知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

教育論。3

2009年08月31日 | 国家論
教育に関し、学力向上のモチベーションをあげるもう一つの方法が
 緊張感
です。

これは、国家論を書いた理由ですが、
 国家に頼っていたら大変なことになる
という緊張感です。

小さいうちに、努力しないと、国は何もしてくれないから、
貧困層へ落とされるという現実を早い段階から目にしておく。
社会の現実を知らない状態で、社会に放り出される方が
現実を目の当たりにするよりも不幸です。

少年院・刑務所の見学も中学校で行うべきだと思います。
裁判傍聴を課題学習で行う中学校がありますが、
犯罪について考えるよい勉強の機会だと思います。
そこで、
 弁護士になりたい
 裁判官になりたい
 検察官になりたい
という夢を持つ契機にもなります。

お年寄りの施設の現場も見学したほうがよいと思います。
生きるということを考えさせられるからです。
 ヘルパーになりたい
 理想的な施設を経営したい
という夢を持つ契機になるかもしれません。

また、最期をどのように迎えたいかを早い段階から意識することで、
 自分の人生を大切にしなければならない
という思いがわいてくるはずです。

同様に、病院で難病と闘っている人も目にしたほうがよい。
命を粗末にしようなどと思わなくなります。

さらに、映像を通してでも、飢餓で死んでいく人も目にしたほうがよい。
食べ物を粗末にしようと思わなくなります。

テロで自爆する少年兵も目にしたほうがよい。
同じ世代の子供の末路を見れば、国際的に、日本がいかに恵まれた国家であるかが分かるからです。


僕が寄付をするようになったのも、ある施設を見学に行ったことからです。
頑張って生きようと思ったのも、若くして亡くなった親戚の存在や
痴ほうの方が入居する施設を見学に行った経験からです。


ボランティア活動に励む人達は、
 現場で悲惨な現状を目にした
ことがきっかけであったといいます。

身をもって学ぶということは、そういうことであると思います。


衝撃的すぎてよくないと、保護の観点から見せないことが、
かえって、子供のためになっていない。
それが、過保護教育の問題点だと思います。

政治家も官僚も、そういうところをきちんと目にして、
 良心の存在を確認すれば、無駄な税金の使い方に対する抑止効果
になると思います。

過酷な社会が待ち受けているという現実をきちんと教え、
それと同時に、
 努力次第で目標をつかむことができるという希望を与え、
国家としては、質の高い教育や図書館など努力できる場を整備する。

それにより、素晴らしい人材がたくさん排出されることにより、
国家自体が利益を生み出すようになる。
それにより、
 何らかの事情により努力することすら難しい方に対しても
 福祉の充実により平穏な暮らしを与えられる。
それが、国家の役割であり、
 国民のためになっているという国家の正当性の唯一の原理
だと思います。

社会は、助けあいのために成り立っています。
リスクの分配です。
今元気な人でも、事故に遭って、働くことができなくなりかねない。
そんなときに、元気な人が手を差し伸べる。
それを行うのが、社会であり、国家であるのだと思います。
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教育論。2

2009年08月30日 | 国家論
前回のスキルを身につけさせるには、
 競争
が一番です。
 フェアプレーの精神、
 努力の意義、
 結果が現れた時の喜び、達成感。
 戦略の重要性、
 行動を規律する精神力の鍛え方。
こういったことは、競争を通してしか学べないと思います。

 みんなで仲良くゴールテープを切りましょう。
といわれれば、
 だれも本気で努力はしない
し、
 だれも勝つために考えて行動しない
はずです。
その結果、
 得られる喜びも達成感もない
わけです。

いわば、家畜を育てているのに似ています。
餌の心配はしなくてもよいですが、
まるまる太った後に待っているのは、食肉となる運命です。
そうではなく、野生に返すための教育をするのが、国家の役割です。
 過度に甘やかすことはしない。
 餌を与えるのではなく、餌の取り方を教える。
 自分で考えて行動できる強い精神力が育つよう、愛情を持って見守る。

過保護は、成長過程を阻害するので、
 本人の力を信じて見守ってやることが愛情
であると思います。

現在は、放置(ネグレクト)と過保護に2極化しつつあり
過保護は学校に怒鳴りこんでくるタイプの親で、
放置は、パチンコ店の駐車場の炎天下の車に閉じ込めておいたり、給食費を払わないようなタイプの親です。

クレームが来ると、対応能力を欠く教師はあたふたし、
弁護士に頼まなければならない教育委員会が増えてきているとのことです。

学校という場においても、規律を守らせるためには、
 ルールが必要であり
 ルールを守らせるためには
 制裁(サンクション)を加える
必要があります。

問題は、手続きが適正に行われ、サンクションが合理的なものであることです。
今は、一切手を出してはいけない。という風潮が出来上がっているため、
学級崩壊なる事態に追い込まれているケースがあります。

学級崩壊は、邪魔をする児童の将来のみならず、周りの生徒の将来まで、
 暗いものとしてしまう
ので、原因を排除し、愛情を以て更生させる必要があります。

そのため、
 合理的な範囲での罰則を認め、正当な手続による教育目的での指導は許される。
という指導要領を明確に打ち出すほうが、みんなのためになります。

家庭も学校もしつけができないため、社会のシステムを学ぶ前に
 たまたま結果が度を超えて少年院へ送られる
という悲惨なケースがあります。

一度少年院に送られると、そこから富裕層へ成り上がるのは
 非常に困難で努力する機会の場さえ失う
恐れがあります。

こんなことになるなら、
と後悔する少年少女が多くいます。
彼らの責任のみならず、社会の責任でもあるのに、
 結果は彼らのみが、知的成長の機会を失い、死ぬまで負わされる
ケースが多いわけです。

中には、奮起して、貧困層路線から抜け出す人もいます。
しかし、並大抵の努力ではないため、数は多くありません。

少年院を出た後の就職、大検、定時制高校といった機会を得るのですら、
かなりの努力が必要だからです。


***
今の教育は、何も教えず
 ジャングルに放り出すようなもの
です。

食べられる食糧、水の確保の仕方、獣に襲われたときの対処法、火のおこしかた
そういう
 生き残るために必要な知識
を与えずに、いきなり外に出すわけです。

そんなサバイバルは存在しないかのように思わせておいて、
外に出すので、要領の良くない子供は
 要領の良いものたちの食い物にされてしまう
リスクが非常に高くなっています。

そのため、
大学生が20歳を超えた瞬間に詐欺商法に引っかかり
多額のローンを組まされたり、
風俗の道に引っ張られてしまったり、
軽い気持ちで薬に手を出したり、
酒に酔ってわいせつ行為に及んだり、
へんてこな宗教に引きずり込まれたりしています。
就職活動で、自分の思いをうまく伝えられなかったり、
マナーが悪いと落とされたり、
就職しても、うまくいかずにすぐやめてしまったりする
わけです。

それで、自分はだめなんだと自己嫌悪に陥って自信を失ってしまう。
ただ、社会において大事なことを教わる機会がなかっただけなのに
 原因の探求の方法すら学んでいない
ので、誤った答えを信じて努力すらできないわけです。

だからこそ、
 学校の先生ではなく、いろいろな本を読んで本から学ぶ
ことが大事なわけですが、それすら教えてもらっていないので、
 本の重要性や自分の可能性を知らずに
います。


学校で教える先生は、教科書と指導要領を読んで終わり。
社会人経験もない。
上司に怒鳴られたり、顧客に頭を下げた経験もない。
おそらく、教員免許を取り上げられたら、
サバイバルに生き残れない人も多いと思います。
おそらくその人が就職活動をしても落とされる可能性が高いでしょう。
その人に教わるので、教わるほうも、社会に適合することが難しい。
 とまどい。会社になじめない。失業。あきらめ。


だからこそ、教員はいろいろなところから、中途で採用し
多様化していくことが求められていると思います。

そして、授業も、社会に出た後のことを意識した
思考方法を育てるカリキュラムにする必要があります。

音楽が好きであれば、それで食べていくにはどういう道があるのか。
どのような努力が必要であるのか。
よし、今から頑張ろう。
今日の特別授業は、ピアニストの●●さんだ。
こういった質問をしてみよう。

絵画でも同じ。
デザイナーやグラフィックの仕事なども同じ。
今日の特別授業は、デザイナーの●●さんだ。
あこがれていたんだよな。

スポーツでも。
プロ野球選手の●●さんの特別講演がある。
数学でも。
●●大学教授の●●さんが、数学の講義をしてくれる。
理科でも。
●●研究所の研究員の●●さんが、●●研究の日々について語ってくれる。

そのほか、弁護士、医師、NPO法人、市民活動家、花屋、スーバー、コンビニ・・・専門家や経営者が積極的に学校という
 特別な世界に入っていき未来の後輩
を育てていく。

これにより、目標を早い段階で持つことができれば、
 テスト自体は、その目標に至るまでの過程にすぎなくなる
ので、目標に向かう障害として乗り越えるだけのモチベーションがわいてきます。
現に、この「スイッチの入れ方」を教えることで、成果を出している女子高校があります。

 そんなものは、自分で試行錯誤しながら見つけるべきだ
という考えもあります。
しかし、これは、機会の平等に反します。

思考方法は、知的レベルの高い家庭では、自然と伝承されます。
 医者の子が医者を目指したり、弁護士の子供が弁護士を目指したり
 官僚の子供が官僚を目指したり、経営者の子供が経営者を目指したり
するのは、
 早い段階で自分もなれるかも
という思考のプログラムが出来上がっているからです。

そのため、親の学歴と子供の学歴との相関関係もある程度認められると思います。
これが、知的格差を生み出す一因です(もちろん、お金の面もあります)。

多くの人は、テストを目標に設定してしまうから、
 勉強が意味のないもの
に思えてくるわけです。

 テストの点が良ければ、大学の推薦がもらえる。
と言ったって、
 夢の実現(たとえば「数学者」の道)
と比べたら、やる気は少なくなります。
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教育論。

2009年08月29日 | 国家論
学力テストが公開されましたが、沖縄に対する問題が浮き彫りになっています。
沖縄県は、低所得世帯が多く、学習という点では不利な状況にあります。

これをもって、沖縄県の学力レベルが低いということで終わらせるのではなく、
 沖縄県の学習環境を整備
する政策に生かすようにしなければ、意味がないと思います。

50億円使って、毎年、テストを実施して、
印刷業者や問題作成業者にお金をばらまくのではなく、
 自習スペースや特別授業など学習環境を整備するお金
に回した方がよっぽど国益にかないます。

所得レベルと学力レベルは、ほぼ一致します。
しかも、固定化します。
学力が乏しい場合、よい職にありつくことは困難であり、
低所得世帯となり、子供に学習の機会を与えることができず、
子供も低所得世帯を築きあげることになるからです。

企業は、新人研修をして、従業員を育てます。
それが、企業の利益になるからです。

同様に、国家も、教育を行い、国民を育てる責任を負っています。
それが、国家の利益になるからです。

人権として、教育の権利を認めているのも、その現れです。
国家は、貧困層に
 努力すれば富裕層になれるという機会
を保障する役割を担わなければならないわけです。

にもかかわらず、権力をチェックする役目を担う弁護士すら
 金持ちしかなれない
ようなシステムにしてしまいました。
これは、今後の20年で弁護士像が著しく変容されることを意味します。
過度の市場原理の導入により、
 利益追求型のビジネスマンのような弁護士
が急増し、ボランティアの仕事をしてくれる弁護士の数が相対的に減っていくことになるはずです。
 
ロースクールと弁護士数の増加による就職難のほか、
来年より司法修習生の給与が廃止されることで、この流れは
一層加速することになると思います。

この犠牲となるのが、弁護士費用を払えない貧困層です。



***
僕は、自己研修として、貧困層の多く住む町のホテル(とよべるか微妙)で一泊したことがあります。
その翌日は、前日の20倍もするホテルで一泊してみました。

後者のホテルは、それほど衝撃はなかったのですが、
前者は正直衝撃的でした。1時間くらいしか寝られなかったのを覚えています。


貧困問題として都市部に住んでいれば、ホームレスを目にすることはあるでしょうが、町全体が死にかけているような光景はあまり目にすることはないと思います。

今の教育は、
 都合の悪いところは、触れないようにしている
ように思われます。

課外学習で貧困問題や差別の問題を取り上げるところはないでしょう。

義務教育までは、国の施設などで、なんとか生活できても
その後、過酷な未来が待っている子供たちが多くいます。

スキルがないため、職にありつけず、アンダーな社会へ行く者。
日雇い派遣で高齢者になるまで働き、体が動かなくなった後ホームレス化する者。
刑務所の方が居心地がよいといって、出所後、すぐに罪を犯す者。

教育の目的は、
 過酷な世の中で生き残れるようにする
 サバイバル技術を身につけさせる
ことだと思っています。

それが、知的成長です。
話し方、お辞儀の仕方、文書の作成の仕方、読み、書き、計算などの基礎学力。
あいさつ、整理整頓、友達とうまくやっていく方法(コミュニケーション能力)。
感情のコントロール、場をわきまえる、マナー。
ルールを守る。権利と義務。
トラブルに巻き込まれない方法。断り方。逃げ方。相談の仕方。
夢を実現する方法。努力の仕方。時間の管理の仕方。計画の実行の仕方。
勝ち方。戦略の立て方。モチベーションの高め方。
道徳。社会貢献の意義。

つまり、教育の目的は、
 社会の一員として、どうやったら、うまくお金を稼げるか。
 困難な壁にぶち当たった時、どうやったら、うまく乗り越えられるか。
を自分で考えて、
 仮説を立て、検証をし、うまくいかなかったら、修正をする
というプロセスを習得させることだと思います。

そして、それが、
 国家の責任
だと思います。

従来は、経済の成長がある程度約束されており、
 マニュアルを覚え、前例通りに行動すれば成果が得られる
時代であったので、それなりに効果が得られました。

しかし、経済がどんどん悪化し、失業率が5パーセントを超える時代には、
 自分で考えて、お金を稼げるようにならなければ平穏には生きられない
わけです。

時代が変われば、教えることも変わります。
必要とされる人材も変わるからです。
そのため、戦国の世の処世術である、論語・大学・中庸、孫子の兵法など
戦略的に生きられるように、思考方法を教えておくべきだと思います。
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チームワーク。

2009年08月28日 | 国家論
1+1を2以上にするのが、チームワークです。

ひとりひとり適性があり、
 役割分担をする
ことにより、
それぞれが、それぞれに仕事をするよりも
 効率がよく、よい結果が得られる
わけです。

これは、家族であっても、地方公共団体であっても、会社であっても、国であっても同じです。


そして、さらに、2以上の力を発揮するためには、
 好敵手
が必要になります。

高校野球や高校サッカーなど
 勝ちたいと思う
から、努力し、チーム力を上げるわけです。

好敵手がいなかったり、そもそも競争がなければ、
 良い結果は上げられない
と思います。


これは、プロ野球の人気低迷にも関係しています。
巨人が資金力を背景に、各球団のスター選手を引き抜きました。
これにより、
 好敵手
がいなくなり、チーム力の均衡も崩れてしまいました。

こうなってくると、
 スター選手を応援していたファンが離れてしまい
 試合自体も面白さがなくなる
ので、プロ野球全体の人気が下がりだします。

人気が下がれば、視聴率も下がるので、延長をしなくなる。
延長をしなくなれば、一番良いクライマックスが見られないので
ますます、人気が下がっていく。

スポーツ紙の売上も下がり、
観客動員数、グッツの売上なども低迷していく。

テレビなどの影響が減っていくと、
少年野球人口も減っていき、
野球人口やファン自体も減っていく。


このように考えると
自分たちの球団の勝利という目先の利益を追った結果、
他球団の成長を阻害し
 好敵手
を失い、それにより試合をつまらなくしてしまったことが、
 低迷の連鎖を招くことになってしまった
という仮説を立てることができると思います。

この点、地元に根付いたメジャーリーグは、
 地元民に愛されつづけている
という違いがあります。


これは、ビジネスでも同じで、
 同業者を叩き潰すことが業界全体の成長を阻害する
という恐れがあるということです。

これは、ともに、業界の成長を目指すことで、
 その業界の人気を上げて、
 パイ自体を大きくし、
 ともに利益をあげられる
ということでもあります。


黒川温泉の復活では、
 色調を統一したり
 互いの温泉の行ったり来たりできるようにして
 顧客満足を高める戦略があった
とのことです。

通常なら極秘にするような
 人気の出る温泉の作り方
を教えたりしながら、
 温泉街の魅力を高めていった
結果、温泉街全体の売上が上がっていったわけです。

これが、チームワークのメリットだと思います。

となりがつぶれれば、
 売上が上がる
と考える思考を
となりが発展し、温泉街自体が発展すれば、
 この温泉街にくるお客の絶対数が増える
ので、
 うちの温泉の売上が上がる
という思考に切り替えた結果です。


これは、会社でも同じことだと思います。
効率のよいビジネススキルを
 同僚に教える
のは、出世競争からマイナスだと思うのではなく、
同僚が仕事ができるようになれば、
 この部署の効率が上がり
 その結果、自分の仕事が楽になる
とか、
 会社全体の利益が上がれば
 その結果、自分の賞与も増える
というように、視野を広げるわけです。


もちろん、自分の立場が苦しくなるような情報は、
 秘密にして利益を確保する
必要があるわけですが(特許等)、
 それほどでもないものなら、教えてあげた方がよい結果になる
と思います。

このブログも、特に悩んでいる若い人の参考になれば
 その若い人がたくさん稼いで
 たくさん税金を払って
 その結果、国が豊かになって
 国民全体の利益にもつながるだろう
という思いで続けています。
 

現在、僕も税金を払っていますが、
 それで命が救われる人もいる
 教育が受けられる人もいる
と想像すると、まぁ仕方ないかという思いになります。

ただ、天下り官僚の渡りの退職金になっていたり、
費用対効果が悪い、国道に並行する農道の建設費や
アニメの殿堂なる施設や
必要もない吹きぬけの豪華な市役所や図書館、公民館などにあてられると思うと、
 そんなもんはいらない
とか
 もっと安く、帰納的で、維持費の安い、小さなものを造れ
と言いたくなります。

消費税増税論者は、前者のみを言うわけですが、
後者の問題や随意契約による無駄(国家論で記載)の方が、重要だと思います。

そのため、無駄に使われないよう、
国民は厳しく見張らないといけないわけですが、
 国家は取り立てる方は厳しく、使う方はずさん
という仕組みになっているので、
 まずは、仕組みを作る必要がある
わけです。

順序としては、
 国家機能の縮小化(地方分権)→ブラックボックスをなくす
 仕事の見直しと効率化(随意契約の廃止、民間への事務の委託)→規模が小さくなれば可能
 財団法人への監査強化→公益法人の法改正で可能になる
 会計検査院の人員と権限の強化→憲法が認めた崇高な組織が、その理念を果たすす。
 罰則規定の整備→無駄遣いに対する委縮効果

マルサが、徴税を厳格に調査するのと同様、
会計検査官が、使い方を厳格に調査するわけです。
これは支出の削減を意味します。

これのより、国民の信頼が回復した後に
増税政策を取り、プライマリーバランスの健全化に勤めると同時に、
収入を増やすプロジェクトを行っていきます。

バケツの穴をふさいだ後に水を注ぐわけです。

収入を増やすためには、国民の知的成長と
国家が、国民が仕事を創出できるような状況を整備する必要があります。
ここには、不作為(何もしない。規制を撤廃する。)がもっともよい場合もあります。


国民は、国家という規模で見たとき、チームです。
それぞれの役割を果たして、
 他の国とのゲームを楽しむ。

安くて大量の人口をもつ中国とどのように、経済ゲームを行うか。
軍事力とIT技術と資本を持つアメリカと、どうやりあうか。
絶妙のチームワークを武器に主導権を握ろうとする、EUとの駆け引きは?

これらの好敵手と互角に渡り合うために、
 人口1億2000万人の急激に高齢化している国家は、どのような戦略を立てればよいか。
これを、国民全体で考えていくことになるわけです。

もちろん、ここでも、
 他の国から富を奪うのではなく、
 ともに成長していくような関係の構築
が必要となってきます。

視野を広げれば、今度は、他の国ともチームになっています。
これは、
 セントラルリーグ、オールスター、ワールドベースボール
とライバルが味方になっていくのと同じです。

地球規模のチームです。

 新型インフルエンザ、エイズ、疫病
 二酸化炭素、オゾン層の破壊、環境問題、野焼農業の問題、水面上昇、
 人口増加、食糧不足、水不足
 貧困
 戦争、民族対立、宗教対立、テロ、
 核兵器・・・

危機が目前に迫ってきて、
ようやく、ケネディーの就任演説が理解できるようになってきました。
(東西冷戦時、世界規模の問題に対し、共産主義の各国とも手を結ぶことを示す。)

自国の勝利だけを目的に突き進むと、
自国のみが一時的に栄えても、
結果として、自国の衰退を招くというジレンマに陥ると思います。
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目指すべき国家像。

2009年08月26日 | 国家論
よい会社は、
 従業員がいきいき働いている会社
であると思います。

そのためには、
 ミッション
がしっかりしている必要があります。

自分が、
 お客さんの役に立っている、
 感謝されている、
 社会的意義がある仕事をしている、
と思えることが、会社をいきいきとさせます。

反対に、
 主体的に行動できない、
 変な慣習があり、無駄が多い
 無能な上司が仕事に口出しして、これでは絶対失敗すると思っていたら、失敗して、さらに責任をなすりつけられる
 意見が自由に言えない、
 社会的にみて、なんか無用な気がする
こんな会社の従業員は、ストレスが大きく、会社もいきいきしてきません。

大企業病にかかると、そういうケースが多くなります。
官僚組織もそうで、国を良くするぞと意気込んだ若手が
 年数を重ねるごとに現実の壁にぶつかり
輝きを失っていきます。

風通しを良くするには、組織を小さくシンプルにすることです。

小さい組織であれば、比較的言いたいことが言えます。
上司も、部下の声に耳を聴けるようになります。

部下が多く、肩書きが大きいと、なかなか部下の声が聞けなくなります。
自分が無能であると思われては困るというプライドが邪魔をするからです。
 アイデアを出されたときに、新人に何が分かる
と思ってしまえば、その病気にかかりつつあります。


これを国家論に応用すると、
良い国というのは、
 国民がいきいきと生活している国
ということになります。

 誰かの役に立っている、
 感謝されている、
 社会的意義がある仕事をしている。
すべての国民が、このように思える国があれば、その国が理想的な国家です。

そういう国家であれば、会社の売上が上がるのと同様、
 生産性と幸福度
が上がっていきます。

 生きるのが楽しい。
だれでも、そういう瞬間があります。

おそらく、高校野球では、
 3時間くらいのゲームのために3年間つらい練習をしている
はずです。
暑い中なんで、そんなに練習できるのかと部活をしていない人が思っても、
当の本人は、それに見合った「楽しい瞬間」があるので、頑張れるわけです。

資格試験もそうです。
他の人から見れば、
 なんであんなに勉強できるんだ。つらくないのか。
と思われるでしょうが、
やってる本人からすると、
 楽しい瞬間
が結構あります。
模擬試験でよい評価が得られたときや
苦労の末、合格した場合には、言葉にできない感動があります。
それを知っているから、頑張れるわけです。

つまり、つらいことがあるから、
 生きるのがつまらない
というのは、間違っています。

つらいことがある上に、
 それに見合った「楽しい瞬間」が訪れることが、全くイメージできない
から
 生きるのがつまらない
わけです。

現在の社会問題の多くはここから来ています。

なぜ、イメージできなくなっているのか。
それは、閉塞的な社会が原因だと思います。

さまざまな人が、
 さまざまな能力を生かし、
  さまざまな仕事を懸命に頑張り
   それに見合った報酬が得られ
    生きることに不安を感じないで一生を過ごせる

そういう構造が壊れてしまっているからです。

 農業では食っていけない。
 漁業では食っていけない。
 建設では食っていけない。
 高卒では就職できない。
 女性の再就職はできない。
 スキルがなければ中途は厳しい。
 ・・・・・・

他方で、こんな世の中でも
生活を楽しんでいる人もいます。
 スキルを身につけ、仕事をこなして、報酬を得ている人
です。
別に、何億と稼ぐわけではないけれど、
 生活に困らない程度は稼いで
 浪費はしないけど、時には贅沢したり、趣味を楽しみながら
 バランスを取って暮らしている。
そんな人です。

選択と集中がうまい人です。
お金を貯めて趣味に使える。

目指すべきクールな人生というのは、そういう人生だと思います。
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