知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

新たな時代の到来。

2010年05月30日 | 自分の未来を組み立てる。
格差の固定化。


この可能性がとても高いと思いますが、
 一点の希望は、ITの力
です。

弱者が強者に戦う場合、
 ランチェスター戦略
が有効であるといわれています。

その中で、1対1に持ち込むものがあります。


大企業と個人事業主が同じ度量で戦っても、
 人の数、財力、販売店舗網・・・
あらゆるもので負けてしまいます。

ただ、一人しか通れない狭い路地に誘い込んで、
 一人が来たら、一人を倒して、
 また一人が来たら、そいつを倒して・・
と順番に倒していくと、勝つ可能性が出てきます。


ITは、弱者がこの戦略を使えるようにするためのツールです。

だからこそ、希望となります。

HPは、一人でも作れる。
ネット広告もテレビCMと異なり、費用はわずか。
販売店舗網もHPで十分。
コンテンツも安い費用で作れる。

大企業が作り上げたサービスも
 大したことないな
というものがあると思います。

そこには、付け入る隙がある。

これでうまくやれば、格差を是正できるというわけです。


そして、これを可能にするのが、
 知的スキル
です。

ITは、手足の部分。
それを動かす頭脳が知力。

今までは、知力(ソフト)があっても、物理的環境(ハード)がなかったので戦えなかった人が、
これからは、戦うことができる。

IPADもそのツールとなるはずです。
マックでアプリを作っている会社員もいる。
 大手会社が開発したアプリよりも、売れるアプリができる可能性がある。

そのうちに、大手出版社ではなくても、
電子書籍でベストセラーを出せるようになる時代が来る。

大手プロダクションに入っていなくても、
ヒット曲を出せるようになる時代が来る。

格差が当たり前の社会になっても、
 知的に成長し続けていれば、格差を乗り越えられる。


格差が生じること自体は仕方がないことです。
それが、固定化しなければ、
 みんなが努力をして、豊かになれる。

そういう努力が効果を発揮する時代になれば、
 それはそれで、フェアな社会
ということになるはずです。


ある人は、
 努力できる才能があること自体、不平等だ
 だから、平等に分配せよ
とか、
 努力できる環境にあったから、豊かになれたんだ
 だから、平等に分配せよ
と言ってくるかもしれません。

そのため、
 努力できる環境を、累進課税をもとに整備し、
 機会の平等が保てるようにする。

その後、結果の平等までは、無視する。

子ども手当のようなみんなに給付するものや、
財団法人何とか協会への補助金などは、すべて廃止する。

ある人が、言ってきたら、
 あなたも努力すれば、今からでも豊かになれますよ。
と切り返す。


おそらく、財政破綻すると、小さな政府に移行せざるを得ないと思います。
大きな政府のままであると、税金が異常に高くなるからです。

 若者弁護士や、今後生まれてくる弁護士のビジネス志向の高まり
について、詳しく書きましたが、
このことは、
 日本の社会の変化を考える上でとても大切です。



お金がなくなれば、お金を削らなくてはならない。
お金を削れば、お金を削られた方に変化が起こる。

その結果、
 お金至上主義の流れが進む。

従業員の給与を削れば、
 従業員は、FX、投資、副業など、お金儲けの本を買いまくる。
給与が十分であった時代には、そんなことを考えていなかった人が、
 危機感を持ってお金儲けを考える。

医師も弁護士も同じ。

救急車のたらいまわし、儲からない産婦人科の廃止、
費用対効果の悪い事件のお断り、人権擁護活動、ボランティアに参加する弁護士の数の減少。


ただ、これは、受け入れざるを得ない。

考えようで、こういった社会でも、うまく立ち回れば、
 幸せに生きる
ことができると思います。

ルールが変わったのであれば、ルールに合わせて、
 自分が勝てるように変化すればよいだけです。

学歴だけで就職できなくなったのであれば、
 学歴以外で何が必要かを考え、それを獲得して、他の人に差をつける。

資格だけで食べていけなくなったのであれば、
 資格以外で何が必要かを考え、それを獲得して、他の人に差をつける。

商品が売れなくなったのであれば、
 どうしたら売れるようになるかを考え、それを獲得して、他の店に差をつける。

これは、ロールプレーイングゲームと同じです。

すべて共通。

 「どうしたら・・・を考え」
という部分が、
 知的成長の部分。

そのために、戦略を練っていけば、
 どんなに他の人が苦しんでいても、対岸の火事と見ることができるようになるはずです。

ちょっと冷たい言い方かもしれませんが、
 ダーウィンの種の起源を読むと、この辺りの原則がよく分かります。

 環境に適応したものが生き残り、
 環境に適応できなかったものは死に絶える。


もちろん、人には人権があり、生存権として
 最低限度の生活ができるように保障されています。

これが、人権の保障という国の存在意義です。


ただ、その力も、弁護士のビジネス志向、官僚のビジネス志向、国会議員のビジネス志向・などによって、弱まっていくはずです。

そうであれば、それがおかしいという人が、NPOを作って、
 自分が理想とする社会の実現のために、自分で立ち上がる。

この辺のところは、社会的企業の考えに通じてきます。

すべての国が経営能力に優れていたら、社会的企業は必要なくなります。
国が十分にできないから、社会的企業の存在意義は大きくなる。
 アフリカの諸国に給食を送る活動。
 アフリカの諸国が十分にできないから必要となる。

今後は、日本国内でも、いろいろなことが、十分にできなくなるはずです。
そうであれば、
 それを守りたいという思いの強い人が中心になって、それを守るための活動をする。

公営のスケートリンクが廃止されるというのであれば、
 どうすれば、存続できるかのスキームを考え、残したいという人が行動を起こす。

国に働きかけるデモ活動ではなく、
 自分たちのコントロールできる領域で解決できる行動
を考える。


これからは、
 国を頼りにできない反面、
 個人がITの力を駆使して、多くのことができるような社会
になります。

これは、他人任せの人が力を失い、自助努力の人が力を得るということです。

見方を変えれば、
 とてもアグレッシブで、楽しい社会になるかもしれない。

僕は、自分の努力次第で、未来を明るくできると思っています。

常に強い人が社会を牛耳る閉塞感いっぱいの社会よりも、
 知力とITによって、何も持たない人が成り上がっていける社会
の方が、楽しい社会だと思います。

だから、悲観する必要なんて全くないと思います。
日曜日の朝早くから、本を読んだり勉強をしたりするのも、そのための準備です。
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理想の国家を考えながら、現実的に行動する(国家論まとめ)。

2010年05月04日 | 国家論
国家は概念にすぎない。
そのため、最終的には、構成員である国民にかかっている。

企業が、最終的には、そこで働く従業員にかかっているのと同じ。

リーダーは、その構成員の能力を引き出してまとめるだけしかできない。

そのため、
 国民一人一人が理想国家を思い描く
ということは、とても大切なことだと思います。

 こんな国だったらいいのにな。
 こんな国だったら、幸せになれるのにな。


次に、そのために、自分でできることをしてみる。

ちょっとしたことでもよいと思います。
 選挙に行くとか、政治学を勉強するとか、憲法を学ぶとか。

 だれかにちょっと親切にするとか。


*****
ここまでは、多くの人が語ることなので、新鮮味はないはず。

ここからが私見。

大切なのは、理想を語る熱い心と、現実を見据えるクールな目と、うまく生きるクレバーな頭。

理想だけを語る心だけでは、何も手に入れられないし、
現実のみを見据えるクールな目だけでは、心が病んでくる。

理想と現実のバランスが大切だと思います。


国家がどうなるかについては、
 個人ではコントロールできない
ことです。

自分一人が選挙に行くなど小さな努力をしても、
国家はすぐには変わらない。


そこで、原則に戻る。
なぜ生きているのか。
 幸せになるため。

国家は、国民が幸せになるための手段にすぎない。

そうであれば、
 自分が幸せになる方法を探して、命がけで頑張ればよい。

国家のために、命をかける必要はなくとも、
 自分の幸せのためには、命をかけるべきです。

そんな意気込みで、努力する。

幸せに生きている人と接すると、
 みんなある時期、あるいは今でも、すごく努力をしている
ということに気づかされると思います。

多分、楽しんで努力している。

不満ばかり言っている人と接すると、
 こいつは甘いな
ということに気づかされると思います。
 それで、おまえはどうするんだ。
とか。

もちろん、そんなことを思っても、僕は言いませんが、
 多分、このまま不満ばかり言って、一生を終えるんだろうな
と考えたり。
(仮に教えてあげればその人のためになることでも、黙っておいた方がよいことが世の中にはいっぱいあります。どんなにアドバイスも、それが生かされない場合、悪口ととらえられて、恨みを持たれてしまいます。そういう場合、言わないことが賢明です。)


メディアや評論家、デモに参加する人々は、みんなこんな感じです。

どこか他人事みたいで、
 国にはすぐに対応してもらいたいですね。
 では、次のニュースです。・・・

 国は・・・をせよ~!!
 ・・・をせよ~!!

 会社は給与を上げろ~!!
 給与を上げろ~!!

具体的に、・・・をするために、国は何をしたらよいのか?
 そんなことは、知らない。国が決めろ。

仮に
 ・・・をすればよい。
とプランがあっても、
 そのための財源はどうすればよいか?
  そんなことは、知らない。国が何とかしろ。

 協力金として、利用者から負担を求めてもよいか?
  それは困る。自分は負担したくない。

こんな感じで、解決策までは、用意できない。


給与を上げると、再来年度は、赤字になる。
赤字を食い止めるために、100名リストラしてもよいか?
 それは困る。リストラはしてはいけない。
では、どうやって、資金を確保すればよいか。
 そんなことは、知らない。会社が何とかしろ。



例えば、障害者の支援団体などは、そういった評論家の無責任な発言を聞いたら、
 ボランティアで資金集めの講演を申し込む
とよいと思います。

 あなたも私たちと同じ熱い思いをお持ちだということが、前回の放送でよく分かりました。
 つきましては、お時間がよろしいときに、資金を集めるための講演会を開くので、
 スペシャルゲストとしてご出席をお願いしたいのですが・・・
 もちろん、出演料はお支払いできませんので、温かいコメントをしてくださった先生のご厚意でお願いしたいのですが・・・
 
よほどの人格者でない限り、スケジュールの都合が悪いとか言って断ってくるはずです。

コメンテーターのコメントは、
 あくまでも、テレビ向けのもの
で、
 その人が本心で何とかしたいと思っているわけではない
からです。

だからこそ、
 他人に頼らず、自分で何とかする方法を探す
必要があるわけです。


所詮みんな他人ごとなわけです。
それが、現実です。
自分のことで手がいっぱいなわけです。


そのため、不平や不満を言っていても何も解決しない。


国が悪い、政府が悪い、親が悪い、同僚が悪い、妻が悪い、子供が悪い、時代が悪い、環境が悪い・・・・


国家論は、国が悪い。理想はこうなのに。←熱い思い。
でも、コントロールできないから受け入れざるを得ない。←クールな目

では、僕は何ができるのか?←コントロールできることで現状を打開する方法の発見。知の力

知的成長戦略。←解決方法

あとは、実行。


政治家も、親も、教師も、上司も、
 耳触りのよい無難なことしか言わない
と思います。

 変に嫌われたりしないように。

でも、現実は、思っているよりもずっと、
 過酷で、汚く、不平等
です。
 
理想国家を語りながらも、
そんな現実もしっかり認識しておくべきです。

国家論を書いてきた目的は、
 国家に頼ろうだなんて意味ないよ
ということを自覚するため。

コントロールできないことに集中しても効果はないよ。

 雨乞いの儀式をするよりも、
 数キロ離れた川から水路を引いてきた方が、得だよ
ということ。

 コントロールできることに集中する。
コントロールできることに集中すれば、
過酷な現実を
 やさしくて、美しく、感動的
なものに変えることができる。

正確にいうと、
 そういう面を感じることができる余裕が生まれる。

水路が完成し、水が流れる喜びは、
 それまでの過程が過酷なほど大きなものとなる
はずです。


自分の人生は、自分でコントロールする。
幸せな人生は、自分の手でつかみ取る。

今後、このままいけば、権利意識が異常に高く自分では何もしない性格の悪い国民と、
そういった国民をたくさん生みだすメディアと
そういった国民に耳触りのよいことだけを言う政治家がたくさん増殖してくると思います。

そして、将来の国民のつけで、自分たちの現在の生活を維持しようとする。

その結果、だれもお金を貸さなくなり、
格付けが一気に下がり、国債の金利が上がる。

国家はIMFに助けを求める。
IMFはギリシア規模なら何とか救済できても、
 日本規模の破綻は救済できない。

たくさんのドルをもっている日本の破たんは、世界経済の混乱を生み出す。

そうなっても、それを受け止めて、
 最低限の生活費を稼ぎだせるだけのスキル
を身につけておけば大丈夫です。

そのときに、知力が役に立つ。
(ここでいう知力は、学校で学ぶ知識ではなく、経験を通して学ぶ知恵のことです。
例えば、今は、土木作業員で掃除や鉄骨を運ぶことしかできなくても、
知的成長戦略を練って、
現場監督のスキルをノートにまとめておき、数年後にそのポジションを目指すとか、
フォークリフトなどの資格を取るために休日を利用してコツコツ勉強するとか、
短気を直して苦手なコミュニケーション能力を磨くとか、
そういった総合的な世渡りのスキルを身につけていくようなものも知力です。)


国家と運命を共にする必要はない。
国家が崩壊しても、
 個人が幸せに生きる方法はきっとあるはずです。

将来に危機感を持っていても
 今がんばっているんだから大丈夫だ
と人生を楽しむ。


スポーツ選手は、
 危機感がないとよい結果がでない
そうです。

危機感があるから努力する。
努力するからよい成績が出せる。
よい成績が出せるから、人生を楽しめる。

これは、個人でも同じだと思います。


*****
とりあえず、国家論もこれで一区切りです。
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憲法記念日に考える。バランスについて。

2010年05月03日 | 国家論
知的成長戦略の根本は、
 MIND(意思)
にあります。

 思考が現実化する
というのが、自己啓発の基本です。

行動を変えるには、思考を変えることが大事。

国家で言うと、
 思考の部分が憲法
になります。

憲法を学ばない国会議員は、
 骨がない
ので、
 国会議員として軽い感じがする
と思います。

小泉ジュニアなどの発言が、
 なんとなく薄っぺらく感じる
のは、
 今まで、あまり勉強してこなかった
ということが透けて見えるからだと思います。
 本人は、これから勉強する
というようなことを語っていましたが、
 数千万円のお金を託される以上、なる前にも学んでおく
必要があると思います。


今日は、憲法記念日だったわけですが、
 多くの国民は憲法とはかかわりなく生きている
と思います。

国会議員ですら、憲法を知らないので、国民に求めるのは酷というものです。

ただ、
MINDがないと、行動が場当たり的になり、
 成長しにくい
のと同じように、
憲法(国の基本法)に対する意識が薄いと、政策が場当たり的になり、
 成長しにくい
と思います。


 どんな国家を目指すのか
 何を幸せと考えるのか
主権者である国民が、国家をコントロールするために制定したのが憲法です。

現時点では、徴兵制度は、違憲となる。
(憲法9条。違憲とならないという見解もある。)
子供手当も、額が大きくなれば、違憲となる可能性がある。
(極めて高額になれば、著しく不合理ということになり、14条の平等権侵害となる可能性がある。また、13条の自己決定権にも関係する可能性がある。)

25条の生存権では、仕事を探そうともせず、働けるのに、働かない人に生活保護を与えなくても違憲ではない。


憲法については、いろいろな議論があり、右翼的思想の人と左翼的思想の人がそれぞれ熱く語っています。

しかし、一般の国民が憲法を学んで、
 自分の考えをもつ
ことの方が大切だと思います。

そうしないと、右翼的思想の人や左翼的思想の人にそそのかされて、知らないうちに、
 戦争に巻き込まれていく
可能性があるからです。



右翼的思想の人は、竹島を武力で取り返そうと言いだすかもしれません。
自衛力を強化し、不法占拠されている状態を是正すべきだ。
韓国の見張り台を砲撃。上陸。自衛官の死者を出しながらも、取り戻す。
無事にとり返したのち、報復されないように、兵器を常備。

竹島は、歴史的なデータからは日本の領土であると国際司法裁判所で判断される確率は高いものの、
韓国の実効支配が続けば、韓国の領土となったとする判決が出されることになると思います。
民法でいう時効取得と同じ原理で、永続した事実状態の尊重がものをいうことになります。

右翼的思想の人は、海外でそのような判決が出たことを学んで知っているので、危機感を持っているわけです。


左翼的思想の人は、沖縄の基地はすべて返還してもらおうと言い出すかもしれません。
自衛隊にも反対なので、自衛隊は縮小し、軍事費削減を主張するもしれません。

平和外交で対話で解決というきれいな理想を掲げます。

尖閣諸島を中国に占領され、日本の排他的水域で中国、韓国の漁船が操業を始めます。
平和外交と言って、外交交渉に臨みますが、相手にされません。
違法な漁を食い止める術もありません。

北朝鮮が、日本海に向けてミサイル実験を実施。
平和外交と言って、交渉を促しますが、相手にされません。

中国の潜水艦が、日本海に侵入し、海洋資源の有無を調査。
平和外交と言って、外交交渉に臨みますが、相手にされません。

資源の存在を見つけた中国が掘削のための海上施設を建設。
平和外交と言って、施設の撤去を叫びますが、相手にされません。

外交において、
 強制力を持たない言葉は無力です。

罰則がない刑法があっても、
 無力なのと同じです。

 窃盗を行った者とは、窃盗を行わないよう交渉し、返還を求める。
という刑法では、意味がないわけです。

 他人の財物を窃取したものは、窃盗の罪とし、10年以下の懲役・・・に処する。
として、
 本人が何と言おうが、逮捕して、事実を調べ、証拠を見つけ、証明できた場合には、
 10年以下の懲役にするという強制力を持って初めて、
 人のものを取らないようにしよう
と思わせることができるわけです。

国が弱くて、逮捕することもできないような存在なら、
もっと窃盗が増えるはずです。

人は、楽したいという思いにより、間違いを犯すからです。


国も同じで、
 強制力を持たない国は、隣国と領土問題が起こり、実効支配される危険がある
わけです。

今は、強制力を自衛隊のほかに、アメリカ軍に求めています。

今後の安全保障をどうするかが
 基地問題の根底にある
わけです。

それが、9条とのかかわりです。

9条では、戦力は持たないことになっているので、
 自衛隊は、自衛力という戦力とは別のものだ
という法律家にしか説得力を持たないレトリックを使っています。

戦力は、戦う力なので、
 自衛のために戦う力か、
 侵略のために戦う力か、
は問わないというのが、一般の感覚だと思います。

目的によって、戦力の定義が変わるのは、理解されにくい。

そうであれば、
 戦力の定義の条文、
もしくは、
 自衛のために用いる戦力は除くという条文
が必要であると思います。


いずれにせよ、右翼的思想も左翼的思想も極端で、どちらも危険であると思われます。

だからこそ、憲法を学んで、
 自分の思想や考え方をもつ
必要があるわけです。

何度も言いますが、
 自分が幸せに生きることが一番大切です。

国のために死ぬことなど馬鹿げているし、
国のために人を殺すことも馬鹿げています。

国のために徴兵されるのも御免です。
国のために大事な時間をくれてやる必要はないと思います。

それでも、国を愛していますし、高額な税金をきちんと払っています。
それでも、素晴らしい自然とあまり自己主張しない国民性も大好きです。
日本のために、自分に何ができるかも考えていますし、
社会のために、自分ができるボランティアや寄付なども続けています。


個人的には、
 自分の価値観に従って、自分にできる範囲のことをすればよい
と思います。


憲法記念日に憲法のことを少し考えることも、
 国のために自分ができることを考える
ことにつながります。

それによって、自分の人生についても考えるきっかけになり、
 自己
が築かれ、
 自己実現のきっかけになる
と思います。

何も考えることなく、何も疑問に思うことなく、メディアの報道を見て納得して、
メディアが意図する世論を形成させられてしまって、
 自分の意志とは関係なく物事が決まって、従わなくてはならなくなっている
ことほど、つらいことはありません。

戦時中を体験した人の話を聞くと
 戦争はもう嫌だ
とみんな言います。

 日本国民は、第二次世界大戦から、流されて戦争をするリスクを学んでいる
はずなので、
 そうならないように、武力行使をしたがる右翼的思想と理想ばかり語る左翼的思想をチェックする知恵をもつ
必要があると思います。


 中庸(バランス)の精神がここでも大切である
ということです。

*****
興味がある人のために、昔に書いた法学入門をアップしておきます。
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国民の退廃~政治記者の芸能記者化

2010年05月03日 | 国家論
鳩山首相は確かにどうかと思うこともありますが、
それでも、
 国民が選んだ国会議員によって選ばれた首相
です。

国民の信任を受けている。

その人に対し、メディアは軽く見すぎている。
良い点を評価せず、悪い点を指摘し続ける。

子供を育てるときに、悪い点ばかり指摘すると、
委縮してしまい、行動力のない子供が育つ。

自分がサークルなどのリーダーに選ばれたとして、
 他のメンバーに悪い点ばかりつつかれまくったら、やりにくくて仕方がない
と思います。

メンバーは、リーダーの話を聞き、
意見があれば言えばよいわけですが、
代替案を示すなど、
協力すべきところは協力すべきです。

メンバーが文句ばかり言って、何もしないようでは、
チームは成り立たない。

人ごとのように考えずに、
 メンバーが自分はチームのために何ができるのか
を考えることで、
 チーム全体がうまくいく
ことになります。

メディアは、視聴率が取れればよいので、
 国民受けするような批判ばかりして、
 政策をつぶして喜んでいる。

小沢議員や鳩山首相が辞任会見を開けば、
 視聴率が取れるぞ
 新聞がたくさん売れるぞ
とうれしくてたまらないわけです。

これは、自民党時代からも同じ。
首相があんなにころころ変わったのは、メディアの弊害が大きい。

その後に言うセリフも面白い。

 こんな短命政権ではいけませんね。


表現の自由だから、何を言ってもよい?

総合的、多面的な意見を報道し、国民に多様な情報を提供し、
 国民が政治的な意思をもてるようにする
ことが、 
 報道の自由
を支えています。

一面からの報道では、洗脳と変わらない。
そこに、視聴率や部数向上といった私欲が絡めば、
 もはや表現の自由を語る資格はなくなる。

広告表現の自由は、営利目的で行われるので、
 強い規制が可能である
とされています。

たばこの広告、通販の広告などで、
 広告という表現を、消費者が犠牲にならないように制限している
わけです。

メディアが視聴率や部数にばかり、目を向けていたら、
 営利目的での広告表現
とそれほど変わらなくなります。

放送法では、番組構成をある程度規制していますが、
 視聴率重視の番組制作が続いていく
と、
 番組の編成が偏っているぞ、なんとかしろ
という
 国民の強い世論
のもと、
 メディアに対する規制が高まっていく
可能性があります。

こうなると、
 今度は、権力がメディアを利用する
ようになり、
 表現の自由の危機
が生まれるかもしれません。


ただ、そんな報道メディアの退廃傾向を受け、
 インターネットに人が流れていっている
ので、そのころには、メディア規制をするまでの必要性はなくなるかもしれません。

テレビ、新聞メディア自体の影響力がそれほどなくなっているからです。


インターネットのニュースであれば、
 いろいろな情報提供先から、情報を多面的に入手する
ことができるし、
 テレビのように素人コメンテーターの余計なコメントがついてこないので、
 情報を効率的に入手することができる
からです。


現在のテレビや新聞のメディアは、
 政治記者が芸能記者化しています。

そして、
 政治家が芸能人化しています。

全体的に、軽い。

芸能人の離婚の経緯の取材と同じように、
新党立ち上げの経緯の取材を行っている。

取材対象を見ずに、記者のみを見た場合、
 政治部記者なのか、芸能リポーターなのか
よく分からない。

一昔前の政治部記者は、
 今よりもプライドをもっていた
ように思われます。

今の記者よりも、
 大学で、きちんと政治経済や法律を勉強して、自分の理想国家像をもち、
 政治家が発する言葉の裏の意図まで考え、
 自分の足で、いろいろな方面から複合的に取材し、
 しっかりした記事を書いていた。
 
今の記者は、情報をくれる人にくっついて、そのまま報道している。
おそらく、
 アダムスミス、マルクスを読んだことも、
 マックスウェーバーを読んだことも、
 芦部憲法(佐藤憲法でもよいですが)を読んだこともない人
が多いはず。

なりたての記者だと、衆議院と参議院の区別や二院制のメリット(個人的にはいらないと思いますが)、選挙制度の違いなどの説明ができないかもしれない。

ベテラン記者から、
 ●●議員に張り付いて、情報を取ってこい
とだけ言われて、ICレコーダーを抱えて、そこにいるのかもしれない。
 ICレコーダーを、机の一番いいところに置いたぞ。
 今日は、いい仕事したなぁ。


社会が複雑化して忙しすぎて、
取材を丁寧にやれないという面もあるかもしれないですが、
それでは、素人と大して変わらない。

政治部記者の書いた記事が、国民が世論を形成し、選挙での投票行動に出る。
そのため、政治部記者も政治家と同じように、国家を支える貴重な仕事を担っている。

だからこそ、取材源の秘匿や報道の自由が認めらている。

にもかかわらず、視聴率や発行部数に思考がシフトし、
 質が高いけど視聴率が取れない報道番組
は無価値なものとされてしまっている。

 世の中、金だという拝金主義を批判するメディア
こそ、
 拝金主義におぼれている
ことに気が付いていない。

そして、フリーの思考が強いインターネットに
 広告収入を奪われる
という皮肉な結果を招いている。

そうなると、
 一層、何とか売り上げを上げろ。視聴率を取れ。
という動きが強まる。
番組制作費が削られ、取材費用も経費で落ちにくくなる。


最も簡単で支持を集める記事は、
 お客さんが喜びそうな内容を書く
ことです。
 顧客満足。

仕分け作業でも分かるように、
 お客さんである視聴者・読者(国民)は、悪人を懲罰するドラマが大好き。

そのため、
 悪人を作り出す。
 悪人を叩きのめす。

この作業に入ります。
 犯罪が起これば、逮捕者を犯罪者とみなし、
 悪行の様子、性格の異常性を事細かに報道する。←悪者を作り出す作業。
 逮捕されてざまぁ見ろ的な雰囲気を醸し出す。←悪者を叩きのめす作業。

 与党政治家がどんなに無能であるか、悪いことをしているのかを報道する。←悪者を作り出す作業
 秘書の逮捕、支持率低下、別の与党幹部の発言などを載せ、没落していく雰囲気を醸し出す。←悪者を叩きのめす作業。

 芸能人の豪遊ぶりを報道する。←悪者を作り出す作業。
 芸能人の没落ぶりを報道する。←悪者を叩きのめす作業。
 
 他人の不幸は、蜜の味。

 これで、数字は取れる。

いろいろなところで、視聴率を上げたり、部数を上げたりするために、
このような作業が行われていると思います。


賢い人たちは、そのことをよく知っているので、
 あまり、テレビや新聞の報道をうのみにしていない
と思います。

そして、一部の人たちは、
 ネットを通じて、いろいろなところから、自分で情報を入手する
ようになっていっている(ロイター、共同通信、海外メディア・・・)。

その情報を利用して、
 自分の能力を開発し、知的に成長し、お金を稼いでいる
わけです。

国内の報道メディアに対しては、
 「勝手にやっておいて」といわんばかりに。
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漂流する国家。

2010年05月01日 | 国家論
メディアは、
 政治家が無能だ。官僚が無能だ。
と叫ぶ。

仮に、みんなの党の代表の渡辺氏が総理になっても、舛添氏が総理になっても、
 結果は大して変わらない
と思います。

これは、福田総理、麻生総理、谷垣総理・・
 みんな同じように滅んでいった。

彼らが無能だというよりは、
 国家にシステム障害が起こっているからです。

いくら、CPUを入れ替えても、うまく起動しないはず。
それは、政権が代わっても同じ。

今必要なのは、時間をかけて、システム障害が起こっている個所を特定し、
一つ一つ取り除いていく作業です。

ただ、国民は待てない。

そのため、夏の参議院選挙では民主党が大敗し、
参議院でねじれが生じる確率が高い。

それによって、システム障害を是正する作業もできなくなる。
仕分け作業もとん挫する。



民主党は、まずは自民党でできなかった仕分けだけでもをきっちりとやる。
(システム障害の一つ)

子供手当は愚策だと思いますし、基地問題ももっと戦略的にうまくできると思いますが、
始めたばかりで混乱していたのだろうし、そう簡単に与党のスキルが身につくわけでもない。
政策実現のためには、参議院で勝つためにある程度のばらまきを考えたとしても仕方がないと思います。
(ばらまきで勝てるかどうかは別として。)

長期的視点で見た場合には、ここで、衆参のねじれが生じると、
 いろいろなことがストップする
はずです。

ストップしたり、戻ってしまうと、
 何のために、莫大な時間とお金をつぎ込んで、
 国家公務員や官僚に報酬を払ってここまできたか
が分からなくなってしまいます。


国民が株主だと考えてみるとよくわかると思います。

新規事業をやると言って、莫大なお金をつぎ込んだ。
しかし、経営者が変わってやめることになった。
また、経営者が変わって、別のことをやると言いだし、莫大なお金をつぎ込んだ。
しかし、経営者が変わってやめることになった。

新規事業が利益を生む前に、やめてしまえば、
 すべては損失となる。

効果がない新規事業は、計画の段階でやめるべきだし、
効果がある新規事業は、何が何でもやって、お金を生み出さないといけない。

郵政民営化も何のために、
 莫大な時間をお金とエネルギー(感情対立)
を使ったのかよく分からなくなっています。

その無駄は、すべて国の負担となっている。


 経営が安定せず、無駄なことばかりに時間とお金とエネルギーを使う。
破産する会社の特徴です。

現在、国家が方向性を見いだせないまま、
 戦略を持てないまま漂流を続けている。

ただ、その原因は、
 国民やメディアにもある
といえます。
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国民が国家の質を決める。

2010年05月01日 | 国家論
僕の考える理想国家は、こんな感じです。

国家体制
 自由主義が原則。
 国家は小さいほうがよい。
 国家は、司法、軍事、財政など国家しかできない事業のみを行う。

 原則として、国民に干渉しない。
 例外的に、最低限度の生活ができない場合には、保護を与える。
 国家しかできない全国的なプロジェクトの立案、実行する。
  地方公務員は、実動部隊が主となる。政策立案部隊は少数精鋭で、議員や知事(市長)を補佐する。
  国家公務員は、少数精鋭のスペシャリスト。あくまでも、頭脳。
  地方に仕事をまかせる場合には、細かい点のアドバイサー的存在。

地方自治(行政 主として地方公共団体が運営) 
 地方が行政の中心となって、市民レベルで行政を行う。
 組織や仕事内容が身近な分、チェックがしやすくなる。
 毎年、議会と住民とが行政の仕分け作業をすることにより、税の無駄遣いがないか、効率よくできないか、
 バリューエンジニアリングを徹底的に行う。

国民
 自助努力により、貧しいものも知的に成長することで豊かになれる。
 そのために、機会の平等が保障されている(結果の平等は保障されていない)。
 無料で、質の高い教育が受けられる。
 出生、性別などにより、差別を受けず、誰でも機会が与えられる。
 
 国民は、勤勉であり、みんなで富を享受する。
 国民は、自立した人格をもつ。
 自分のことを大切にするのと同様、他人のことも大切にする。

 ゼロサムルールではなく、WINWINの関係を築き、
 みんなが豊かになる方法を模索して実行する。

 広めの家に住み、おいしい食べ物を食べ、好きな洋服を着る。
 趣味を楽しみ、知性を磨き、他人には寛容であり、弱者には自らの富を分け与える。

 社会的弱者も、一時的には弱者であっても、自らの努力によって、時間をかけて富者になる。
 富者になったら、他の弱者に富を与えることで、受けた恩を返す。

 →富の流動化。


チームワーク
 知的に成熟し、他者に寛容で、勤勉な国民と、
 知的な研究を行い、分かりやすく発表する学者と、
 それを利用して政策を実現する知的レベルの高い議員と官僚と、
 お金に換える経営者が存在する。
 
 常に創意工夫がなされ、
 みんながよりよく生きるために、
 新たな商品やサービスを生み出す。

 それによって、職が創出される。

 それにより、生活保護受給者は物理的に働くことができない人に限定される。
 みんながお金を稼ぐことができるため、みんなが税を納める。

 みんなが納めることによって、税は限りなく安くなる。

 みんなが公共の施設を利用し、みんなが便利さを享受する。

知的成長
 みんなが効率よく働くことにより、余暇を楽しむことができるようになる。
 みんなが余暇を利用して、やりたい趣味を楽しめるようになる。
 みんなが趣味を楽しみ、お金が循環するため、
 趣味をビジネスにしても、やっていけるようになる。
 そのため、スモールビジネスが町中にでき、みんなが支えあって生きていく。
 (ピアノ教室、オーボエ教室、ピッコロ教室、・・
  パソコン教室、ウェブデザイン教室、ホームページ作成教室・・
  英会話教室、ハングル語教室、中国語教室・・・
  絵画教室、油絵教室、水彩画教室、デッサン教室・・・
  ダンススクール、ネイル教室、手芸教室、料理教室・・・
  そろばん教室、学習塾、話し方教室、ビジネスマナー教室・・・・)

 上手な人から学ぶことにより、楽しんで死ぬまで知的成長を続ける国民が増えていく。

*****
今の日本の最大の問題点は、
 職がない
ことです。
そして、これからどんどん職がなくなっていく。

その結果、税金を徴収できなくなり、福祉関連の支出が増えていく。 
失業率がまた上がり、生活保護受給者も急増しています。

今、がんばって残業して働いて、多額の住民税を納めている人は、そのお金で、
 働けるけど仕事がなくて生活ができない人
を支えているわけです。

だったら、
 ちょっと手伝って
と言いたくなるはず。

さらに、住民税が増えれば、馬鹿らしいからそんなに働くのやめようとなるはず。

しかし、悲しいのは、
 生活保護受給者も働きたいんだ
と切実に思っているということ。

仕事がなくて何もやることがないというのも、ある意味拷問です。
 自分は必要ないのではないか
とか
 何にも楽しいことがない
と感じるようになる。

かつて、窓際族をやめさせる手法として、仕事を与えず、
 机にずっと座らせるという手法
がとられたことがあります。

多くの人が精神的に病んでやめていくからです。


国がやるべきことは、このような場合には、
 人の幸せにつながるような仕事を作る
ということ。

このような政策は、リバタリアンも
 福祉予算削減のために必要である
あるいは、
 大きな国家を結果的に防ぐために必要である
という目的で行われるのであれば、是認せざるを得ない。


かつて、自民党政権下で無駄な施設を作ってやってきた仕事の創出を、
 もっと少ない費用で、みんなの幸福につながるような形で作り上げる。

環境ビジネスへの資本投下(グリーンニューディール政策)もそのうちのひとつ。
起業家の応援プロジェクトも同様の効果があるはず。


*****


僕が理想と考える国家であれば、
 最大多数の最大幸福が実現され、
税が安く、国家の介入が少ない分
 リバタリアンも文句を言わない。

僕は、功利主義者とリバタリアンは、決して矛盾する存在ではないと思っています。
うまくやれば、共存できる。

中庸(バランス)の思想がヒントになると思います。

そのために必要なものは、
 自助努力の精神とそれを実現するための国民全体の知的な成長。

国家は、所詮、国民によって構成される概念にすぎません。
会社が従業員や経営者によって、存在しているように、
 国家
そのものは実在していない。

概念です。

そのため、
 構成員が国家のレベルを決める
ことになります。

一部の政治家や官僚ではなく、国民全体のレベルがそのまま国家に反映される。

どんなに優秀な政治家が誕生しても、
 国民が利己主義者で、怠惰で努力を嫌う精神性しか持っていなかったら、
 その国家は崩壊するはずです。

どんなに優秀な経営者が入ってきても、
 従業員が変わらなければ
 会社は復活しない。

このことは、今後の日本航空を見ておくとよいと思います。
稲盛氏が入っても、従業員の意識が変わらないと再生は難しいはず。

オリンピック選手の脳を移植しても、
体ができていないとよい結果は残せない。

どんなに高性能なCPUに換えても、
メモリが少なければ、フリーズしてしまう。

経営者も政治家も頭脳でしかない。
実行して、良い会社や国を作るのは、
従業員であり、国民です。

国民が国家の質を決めるわけです。
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