湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

こんにちは、豊野。さようなら、二郎。

2006年05月31日 | 日常生活
『ヨコハマメリー』を観たあと、こちらも予定通り天丼屋豊野に寄ってみた。昼時とあって店の前には数名の人が並んでいた。その人たちの後ろに僕が並ぶと、恐そうというかやばそうというか、まぁそんな感じのお店のおじさんが、「あい、次のお兄さんは何?」といきなり野太い声で注文を訊いてきた。本当はゆっくり考えたいところなのに、条件反射的に「あっ、それじゃ海鮮丼を」などと適当に言ってしまう自分がちょっぴり悲しい。

席に着いて、程なくして注文した海鮮丼が出されたのだが、常連らしきお客と話す店の主人がやはりなんとなく恐ろしく、デジカメをわざわざ出して撮影するのはためらわれたので写真のほうは早々に諦めて、そのまま海鮮丼を食べ始める。ここで黄金丼の注文について店主とわたりあった自転車通勤チャリダーさんは結構すごいと思ってしまった。

店内に貼られたメニューによれば、海鮮丼には海老とキスと穴子と野菜の天麩羅が載っているはずなのに、食べ始めてみるとキスがなくて、そのかわりに野菜の天麩羅が2つ載っている。当然キスの天麩羅のほうがいいのだが、やはり言い出せない自分がまたしてもちょっぴり悲しい。でもキスはどこだ?とさがしている僕の姿に気づいた店の主人が、「あぁ、キス入れるの忘れちゃったよ!」とまたしても野太い声で言って、あとから追加してくれた。まぁ結局一品増えたのだからラッキーなのだけれども、僕の動作だけを見てキスが入っていないことに気づくなんて、もしかしたら確信的犯行だったのではないかという疑いが少し生じた。

まぁそんなことはあったのですが、海鮮丼、とても美味かったです。普通盛にもかかわらず結構な量があったのだけれども、思いの他あっさりと食べれてしまう。そして確かに胃もたれなどはほとんど感じられない。おやじさんはちょっと恐そうだけれども、また機会があったら再訪しようと思った。そしていつか僕も黄金丼(普通盛)を注文してみたいと思う。

ところでこの天丼屋豊野ですが、6月16日~25日はお休みだそうです。常連客との会話からすると、どうもドイツまでワールドカップを観に行くようです。食べに行ってみようと思っている方は気をつけてください。

さて前日に油たっぷりの丼物を食べてしまったにもかかわらず、今日は夕方から境川サイクリングロードを走って、相模大野のラーメン二郎に向かった。


夕方のサイクリングロードを並走する年配の方たち。とても楽しそうだった

それで久し振りに二郎のラーメンを食べたのだけれども、いやいや、あまりに腹がいっぱいになり過ぎて困った。腹いっぱい二郎のラーメンを食べるのを目的でわざわざ相模大野まで走って行ったというのに(関内店が定休日ということもあり)、それでも困った。


僕が今日頼んだのは普通の小ラーメンを野菜マシ(無料)にしたもの。去年くらいまでは大豚(大盛りチャーシューのこと)を頼んでも結構平気で食べていたのに、今年に入ってからどんどん二郎を食べきるのがきつくなってきている。そんなこともあって、今日は普通の小ラーメンを頼んだのだけれども、それでもきつかった。普段なら腹一杯で苦しがりながら自転車で走ることによって、こうやってカロリー消費しているのだという安心感を得ることができたりするのに、今日は安心感などまったくなくただ苦しいだけだった。

去年の冬くらいから健康のことを少し真面目に考えて、なるべく自分できちんとしたものをつくり、適量を食べるようにしていたので、化学調味料をたっぷりとつかった、ボリュームのある二郎のようなラーメンはだんだん口に合わなくなってきているのかもしれない。まぁはっきりとした理由はわからないが、とにかく今後は健康のためにもしばらく二郎のラーメンは食べるのをよそうと走りながら思った。

二郎、いままでありがとう。これからはもう少し違ったものを食べるようにするよ。また会う日まで、さようなら。

ヨコハマメリー

2006年05月31日 | 日常生活
昨日は予定通り、伊勢佐木町にある横浜ニューテアトルという映画館で『ヨコハマメリー』を観てきた。



横浜ニューテアトルにはこれまで何度か足を運んだことがあるのだけれども、かなりレトロな雰囲気の映画館でお客さんの入りもどちらかと言えば寂しいことが多かった。がしかし、昨日はまったく違った。青ポタ車を走らせて映画開始10分前くらいにニューテアトルに着いてみたら、映画館の前ばかりか、伊勢佐木モールにまで観客の列が出来ていて正直かなり焦った。


入場を待つ人々

とりあえず適当なところに自転車を置いて、整理券!をもらってすぐに列に並んだのだけれども、整理券番号は90番だったのでぎりぎりに着いていたら入場できなかったかもしれない。間に合って良かった。

番号順に入場するとすぐに客席は満席になった。満席の館内には、普段とは別種の空気が流れているように感じられた。これから特別な映画を観るのだという期待のようなものが館内に静かに溢れているように感じられた。これはメリーさんが長らく仕事場にしていた伊勢佐木町という土地柄によるものなのかもしれない。

映画は終始淡々と展開していく。メリーさんを知る人、メリーさんの生きた時代を知る人、当時の横浜や横須賀を知る人などが、彼女のことについて、当時のこの土地について、そして自分のことについて語っていく。そうしたことばのひとつひとつは、派手さはないが、生き生きして温かみに満ちている。そして同時にどこか物悲しかったりもする。それらのことばは、静かに確実に心に何かを残していく。

この映画には仰々しい演出や、いわゆるあざとく狙った演出は一切ない。ただ様々な人の証言やわずかな写真や映像からメリーさんという謎めいた女性のことを少しずつわれわれに伝えるだけだ。しかしそうした証言によってさえも、メリーさんの肝心な部分についてはわれわれに知らされることはない。なぜ娼婦になったのか、なぜ高齢になってもなお娼婦を続けたのか?そういったことは結局わからないままだ。でも、われわれはそれらについてわからないまま、わからないにもかかわらず、メリーさんを自然に受け入れはじめてしまう。それは多分メリーさんの生き方そのものが、過剰な演出などを必要としなくても、人に何かを感じさせずにはいられないものだったからだろうと思う。

淡々と展開していく映画にもやはりクライマックスという部分はある。それはとても美しく、優しく、そしてやはりどこか悲しいクライマックスだった。僕はかなり涙もろいたちなので、映画のいわゆる泣かせ所ではたいていいつも目を潤ませてしまうのだけれども、そうしたときはどうして涙が流れたのかが自分でもよくわかっている。けれども、まれにどうして涙を流してしまうのか自分でもはっきりわからないまま、涙が溢れ出てとまらなくなってしまうことがある。この『ヨコハマメリー』のラストではそんな種類の涙が流れ出して、正直結構困った。

僕はあまりうまくこの映画について伝えている自信がないのだけれども、ポスターにある『人生の深みと温かさが、心を揺るがす感動の物語』というのは正しいキャッチではあると思う。誰が観ても楽しいというような映画ではないけれども、良い映画であることは間違いないと思うので、興味のある方は是非ともご覧になられると良いと思います。横浜ニューテアトルでの上映は6月2日までのようですが、6月3日からは横浜の相鉄ムービルでの上映がはじまるようなので。


映画を観終わって外に出たら、次の回のための行列がまた出来ていた。本当に関心の高い映画なのだなと思った。僕は多分自分ではこの映画を観ようとは思わなかっただろうから、勧めてくれた友人には感謝である。これは部屋で観るよりも、映画館で観るべき映画だと思う。今回はとくに伊勢佐木町で観れて良かった。サンクス。


この街にメリーさんはいたんですね。