湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

2007直江津集合の翌日

2007年08月26日 | 自転車生活


 今年も本当に直江津まで走ってしまった。



 それもひとりではなく、何人もの仲間たちと。よくまぁこんなオフ会に22人も参加したよなぁ。

 帰りは青春18切符を使って10時間弱の鈍行列車の旅。鈍行列車の揺れが疲れた体に妙に心地良かったです。そして車中で延々と繰り広げられた宴会の楽しかったこと。僕はあまりアルコールは飲まなかったし、結構うとうとしていた時間も長かったりしたのですが、その場にいるのがとても気持ち良かったです。

 ただ八王子に到着する30分前くらいから感じはじめた尿意はとにかくきつかった。あんなに我慢したのはここ何年もなかったような気がする。ボトルにしちゃえば、なんて言われたりもしましたが、さすがにできなかったです。八王子に着いたときはホッとしたなぁ。直江津まで走って帰ってきての最初の感想がそれかよ!って言われちゃいそうですけど。トイレに直行した僕の自転車を運んでくれたふぉあぁさんありがとうございました。

 それから帰宅列車のツアコンをして頂いたtakkunさんありがとうございました。乗換から停車時間、乗車場所などなど、とにかくこの日は皆takkunさんにお世話になりっぱなしでしたね(^^

2007直江津集合(1) 夜明けまでに関東平野を移動せよ

2007年08月25日 | 自転車生活
 去年の双龍での忘年会でのこと。「yuzitoさん、ちょっとこっちに来て」とmasaさんtetsuさんに呼ばれ、なんだろう?と思って行ってみたらいきなりカラオケ用のマイクを手渡されて「直江津集合!」と叫ばされてしまった。酔っていたとはいえ、「そ、そんな大それたことの音頭を無責任にとったらまずいだろう」という考えは頭のなかに確かにきちんとあった。でもそこで、「いや、そんなことは言えません」という勇気が僕にはなかった・・・。それでまぁお酒の勢いも借りて、「直江津集合!」と高らかに叫んだわけだけれども、直江津集合!が本当に実現するのかについてはずっと半信半疑だったわけで・・・。

 しかしそこは一度やると決めたらきっちりやり遂げるmasaさんのおかげで本当に2007・直江津集合オフ!が実現しちゃいました。去年走ったから、そして集合の雄叫びをあげたからという理由で僕もmasaさんと一応幹事ということになっていましたが、申しわけないことに僕はほとんど何もしていません。ですので、本当にmasaさんにはありがとう&すみませんという気持ちでいっぱいです。でも多分今僕が一番masaさんに感じている気持ちはやはり“ありがとう”かな。確かに去年僕はひとりで直江津まで走ったし、そのとき来年も走りたいと思ったのだけれども、正直今年の僕にはそのモチベーションが足りなかった。でも直江津集合!と叫んだ手前、僕が直江津まで走らないわけにはいかないと思っていた。そういった意味では今年については僕もオフ会に直江津まで走らされたひとりだったわけです。そうして走った直江津ランはやはりとても充実感のある、走って本当に良かったと思えるものだったから。



 今年の出走は8月24日の17時半に江ノ島から。集合は25日19時だったわけだから少し早いかなとも思ったのだけれども、去年ストレスを感じた交通量の多い関東平野を気持ち的に余裕をもって走れるよう、眠気を感じたらいつでも仮眠がとれるようにとこれくらいの時間に走りはじめることにした。それに関東平野に関しては景色なんてほとんど期待できないわけだし、標高も低く気温も高いわけだから、なるべく関東平野は夜のうちに走りきっておきたかった。



 去年はまず都内に向かってそこからR17を高崎に向かって走ったのだけれども、今年は境川のmasaさんが7月に渋峠を目指したときのコースを僕も走ってみることにした。去年のコースは交通量が多くて生きた心地がしなかったので。

 というわけで、まずは境川CRを北上。車の入ってこないサイクリング・ロードをアプローチで走れるというのは気持ち的にすごく楽だ。



 そしてサイクリング・ロードを走行中に落陽。翌日の夕陽は日本海で見ることになるのだと思うと、まだ走りはじめたばかりだというのになんだかちょっと感慨深い。

 ただ車の入ってこないサイクリング・ロードもすべてが快適というわけではなかった。舗装が若干荒いため走行感が重い。それから町田の少し手前あたりからは川の右岸の道はところどころダートになってしまう。暗くなってからは無灯火の自転車、それから歩行者にも注意が必要だ。そんなことに少し疲れ、町田を少し過ぎたところで結局サイクリング・ロードを離れてR16にうつった。そしてそこからは夜の国道(一部県道)を安全に注意しながらただただ移動・・・。 


                                              横田基地あたり

 正直僕はこういう延々とした“移動のための走り”はあまり好きではない。やはり自転車で走るのであれば夜より昼のほうがいいし、車の多い街中の道よりも車の少ない自然に近い道のほうが好きだ。ただ今年選択した境川のmasaさんが走ったコースは予想以上に走りやすくまた交通量も少なかったので、そんなに精神的なストレスを感じることがなかったのはありがたいことだった。



 ただ精神的なストレスは少なかったのだけれども、体力的なストレスは結構かかっていたようで・・・。

 まず最初にあらわれたのが眠気。僕は眠気に弱い性質なので、眠気を感じたら横になれそうな場所を見つけてすぐに仮眠するということを走る前から決めていた。今回は早々とまず23時半ころに小川町あたりで1回目の仮眠。結局ほとんど眠ることはできなかったのだけれども、上の写真のベンチに足をのせて30分ほど横になっていた。



 それから今回もうひとつ気をつけようと思っていたことは補給についてだった。補給不足のために去年は後半明らかに体に力が入らなくなった時間があったので。

 ただもしかしたら僕はこの関東平野の移動中、過剰に補給をし過ぎたかもしれない。ただ単に足にきているだけなのに、それを補給不足と決めつけて食べ物をお腹に入れてしまったようなところがあった。結局補給を繰り返しても足は一向に復活せず、ただお腹が重くなっただけだったからやはり今回は食べすぎだったのだと思う。

 さて2度目の仮眠は4時頃、渋川の10kmくらい手前の郵便局の軒下にて。このときは眠気だけでなく、かなり体力的にもきつくなってきていた。去年は少なくとも大津までは走れば走るほどどんどん体が楽になっていったというのに、今年は走れば走るほど体がきつくなっていった。もちろんきっとこれが当たり前なのだろうけれども、当然頭には去年の印象が強く残っていたので、この時点でのこのきつさは結構精神的にこたえた。予定ではこれくらいの時間には吾妻線のどこかの無人駅に着いているつもりだったのに。そしてそこで仮眠をするつもりだったのに。

 ここではやはり30分くらい横になっていた。でもほとんど眠ることはできなかった。多分数分うとうとした程度だったのだと思う。ただきちんと眠れなくてもこういった休憩が体にも頭にもきっと必要なはずだと思って静かに横になって休んでいた。

 と、そんなふうにして目を閉じて横になっていたら頭上でシャカシャカシャカとペダルをまわす音が聞こえた。自転車だ!と思って飛び起きたら、誰かは確認できなかったけれども、1台のロードが走り去っていくのが見えた。時計を見たらちょど横になってから30分くらい時間がたっていたので起きて僕も再び走り出すことにした。

 “追いつきたい”という気持ちで走り出したのだけれども、すでに相当足にきてしまっているようで全然スピードが乗らない。平地にもかかわらずせいぜい25kmくらいでしか走れないのだ。それにそういうときに限って信号がことごとく赤。なので、しばらく走ったところで追走は諦らめた。無理に頑張るとさらに足がなくなっちゃいますから。

 渋川からR353に入ってからは上り基調の道になったということもあって、時速は20km前半。そして足に感じる負担がさらに大きくなる。こんな状態で渋峠を上りきれるだろうか?とだんだんと不安になってくる。 



 そしてようやくR353に入ったというようなところで夜が明けはじめてしまった・・・。できたら夜明けは吾妻峡のあたりで迎えたかったのに。でも焦る必要はない。時間的な余裕はまだまだあるのだから。

 と、凹みつつある気持ちを落ち着かせながら小野上のセブンイレブンにたどり着いたら1台のロードが!おぉ、なんと荒川上流組のらんたさんだった。らんたさんとは今年の三浦オフで結構長い時間ご一緒させて頂いた。あれ以来荒川上流の方々のブログを訪れるようになり、勝手に親近感を持つようになっていたので、かなりきつさを感じていたこの場所での再会はとても嬉しかった。気持ちとはいい加減なもので、この再会で一気に元気が復活したような気がした。 



 しかしながら体のほうはやはりきつくって、小野上からはお願いしてらんたさんの後ろにつかせてもらうことに。ここから吾妻峡までの20km以上を結局一度も先行することなく曳いてもらってしまいました。ありがとうございました。



 吾妻峡では自転車から降りてちょっとだけ観光。なかなかの景観だった。

 さてここからは、一応僕が前に出た。さすがにこのまま曳かれっぱなしは申しわけなさ過ぎる。多分ペースは落ちちゃうと思うけれども、やはり前を走らなくては失礼だと思ったのだ。
 しかし、そうは思ったものの少し走って大津まで8kmという標識を見た瞬間にちょっぴり後悔。げっ!そんなあるの?と。20km以上曳いてもらったらんたさんには申しわけないけれども、実は残り距離もっと短いと思っていたのだ。

 前に出てからは頑張りつつも頑張り過ぎない走りを心掛けた。頑張り過ぎて足がなくなっては元も子もない。なだらかに上り、なだらかに下り、そしてまたなだらかに上っていきながら標高を稼いで長野原草津口駅を越え、そこからはじまった結構な急坂をひぃひぃ言いながら上ってようやく、



 らんたさんとともに渋峠への上り口である大津の交差点にあるセブンイレブンに7時28分に到着。当初考えていたより時間がかかってしまったけれども、小野上でらんたさんと会わなかったらもっと時間がかかっていたと思う。とにかく暑さが本格的になるこれくらいの時間にここまでやってこれて良かった。そして恐れていた夜の関東平野を事故なく走りきることができて良かった。

 ここで朝食を食べたら、いよいよ渋峠への登坂のはじまりだ。

 江ノ島 17:30出走
 東松山 22:36着 100.19km AV25.1km
 小川町 23:34着 114.26km   24.9km
 渋川    4:54着 184.02km   24.6km
 大津    7:28着 228.54km   24.4km

2007直江津集合(2) 今年も渋峠を越える

2007直江津集合(2) 今年も渋峠を越える

2007年08月25日 | 自転車生活
 2007直江津集合(1) 夜明けまでに関東平野を移動せよより


 大津の交差点にあるセブンイレブンでらんたさんと朝食を食べているときに、やはり直江津を目指していそうなひとりの自転車乗りが渋峠方面へ走っていった。
 さて朝食を食べ終えて、いよいよらんたさんと僕も渋峠へ向かって走りだします。

 でもらんたさん、ちょっと膝がきつそうです。どうやらペダルをSPD-SLからSPDに交換したことに伴うサドルの高さ調整がいまひとつうまくいかなかったのが原因のよう。大丈夫だろうか?

 上りはそれぞれのペースで走った。しかし去年も感じたのだけれども、この草津までの最初の上りがえらく足にこたえる。ただそれでも僕はやはりこういうわかりやすい上り坂のほうが好きではあるようだ。ところどころ余裕で10kmを切ってしまうというゆっくりしたペースだけれども、肉体的にはともかく精神的にはそんなにきつくはない。

 草津の道の駅までは休憩なしで淡々と上った。そしてようやく草津の道の駅に着いたときはやはりほっとした。多分ここの上りが一番きついと思っていたので。



 道の駅ではさきほど大津の交差点を素通りしていったおいちゃんさんがいらっしゃいました。SNSでの情報から多分おいちゃんさんだと思っていたのですが、やはりその通りでした。「こんにちは。おいちゃんさんですか?」と声をかけると、「こんにちは。さてはその自転車はyuzitoさんですね」というお返事が。お互い初めましてのはずなのにすごいな(笑)

 僕が到着してほどなくしてらんたさんも到着。やはり膝の調子が相当悪いよう。平坦基調のところではそうでもないらしいが、上りで踏み込むときは相当痛むようだ。

 道の駅で少し3人で話をして、そこからほんの少しのセブンイレブンに下る。ここを逃すと渋峠までほとんどまともな補給ポイントはない。ただセブンイレブンには寄ったものの、背負っているザックにはまだまだたっぷりとアミノバイタルゼリーやカロリーメイトなどの補給食が入っていたので、結局ここではジュースしか買わなかった。



 草津からはそれぞれまた各自のペースでの登坂。しかしこのmasa'sアングルって結構くせになりますね(笑)全然上手にとれてないけど。



 さてここからは景色を楽しみながら上るぞぉ。そうそう、油断してはいけないと思ってイベントの終わりまで決して口に出さなかったけれども、この日は天気サイコー!だったのだから一気に走っちゃもったいないですよねぇ。って、一気に走るような足は全然持ち合わせていなかったけれども(笑) 



 はじめてロングで使うオスプレイのザックの重心がうまく決まらなくてここまででかなり腰を痛めてたり、ずっと履き続けていてお尻との相性は悪くなかったはずのレーパンだったにもかかわらずに今回に限って縫い目のせいでお尻の皮が擦り切れはじめていたりもしていたけれども、景色が開けてくるとそういった痛みとかきつさが瞬間的にぶっ飛びますね。来て良かったぁ!という気分の昂揚をここらで感じた。



 元々が観光道路なので少し車は多いけれども、



 やはり志賀草津道路はすばらしい道だと思う。



 あえて難癖をつければ、個人的にはもう少しひっそりとした峠道のほうが好みだけれども、



 こういう景色を前にしてそんなことを言うのはあまりに素直じゃないですね。



 志賀草津道路、素直にすばらしいです!



 何度もとまって写真を撮りながら、ゆっくりとだけれども標高を稼いでいく。



 そしてちょうど草津から10kmくらい走ったところにあったロープウェイ乗り場の駐車場で補給のための小休止をした。アミノバイタルゼリーと梅干1個という補給だったけれども、そんなにお腹がすいていたわけではないからこれで渋峠まではもつだろう。



 そこからはまたすばらしい景色を眺めながらの登坂。



 こうしてあらためて写真を見ながら走っていたときのことを思い出そうとしているわけだけれども、不思議ときつかった印象がほとんどない。もちろんきつかったに違いないのだけれども、おそらくきついながらも楽しんで走ることができていたのだろうと思う。それから峠を上っているときって、きついことじたいが楽しかったりもするんだよな。あまり賛同は得られないかもしれないけれど・・・。



 そしてようやくやってきた白根の弓池。実はもう少し時間に余裕があったらこの湿原と本白根山を周遊する遊歩道を歩くつもりだった。だけれども去年同様今年もその余裕はなし。残念。このあたりは一度歩いておきたい場所ではあるのだけれども仕方ないな。ここらは山スキーのエリアでもあるから、冬にスキーで来ようかな。



 弓池からは万座温泉との分岐まで一度下り、最後の4.7kmの上りへ。



 そして11時47分に、今年も江ノ島から自走で渋峠に立つことができた!



 そして僕が着いたすぐあとにらんたさんも到着。膝を痛めたらんたさんが自転車を押す姿が九十九折から何度も見えていたのに、ほとんど同じ時間に到着。僕が遅すぎるのかもしれないけれども、すごいです。とにかくお互いちゃんと峠にたどり着いて良かった。






 峠からの景色はやはり今年もすばらしかった。高所の涼しい風も疲れた体にとても優しく気持ち良かった。2年連続で天気に恵まれて本当に良かった。



 さて渋峠からいよいよ長野県側へのダウンヒル。





 こんな景色を見ながらの下りがサイコーに気持ち良い!ただ路面がところどころ荒れているのがちょっと怖い。そんな僕を後ろかららんたさんがすごい勢いで抜き去って行き、あっというまに見えなくなった。なんなんだ、あの速さは・・・。僕にはとてもではないがついていけそうにない。なので無理に追ったりはせず、それからも僕はずっと自分のペースで下り続けた。それでも結構怖かったりもしたのだけど。

 峠から30分のスーパーダウンヒルを楽しんで下界に下りてきてみると、そこは信じがたい暑さだった。

 湯田中あたりの峠を下りてきて最初にあるコンビニでらんたさんと再び合流して、一緒に昼食を食べながらここからのコースを検討する。素直にR292を走って新潟県入りするか、それとも去年走れなかった関田峠を越えるか?渋峠を上っているときに一時的に忘れていたきつさも下界の暑さに直面して再びぶり返している。それに前かがみでのダウンヒルでさらに腰を痛めてしまった。皮が擦りむけたお尻の痛みがスムーズなペダリングを妨げているのも嫌な感じだ。

 さて、どうするか・・・?

 大津交差点      8:00頃出走
 草津セブンイレブン  9:11着 237.60km AV23.0km
 渋峠          11:47着 257.47km  21.0km
 湯田中コンビニ   13:26着 284.46km   21.9km 

 2007直江津集合(3) 関田峠から日本海へ

2007直江津集合(3) 関田峠から日本海へ

2007年08月25日 | 自転車生活
 2007直江津集合(2) 今年も渋峠を越えるより

 去年同様R292で県境を越えるか、それとも関田峠を越えるか悩んでいた僕の背中を押してくれたのはらんたさんだった。

 僕がどうするか悩んでしまったのは、(何もしていないとはいえ)やはり幹事として19時までには集合地である船見公園に着いていたいと思ったからだ。普通で考えれば多分19時には間に合うと思う。ただそんなに余裕があるというわけでもない。何かトラブルがあれば19時を過ぎてしまうこともあるだろう。ならば余裕を持って集合場所に着けるようR292にしておいたほうがいいのではないかと思ったのだ。

 そんなふうに悩む僕にらんたさんが言ってくれたこと。「体力的に何とかなりそうであれば行っておいたほうがいいよ。とりまとめとかは誰かに頼んでおくよ」

 これは本当にありがたいことばだった。関田峠は僕にとっては走っておきたい憧れの峠。やはりここは少し無理をしても行っておくべきだと思った。体力的に何とかなりそうな自信は実はそんなにあったわけではないのだけれども(汗)、なんとか頑張ってみようと湯田中のコンビニでらんたさんと別れて関田峠に向かって走り出した。

 走り出すとやはり暑さと強い陽射しがこたえる。それに何より平地でペダルを踏むのがとてもきつい。少し向かい風ということもあったのかもしれないけれども、せいぜい25kmくらいでしか走れない。だからR292から離れるときは少し緊張した。本当にこのまま行ってしまっていいの?まずくないか?と。

 R292から離れてからの数kmはとくにきつかった区間だった。自販機で冷たいジュースを購入し、おそらくそこが最後と思われるコンビニではアイスを食べて体を冷やした。



 だけれども景色がこんなふうに変わってくるにつれて、だんだんと元気が復活してくるのが自分でもすごく不思議だ。もちろん元気が復活したからといって早く走れたりするわけじゃないんですよ。体が楽になったりするわけではないんですよ。でも、「頑張ろう、頑張れる」という気持ちが自然と出てくるのだ。



 思っていたよりもきつかったのだけれども、関田峠への道は上っていて楽しかった。ひっそりとしていて山深いのだけれども、でも開放感があって、昔ながらのサイクリストが好む要素にあふれた峠道のように僕には感じられた。 



 あの稜線のどこかの鞍部までもうひと頑張り。



 そしてようやく16時38分に関田峠着。渋峠を上れたことも嬉しかったけれども、渋峠を越えたあとにこの関田峠を越えられたことはもっと嬉しかったかもしれない。場所的に簡単に来れる峠じゃないですからね。



 関田峠からは日本海へ向かってダウンヒル。



 で、これがまたすばらしかった。 



 秋を感じさせるススキ越しに新潟平野とうっすらとした日本海が望めた。



 そして角度を変えると、



 眼下に光ヶ原牧場。



 うまく説明できないんですけど、自転車で出会うこういう風景って大好きなんだよなぁ。





 そんなわけで時間的な余裕がそんなにあるわけでもないのに、下りながらも何度かとまって写真を撮った。



 そして快適な下りを楽しみながら少しずつ高度を下げていった。

 ちなみにこの関田峠の新潟県側の下りは、今まで僕が走って来たなかでかなり上位にランクする下りだと思う。今まで僕は結構な数の峠を下ってきたと思うけれども、これ以上快適で楽しめた下りをぱっとは思い出せないんですよね。もちろんあるのかもしれないけれども、すぐには思い出せない。だから本当にかなり上位に来るんじゃないかと思う。ここを今回同じく下られたテツさんゆともさんはどんなふうに感じただろうか?

 さて、関田峠を下り終えたらいよいよ日本海に面した直江津の船見公園まで最後の走り。でも18号を目指したつもりなのに、気づいたら見当違いなところを走っていた。 



 そうこうしているうちに落陽が近づく・・・。
 
 このときまで僕は集合時間の19時までに船見公園に着ければいいと思っていたけれども、この黄昏た光りに包まれた光景を見てなんとしてでも太陽が日本海に沈む前に船見公園にたどり着きたいと思った。

 気持ち的に少し焦り気味に18号に戻る道を何回か人に尋ね、ようやく18号に戻ってからはとにかくひたすらペダルを漕いだ。ここに来て追い風に変わっているのがとてもありがたかった。



 そして、これが船見公園にたどり着いたときの太陽。まさに今、雲ひとつない日本海の水平線に沈まんとするところだった。



 船見公園では先に到着していた仲間たちが出迎えてくれた。だんだんと公園に近づきながら、遠くに見える仲間の姿がはっきりしていく、計ってしまえばおそらくほんのわずかであろう時間がすごく感動的だった。

 まさに日本海に沈まんとする夕陽を見ながらの乾杯。自分の力でこんなに遠くまで走って来たというじんわりとした静かな達成感を確かにそのとき共有していたように思う。みんなとても満足そうな顔をしていたから。



 ただひとつ残念だったのは、このイベントの幹事であり、ほとんどすべての準備(&取りまとめ)をしてくれたmasaさんが家庭の事情のためにDNFになってしまったこと。今回は残念でしたが、また来年?ぜひ日本海に沈む夕陽を皆で見ましょう。他にも今回参加したくてもできなかった何人かの人と一緒に。



 さて夕陽が日本海に姿を消す直前にTETさんが到着。なんでも直江津まで残り8kmという場所で痛恨のパンクに見舞われてしまったとのこと。しかし骨盤骨折から復活してわずか数か月のあいだに真夏の伊豆一周と渋峠を越えての日本横断。すごすぎですよね。
 それから19時になる数分前にtanyさんが到着。朝3時の出走で、碓氷峠と浅間山の麓を越えて、さらに渋峠を越えて時間内での完走。おそれいります。さすがとしか言いようがありません。
 そして19時を過ぎたほんの数分後に直江津港が集合場所だと勘違いをしていたという潮こんぶさんが到着。



 この時点でまだ走っている参加者が二人いたのだけれども、まだまだ到着まで時間がかかりそうだったので、ひとまずここで25日19時直江津集合!のとりまとめ。このとりまとめはTETさんがしてくれました。僕はホントに何もしない幹事で・・・。すみません。

 19時の集合には間に合わなかったいっしーさんとikedaくんも無事に日付が変わる前に直江津に到着しました。

 ナイトランを含むこんな長距離を走るイベントで、大きなトラブルなく全員が無事に完走することができたのだから、この2007直江津集合!のイベントは大成功だったんじゃないかって言っていいと思う。僕は何もしない幹事だったけれども、サイコーの天気に恵まれて何の事故もなくイベントが無事に終了したことはやっぱり素直に嬉しいしホッとしています(笑)

 それから今回はブログ上、それからSNS上でたくさんの方から応援を頂くことができました。そうした応援の数々は走っているものにとってとても勇気づけられるものでした。ありがとうございました。

 あと忘れてはいけないのが、自転車での参加ではなかったけれども直江津まで来てくれたこづゑさんCarmenさんDLYJくん。この3人はある意味、自転車で走った人たちよりもすごいかもしれないと僕は真剣に思ったりしています。ありがとうございました。

 最後にひとつ、個人的な心残り。それは渋峠から関田峠へのアプローチで奥志賀林道を走らなかったこと。奥志賀林道もやはり前々から自転車で走っておきたい林道ではあったのですが、補給ポイントがまったくないという理由で今回は走ることを諦めたのですが、そんな奥志賀林道をゆともさんはきっちり走られてました。すごい。来年もしまた直江津を目指すのであれば、ぜひとも奥志賀林道をコースに入れたいと思います。

 さて2008年も直江津集合は実現するのだろうか?もしかしたら今度は僕が誰かにマイクを渡す番・・・?

 湯田中コンビニ 14:00出走
 関田峠     16:38着 324.11km AV20.9km
 直江津     18:21着 360.81km   21.6km

さぁて、今年も圧倒的に無意味なことを!

2007年08月24日 | 自転車生活
 去年は少し思いつめたようにひとりで直江津を目指した。自転車で長い距離を走ることになんの意味があるんだろう?なんてことをちょっぴり真面目に考えて、結局何の意味もない、ただ走りたいから走るんだということに気づいた。それで、それを無意味なことだと表現した。

 自分の力でペダルを漕いでどこまでも遠くへ行ってみたい!

 自転車に乗るものがもっとも素直に、もっとも純粋に感じるそんな気持ちを確認しながら、今年も江ノ島から日本海を目指そうと思います。

 それでは、そろそろ走り出したいと思います。行ってきます!

今年もブリヂストン号で走ります

2007年08月23日 | 自転車生活
 前回の更新から約1週間。あのとき1週間分のエントリーをまとめて更新して、「おぉ、俺もやればできるじゃないか。これでこれからはきちんと毎日更新を!」と意気込んだのですが、なんというか反動が出たのかすっかり疲れてグッタリしてました。で、そんなこんなでだらだらしているうちに直江津へ向かって走り出す日が明日になっていました。

 その直江津ですが少し悩みもしましたが、今年もブリヂストン号で走ることを決めました。やはり大きな峠を越えるにはギアはワイドなほうが安心ですし、それに去年ブリヂストン号で直江津まで走ったことによって、それまで軽い走りにしか使ってこなかったブリヂストン号を再評価することができたりもしたので、ここは今年も去年同様ブリヂストン号に大役を担ってもらうことにしようと思いました。

 というわけで、一昨日直江津仕様にブリヂストン号をちょこっとだけいじりました。と言っても、先日の朝ヤビのあとに激しい尿道の痛みをもたらしたサドルをLEMONDについていたアリオネに交換したのと、ペダルをやはりLEMONDのSPD-SLに交換しただけなのでいじったのはホントにちょっとです。あとはちょこちょこっと必要最小限の整備のようなことをして、キャットアイの高輝度LEDを取り付けただけ。いろいろと他にやることがあるような気もするのですが、やったことはこれだけ。う~む、いいのだろうか?

 僕は今回ザックを背負って走るのですが、昨夜必要なものをザックに入れてみたらこれが想像以上に少なくてこれまた少し不安に。輪行袋にウィンドブレーカーに着替え(Tシャツ・短パン・パンツ各1)にビーチサンダルに多めの補給食といったものが普段の持ち物に増えるのみ。僕は暗いあいだは関東平野を走っているはずなのでレスキューシートは持たないからこの程度で問題ないはずなんだけれども、なんか少なすぎる気もしますね。う~む。

 もっとも直江津まで走るといっても、基本的な持ち物や装備は普段の近場でのツーリングとかわらないはず。それよりも変わってくるのは“走り方”なのだと思います。無理のないペースで走り続けること。こまめに補給をとること。眠気を感じたら少しでも仮眠をとること。そういうことのほうがきっと大事なのだと思います。とにかく今年も1に安全、2に完走の精神で直江津まで走りきりたいと思っております。

 あ~、いよいよ明日の夕方出走かぁ。ちょっぴり緊張です。


直江津の記憶 2006年

2007年08月22日 | 自転車生活
 再び自転車に乗り出したときから長い距離を走ってみたいという気持ちは心のなかにあった。それもとても個人的に。ただ純粋に。

 基点終点は当たり前のように湘南と直江津に決めていた。学生時代のような走りはするつもりもなかったし、到底できようもなかったけれども、自分のなかでの“繋がり”のようなものは求めていたのだと思う。うまく説明できないけれども。

 ただ学生時代と同じコースを走ることはしたくないと思った。そうするとどうしても以前と比較をしてしまいそうな気がしたから。それに正直なところ学生時代に走ったコースは魅力的とは言いかねた。それであれこれと考えて決めたのが渋峠を越えるコースだった。長距離ランには移動のためのあまり楽しくない走りがつきものだけれども、渋峠を越えるのであればそういった部分も我慢できるような気がしたからだ。

 緊張しながら部屋を出て、渋峠を無事越えてようやく夜の直江津港に着いたときはなんともいえない気持ちだった。エントリーにも書いたけれども激しい感動はなかった。だけれども、それまで抱えていた心の緊張が到着と同時に一気に夜の直江津の闇のなかに放出されて(到着した直江津港は本当に真っ暗だったのだ)、そこにとても静かだけれども確かな達成感のようなものが少しずつ満ちてくるような感覚があった。そして本当にこんなところまで走って来れた、自転車ってすごい、ととても素直に思った。

 走り方にしろ、機材にしろ、自転車には様々な楽しみ方があると思うけれども、自分の力でどこまでも遠くまで行ってみたいという気持ちは自転車が好きなものにとってもっとも純粋で根源的な欲求なのではないかと思う。僕はひたすらロングを追及するような気持ちは持ち合わせてはいないのだけれども、それでも年に1回くらいは“遠くまで”という純粋な動機で走る機会があってもいいのかなとは思う。自分とだけ向き合ってただ長い距離を走るという機会があってもいいのかなとは思う。もちろんそれは日本海を目指すといった形ではなくていいのだけれども。

 ところで僕は“繋がり”を求めて目的地を直江津と決めたわけだけれども、江ノ島から直江津まで走りきったことによって確かに自分がまたしっかりとサイクリストに復帰したような気持ちになることができた。多分それは長い時間ひとりで緊張して集中しながら走ったことによって自分のなかの何かを思い出すことができたからだと思う。たとえばやはり自分は自転車が好きなんだなとか、こういうのが好きなんだなといった気持ちとか。なんだか漠然としていて申しわけないですけど。

 しかしこのときはまさか“本当に”翌年も渋峠を越えて直江津まで走ることになるなんて思ってもいなかった。また来年も走れたらいいなぁとは思っていたけれども、実際に走ることになろうとは正直思っていなかったかもしれない。それもたくさんの仲間とともに、またひとりで。

直江津の記憶 1993年

2007年08月21日 | 自転車生活
 学生生活最後の直江津-東京ランを前にどんな走りをすべきか最後まで悩んでいたのだけれども、結局この年は僕を含むすべての部員が直江津から走り出すことはなかった。サポートの車が東京から直江津へ向かう途中で事故を起こしてしまったのだ。事故が起きたのはちょうど碓氷峠を越えたあたりとのこと。濃霧でほとんど視界がなかったらしい。

 この年の直江津-東京ランの1週間くらい前まで、僕はひと月ほどMTBでラサからネパールまでチベット高原を走っていた。チベット高原の平均標高はだいたい4000mくらい。憧れの地を旅する純粋なツーリングではあったけれども、そんな場所を走ってきたあとにどんな走りができるかについてはやはり興味があった。毎日高地トレーニングをしていたようなものだったわけだから。

 ただもしこの年出走できていたとしても、きっと満足するようなタイムでは走れなかったと思う。この頃の僕には何が何でも速く走るという気持ちが欠けていたし、チベットを走ったダメージは思いのほか大きく、減った体重もなかなか戻らずまだこの頃はあまり体に力が入らない感じだったから。

 事故についてはともかく、この年出走できなかったことをあまり残念に思わなかったのは過去3回の走りで自分なりにこの行事について考えることがあったからだと思う。それからもうひとつ1991年に悔いのない走りができていたからだと思う。そして・・・

 自転車においては僕は勝負的なことより、ツーリング的な楽しみを大事にしたいと思う。でも自分のなかには負けず嫌いな面があって、こういったタイムが絡むイベントではついついムキになってしまってなかなかマイペースを固持できないことも僕は知っている。どんなにきれい事を言っても、そういうすごく矛盾した気持ちが自分のなかにあるのを僕は知っている。僕がこの年出走できなかったことをあまり残念に思わなかったのは、そういった気持ちが純粋にタイムを競う競技以外のこういうイベントに向かってしまうことを心の中で少しずつ苦々しく感じはじめていたからかもしれない。

直江津の記憶 1992年

2007年08月20日 | 自転車生活
 1992年は本来であれば僕は走れない年だった。運営する側にまわらなければならなかったからだ。だけれども当時僕は車の免許を持っていなかったので、走りながら参加者をサポートするからという理屈で寛大な同期の仲間の許しを得て出走の運びとなったのだった。

 この年僕は1つ下の学年の後輩たちと一緒に東京に向けて出走した。最初は5人くらいで走りはじめて、ひとりづつ千切れて一番強かった後輩が残ってからは彼と一緒に先頭交代を繰り返しながら自分たちよりも前に出走した仲間たちを吸収、追い越していった。一番強かった後輩との二人旅のときは、まず妙高での上りで彼が切れそうになり、そして軽井沢への上りでは僕が「先に行ってくれ」と彼に伝えた。

 軽井沢に着いた時点でのタイムは去年の僕のタイムよりさらに15分くらい速かったので、「俺は自分が出来なかったランドナー記録更新を後輩に達成させるための手助けをしているのか」と複雑な気分に少しなった。そんなことを感じる自分の小ささが嫌になったけれども、正直な気持ちだったので仕方なかった。

 しかし東京に着いたときのタイムは14時間30分ともちろん遅くはないけれども、記録更新にはかなり足りなかった。これは途中から足の合わないものも含めて集団で走ってしまったからだと思う。東京へのゴールは結局10人くらいでしたはずだから。結局大所帯になればコンビニでの休憩時間も長くなるし、誰かを待とうとすれば当然スピードも落ちるわけだから。なぜ最後まで二人旅を続けなかったかは今でもよくわからない。先行する仲間を吸収していくうちに、なんとなく一緒に走ろうという空気が自然に生まれていったのかもしれない。

 この年ひとりの後輩がタクシーと接触して大怪我をした。確か1ヶ月近く入院していたと思う。顎の骨が折れて手術も必要だった。危険と隣合せのナイトランを強いられるこういう行事について深く考えさせれた出来事だった。

 それからこの年の秋、丸山林道でのRTTで入賞を果たすことができた。正直気力的にも体力的にも力の衰えをかなり感じていた。だからクラブ代表の競走馬の打診があったときも後輩にまかせた。ただ衰えを感じていた分、この年はそれまでの上半身にしっかり力を入れてハンドルをグイグイと引っ張っるような乗り方から、上半身に力は入れずに軽いギアをクルクルまわす走りに変えた。そして前の年はフロント40Tで上ったのだけれども、この年は28Tでまわして走った。上っているときの感覚では前の年のほうが速く走れているように感じていたのだけれども、終わってみれば1分くらい前年のタイムを更新していた。ちなみにこの年の優勝者のタイムはダントツだった。例のHPで換算するとランドナーで表ヤビツ36分くらい?その大学には知り合いがいて、その彼がはじめから「間違いなくうちの奴が勝つから」と言い切っていたので、余程の実力者だったのだろう。

直江津の記憶 1991年

2007年08月19日 | 自転車生活
 この年の直江津-東京ランで、僕は最初からタイムを狙っていくつもりだった。13時間で走れる根拠や裏づけなんてまったくなかったけれども、当時の僕はとにかく自転車が好きだったのでトレーニングのようなことは一切していなかったにもかかわらず、集中して走れば何とかなるんじゃないかと、緊張しつつもどこか楽観的に考えていたりした。そんな気持ちでいただけに夏合宿の最後にほぼフラットのコースではあったけれども、190kmをグロス7時間半くらいで走れたのはそこそこ自信になった。もっともこのときは戻ってきてからぐったりと疲れ果ててしまって、これよりさらに130kmも走るのかよと不安な気持ちにもなったのだけれども。

 僕は決して「狙っていく」なんて口に出したわけではないし、誰かに訊かれるたびに「狙ってないよ」とこたえていたのだけれども、あとから訊いたら誰がどう見ても狙っているように見えたとのこと。う~ん、確かにそういう雰囲気は体から出てたかもしれない。だいたいにおいて、僕はかなりわかりやすい、ばれやすい人間だと思うし。

 だけれども結論から先に言ってしまえば、僕は結局前の年に先輩が出したランドナー記録を更新することができなかった。この年の僕のタイムは13時間12分。ちょうど距離にして真ん中あたりの軽井沢までのタイムが6時間半と前年先輩が走ったときより約20分速いタイムだったのでこれはいける!と期待したのだけれども、碓氷峠を下ってからが伸びなかった。

 直江津を出走して最初の頃は35km巡航で走り続けていたのだけれども、走るにつれて当然巡航速度はどんどん落ちていき、東京が近づいた頃にはどんなに頑張っても30kmが出なくなってしまった。それでも27kmくらいで最後まで走り続けたわけだから若さってすごい。今の自分からはまったく考えられない。はぁ~(なぜかため息をつきたくなってしまった)。

 僕は旅行の部員だったのでタイム目的で走るのはこの直江津-東京ランと、RTTと呼ばれる関東の大学ちゃり部が集まって開催されるヒルクライム・レースだけだったのだけど、この頃の自分を思い起こすたびに、若い人には勝てるわけないよなと思ってしまう。年間の走行距離は今のほうが倍くらい多いわけだし、当時は表ヤビツのようなトレーニング的な走りはいっさいしていなかったにかかわらず、これくらいのタイムを出せちゃっていたわけだから。ホント、若さってすごい。ちなみにこの当時はヤビツとか全然上ってなかったですけど、秩父で行なわれたヒルクライムレースのときのタイムをこちらのサイトで換算すると、ランドナーで表ヤビツ40分くらいで当時走っていたようです。ありえね~。

 ちなみにこの年ランドナー記録を更新するには6分足りなかったわけだけど、悔しさのようなものはいっさいなかった。あったのはすべてを出し切った満足感と、すべてを出し切った体の疲労だけだった。それからこの翌年からはタイム目的でこのイベントを走るモチベーションはほとんど消失した。多分こういう走りはそう何度もするもんじゃないって感じたのだと思う。かなり危険も感じたし、こういう走りをすることによってやはり自分はツーリング派の人間だということを再認識したりもしたのだと思う。

 ところで僕はこの当時の活力の源について“若さ”ばかりを強調してしまったけれども、それ以上に重要なのがきっと“思い入れ”なのだと思う。この当時はとにかく自転車にたいする思い入れが強かった。でも翌年あたりからだんだん自転車熱が冷めていくにつれて、それまであった意味不明かつ無根拠な活力のようなものは確実に失われていったので。