坐王の妻、つまりサタヒコの母親と考えていいと思います。

「船岡」と言う名前を使ったのは、彦坐王の関係する場所と言うことを示すためなのでしょうか。

それはともかく、この場所を起点として白山を越えて、長良川に出ます。

およそのルートを考えてみました。

前回は、白山中居神社から九頭竜川に出るようなことを書いていましたけれど、

距離的に考えると現在ある長瀧白山神社の方に出るのが正解かなと思います。

長瀧白山神社は、まだこの時にはありません。

その近くをいろいろ調べましたけれど、彼らが滞在した場所を特定することはできませんでした。

今後の課題にしておきましょう。

白山越えについては、おいら山登りしませんので、触れることはしません。

白山比咩神社から長良川まで何日かかるのだろう?どなたか分かりませんか?






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菊理比売姫は誰?その2

2022-12-29 05:56:02 | 猿田彦
284年ごろに糸魚川に来たサタヒコ達は、その後、丹後半島に向かったと思います。

いつ頃かは分かりません。それほど月日はかからないうちでしょう。すでに船はありますから。

2年後とすると、286年。サホヒコは、36歳ぐらい。サタヒコは21歳ぐらいと思います。

サタヒコの母親は、39歳ぐらいでしょう。

糸魚川と丹後半島を行き来することが多かったのではないでしょうか。

糸魚川の翡翠と、丹後半島の鉄を船に乗せ、日本海をあちこちと移動していたのかもしれません。


そうするうちに、白山を越え長良川に出て、故郷の美濃に行こうという考えが出たのではないだろうか?

レイラインの測量者たちは、星を読む技術があるのでナビも出来たと考えます。

ちなみに、岐阜城からは白山が見えるそうです。

ということは、白山に登れば美濃までの道が分かるということ?

とにかく、みんな美濃に行きたかったと思います。

ですけど、美濃にはサホヒコ(=伊勢津彦)を伊勢から追い出した崇神天皇の息子の垂仁天皇が居る。

ですから安易に近づけません。

見つかったら、殺されるかもしれないですよね。

しかし、美濃の近くまで行っていると考えてもおかしくはありませんよね。







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