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標高4200mにあるティンリーという村を早朝出発して、ちょうど日が暮れる頃に標高5100mのラルン・ラという峠に到着した。夕闇に包まれはじめたゆるやかな峠には、ひどく強い風が吹いていた。
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結局その日は峠のすぐ脇にテントを張った。本当は最後の峠まで行きたかったけれど、もう時間的にも体力的にもそんな余裕は残っていなかった。風の音を聞きながら、残り少なくなった水で、中国製のものより断然美味しい、タイから輸入されたインスタント・ラーメンをつくって食べた。
翌朝、峠道を少し下り、最後の峠を目指した。下りきったすぐの場所に道班があったので、受付のようなところいた漢族の女性に、「有没有開水?」と煮沸した水をもらおうとしたのだけれども、返ってきた答えは「没有」。乾燥した高地でのキャンプだったこともあり、残った水は夜のあいだに飲み干してしまっていた。「困ったな、ないわけないだろう、ここにいる人たちはどうやって生活しているんだよ」と思いつつ、でも相手にとっても水は貴重なはずと諦めて最後の峠に向かった。
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最後の峠は、前日のラルン・ラと違ってとても穏やかだった。そして国境の町への電柱があったこともあって、そんなに荒漠とした雰囲気もなかった。ここからネパールとの国境までは3000m近いダウンヒル。先を急ぐ必要はない。ネパール・ヒマラヤ方面の景色を眺めながら、最後のチベットの空気をしばらく楽しんだ。
峠でのんびりし過ぎたのと、モンスーンの影響なのか谷のなかを吹き上げるような向かい風が途中からかなりきつくなり、下りにもかかわらず思ったより距離が稼げず、その日のうちに国境にたどり着くことはできなかった。標高が低くなるとともに民家がぽつぽつとあらわれ、近くを通るたびに牧羊犬なのか番犬なのかわからないけれども、血走った目の犬に吠えたてられ、追い立てられるのが恐怖だった。途中からは民家が近づくと、少し大きめの石を拾い、本気で投げつける覚悟で犬と対峙した。実際に投げつけることはなかったけれど、それくらいこちらも真剣にならないとまずいと思った。
この日は結局、国境のひとつ手前のニェラムという街で泊まった。普通の宿ではなく、買い物をした商店の店主が自分の家に泊めてくれた。当然客用の寝室などはなく、普段子供たちが寝ているベッドを借りることになったのだけれども、よくわからない外国人に自分が寝ているベッドをとられ、一番小さな子供は涙を浮かべていた。少し申しわけない気がしたけれども、他のみんなはにっこりと笑っていてくれたので、ありがたくベッドを使わせてもらい、前日までとは明らかに種類の違う、久し振りの濃い酸素のなかで深い眠りについた。