湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

酒飲みの弁、自転車乗りの弁

2006年05月13日 | 日常生活
先日大船のジンギスカンのカウンターで焼き肉を食べているときに、隣の男性が店のお姉さんに面白いことを言っていた。

「いやね、俺は酒が大嫌いなんだよ。だから世界中から憎っき酒をなくそうと思って、酒を飲んでるんだよ」

こういう物言いを僕は嫌いではない。酒を飲むというあまり肯定できない行為を、ふざけた理由で肯定しようとする。本人も通らない理屈だとわかった上で冗談として言っているわけだし、相手も酒飲みの戯言だとすぐにわかる。だからなんとなく、「しょーがないな」と笑うことができる。これがもし「酒は百薬の長だから」なんてしたり顔で言われたら、お前にとっては万病の素だろ!とでも言いたくなってしまうかもしれない。

ただ同じようなことを自転車乗りが言おうとすると、案外難しいような気がする。たとえば家族サービスを犠牲にして走りに行くとき、本当はただ単純に自転車に乗りたいだけなのに、「健康のためだよ」とか「お前も俺が突然心筋梗塞で倒れたら困るだろ?」なんてついつい言ってしまいそうだ。そうすると「健康のため」というのはまぁ正論ではあるから、相手のほうも反論しにくくなってしまう。

しかし正論で相手の反論を抑え込むというのはあまり得策ではないような気がする。なぜなら相手は、本当はただ単純に自転車に乗りたいから、ということを充分承知しているからだ。だから時間がたつとだんだん正論で抑え込まれたことに腹がたってくる。そして、そうした行き場のない怒りをためさせてしまうと、健康になんてならなくていいと自転車を捨てられた上に保険の掛け金を増やされたり、心筋梗塞で倒れる前にこの手で逝かせてやろうかと首でも絞められかねない。そんなことを避けるためにはもっとユーモアのある理由のほうが望ましい気がする。まぁこいつは自転車馬鹿だから仕方ないかと思ってもらえるような理由のほうが好ましいような気がする。

でもそういった理由って、簡単には思い浮かばないんですよね。健康に良い、環境に優しい、経済的である、といったような正しい理由であれば思いつくんですけど。

その点自転車通勤は楽ですね。通勤時間で自転車に乗るわけだから、いちいち言いわけを考える必要はない。昨今の自転車通勤の流行は、そんなところにも理由があるのかもしれない、なんてどうでもいいことをベッドでうとうとしながらふと思ったりしたのだった。