湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

4人で土曜の朝ヤビツ

2007年03月31日 | 自転車生活
 朝ヤビツをして少し前に部屋に戻ってきました。Tonyさんと仁さんに加えて、sudobanさんも参加されて結局4人での朝ヤビツでございました。当初の予定だった(らしい)湘南平のほうは僕とsudobanさんは午後から予定があったのでパスさせてもらい、結局仁さんとTonyさんの2人だけが向かうことになりました。きっと素晴らしい桜を堪能したことでしょう。

 今朝はきちんと6時くらいに起きたというのに、部屋でだらだらしてたら結構ぎりぎりの時間になってしまいました。少し焦り気味に支度をして部屋を出たのが7時少し過ぎ。幸い遅れることはありませんでしたが、7時半ぎりぎりに到着したら皆しっかりすでに到着してました。お待たせしてすみませんでした。

 柳島からはいつも通りR134~金目川沿いを遡るコースを僕が先頭で走ります。基本的に僕は先頭に出てもそんなにペースがあがらないほうなんですが、名古木に着いてみればやはりいつもよりかは少し速めのペースで走っていたようです。もっともそうは言っても、ヤビツに上る前の往路なのでそんなに速いペースではなかったのですが、やはりロードで何人かと走るといつものようなのんびりしたペースというわけにはいかないものだと思いました。

 さて名古木からですが、結局TTみたいな感じで上ることになっちゃいました。sudobanさんの「わたしはTT・・・」という意見に「ならばわたしも・・・」ってな感じでの決定でした。う~ん、今日はほどほどのペースでヤビツを味わおうと思っていたのですが、結局こうなっちゃいますね(笑)

 そしてヤビツまではいつも通りヒィヒィ言いながらの登坂。ただ前回ほどのいっぱいいっぱい感はない。だけれども、だからといってタイムが伸びるわけでもなく、結局今回は40分切りまであと一歩の40分2秒でした。あと2秒というのがちょっと惜しかったですが、今回もこれくらいのタイムで走れたことは結構嬉しかったです。前回ができすぎのような気が少ししていたので。

 自分のゴール後は他の皆のフィニッシュ写真をと思ったのですが、ここで新しいデジカメを入れたサドルバッグが自転車に付いていないことに気づく。えっ!もしかして途中で落としちゃったとか?でもそれはありえないはず。となると付け忘れてきたってこと・・・。せっかく新調したというのに。あまりにマヌケな自分がちょっと悲しかった。



 というわけで、ほどなくして到着したsudobanさんのフィニッシュはデジカメの不鮮明な写真ということになってしまいました。すみませんです。あとのTonyさんと仁さんの写真はsudobanさんにおまかせすることになりました。

 しかしsudobanさんも仁さんもかなり良いタイムだったように思います。Tonyさんに関しては明らかに疲れていない余裕しゃくしゃくのゴールだったので、今回を「速かった」といっては失礼な気がするのでやめておきますが(笑)。僕は幸い信号にひっかからなかったのですが(無視はしてませんよ。ホントに)、sudobanさんとTonyさんはしっかり信号に引っかかってしまったようです。それであのタイムなわけだから、これからすごいことになっちゃいそうです。初ヤビツ、自転車での初峠の仁さんも、予想を上回るタイムで、それも最後まできれいに足が回っていてびっくりでした。上りきったあとも「気持ち良いのでまた来たい」といった感じのことを言っていたので、もしかして思っていたよりきつくなかったのかも?いやぁ、僕もしっかり頑張ろうっと。

 ヤビツからはせっかくなので護摩屋敷の水に下り、そこから菩提峠を越えました。護摩屋敷の水場ではたまにR134で見かける多分横須賀のベース在住の外国人ローディ御一行に遭遇。いやぁ彼らもヤビツを走ってたんだぁ。なかにひとり女性もいたのだけれども、その女性の乗っていたリッチーの黒のクロモリバイクがあまりに格好良くてしびれた。もっとも乗っていた女性ももしかしたら自転車以上に格好良かったりもしたんですけどね。というわけで、しびれたのは自転車にたいしてではなく、その女性にたいしてだったのかも。わかりませんけど。

 菩提峠~表丹沢林道は話をしながらのんびりと走った。こういう林道らしい林道を走るのは皆さんはじめてだったようで、結構喜んでくれたのが嬉しかった。

 表丹沢林道から表ヤビツの道に戻ってからは、素直に往路を戻る。帰りは往路より少し速いペースで走った。途中で湘南平へ向かう仁さんとTonyさんと別れてからはsudobanさんとの二人旅。ロードに乗ったsudobanさんに失礼のないように普段より少し頑張って走りました。海岸線を走っているとき、途中少しきつく感じたりもしたのですが、いやぁなんかこういう高速巡航って結構気持ち良いものですね。ひとりだともっとゆっくりしたペースで走っているんですが、こういうのもいいかもって思ってしまいました(笑)

 と、そんな感じで江ノ島まで走り、途中でsudobanさんと別れ、今はこうして机の前。今日明日とちょっと予定があってあまりゆっくりとできなかったのが残念でしたが、おかげさまで爽快な土曜日の午前中を過ごすことができました。またご一緒させてください。sudobanさん、仁さん、Tonyさん、今日はありがとうございました!

さっぱりわかりません

2007年03月30日 | 日常生活
 せっかく購入した新しいデジカメですが、予想していたように使い方がさっぱりわかりません。実は以前使っていたものも同じPowerShotの初期型だったので、そんなに苦労せずに使えるかなと思っていたのですがいやぁ甘かったです。とりあえず電源入れてシャッターを押すことはできますが、まだまだわからないことばかりです。もっとも僕は、もともとがそんなにカメラに詳しい人間ではないので、電源入れられて、シャッターを押せて、撮った画像をパソコンに移せればそれでよしという気もするのですが、せっかくいろんな機能があるんだからもう少しいろいろと使えるようになりたいですね。ちょうど今は桜のきれいな時期でもありますしね。



 上はせっかくなので、よくわからないなりにマクロ機能を使って撮ってみた、いまひとつよくわからなかった記事の一部。ある一部分を抜粋してあれこれ言うのはフェアではありませんが、少なくとも僕の実感とは違うかも。。。



 さて明日はTonyさんと仁さんに声をかけて頂いて、午前中にヤビツと湘南平を走ってくるつもりです。134号沿いのセブンイレブン柳島店に7時半に待ち合わせていますので、もしご一緒できそうな方がいらっしゃたら是非。仁さんは初ヤビツ=多分自転車でのぼるはじめての峠ということになるのだと思います。はじめて自転車で峠にたった感想が「どこが楽しいのかさっぱりわかりません」といったものでないと良いのだけれども・・・って仁さんに限ってそんな心配は無用ですよね!

自転車雑誌を読んで落ち込み、混乱したこと

2007年03月29日 | 自転車生活
 もう20年ほど昔の中学生の頃はサイスポを定期購読していたこともありますが、今はほとんど自転車雑誌の類を購入することはありません。ここ数年に限っていえば、毎年必ず買うのはツール特集の別冊付録のついた号のみ。それ以外には年に1冊くらいをなんとなく衝動買いするくらい。なので僕は最近の自転車事情にはほんと疎いです。昔得た自転車の知識にネットで情報を継ぎ足ししながら、なんとか自転車をやっているってのが実際のところです。

 一昨日、そんな僕のところに職場の親切な自転車のお仲間さんが、読み終えた自転車雑誌10冊くらいを「いる?」と言ってもってきてくれました。「いる?」と訊かれればもちろんいります。というわけで、ありがたく頂戴して、さっそく読みはじめました。

 結局捨てることになるからと自転車モノに限らず雑誌の類はほとんど購入しなくなりましたが、だからといって自転車が嫌いになったわけではありません。なので読みはじめてしまえば、結構真剣に読んじゃいます。そんなわけで最初はまるで少年のように目を輝かせながらいろんな記事を読んでいたのだと思います。しかしある記事を読みはじめたら一気にそんな楽しいわくわくした気持ちがぶっ飛びました。それはポジションに関する記事で、そこに書かれていることが普段僕が感じていることとまったく正反対のことだったのです。

 機材などに関する知識が不足しているという自覚はすごくあるので、僕はこのブログのなかでほとんどそういったことには触れないようにしています。ただポジションや走り方については、もちろんそんなに知識があるわけではないけれども、こちらのほうはフィジカルな実感としてまぁ思ったことを書いてもいいだろうとこれまで何度か自分なりのオロカナ試行錯誤について書いたりしています。だけれども、その自分の実感とまったく異なる内容がそこには書かれていたりして・・・。げっ、俺全然わかってなかったの?全然間違って理解してたの?と結構落ち込みました。

 たとえばついこの前のヤビツで感じた、前乗りのほうがペダルをまわしやすいといったことについても、「体幹を使ったより回転重視の後ろ乗り」「より踏み込みやすい前乗り」といったことが書いてある。何かの間違いではないかとも思ったのだけれども、何度読んでもそう書いてある。そんなわけで僕は「あぁまた俺はさしてわかってもいないことをわかった風に書いてしまったのだなぁ」と落ち込んだわけですが、部屋に戻ってきてポジションについて書かれた他のいくつかの本や雑誌をあらためて読んでみるとまた違ったことが書いてあったりしてすっかりわけがわからなくなっちゃいました。

 いくつかの記事と自分の実感から検討するに、回転重視=前乗り、トルク重視=後ろ乗り、という図式に間違いはないのだろうと思う。ただ僕が読んで落ち込んだ記事が誤りかというと一概にはそうも言えないような気もする。体幹をつかったペダリングがしやすいという意味で、その記事は「体幹を使ったより回転重視の後ろ乗り」という表現をしたのかもしれないし、同様に疲労しやすい太腿の筋肉をより使うことになるという意味で「より踏み込みやすい前乗り」という表現を使ったのではないかとも考えられるので。少し紛らわしいけれども、頑張ればそう解釈できないこともありません。

 ただ今回感じたのだけれども、やはり自転車雑誌に書かれたそういった記事を鵜呑みにしちゃうことは危険だとは思いました。体型や柔軟性や筋肉の質って人それぞれ違うわけだから、効率的なポジションや走り方は当然変わってくるはずです。もちろん雑誌などではなるべく一般的な基準にしたがって書いてあるのだとは思いますが、それだって表現しだいではわかりにくいものになってしまう可能性があります。

 そんなわけで今回思ったのは、ポジションや走り方についての記事は、なるべく自分の実感に近い表現で書かれた、理解しやすいものを参考にしたほうがいいということ。理解しにくい記事はいくら読んでも混乱するだけだと思います。

 ただそうは言っても、結局のところポジションって人それぞれだからやはり書くほうにとっても相当難しいのでしょうね。その点は理解してあげないと書き手がかわいそうな気も。それにこっちがきちんと理解してない可能性だってあるわけですしね(大アリ)。たとえば僕だってこの前「前乗りのほうが良さそうだ」って書いたけれども、よくよく考えればこれだって必要以上に後乗りのポジションにしていたからだと思うんですよね。「前乗り」に変えたLEMONDのポジションだって、それは以前より相対的に前乗りになっただけで、クランクを水平にして膝蓋骨とペダルが垂直に~という基準で考えるとまだまだ後乗り気味なような気もするし。

 やはりポジションって難しいです。

段葛の夜桜

2007年03月28日 | 日常生活
 たまたま郵便局に行く用事があった。ちょうど財布のなかの大きなお札をくずしたいと思っていた。だから390円の切手代の支払いにはその大きなお札を使おうと思っていた。にもかかわらず、いざお金を支払う段になったら無意識に千円札を出してしまい、結局1万円札をくずすことができず・・・。

 全然どうってことないことなんですが、最近何度か立て続けに同じようなことをやっているので、さすがに今日は「いったい、俺は何をやっているんだ?」と感じてしまいました。今日の場合は必要なものの購入だったからまだ良いものの、お金をくずすためだけの買い物のときにも同じようなことをやってしまったことも何度か。一度出した千円札を引っ込めて、あらためて1万円札を出すという方法もあるんでしょうけれども、たとえば120円のジュース1本の買い物でそういうことをやるのもどうかと思っちゃうんですよねぇ。って、だったら最初からそんな方法でお金をくずそうとするな、という感じもしますけど。

 今日は夕方鎌倉へ。1月に治療した歯がまた痛み出してしまったのです。で、歯医者が終わったあとにせっかくだから段葛の夜桜を見物してきました。
 


 提灯のぼんやりとした光に照らされた、満開まであと少しといった感じの桜がなかなか良い感じでした。



 今日は平日だったんで自転車を押して歩いちゃいましたけど、週末はとてもじゃないけどこんなことはできないだろうなぁ。満開になったら、週末を避けてまた寄ってみよう。

 あっそうそう、新しいデジカメをようやく購入しました。結局選んだのは単三電池が使えるキャノンのこれ。まだ全然使い方がわかってないんですが、これからぼちぼち慣れていければなと思っております。

よく寝ました

2007年03月27日 | 日常生活
 昨日はさすがに程よく疲れたようで、早い時間からぐっすりと寝入ってしまいました。そうして一夜明けた今朝ですが、思いの他体にはたいした疲れが残っていません。これがポジションのせいなのかどうかはさっぱりわからないんですけどね。どちらかと言うと気のせいという可能性のほうが高い気も(笑)やはり気持ちって重要ですからね。

 ここ3回のヤビツではキャットアイの心拍計をつけて、ampmと蓑毛のバス停と菜の花台でそれぞれラップをとりながら上っているのですが、昨日の場合一番最後の菜の花台~峠までで前回よりかなりタイムを短縮していたようでした。前回と比べて2分15秒短縮されたタイムのうちの、1分18秒をここで稼いでいました。この区間はいつもは最後に残った足を振り絞るように少しギアをかけて走ることが多かったのですが、それよりも逆に普段より1~2枚ギアを落として最後まで回転重視で走ったほうがもしかしたらタイム短縮には効果的なのかもしれないと思いました。自分の走り方を確認したり、試したりするためのヤビツのような定点観測地点があるってホントありがたいことです。まぁそれってもちろんヤビツでなくてもいいんですけど。

 ところで話が全然変わりますが、先日書いた中島みゆきさんについてですが、どうやら彼女は70年代、80年代、90年代だけでなく、00年代にもオリコンNo.1に輝いているようです。70年代が『わかれうた』、80年代が『悪女』、90年代が『空と君のあいだに』と『旅人のうた』。そして00年代に『地上の星』。いまのところ彼女以外この偉業を達成しているソロアーティストはいないようです。すごいな、中島みゆき。

 昨日は11時頃に部屋を出てヤビツに向かったのですが、それまでは部屋で中島みゆきを聴いてました。それで思ったのですが、中島みゆきを聴いているとあまり外に出て行く気がなくなりますね。ほんとはもっと早く部屋を出ようと思っていたのに、「今日は一日このまま部屋でゆっくり過ごすか」なんて気になってしまいました。まぁそんな風に思ってしまったのが本当に中島みゆきの曲のせいかはわかりませんが、「よし、走りに行くぞぉ!」というときに聴く音楽としてはあまり相応しくはないのかな、と。まぁ『地上の星』とかだったらわかりませんけど、昨日は初期のほうの曲を聴いちゃいましたからね。これからは走りに行く前に・・・というか、朝から中島みゆきの初期の頃の曲を聴くのはやめておいたほうが良さそうです。

わからないものだと感じた本日のヤビツ

2007年03月26日 | 自転車生活
 どこをどんなふうに走るのかまったく未定だった本日のお休みですが、結局そういうはっきりとした目的のないときの常として、困ったときのヤビツ峠のお世話になってきました。この前エントリーしたように、季節の変わり目ということで体は結構気だるいんですけど、たとえば三浦とヤビツだと僕はどうもヤビツに向かってしまうんですよね。なにはともあれ、いつもありがとう、ヤビツ峠。

 名古木までは今日もいつも同様のアプローチをするつもりだったのですが、途中面白半分にいつもと違う道を通ったらしばらく全然知らない場所を走ることになってちょっと焦りました。結局5~6kmくらい走っていつもの道に合流できたのですが、普段は川沿いを緩やかに上っていくというのに、その道だと小さなアップダウンが小刻みにあったりしてちょっと無駄に体力を消耗した感がありました。それに道に迷っているときって、気持ちが落ち着かなくて余計に体力を消耗したりしますしね。ただ名古木に着いてみれば走った距離はいつもとほとんど変わらなかったのが不思議だった。いったいどこを走ってたのだろう。あとから地図を見て確認してみよう。

 名古木からはまぁこれまたいつも通りTT。って言っても前回走ったのは2月21日なんで結構久し振りな気がしますね。なにせその後、ヤビツに行こうと思いながら2度も大観山に向かっちゃいましたからね(笑)

 さて今日はこれまでとは違うポジションで、違う走り方で走ってみるつもりです。これまでLEMONDのほうは、サドルを少し後ろに引き気味のポジションにしていましたが、今回はもう少し回転重視でサドルを若干前に出し、高さも数ミリですが下げてみました。このポジションだと急勾配部分で苦労しそうだし、太腿の前の部分への負荷がきつくなって早い段階で足が売り切れてしまうような気もしますが、まぁ何事も試してみなければわかりません。というわけで、今日はこのポジションでよりケイデンス重視で上ってみることにします。



 でもって、いきなり峠に到着ですが、このポジション結構良かったみたいです。タイムは39分53秒で、この時期なのにいきなり40分切っちゃいました。ただこんなふうに書くとあっさり上ったようにとられちゃいそうですが、もちろんそんなことはないです。涙と鼻水とよだれを流しながらヒィーヒィー言いながらの登坂でした。心臓だっていっぱいいっぱいで、ホントかどうかわかりませんが、平均心拍は186なんて数字になっていました。ただそれでも最後まで足が売り切れなかったのは、やはり今日のポジションと走り方のせいなのかもしれないって思いました。なんかポジションや走り方ってホント奥が深いって思ってしまいました。これからは浅はかな発言は控えるようにしようって結構真剣に思ってしまいました。

 峠ではしばらくベンチに横たわっていた。汗がひいても体はそんなに冷えなかった。春なんだなと思った。



 ベンチで休んだあとは素直に名古木方面に下った。菜の花台から見下ろす秦野の街はいかにも春らしくもやっと霞んでいた。

 そして名古木からはほとんど休まずに江ノ島まで。ここで普段より全然楽に足が廻り、スピードが出ることに驚く。ところどころ向かい風がきつかったりもしたのだけれども、いつもよりだいぶ高速巡航だった。往路は抑え気味で走ったのだけれども、少し頑張ればこんな感じで走れたのだろうか?もしかしたら体調が良かっただけかもしれないけれども、これがポジションのせいだとしたらすごいことだと思った。 



 そうして江ノ島まで戻ってきてみたらアベレージは26.4kmになっていた。だいたいヤビツ往復80kmだといつもは24~25kmだから、全体的に普段より速く走れていたようだった。う~ん、体調悪いと思っていたのにわけわかりません。やはり心と体のバランスがうまくとれていないのだろうか?

 まぁいろいろと腑に落ちないところは多々あるのですが、今年も1度は!と思っていた40分切りがこんな時期に早々と達成できて良かったです。今日はヤビツで正解でした。

雨男ではないかもしれない

2007年03月25日 | 日常生活
 夕飯を食べ終えてから、音楽を聴きながらサボっていた3日分のエントリーをした。2年目は毎日エントリーに固執するつもりはないと宣言はしましたが、今回はまぁなんとなく。無理なく遡れるときは、遡っても良いかなと。

 俺は晴れ男だ!なんて言ったりしたら、今後しばらく休みのたびに雨に降られてしまいそうなのでやめておくけれども、僕は少なくとも雨男ではないのかもしれない。今までそれなりに長い自転車生活を送ってきているわけだからひどい雨のなかを走ったことだって数え切れないほどあるけれども、それでも結構天気には恵まれてきたような気がする。去年を振り返ってみても、南会津の1泊紅葉ランは天候が思わしくなくて日帰りに変更してしまったけれども、それ以外はだいたい走りたいときは走れたような気がする。

 そんなことを今日あらためて僕が思ったのは、明日も晴れそうだからである。でもって、僕は週末は休みではなかったのだけれども、明日は休みなのである。

 ただ明日の晴れに関してはちょっと気持ちは複雑である。まず第一に今日遡ってしたエントリーにも書いたけれども、ここ最近僕はちょっと疲れ気味なのである。だけれども天気が良ければ、どうしたって走りたくなってしまう。そんなわけで、う~んとちょっと悩んでしまうわけです。それからせっかく好天のもと良い景色が期待できるというのに、まだデジカメを購入していないのもちょっと残念だったりする。別にブログのために走ってるんじゃない、と粋がりたいところですが、まぁ自分に正直になればそういった面も当然あるわけで。なのでせっかく走ってもその風景を伝えられないのはやはりちょっと残念かなと。

 まぁそんなことを言っていても、結局僕は自転車にまたがるのだと思う。どんな走りをするかはわからないけれども、とりあえずはどこかを走ることになると思う。デジカメがないのはやはり残念だけれども、たまにはフィルムカメラを持っていくのも良いかもしれない。あるいはたまにはカメラなんてなしで、気楽に走るのもいいかもしれない。なにはともあれ、せっかくの天気の良いお休みなのだから、自転車に乗って春の空気を肺に入れてこようと思う。

『かもめ食堂』と『フラガール』

2007年03月24日 | 日常生活
 図書館で借りた『かもめ食堂』を読了。そしてようやくレンタル開始になった『フラガール』をDVDで観た。

 映画のほうを最初に観た『かもめ食堂』の小説のほうをようやく読むことができた。映画のほうについては以前こちらのエントリーで書いたけれども、小説のほうも期待通り楽しく読むことができた。まず共感したのが、フィンランドにかもめ食堂を開くことになるサチエさんの食にたいする考え方。食物科に通うサチエが友人たちに話して笑われ、あるいはわかった顔で聞き流されてしまった、「私、おいしいご飯とお新香とお味噌汁があれば、何もいらないな」ということばや、「華やかな盛りつけじゃなくていい。素朴でいいから、ちゃんとした食事を食べてもらえるような店をつくりたい」ということばに、そんなにちゃんとした食生活をしているわけでもないのにうんうんとうなづく。詰まるところ日本人はそこにいきつくんだよ、なんて思いつつ。

 ただ映画と小説のどちらがいいかと訊かれたら、多分映画のほうがいいと僕はこたえる気がする。小説のなかでは映画のなかでは明かされないサチエがフィンランドで料理屋さんを開くいきさつや、わけあり風の2人の日本人女性がフィンランドにやってくるいきさつなどもきちんと書かれているのだけれども、そうしたいきさつが明らかにされない映画のほうがミステリアスというか、観る側でいろいろな想像ができて物語が膨らむような気がした。そしてミニマリズム的な映画のほうが、サチエの思いが昇華する瞬間も見事に描かれている気がした。

 もっともだからといって小説がつまらないかというと全然そんなことはありません。小説もしっかり楽しめます。ただ個人的には映画を観てから小説を読むほうが良いと思った。映画によって想像力をかきたてられる部分が、小説によってはじめからわかっているのはちょっともったいない気がするので。

 それから『フラガール』。これ、いい映画ですねぇ。しっかり泣かされました。そしてしっかり感動させられました。蒼井優なんか、Dr.コトーのときは毎回苛々して仕方なかったのに、この映画ではもうめちゃくちゃ格好良かったですよ・・・ってこんなことを言うと単純馬鹿みたいですけど(実際その通りなのだけど)、いやいやホントにそう思ってしまった。僕はあまりメイキングには興味がないのだけれども、これはメモリアルBOXが欲しくなっちゃいました。出演した俳優さんたちは、皆フラダンスは素人同然だったらしいから、かなり感動的なドラマがそこにはあったのではないかと・・・。まぁとにかく観てよかったです。『フラガール』。

 となんだか小説と映画のことについて書いたので、少しだけ音楽のことを。これも図書館利用なのだけれども、先日中島みゆきの初期の10枚のアルバムを集めたBOXセットを借りてきた。僕は小学生の頃から中島みゆきって結構好きだったのだけれども、その当時はなかなか中島みゆきを好きとは言えない雰囲気があったと思う。今でこそ中島みゆきを好きだといっても暗さに結びつかなくなったけれども、当時の少年にとっては、トイレから長く戻って来なければ「くっせー!」、中島みゆきを好きだと言えば「くっれー!」と言われてしまうのは避けがたいことだった。

 そんなわけで、「中島みゆき、結構いいと思うんだけどな」と思いつつ、当時はなかなかそのことを公にできなかったのだけれども、あらためてこうやって初期の頃のアルバムを聴いてみると(すべてをチェックしていたわけではなかったので)、確かに暗い。『うらみ・ます』なんて曲名からして暗い。というかはっきり言って怖い。「うらみ」と「ます」のあいだの中点がとくに迫力な気がするのは僕だけであろうか?ちなみにこの『うらみ・ます』が入っているアルバムのタイトルは『生きていてもいいですか』。

 中島みゆきは70年代、80年代、90年代にそれぞれオリコン・ヒットチャートNo.1に輝いた唯一の女性歌手という話を以前どこかで聞いたことがあるのだけれども、その70年代のNo.1ソングの『わかれうた』にしたって、のっけから「道に倒れて誰かの名を~♪ 呼び続けたことがありますか~♪」だったりするわけだから。いやいや、そんな経験のある人ってそうそういないですよ。比喩的な意味でならわからないけれども。

 とは言え、ある時期から行進曲という軍歌というかそういう調子のヒット曲を連発するようになった中島みゆきより、この暗い時期の中島みゆきのほうが僕はやはり好きかもしれない。そこには確かに切々とした響きがある。ある時期にしか発することのできない何かがある。ただ、ちょっとこれはやばいのでは?という曲もあったりもするんですけどね。

 えっと、小説と映画の話もしたのでちょっとだけといってはじめた音楽の話が一番長くなってしまったかもしれませんね。ちなみにこのエントリーは『かもめ食堂』と『フラガール』が良かったというエントリーです。

ひと冬の夏みかん泥棒

2007年03月23日 | 日常生活
 僕のアパートはちょっとした坂の上に建っている。そして部屋の海側のそのちょっとした坂の斜面には夏みかんの木が生えている。

 僕がこの部屋に越してきたのはかなり寒さの厳しい2月のことだった。そのときも今と同じように夏みかんが窓の外に生っていた。まだ荷物の少ない寒々しい殺風景な部屋の窓から見えるたわわに実った黄色い夏みかんは、冬の透明な陽射しに照らされてなんというかとても良かった。うまく言えないけれども、手の届くところにしっかりと自然の息吹を感じさせるものがあるというのはなんだかとても嬉しいものだとそのとき思った記憶がある。

 ただその冬、窓から見える夏みかんの実を眺めながら僕がまた別のことを考えていたのも本当のことである。それはまぁ予想がつくことだと思いますが、果たしてこの夏みかんをもぎとって食べて良いかということである。ただ、さすがにそれはできなかった。坂の斜面は、坂の下の大きな家の土地だったので。入居して早々、そんなことをするのはさすがにまずいんじゃないかと思った。そんなわけで、当たり前のことだけれども、その年僕が夏みかんに手を伸ばすことは結局なかった。そしてたわわに生っていた夏みかんの実は、春から夏にかけて自然に枝から落ち、しばらくのあいだ坂の斜面に転がっていた。

 その翌年の冬にも、窓の外の夏みかんは豊作だった。坂の斜面に転がったままの夏みかんを前の年に見ていただけに、この年はかなり心が激しく揺れた。そんなときに部屋に遊びに来た友人が、「お前のとこいいなぁ。夏みかん食べ放題じゃないか」というようなことを僕に言った。「いやいや、そんなことはできないよ。坂の斜面は下の家の土地だから」と僕はこたえた。と同時に「お前なら食う?」と僕は訊ねた。「絶対食うね」とその友人はこたえた。

 その数日後、僕は窓から身を乗り出して、少し緊張しながらそれまで観賞するにとどめておいた夏みかんにはじめて手を伸ばした。そして床に新聞紙を敷いて、その上でいかにも野趣を感じさせるその厚い皮をむいた。そうして口に入れたその夏みかんの酸っぱさは今でも忘れられない。笑っちゃうくらいに顔が変形するほどそれは酸っぱかった。僕は顔を歪めながら、手を果汁でべとべとにしながら結局すべてを食べきった。

 それからその冬のあいだ、僕はちょくちょく窓から手を伸ばして夏みかんをもぎとるようになった。食べているうちに最初に感じた酸っぱさがとても美味しく感じられるようになっていった。これこそ、本当の夏みかんの味なのだと僕は思った。なんか疲れたなぁと思ったらビタミン補給に1個。ちょっと果物が食べたいなぁと思ったら1個。自転車に乗ったあとももちろん1個。そうこうしているうちに、手を伸ばせば簡単にとれる範囲の夏みかんはすべてもぎとってしまった。それでも僕は夏みかんを獲り(盗り)続けた。最後のほうはかなり頑張って窓から身をのりださないと手が届かなくなった。そうしてあらかた窓から手が届く範囲の夏みかんを食べきった頃に、夏みかんの季節が終わった。

 その次の年も夏みかんの実は生った。しかし緑から薄黄色に色が変わり、そろそろ食べ頃かなぁと思ったちょうどその頃に、それまで放っておかれたままの夏みかんがすっかり収穫されてしまった。それも僕の部屋に近いところから。たまたまその年に限って夏みかんを有効利用ようと思ったのかもしれないけれども、多分バレバレだったんだろうなぁって思った。

 結局越してきて2年目の冬だけで夏みかん泥棒は廃業した。夏みかんは今年の冬も窓の外にたわわに実っていた。


春眠なかなか疲れを癒さず

2007年03月22日 | 日常生活
 前日の三浦一周ではなるべく心拍数を上下させずに中程度の一定の負荷で走ることを心掛けた。三浦一周ほど徹底はしていなかったけれども、この前の大観山でも同じようなことを念頭において走ってみた。なぜそんなことをしたかというと、あまり明るい話題ではなくて恐縮ですが、ここ最近やたら体に疲れを感じるからです。

 自転車に乗ろうと乗るまいと、冬から春への季節の変わり目、そして夏から秋への季節の変わり目の一時期、ある歳を過ぎた頃からやたら疲れを感じるようになった。冬から春へ、夏から秋へと過ごしやすい季節になると、とても心地良い眠りが訪れる。だけれども、それまでの寒さや暑さで疲弊した体は素直に休息を求めているようで、どんなにたくさん寝ても、どんなにしっかり休んでもなかなか疲れが抜けていかない。逆に、春に虫が地中からむくむくと顔を出すように、体の芯からどんどん疲労が湧き出てくる。しっかりと睡眠をとったあとでも、まるで疲労のエキスが骨から絞り出されたかのように、筋肉や関節が熱を持ってだるくほてったりしている。

 これまで、僕はそれを加齢や気候の変化に適応するための仕方のない現象だと考えてきた。たとえば森の動物たちだって冬を越すあいだにそれまで蓄えた脂肪をごっそり奪われて痩せぎすの体になってしまうのだ。そして春の訪れとともにふらふらと動き出し、餌を求め、春の眠りをむさぼるのだから。だから春の訪れとともに僕がやたら体の疲れを感じたりするのも、これはまぁ動物として仕方のないことだと思っていた。とは言っても僕の場合は、冬のあいだに逆にしっかり太ったりもしてるんですけど、まぁそれはそれとして。

 そんなわけで、なるべく体力を消費しないように走った三浦一周の翌日のこの日もしっかりと体に気だるさが残っていた。残念ながら。だけれども、これもきっと厳しい冬から穏やかな春への季節の変わり目だから仕方ないんだろうな、きっと・・・

 といったことを同世代の女性に話したところ、「それって自律神経の問題じゃない」とあっさり言われてしまった。森の動物たちの生態まで持ち出して打ち立てた僕の説(というほどのものでは勿論ありません)をばっさりと斬り捨てるかのような、それはそれはひどい物言いだった。僕としては、いきなり辻斬りにでもあったような気分だった。だけれども、ほんの数秒後には「そういうこともあるかも」とも思った。自律神経についてはえっと女性のほうが幾分詳しそうだし、僕のほうにも「そんなことはない」と強く否定するような自信もなかったし。

 まぁそれがどんな理由であろうと、暖かくなってきて自然に出てきた走りたい、走りこみたいというせっかくの気持ちに体がうまくついていかないというのはやはり残念なことだ。だけれども、そういうときに無理をしても仕方ない。というわけで、いまはあまりあせらずに無理のない走りをしよう。そして、走ったあとはしっかり食べ、春の心地良く少し気だるい眠りをむさぼる。そういうことを自然のものとして受け入れることもきっと大事なことなのだろう。動物として。って、あんまりそんなことばかりが続くと、それはそれでぶくぶく太っちゃって大変なことになっちゃいそうですけどね。