湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

まったく、いくつになっても・・・

2006年05月24日 | 自転車生活
ブルース・リーやロッキーなどの映画を観たあとに、心ならずもアチョーッ!と超低空飛行の跳び蹴りをしてしまったり、シュッシュッとまるでスローモーションのようなシャドーボクシングをしてしまった経験のある人は少なくないのではないでしょうか?僕の場合はどちらかというとリアル格闘技のほうが好きで格闘映画には興味がなかったのだけれども、5年位前にたまたまブルース・リーのビデオを借りて観たら、観終わったあとに(観てる途中からだったかな?)やはりつい廻し蹴りの真似などをやっていた。そして、いくつになったらこういうことをやらなくなるのだろうと自分という人間に不安を覚えた。

しかしそのような不安を以前もったにもかかわらず、僕は相変わらず似たようなことをたまにやっているようだ。

たとえばひとりで走っているときに、ふとマキュアンのことを思い出す。そうすると周りに誰かいるわけでもないのに(というより誰もいないからこそ)心のなかで「マキュアン!」と叫び急にギアをかけて斜行したりしてひとりスプリントのようなことをしてしまったりする。でもそんなスプリントは長く続くはずもなく、またゴールがあるわけでもないので、すぐに足を緩めてひとりでゼェーゼェー息切れしてしまったりする。そしてかえってそのあとの走りがきつくなったりしてしまう。

あるいは街中にあるようなちょっときつめの、けれども距離の短い上り坂では、ついついベッティーニのキレのあるアタックを思い出して、やはり心のなかで「ベッティーニ!」と叫んでギアをかけて立ち漕ぎで上りきる。こういう場合は短い坂であれば結構気持ち良かったりする。けれども見込みが違って角を曲がってその先にも坂が続いていたりしたら大変なことになってしまう。あとは息を切らせて、歩くようなスピードで死にそうになって坂を上らなくてはいけなくなってしまう。

それからひとりで平坦基調のあまり面白くない道をたんたんと走っているときは、アームストロングの個人TTを思い出したりすることもある。ケイデンスをあげて、ランスのように険しい表情をして意識をただ走ることに集中する。にもかわらず、(当たり前だけど)出ているスピードはランスの半分以下だったりするんですが。

ところで昨夜のジロでのシモーニの走りは熱かった。結果的にはステージ優勝できなかったどころか、バッソの強さをまざまざと見せつけられる格好で終わってしまったけれども、それでもこちらの胸を熱くさせるような走りだったと思う。少なくとも僕の胸は熱くなった。今度ヤビツに行ったら昨日のシモーニの姿を思い浮かべてみよう、などとはでも思わない。峠を上っているときは不思議と誰かの走りを真似したりはしないんだよな。きっとそんな余裕はないからだろう。もし峠でたとえばランスの真似をしてギアをかけてリズミカルな立ち漕ぎなんかはじめた日にゃ、それだけで終わってしまって峠までたどり着けなくなってしまいそうだものな。