白山比咩神社創祀之地が、彼らが滞在した最初の場所と思われます。
船岡山の頂上にあります。前にも書いていますけど、船岡と言う地名は、彦坐王が丹後半島で、久我耳三笠を退治してから住んでいた所です。
その藤岡で奉仕していた八乙女の一人が彦坐王の妻、つまりサタヒコの母親と考えていいと思います。
「船岡」と言う名前を使ったのは、彦坐王の関係する場所と言うことを示すためなのでしょうか。
それはともかく、この場所を起点として白山を越えて、長良川に出ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d8/f0ed2147aabf81d29c415a711556b29a.jpg)
およそのルートを考えてみました。
前回は、白山中居神社から九頭竜川に出るようなことを書いていましたけれど、
距離的に考えると現在ある長瀧白山神社の方に出るのが正解かなと思います。
長瀧白山神社は、まだこの時にはありません。
その近くをいろいろ調べましたけれど、彼らが滞在した場所を特定することはできませんでした。
今後の課題にしておきましょう。
白山越えについては、おいら山登りしませんので、触れることはしません。
白山比咩神社から長良川まで何日かかるのだろう?どなたか分かりませんか?
船岡山の頂上にあります。前にも書いていますけど、船岡と言う地名は、彦坐王が丹後半島で、久我耳三笠を退治してから住んでいた所です。
その藤岡で奉仕していた八乙女の一人が彦坐王の妻、つまりサタヒコの母親と考えていいと思います。
「船岡」と言う名前を使ったのは、彦坐王の関係する場所と言うことを示すためなのでしょうか。
それはともかく、この場所を起点として白山を越えて、長良川に出ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d8/f0ed2147aabf81d29c415a711556b29a.jpg)
およそのルートを考えてみました。
前回は、白山中居神社から九頭竜川に出るようなことを書いていましたけれど、
距離的に考えると現在ある長瀧白山神社の方に出るのが正解かなと思います。
長瀧白山神社は、まだこの時にはありません。
その近くをいろいろ調べましたけれど、彼らが滞在した場所を特定することはできませんでした。
今後の課題にしておきましょう。
白山越えについては、おいら山登りしませんので、触れることはしません。
白山比咩神社から長良川まで何日かかるのだろう?どなたか分かりませんか?