知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

知的成長の果たす役割(まとめ)。

2010年04月29日 | 自分の未来を組み立てる。
なぜ学びつづけなければならないのか?

 幸せに生きるため
というのが、今のところの回答です。


人は何のために生きるのか、
 与えられた人生を楽しむため。

これが核にあります。



与えられた人生を楽しむ

与えられた人生を楽しむためには、
 時間とお金とエネルギー
をうまくコントロールする。

では、うまくコントロールするためには、どうしたらよいか。

その回答が、
 学びつつける
ということです。


時間は大切な資源です。
余計なことをやっていたのでは、人生はあっという間にタイムオーバーになります。

そのため、
 タイムマネジメントを学ぶ。

余計な仕事は何かを判断するスキルを学ぶ。パレートの法則など。



お金も大切な資源です。
余計なものに使っていたのでは、お金はあっという間になくなってしまいます。

そのため、
 お金を管理するスキルを学ぶ。会計など。

余計な支出は何かを判断するスキルを学ぶ。仕分け作業。


エネルギーも大切な資源です。
余計なものに使っていたのでは、エネルギーはあっという間になくなってしまいます。

そのため、
 エネルギーを管理するスキルを学ぶ。感情コントロール。対人スキル。

余計な消費は何かを判断するスキルを学ぶ。こいつは危険だと思ったら避けられるように人を見極めるスキルなど。



こういったスキルは、
 学ぶことによって身につく
と思います。

そして、
 複雑な社会においては、ルールがいきなり変わる
ので、
 学び続けなければならない。


バブル期の日本のお金を増やす最大のスキルは、
 土地を買って、高くなったときに売る
という土地ころがしのスキルでした。

立ち退き交渉、販売スキルが高い不動産屋がかなり儲かっていました。

現在の上海も似たような感じです。

バブルがはじけて、ルールが変わった。
 土地は下がるもの
というルールに切り替わった以上、
 同様の手法では儲けられない
わけです。

そのため、
 新たなルールのもとでの、攻略法を学ぶ
必要があります。


芸人も
 時期によって受けるネタが変わるので
 新たなネタや受けるスキルを学び続けなければならない。
それを怠れば、一発芸人として、消えざるを得ない。

駅前商店街が滅んだのも、学ぶことを怠ったため。

日本が埋没して言っているのも、
 中国の市場開放という環境の変化
を学んで、戦略を立てられなかったため。

民間企業では、生き残ることを学んで対応し、
業績を上げている企業が多い。



そして、学び続けるためには、
 自分の中で危機感を持つ
必要があります。

危機感をもって、自分は努力しているから大丈夫だという安心感を併せ持つ。
基本は、自助努力。

国家は、
 自助努力という大切なものをないがしろにする
政策を今後も打ち出していくはずです。

この場合、
 時間、お金、エネルギー(感情)をコントロールする知的能力が低い人
がどんどん増えていくことになります。

それによって、
 努力する人と努力しない人で格差が生じる。

政府は、努力している人から、お金を取り上げて
 努力しない人へ分け与えようとする。

その結果、努力している人の、愛国心とやる気をなくさせる。

努力している人は、知的能力が高いため
 その能力をうまく使って、税金を最小限にする手法
を学び、実行していく。

それにより、国家が弱体化し崩壊する。

古代ギリシア、ローマなどの大帝国が滅んでいったのも、
 自助努力の精神が崩壊していったため
です。


このように、発展の基盤は、MINDです。
これは、国家も個人も同じ。
今貧しい人も、発展のためのMINDを身につけて、
 努力を怠らなければ必ず幸せになれる。

幸いにも、図書館がある。
石版の時代から存在する図書館(本)は人類の宝物です。
グーテンベルクのおかげで、充実した。


自分の未来を組み立てるためには、
 自助努力の精神
を大切にして、
 時間、お金、エネルギーをコントロールする知的スキルを身につけていく。

そのために、知的成長戦略を練って、
 学び続ける。

そして、幸せに生きる。

自分の未来を自分で組み立てる。


国家が崩壊し、多くの人の精神が病んでいっても、
 知的に成長し続けている人は幸せに生きられる。

どんな環境にも対応できるからです。

知的スキルが高い人は、学び続けているので、
 ルールが変わっても対応することができる。



何のために、学ぶのか。

 幸せに生きるため。




*****
書きためてきたものをまとめてみました。
あくまでも、これは僕の哲学をまとめたものなので、
自分で何のために生きるのかを考えて、
 自分の考え方を構築してみるとよい
と思います。

こういったことは、唯一の答えなどないと思います。
価値観の問題です。
自分の人生をコントロールする権利は、自分のみが有しているからです。

誰かが、お前の哲学は間違っていると批判してきたとしても、

 思想信条の自由は、憲法で絶対的に保障されているんだよ(19条)。
 国家ですら、誰かの思想に干渉することはできない。
 君は国家よりも権限が少ないだろ。
 だったら、君は、僕の思想を制約することなどできないよ。

と三段論法で切り返せばよい。


自分が大切にするものを考えて、自分のために、
 自分の時間とお金とエネルギーをコントロールして
 幸せに生き切ってください。



これで、このテーマも終わりです。
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幸せに生きるための戦略を練る(エネルギー論)。

2010年04月29日 | 自分の未来を組み立てる。
人はなぜ生きるのか。

 与えられた時間を楽しむため。

どうすれば楽しめるのか。
 
 充実感。達成感。←努力。継続。知的成長。創意工夫。
 感動。喜び。感謝。相互理解。←優しさ。愛情。友情。芸術。
  視覚 美しいものを見た。すごいものを見た。
  味覚 おいしいものを食べた。
  聴覚 すばらしい音楽を聴いた。 
  触覚 温かさに触れた。爽やかさに触れた。
  嗅覚 よい香りをかいだ。アロマ
      ↑これらは、自然と人為的なものとに分けられる。
       自然が作りだした美しい景色。
       人の長年の努力の結晶である絵画など。

  おいしいものも、シェフが若いころにフランスに修行に行き、
  3年間下働きをして、ようやく包丁をもたせてもらえるようになり、
  その後、何年も先輩にしごかれながら耐え抜いて、
  友人がみんな辞めてそれぞれ国に帰ったのに、
  それでも、がんばって耐え抜いて、ようやく資金を得て、東京でお店を持てた。
  そんな努力の味。

値段が高くでも、それは、当然なわけです。
その経験も費用に含まれていて、その経験まで味わっているからです。

そして、感動が得られ、
 おいしいものを食べた時に、幸せを感じられる。

お金がたくさん稼げるようになってよかったなと思うことは、
 そういう他の人の努力に対し、相当の対価を払うことができるようになれた
ということ。


気に入った絵画を買ってみる。

 その絵を描くためには、バイトしながら美大に行って、
 売れない日々を何年も過ごして、
 ようやく個展を開けるだけの知名度が得られて、成功を収めた。
 そんな努力の絵。


気に入った人の鍼やマッサージを受ける。

 その鍼を打つためには、鍼灸師の勉強をして、
 バイトしながら学校に3年も通って、
 苦労して国家試験に合格した。
 そんな努力の技。


気に入った家具を買う。
 デザイナーの勉強をして、何千枚もデッサンを描いてようやく評価され、
 それに基づいて、職人が丁寧に作りあげた。
 みんなの努力の結晶。



こういったものには、知的成長の跡がうかがえる。
そのため、値段は高くとも、喜びが得られる。

自分も努力し、いまでも、努力しているという思いがあるので、
 なんとなく、仲間意識が芽生えてくる。

 そして、努力している人を見ると、応援したくなる。


確かに、大量生産で安く物が作れるし、
 コピー商品で人の努力を拝借して商品が作れる。
 コルビジュエ風とかいいながら。

ただ、それを手に入れても、エネルギーは入ってこない。

物を買うということは、
 お金を払って、物を手に入れるわけですが、
 その物が本当に欲しかったものであるとか、価値を認めたものである場合には、
 エネルギーがもらえる
わけです。

小さいころに、漫画を買って、一刻も早く読みたくて、急いで家に帰ったという経験がある人も多いはず。
そのわくわく感がエネルギーなわけです。


他方で、セールの服などで、安いから買ったけど、あまり着ていない服もあるはず。
それは、本当に欲しかったものではないので、喜びというエネルギーが少ない。

安いものをたくさん買うくらいなら、
 本当には欲しいと思う高いものを一つだけ買って、大事に手入れして使う
方がエネルギーの補充という点でよいと思います。



僕は、それほど高いものは買いませんが(その辺が節約家)、
 手帳、財布、定期入れ、ベルトなどの革製品はルイ・ヴィトンを使っています。
ただ、だいたい6年くらい使っていて、革用のクリームで栄養を与えたりしています。
お金を取り出すときに、やっぱりタイガはかっこいいなと思いながら喜びを感じる。

車も、そこそこしましたが、2003年製。
税理士からは、節税になるから買い換えたほうがよいと言われていますが、
気に入っているので、メンテナンスをきちんとして、まだまだ乗る予定。
気に入っている車に乗っている人なら運転の喜びが分かるはず。
いまだに、山の景色に溶け込むボディを見て、写メをとってしまうこともあります。



ここで、見栄について。
人に自慢したくて、見栄で商品を買う人は、
その商品自体が好きなわけではなく、
 人から、「いいな。それ私も欲しかったんだ。」とか、
 「それ、すごく高いよね。やっぱり、君はすごいね」とか言ってもらいたい
から、手に入れる。

そうすると、新商品が出ると、
 新たに手に入れる必要が出てくる。

こういう人の場合、エネルギーは、人から評価されるときに得られるので、
満たされるためには、新しいものを手に入れ続けなければならなくなる。

また、たくさんの種類を手に入れる必要があります。

ブランドのバック、時計、スーツ、高級車・・・。

しかし、手に入れてしばらくすると、エネルギーがなくなっていく。



なぜか。

 人の評価は、続かないからです。

買った時には、すごいねといってくれるものの、その評価は続かない。

そうすると、どれだけ沢山の物を手に入れても、結局満たされることはないわけです。

成り上がり社長は、ステータスを手に入れるために、ベンツやフェラーリを手に入れる。
ただ、それでも、満たされなくて、高級マンション、ロレックスと
ありとあらゆるものを手に入れる。

仏教では、餓鬼と言います。
決して満たされることはない。


では、どうしたらよいのか。

基準を人ではなく、自分にシフトする。
自分が、好きなもの、価値が高いと思っているものを大切にする。

そうすると、
 物をもっているという見栄ではなく、物自体に喜びを感じる
ので、そのものを利用する際に、
 エネルギーが高まる。


エネルギーは、一瞬で終わってしまうものではなく、
 続くものを重視する
のがポイントです。


覚せい剤は、瞬間的に、高いエネルギーを手に入れたと思ってしまうものです。
フェニルアミノプロパンが交感神経を刺激するからです。

しかし、効果は持続せず、一度味わった感覚を失うことによる「けだるさ」から、
再び、摂取して、常習者となっていく。

そして、廃人にまっしぐら。

覚せい剤事犯に常習者が多い理由は、
 エネルギー不足に陥った人が、人生を切り開くためのエネルギーが欲しくて摂取し
 効果が消えた後にエネルギーを補充しようとする
ためです。

エネルギーが得られたと感じても、
実はそれはまやかしであって、
体も心もボロボロになっていく。

そういう人は、目と皮膚を見ればすぐ分かります。
目からは、優しさや温かさというエネルギーが消えうせ、
皮膚はかさかさで、枯れ木のようになっている。

エネルギーが得られたように感じることは、単なるマジックで、
本当は、エネルギーがなくなっていっているわけです。

これでは、幸せになれるはずがない。


エネルギーがなくなり出したら、
 本当に好きなこと
 やりたいこと
に時間を使うようにしたり、
 少し休んで自然からエネルギーをもらったり、
 人にやさしくして、人からエネルギーをもらう
ようにするとよいと思います。

さみしいなと感じた人が、ペットを飼うのも、
ペットからエネルギーをもらうためです。

そのためには、ペットを大切にしてやる必要があります。

変な薬に頼ることなく、
 大切なものを見つけて、大事にする
ことで、
 エネルギーが湧いてくる
と思います。
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エネルギー増幅戦略。

2010年04月28日 | 自分の未来を組み立てる。
エネルギーの値を上げる戦略として、
 返応性の法則
を使う。

今日の帰りにでも実験をしてみてください。

エレベーターに乗ったら、
 開くのボタンを押して、みんなが降りるのを待つ。

そうすると、
 みんなありがとうございます
といってくれる。

運転の際に、やさしく間に入れてあげる。
 顔が見えるときにはすいません。
と会釈してくれる。

扉の場合に、次に入ってくる人がいたら、
 その人が扉にぶつからないように、少し持っていてあげる。

 どうも
と会釈してくれる。

立ちあがった瞬間に物が落ちたのを見つけた。
 落ちましたよ。
と拾ってあげる。

 ありがとうございます。
と言ってくれる。



相手は親切にされると、
 エネルギーが増す。

そうすると、親切に答えたくなる。
 これが、返応性の原則。


これを利用する。
 親切にして「ありがとう」とお礼を言われると、
 今度は、自分のエネルギーが高まる。
 いいことしたなと自分で思えば、さらにエネルギーが増す。

エネルギーのWINWINの関係が成立する。


もちろん、世の中には、それをしてくれて当然だとでも言わんばかりの
 権利意識の高い人
も存在しています。

そういう人たちは、
 エネルギーが常に枯渇している
ので、
 多少の親切では、エネルギーが満たされない
わけです。

砂漠に水をまくようなもの。

そういう人に会ったら、かかわりあいにならないようにするのがベスト。

そこで、
 親切をしてやったのに、無視しやがって
と考えると、
 自分のエネルギーが減っていく
ので、
 かわいそうな人なんだな
と同情してあげたほうがよいと思います。

そういう人は、
 過去につらい体験があって、人を疑ったり、世の中を憎んでいる
わけです。
そういう人は、残念ながら、
 みんな避けるので、取引ができなくなり、
 お金もエネルギーも手に入らない。
 より人や社会を憎むようになり、エネルギーが枯渇していく。
 憤死っていうのも、エネルギーの枯渇が原因です。

ゴミ屋敷の主人や騒音おばさんをイメージすると、分かりやすいと思います。

そこまで、極端ではなくとも、
 世の中には、感謝したり、笑顔で答えたりする
ことを忘れてしまっているかわいそうな人がたくさんいます。

そういう人は、エネルギーを吸い取る要因となるので、
 見つけたら、かかわらないようにする。

確かに、かわいそうな人達なので、救うことができればよいのですが、
サハラ砂漠を緑化するようなものなので、
 個人の力では困難です。

もし、本当に大切な人がそういう状態ならば、
 自分の命をかけるくらいの決意で臨んだほうがよい。

中途半端な気持ちでかかわると、両方にとって、悲劇となります。
殺人事件の原因なども、そういうケースがかなりあります。
かかわりあいにならないようにする。

かかわりあいになるのであれば、自分のエネルギーを全て分け与えるくらいの決意でいく。


エネルギーにとって大切なのは、
 エネルギーの交換により、エネルギーを増幅させる
ことと、
 エネルギーを吸い取る人を避けて、エネルギーの減少を防ぐ
ということです。

返応性の法則は、一般の道徳観念をもっている人には
 とても効果的です。

性格が悪いといわれている人でも、
 お土産を買ってきたけど、おひとついかがですか。
と、声を変えると、
 日頃親切にされていない分、とても喜んでくれるケースがあります。

あまり好かれすぎても、困ると思うので、ほどほどが一番ですが、
 人から好かれるとエネルギーは増幅する
ことは確かです。

 他人に親切にするということは、
 実は、自分が一番得をする
ことになります。

 情けは人のためらなず
そうではなく、自分のためなんだというのと、同じことです。

結構使えるので、
 ちょっとした親切を心がけるとよい
と思います。

運転中、ちょっと、間に入れてあげたって、
 帰宅時間は、3分も遅くはならないわけです。

それで、感謝されて、いいことしたなという思いに浸れて、
事故も防げれば、かなりお得です。
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エネルギーの原則。

2010年04月27日 | 自分の未来を組み立てる。
時間とお金とエネルギー。

この3つの要素をうまくコントロールする。
 幸せに生きる
ための原則です。

このブログのテーマも最終的には、この3つに集約できます。

初めに書いた「平穏に生きる」は、感情コントロールについて考えたもの。
感情をコントロールするということは、
 無駄なエネルギーを使わずにすませるということ。

怒りの感情で人を傷つけたり、
後悔の感情で自分を傷つけたり、
人をねたんで自分の醜さに嫌気がさしたり・・

これらに費やすエネルギーは、全くの無駄。
自分の幸せにつながらない。

だからこそ、
 感情をコントロールする。

感情をコントロールして、
 無駄なエネルギーを使わないようにする。

次に書いた「クールに生きる」も同じ。
割り切って、クールに生きる。
コントロールできないものをコントロールしようと、もがいても、
 全くの無駄。
コントロールできないものは受け入れて、
コントロールできることに集中したほうが自分の幸せにつながる。

他人を変えようとか、思い通りに動かそうとか考えても
 全く無駄。
自分を変える方がはるかに簡単で、幸せに近づく。

無駄なエネルギーは使わない。


逆に、人のために何かをすると感謝される。
感謝は、エネルギーの補充になる。
人から喜ばれると、
 大変だったけど、がんばってよかったな
と思える。

仕事もそう。
成果が出れば、
 やってよかったな
と思える。

これも、エネルギーの補充。

人を愛したり、愛されたりすることにより、
 出会えてよかったな
と思える。
これも、エネルギーの補充。

 この人すごいな
と思うことがあったら、
 口に出すようにするとよい
と思います。

相手のエネルギーの補充になるとともに、
自分のエネルギーも補充されるからです。
エネルギーはゼロサムルールではなく、二人とも増える。

 先輩ってすごいですね。そのテクニック真似しますからね。
お世辞に聞こえるかもしれないですが、すごいなと思ったら声に出す。

 ありがとう。ほんと助かったよ。
照れてしまう言葉も口に出す。

 君がいてくれたおかげで、ここまでこれたよ。

 信じてくれてありがとう。 

 君のコピーの取り方は、とてもきれいだから助かるよ。

 君の入れてくれるお茶はとてもおいしいよ。

 またまた、うまくやってくれたね。今後も期待しているよ。


言われた側の立場に立てば、こういった言葉が
 どれだけのエネルギーをもっているか
は想像がつくと思います。


今の日本の問題点は、権利意識が高くなりすぎて、
 何かをしてもらって当然
という人が多くて、感謝の念が消えているということ。

定刻通りに電車が到着しても、
 運転手さん、車掌さんありがとう。
とは、だれも思わない。
どんなに努力していても、受け取る側は当然だと思ってします。
 安全に運航するためには、たくさんのコストがかかっていて、多くの人の支えがある。
 しかし、誰も感謝などしない。

従業員が、がんばっても、給与を払っているのだから同然だとか。
社長が、給与を払うために頑張っていても、働いているんだから当然だとか。
 給与をもらう権利がある。
そちらの意識の方が強くなって、
 社長のおかげで、給与がもらえてるんだよな。
 この不況でなんとか会社がつぶれずやっていけるのは、社長のおかげだよな
とは、思わない。

これでは、相互にエネルギーは補充されない。
補充されないとみんながエネルギー不足に陥り、いらいらし始める。

いらいらは、みんなのエネルギーを奪う。

この悪循環を断つために、
 エネルギーを補充することが大切
なわけです。


美しい自然を見て、
おいしいものを堪能して、
他人の素晴らしい技術を学んで、
 生きていてよかったな
と思える循環を作る。
それにより、エネルギーを補充する。


なぜ、お金を稼ぐのか。

 こういった素晴らしい体験をするため。
 誰かを助けるため。
 誰かを助ければ、エネルギーが相互に補充される。

でも、君は自助努力が原則だというよね。
誰かを助けるということは、自助努力の精神に反するのでは?

原則として、自助努力。
自助努力が機能しないような、機会の平等が奪われている状態(貧しい人がどんなにがんばっても豊かになれないような状態。貧困の固定化)は、例外的に、是正されるべき。


でも、だれかを助けるのは、
 個人の自発的な意思に基づいてなされるべきで、
 国家から強制されるべきものではない。

ここが、リバタリアン的発想の影響。

そのため、僕は恵まれない子供のための施設に、毎年寄付をしていますが、
国がやるから、税率をさらに上げるぞといわれても、納得はできない。

僕は自発的に行うことで、いわば、コントロールできる領域として福祉活動をすることにより、
エネルギーをもらえる。
これは、僕にとっては意義のあることです。


ただ、税金で数百万円が引き落とされたときには、
エネルギーが補充できたような気がしない。

これは、僕が国家を信用していないからです。


 たくさん税金を払ってもらってありがとう。
 君のおかげで、国が成り立っているんだよ。
 今回は、君のお金の一部で、君の母校の耐震補強をしたよ。
 これで、町の子供も安心して勉強できると思う。
 また、頼むよ。
なんて言われたら、
 よしがんばって稼いで、たくさん税金払ってやろう
という気がしてくるかもしれないですが。

この場合は、エネルギーの補充になりそうです。

つまり、
 福祉にお金を使うことはよいとしても、本来は、その決定権は個人に与えられるべきで、
寄付金控除の対象と、寄付金控除の額を増やすべきだと思います。

これにより、余裕がある人が自らの意思で福祉を行うようになる。

苦しい時に助けてもらった人は、感謝の念を示し、
努力を重ね、自分が豊かになった際には、
自ら福祉を行って、次の世代の人を助ける。

その積み重ねにより、優しい社会が生まれる。

こういった国民同士の優しいお金のやり取りを促進して、
エネルギーの相互の補充を認めるとよいと思います。


宇宙開発のお金が必要なら、
 まずは、宇宙ファンに呼び掛ける。
こういう研究にお金が必要なので、宇宙ファンの皆さん、ぜひ寄付してください。
寄付してくださった方には、もれなく特別賛助会員として、
 天体観測講座に招待します。
最高級の望遠鏡で、たくさんの星を観察しましょう。

女性の権利向上の施設の維持にお金が必要なら、
 まずは、女性に呼び掛ける。
こういう施設は、女性のみなさんにとって、とても有効なんですよ。

その維持のために、もっと施設を利用してください。
 女性の地位向上のためのアイデアも募集しています。
 アイデアは、女性の国会議員との懇親会で発表してもらいます。


国に補助金をおねだりする前に、
 自助努力でお金を集める。

科学技術の仕分けの際に、批判をしていたコメンテーターがたくさんいましたが、
それほどまでに、大事だというのであれば、
 その人たちは、たくさんのお金を稼いでいるので、少しでも寄付をして
 応援すればよい。

その団体の支持者として、自分の知名度を生かして、
 他の人に寄付の協力を求めるなどしてみるとよい。

国家に頼り、補助金を引き出す前に、
 自らできる資金集めを模索する。

それが、民間団体の本来の姿だと思います。

誰かに頼る前に、自分で何とかすることを考える。

コントロールできることに集中する。
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権利の実現にはコストがかかる。

2010年04月27日 | 国家論
権利が与えられたとしても、
 その実現には、コストがかかる。

これは、とても大切です。

事業をされている方は、
 取引先や客がお金を払ってくれない
場合をイメージしてみるとよいと思います。

請求書を送る。
無視される。

どうしたらいいのか?
最終的には、裁判をする。
判決をもらう。
強制執行をする。
競売。
代金を回収する。

そのため、裁判をしなければならない。
弁護士費用。
裁判費用。
・・
請求する金額が少額であれば、ペイしない。

請求権という権利があっても、
 相手に無視されると、かなりのコストがかかるということ
です。


クレーマーは権利意識は高いものの、
コストを負担するという意識は乏しい。
そのため、
 相手が無視すると、相手が嫌がることをして、権利を実現しようとする
わけです。

こういう人には、法的な手続きで対応したほうがよい。



日本人は、権利を革命などで自分で勝ちとっていないので、
 権利の実現にコストがかかる
という意識が薄いと思われます。

国が何とかしてくれる。
困ったら、だれかが何とかしてくれる。


しかし、現実は、
 権利の実現にコストがかかる。



実は、これが基地問題を考える際の重要なエッセンスとなります。

 中国と仲良くして経済的恩恵を受けるべきである
と思いますが、
 日本の権利を侵害する行動に出る可能性がないわけではない。

その際に、
 権利の侵害を予防したり、最小限で食い止めたり、侵害された権利を回復する
には、
 コストがかかる
わけです。

世界政府ができ、司法権のような強制力を世界政府が行使できるような時代になれば
よいわけですが、
 現在の国際法は、条約の集合によって、成り立っているにすぎません。

そのため、相手に何かを言うためには、
 条約が必要である
ということ。

条約を無視されたら、国連を通じて、強制力を行使しなければならない。
中国は拒否権をもつので、国連を動かすことは無理。

そうであれば、
 権利が侵害されないように、ある程度の力をもつ
必要があるわけです。

友達でも、影響力がある友達に対しては、意地悪をしたりしないのと同じ。
認めてもらうためには、力が必要。

そのために、力が必要となる。

その力を自分で持つか、自分と条約関係にある国家(アメリカ)が持つか。

沖縄の基地を撤廃すれば、
 中国が一番喜ぶ
ことになります。

フィリピンの基地からアメリカが撤退したら、南沙諸島に中国がやってきたのと同じ。
今、フィリピンが抗議していますが、
 フィリピンには力がないので、国際社会からも無視されて終る
と思います。
今後、南沙諸島は中国の影響下にはいるはず。
フィリピン政府の中には、アメリカ軍基地の撤廃を後悔している人も多いはず。

仮に、基地の県外移設がなされると、
沖縄の現地の人は、数年後に地域経済が崩壊するところが出てきて、
現在、基地との取引がある人は生活ができなくなり、苦しみを味わうはずです。

基地との取引がある人は、少数派なので、
反対派が多いところで意見は言えないわけですが、死活問題です。

基地およびそこに勤務する人の存在は、少なからず、経済的効果に影響するので、
何らかの経済政策をとらないと、県民所得はさらに下がると思います。


国民は、政府任せで、メディアも他人事の報道をしていますが、
 国防問題は国の最重要課題
です。

県民の意見は、沖縄に置くことに反対。これは明らか。

では、国民の総意はどうか。

これが、サンデル教授の授業で出てきた功利主義。

最大多数の最大幸福のためには、一部に負担を課しても許される。
たくさん稼ぐ人に税金をたくさん課して、貧しい人に分け与えることが許されるのと同じ。


国会で基地法案を決議する。
野党は反対するなら、対案を示す。
社民が離脱するならやむを得ないという決意で臨む。

八方美人政策では、支持率がさらに下がることになるはず。

国会の決議(国民の多数意見)により、沖縄県民の犠牲のもとに、沖縄に基地を置く。
同時に、そのための手厚い補償を行う。
権利には義務が伴う。
手厚い補償は、他の国民が基地という負担を受け入れてもらう代わりに支払う負担と考える。

今は、沖縄県民に負担だけ受け入れろと言っているようなもの。
負担と恩恵はセットでなければ、だれも納得しない。

今までは、沖縄県民に浸透するような形で、お金が投入されていなかった。
箱モノ中心だったため、その工事が終わるとまた仕事がなくなって貧しいまま。
沖縄県民の県民所得が低いままであるというのが、その表れです。
県民所得を上げる政策とセットで、基地問題を考える必要があります。

原発施設をもつ自治体は豊かです。
理由は、リスクを受け入れる代わりにお金をもらっているから。

権利の実現には、コストがかかる。
そのため、軍備は必要。
軍備のためには、効果的なポジションに基地が必要。
基地のためには、土地が必要。リスクも伴う。
その負担を国民全体でカバーする。

最も、民主的で、クールな対応だと思います。


でも、沖縄県民が納得しなかったら?

ロックの言う自然状態に戻す。
 民主的な手続きに納得できない。
 そんな法案を受け入れることはできない。

それなら、日本から独立するしか方法はない。
独立宣言をして、琉球国を建国し、警察など国家権力を排除する。
その際、中国などと安全保障条約を締結し守ってもらうようにする。
第二次世界大戦後のヨーロッパで実際に行われていた流れです。
革命による国家権力からの離脱。

民主主義を否定する場合には、この手段を取らざるを得ない。

この場合にも、同じ原則で説明できます。
 権利の実現にはコストがかかる。
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RPG的人生論。

2010年04月26日 | 自分の未来を組み立てる。
時間とお金とエネルギーが3要素。

これをうまくコントロールして、
 人生を楽しむ。

そういうゲーム。


お金を稼ぐという点について。

お金を増やすには、
 こうげきりょく(稼ぐ力)
 ぼうぎょりょく(損を食い止める力)
 ちりょく(レバレッジ)
 すばやさ(行動する力)
 どうぐ(不動産、株式など、お金を生み出す資産)
を増やしていく。

まさに、ドラクエの世界。

では、どうやったら、「こうげきりょく」が上がるのか。
 
 たくさんの敵を倒して、経験値を増やす。

たくさんの敵は、人生のゲームでは、
 難しい問題や、仕事
を意味します。

頑張って仕事をこなすことで、経験値が上がり、「こうげきりょく」が増える。

「ぼうぎょりょく」は、いろいろな人の経験を話を聞いたり、本を読んだりして、
 どうすれば損をしないか
 他人の失敗から学ぶ
ことで、上げていくことができます。

「ちりょく」は、僕の人生のテーマ。
 どんな人でも、「学ぶ」ことで人生を切り開ける。

「すばやさ」は、
 チャンスが来たら、怖いですが、勇気をもって行動する。

「どうぐ」は、お金がたまったら、自分に必要なものを手に入れていく。
 不動産投資、投資信託、株・・・。
利益を生むものに変えていく。
自分への投資である「本」もここに含まれる。


そして、戦略を練って、
 生まれてから20歳まで
 20歳から40歳まで
 40歳から60歳まで
 60歳から死ぬまで
の4つの世界において、自分でシナリオ作って旅をする。

人生をゲーム化して、
 その設定を楽しむ。

今は、
 王が無能で、官僚腐敗がはびこり、国民がやる気を失って、国家が崩壊していく国
にいると仮定して、
 そこで、どうやったら、楽しく生きられるか
についてのシナリオを描く。

腐敗政治に巻き込まれた貧困層を救うための仕事をする。
機会の平等が維持できるような活動をする。
船を手に入れて、海外での冒険をしてみる(今高校生だったら、中国の大学に留学するなど)。

不平を言っていても、解決しないので、
 コントロールできないことは受け入れる。
そして、自分がコントロールできる領域を目いっぱい楽しんで生きる。


人によっては、ばかばかしいように思えるかもしれないですが、
これは、実は、心理学のスキルです。

ゲームのようにイメージすることによって、
 精神を守る。

 最近すごいつらい
 ストレスでどうかなりそうだ
と思ったら、
 自分がRPGの世界にいる
とゲーム化して、自分の精神を守ってください。

(敵が登場した時のmelody)
 最悪の上司が現れた。
コマンド
 たたかう。
 にげる。
 はなしをきく。
 やりすごす。
→たえる。  

 上司は、いやみの呪文を唱えた。
精神的ダメージをうけた。


上司のいやみなんて、ゲーム化してしまえば、その程度のもんです。
深刻に考えて、引きずるだけ、無駄。聞き流しておけば十分です。
ためになるものであれば、感謝して受け入れて、利用して自分の人格の修正を図るなど、
自分の成長に役立てればよいと思いますが。

目的は、
 自分のスキルを磨いて、自分で何とかできるように準備すること。

「こうげきりょく」などを年々上げていく。

そのためには、ジョン・ロックの思想も、心理学の知識も、
 利用できるものは何でも吸収して使いまくる。

他の人に理解されようなどとは思わず、
 自分が人生を楽しめるように工夫する。
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権利付与とクレーマー増加との関連性。

2010年04月26日 | 自分の未来を組み立てる。
権利は義務を伴う。
これが大前提です。

契約で言うと、双務契約が原則。
 物を渡す。売主の債務
 代金を払う。買主の債務
お互いに債務を負っているのが、双務契約。

それに対し、
 物をあげる。
という贈与契約は、
 一方的しか債務を負っていないので、片務契約といいます。


世の中は、双務契約が原則。

何かをしてほしいんだったら、
 対価を払う。

愛してほしいんだったら、
 自分も愛する。

お金やエネルギーの交換によって、成り立っている。

そのため、自分だけもらって、何にも与えないというのは、
 この原則に反する
ことになります。


個人的には、クレーマーの増殖は、教育の問題のほか、
 過度の福祉主義と関連がある
と思われます。

福祉国家の傾向が強くなりすぎると、
 何でも国家がやってくれるという感覚に陥る。

これは、国から恩恵を付与されているということ。

例えば、公立図書館を使用できる権利。
本を無料で借りられる権利。
無料で勉強を教えてもらえる権利。
失業手当をもらえる権利。
生活保護をもらえる権利。
子ども手当をもらえる権利。

国の健全な発展のために、福祉主義の充実は大切なことですが、
それが、行き過ぎると、
 権利意識ばかりが強い国民性
となってしまう。

ただ、権利意識が高まっても、それに対応して、
 義務の意識も高まれば問題はない
わけです。

これだけの恩恵が受けられるんだから、
きちんと国民の納税の義務を果たそう。
そのためにも、国民の労働の義務を果たそう。

税金を払うという義務の意識も、
権利と一体となって強くなる。

これが、北欧の福祉国家のスタイルです。

北欧で、税金が高い点に関する世論調査をすると、
 大学まで無料で通えたから
とか、
 老後も安心だから
と納得している人が多い。


日本の場合には、
 義務の意識を養う環境がない
ので、
 今後、クレーマーが大量増殖する
ことになるはずです。

そのため、
ビジネスをしている人は、
 クレーマーの対応を真剣に考えたほうがよい
ですし、
そのほかの人も、
 クレーマーのえじきにならないように法的武装を心がけたほうがよい
ということです。

不当な要求に対しては、
 それはできません
と拒絶する。
 請求されるようでしたら、法的手続をおとり下さい。
という断固とした態度で臨む。

怖いからとか、もめごとにならないようにしようとか考えて、
その場しのぎでお金を払ってしまうと
 請求がどんどん大きくなったり(同一人物による不当請求)、
 クレーマーネットワークによって、同一の手口でいろいろな人が請求にきたり(同一手口による不当請求)
する虞があります。

 あの店は、ちょっと脅せばただにしてくれるとか、お金を払ってもらえる
という噂が経つと最悪です。


クレーマーの精神性は、全てに共通します。
 権利意識が高い。
 騒げば言うことを聞いてもらえると考えている。

子どもが泣いているときに、
 他の人が見ているからといって、おもちゃを買ってしまう
と、こういう人物が出来上がりやすくなります。


国家が理由がよくわからない手当をいっぱい出しても、
 同じことが起こる
と思います。

権利意識だけ高い国民性。

 あれしろ、これしろ・・・
 では、税金を上げますね。
 それは、納得できない。何で払わなくてはならないんだ。


では、おもちゃがほしくて泣いている子供に、親はどう接すればよいか。

賛否両論ありますが、欧米式に言うと、
 取引
です。

取引しよう。
朝、掃除を手伝えば、一日につき100円。
夜、ふろの掃除をすれば、一回につき100円。
テストで、80点以上を採れば、1枚につき100円。
そうすれば、来月までには、自分のお金で買えるだろ。
この取引に合意するかどうかはお前の自由だ。

世の中の仕組みを教える。

お金を稼ぐには、労働が必要である。
テストでがんばるなど、成果を残せばインセンティブの報酬が得られることがある。

小さいうちから、労働の尊さや、努力の価値を教える。

何かを手に入れるには、何かを提供する必要がある。
権利には義務が伴う。

何かがほしいからといって、泣いたり、脅したりしても、
 何も手に入らない。

だれも、ただで何かをもらえることはない。

自助努力の原則。



 これをぶち壊すのが子ども手当。
子どもが、
 僕がいるから、もらえるんだよね。
 それ、僕につかう権利があるんでは?
といわれたら、親はどう答えるのか。
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子ども手当が国を滅ぼす。

2010年04月26日 | 国家論
子ども手当の最大の問題は、
 財政
の側面よりも、
 国民に与える精神性
の問題です。

 働かざる者食うべからず。

これは、生命の大原則です。

狩りの下手はライオンは生き残れない。

淘汰される。

耕さなければ、たくさんの実りはない。
だから農家は頑張る。


こうした原則があり、例外的に
 何らかの事情により、働くことができない人を保護する。

ただ、これは、あくまでも例外。

保護することができるためには、
 たくさんの人が協力して、その人を支える意思と能力をもたなければならない。

みんなが、支えてもらう側の人間になってしまえば、
 全員が死に絶える。


子ども手当は、国民全員が子供をもつ世帯を支えるという理念。

ただ、何もしないでもお金がもらえるということには変わりがない。
つまり、これは本来例外であるべきこと。

その例外が、莫大な数にのぼり、原則を駆逐する。

これにより、だれも、一生懸命働こうとは思わなくなるわけです。
共産主義の抱える思想的な問題と共通します。
そして、共産主義国家と同じ末路をたどります。

会社で、どんなに頑張った人も、怠けていた人も全員給与が同じだったら。
その上、子ども協力金として、一律給与の5パーセントが天引きされ、
 子どもがいる人に、手当てが出るシステムだったら。
(会社が子ども手当を出せば、利益が圧縮するので他の人の賞与の額に影響する。)

怠けても大丈夫ということで、働くモチベーションが下がるとともに、
子どもがいない人はまじめに働こうとはしなくなります。

こんな会社はつぶれる。


これは、国家も同じことです。

自助努力の精神が揺るぐような政治はすべきでない。
 頑張った人が豊かになれる。

だから、
 人よりたくさん働こう。人が遊んでいるときに勉強しよう。
というモチベーションが生まれる。

遊んでいる人も同じ。
むしろ、手厚い保護が与えられる。
そうであれば、みんな遊びだして、国家は、技術力を失っていくはずです。

今、稼いでいる人は、
 リスクを採ったり、
 人の数倍努力したり、
 お金と時間を投資して、学校に行って、資格を採ったり、
 人が嫌がることをやって、そのお金を手に入れている。

そこから、税という形でお金を取り上げて、ばらまくことは、
 そういう人の努力を国家が軽視することにつながる。

だれも、進んで国家のために税金を払うことはなくなる。

財政難よりも、
 労働や努力を軽視することになるという点が問題である
と思います。

お金は与えられるものではなく、
 自分の努力によって稼ぐもの。

一生懸命働いて年金を納めた人がもらえる年金よりも、
生活保護でもらえるお金が高いのであれば、
 だれが、年金を納めるのか。

それで、年金を納める若者が減って困っていると国は叫ぶ。
しかし、これは、当たり前のことです。
年金を納めなくとも、生活保護の方がたくさんもらえる。
経済的合理性を有する選択は、納めないということになる。




ただ、国がそうであっても、
 個人は、自助努力を徹底的にして、知的成長を続ける
べきだと思います。

いずれ破たんするからです。
破綻した時には、真っ先に福祉財源が削られます。その次に公務員の給与。

その時に、子ども手当をあてにしている世帯から、
 追い込まれていく
ことになります。

人は、生活レベルを上げると、下げることができなくなります。

そこで、いきなり削減されたら、借入をせざるをなくなり、
 国家同様、財政の破たんに陥る
からです。
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稚拙な政策は混乱と無駄を招く。そして、国家は崩壊へ。

2010年04月25日 | 自分の未来を組み立てる。
子ども手当に外国人殺到、554人分申請も 窓口混乱、対策「これから」
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/snk20100425033.html
産経記事 H22.4.25


当然予期できた結果です。
さらに、日本人でも養子縁組が増えていく。
現場の混乱は続くはずです。

そして、見抜けなかった分の支給は行われる。

子供手当については、何回も書いているのでくどいですが、
 リバタリアンの思想に関連する
ので、もう少し補強しておきます。


今後、さらに、大変な費用がかかってきます。

現場の人員の不足を補うために、
 人員を増やす経費
もかかる。

細かなQ&Aの作成、
不平不満をいってくる人への対応・・

まだまだ、かなりの経費がかかるとみて間違いない。

そして、
 こういった不正受給希望者のほかに
 正規の人の対応もきちんとする必要がある。

そのため、市役所の仕事量は、何倍にも膨れ上がる。
残業、残業、職員は覚悟した方がよい。
無能な中央のおかげで、大変な目に遭う。
膨大なお客さんである市民が窓口に押しかけ、もらえない人は暴言を吐き・・・

稚拙な無料キャンペーンをやって、お客が押し寄せ、クレーム対応に追われ、
正規の業務ができなくなり、ミスが増えて、その対応にも追われ、現場は大混乱・・
民間でもよくある話です。



子供手当をやるくらいなら、
 子をもつ家庭への支給
ではなく、
 授業料のほかに教材関連費の無料化、給食費の無料化。
をやったほうがよい。
これは、学校に支給すればすむので手間がかからない。

さらに、待機児童対策として、
 保育所の整備
を行う。
これは、市町村単位への補助金の充実ですむ。

児童手当の充実。これは、現行の手続きの上乗せですむ。

混乱もなく、無駄な経費もかからない。

また、すでに機能しているシステムを利用するので、
 不正者が侵入する隙がない。


今の制度だと、不正に受給する人へ支払うお金、煩雑な手続きに対応するお金、
制度を新たに設計し、修正していくお金・・
膨大な無駄な費用が必要となる。


そもそも、自由主義者の僕にとっては、
 なぜ、支給するのか
がよく分からない。

子供を産んだのは、親の自己決定の結果。
その子を大事に育てるのも、親の責任。
子供の無邪気な笑顔が見られる。愛情を確認できる。幸せをもらえる。
その子が将来、立派になって、親の面倒を見てくれる恩恵も受けられる。
事業をしている家は、ついでもらえるかもしれない。
お墓を守ってもらえる。

子供を産むのは、子供が欲しいから。お金がほしいからではない。
お金では買えないものをたくさんもらえる。

それが、子供の価値であって、子供を産む理由。

ただし、自助努力が原則。


仮に、みんな生活できないので、最低限度の生活の維持が必要というのであれば、
 生活保護。

子育ての資金がないのであれば、
 児童手当。

預かってもらう場所がないのであれば、保育所の整備。
勉強する場所がないのであれば、図書館の整備。

将来の子供に国の未来を託すというのであれば、
 小中高の授業料、教材費無料。給食費の無料。

国は、機会の平等を与える。がんばれる環境を整備する。
みんなが勉強して、知的に成長して、
 豊かになって、
 国に税金を納めるような
 立派な国民になってください。
 そのための応援を、環境の整備という形で国はしますよ。

福祉主義として、これで十分。


子供がいるからという理由で、
 2万円をプレゼントする理由は?

子供を育てるのにお金がかかるって?
それは当然。それでも、子供が欲しいと思って産んだのでは?
子供を使って、お金を国からもらうのを期待するのはどうなのか。

外車を買っておいて、維持費がかかるから、国にお金をくれと言ってももらえない。

子供は、将来国を支える存在になるから、みんなで育てるべきだ。
国を支える存在になってくれるのならね。
 将来、生活保護を求めるような存在になってもらっては困る。
 そのために、与えるのであれば、教育関連費用、待機児童関連費用に充て、
 学力が直接向上するような支出方法に限定すべきで、
 現金を支給する論拠とはならない。
  親の消費者金融の借金返済に充てられるリスク、パチンコ台に消えるリスクはどうなのか。子供手当があたえられても、給食費さえ払ってくれない親はどうすればいいのか。

お金持ちにも渡すのであるから、貧困対策ではない。
子供を産もうという意欲に直接つながるわけではないから、少子化対策としても弱い。


子供がいる世帯に、現金を支給するというその根拠は?
立法目的が十分ではない。


この時に、子供をもつ世帯は、
 もらえるもんならもらっておこう
という思いが生まれます。

ただ、その分、たくさんの税金が取られていることを自覚するとよいと思います。

たくさん給与もらっている人には、
 たくさんの税金がかかる(累進課税)。

一人の子供で2万円もらっても、
その数倍のお金を国家に取られているということです。
全然もうかっていない。
むしろ、あまり稼いでいないお隣さんの子供手当を、あなたがプレゼントしているということ。
国家の強制のもとに。

税金を払っていない世帯はうれしいご褒美となりますが、
 もはや、自由主義国家とは言えなくなる。

(サンデル教授の授業では、この辺りの話も出てくるはず。)

そうであれば、
 扶養控除以外に、子供の学業に関連する費用を経費として控除する
ことを認めればよい。

塾のお金、書籍代・・。
確定申告すれば戻ってくるようにする。

ついでに、サラリーマンの書籍代の経費控除も認めればよい。

将来の国を担う子供を保護することを立法目的とするのなら、
現在の国を担うサラリーマンの書籍代の経費は認められてしかるべき。
論理としては、共通するはず。

すべてのサラリーマンが確定申告するようになれば、
 税金の使い道についてもっとシビアになると思います。

他の国では、自分で確定申告しています。

会社にやらせて取るという発想は、
 共産国家的な発想
です。

国が、地方を出先機関として、思い通りに動かしているのと同様、
国が、雇い主を出先機関として、徴税業務を行わせているわけです。

自分で税金の重さを自覚しないようにしておけば、
 使い方をうるさく言わない国民が出来上がる。

支配する方からすれば、非常に賢い方法ですが、
 国民は幸せになれない
と思います。


もうひとつ。
もともと控除するのと、交付するのでは、全くかかるお金が違うという視点も大切です。

例えば、100万円控除する場合には、あまりコストがかかりません。

しかし、100万円を交付する場合には、
 国には、100万円を別の人から徴収するコストがかかっています。
 また、100万円を交付するにも多額のコストがかかります。
 仮にコストがそれぞれ、20万円ずつかかるとすると、100万円を交付するには、140万円かかるということです。

この点からも、交付よりも、控除の方が、無駄が少ない。

子供手当は、
 定額給付金と同様、経済効果が認められず、費用ばかりがかかる愚策である
ということは、今後、より明確な形で分かってくると思います。

たちが悪いのは、一回限りの給付金と異なり、続けられるということ。

こういう政策をしていくと、
 税金を払う人がどんどん減っていきます。

NHKの土曜ドラマで脱税をテーマにしたドラマが始まっていますが、
国税庁からすると、そういうコンサルタントの存在が知れ渡ってしまうので、
やめてもらいたいと思っているのではないかと思います。

映画のマルサとは、全く逆で、
 合法的に、どうしたら税金を逃れられるか
というスキームをテーマにしているからです。

こういう番組ができるのも、
あまりにも、おかしな政策や、おかしな団体に無駄なお金が流れるため、
 国民が自分も国家の役に立ちたい。
 経済的弱者を救うために、協力します。
 将来の日本が世界で活躍できるような技術開発のためなら、投資と思って私のお金を使ってください。
 そのために、私は税金をきちんと払います。
というモチベーションが
 どんどん下がっていっている
ことの表れだと思います。

結局、国に対する信頼や国を愛する思いが、なくなっていっているということで、
 経済破綻よりも
 そういった精神性の破綻こそが、この国を崩壊へと導いていく
と思います。

貧しくても、精神性がしっかりしていれば、
 必ず、豊かになれる。

松下幸之助氏の人生はそのことを教えてくれます。


今日のサンデル教授の授業は、
 ジョン・ロックについてなので、この辺の税の話
がメインになると思います。

自然状態から、なぜ税を払うのか。
すべての国家の核となる考え方です。

立法を行う国会議員はこれくらいは知っておいてもらわないといけないと思います。
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民主主義の正当性。みんなの判断は意外と正しい。

2010年04月25日 | 国家論
僕が考える最も適切だと思う価値観は、
 中庸思想
というものです。

大学・中庸とセットで出てきますが、
 バランスが大切ですよ
という中国の思想です。

すべての問題の解決のカギがここにある。

極端な考え方は、多くの人を不幸にする可能性がある。

極右政権。
極左政権。

これらの政権は、
 思想は全く逆
ですが、
 その思想の実現のための手段はとても似ている。

最終的には、
 武力行使。

右翼的な国家に反対して、
 マルクス主義を愛する学生の運動
がさかんな時期がありましたが、
 その団体の一部は、メンバーを犠牲にしたり、粛清したりしていた
わけです。

過激な思想は、右左関係なく、
 過激な手段に至る
恐れが高いということ。

これは、国家もそうだし、宗教もそうだと思います。
宗教も過激化すると、
 宗教対立による戦争に至る。

集団の最大の欠点は、
 暴徒化論
といって、
 集団の意見が、
 構成員の幸せと関係なく、
 熱気やムードによって形成される
ということ。

こういう熱気に包まれた集団内では、
 ちょっと、それは、過激ですよ。
 もう少し、マイルドな方法をとりましょうよ。
とは言いづらくなる。
言えば、非国民だの、裏切り者だの言われて、粛清される。

粛清の歴史を上げるときりがないと思います。
 キリスト教による魔女狩り。
 第二次大戦前の日本。
 赤狩りのアメリカ。
 文化大革命の中国。
 ・・・

メディアも視聴率の関係と、粛清されないようにするために、
 国民受けする報道をし、ますます熱気を生み出す。
某新聞社が、西山記者事件で、
西山氏を擁護する記事を書いていたら総攻撃を食らって、
論調を変えたことがありました。
結局西山記者の記事が正しかったため、
その新聞社も正しかったわけですが、世論に負けたわけです。


小泉郵政選挙の時も、
 いやぁ、郵便局は民営化しないほうがいいと思うよ
という意見は、言えない雰囲気だったと思います。
(ただ、民営化が正しいか間違っているかは、別。
民営化で効率化を目指すことも、民営化以外で低コストで国民の生活に役立つ仕組みを作ることも可能。
どういう組織を目指すかという目的が大切で、民営化かそうでないかは手段にすぎない。
もちろん、民営化にすることで、効率性という目的は達成しやすくなるので、
竹中路線は総合的にみると、一つの回答であり、実績も残している。)


賢い人は、思っていても言わないからです。

民主主義の最大の弱点が、
 構成員が適切に意見を述べることができない
場合には、
 正しい判断ができない
ということです。

その環境を是正する手段は、
 なかなかみつからない。

構成員が熱気を作り出そうとする人に
 だまされないように気をつけて、
 危険な人物が登場しそうになったら、
 排除する(政治家なら失脚、教祖なら排除・・宗教は民主主義外なので構成員の意思による排除は難しい)
ということくらいしかないわけです。


ただし、これは、例外的な場合であって、
 民主主義は、環境さえ十分であれば意外と正しい判断ができる。

これが、民主主義の最大のメリットです。

 ある本の大賞を決める審査員に選ばれた
とします。
 審査員にはだれが書いたかは分からない。

Aには、10人中6名がこの本が対象だと票を入れた。
Bには、10人中3名。
Cには、10人中1名。
Dには、誰も票を入れなかった。

10人の審査員が適切に選任されていて、
審査員に利益が及んでこない(利害関係をもたない)場合には、
 Aの作品が一番良い
と、他の人も判断する可能性が高いわけです。

これは、確率の問題です。



つまり、民主主義も、
 国会議員が適切に選任されて(選挙の正当性)
 国会議員が自分の利益が及んでこない(利害関係をもたない)
場合には、
 適切な判断をすることができる
というわけです。

共産党には悪いですが、現時点では、
少なくとも、共産党政権になるおそれはない。
(こういうことを書いてしまうと、選挙前にブログを削除しなければならなくなる可能性があるので、やっかいですが・・)
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