知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

煩わしいことに慣れる。

2013年10月28日 | スキルアップ
 嫌だな
と思うことが多いのがこの世の中。

掃除当番、日直、学級委員。

めんどくさい。

ただ、
 そういうめんどくさいことに慣れる
と、
 のちのち役に立つ。


理由は、
 めんどくさいことに慣れる=スキルアップにつながる
ためです。

どういうことかというと、
例えば、掃除。

今は、大きな国家と過保護な親のおかげで、
 学校の掃除を業者に任せる
ところが増えてきたそうです。

 ばかだな
というのが、個人的な感想。

掃除は、
 学習の一つ。

掃除により、床の履き方、磨き方、机の拭き方、タイルの磨き方を学ぶ。
協力して物事をやり遂げる、きれいになった時の達成感を実感する。
自分たちのことは自分たちでやらなければならないという自立を学ぶ。

業者に任せたら、
 掃除は業者がしてくれて当たり前!
という子供が増殖していく。

そうなると、
 駅や公園にゴミを捨てまくる
 落書きをしまくる
 掃除の大変さを知ることなく、掃除の仕方も知ることなく、汚い部屋で暮らす
ような大人が増える。

いいことなど何もない。

たいした税金を払わないくせに、
国や市がやってくれて当たり前という意識の持ち主が増殖する。

他力本願。

さらに、カネもらっているんだから、掃除はきちんとやれ!という
 クレーマーが増殖。
権利意識が強い大人が増える。

いいことなど何もない。

 自分たちが使っている教室は自分たちできれいにしないとな。
 掃除はこうやってやるんだな。
 きれいな所って気持ちがいいけど、維持していくには労力がいるんだな。
そういうことを教え込む場が掃除なわけです。

煩わしいことに慣れると、
 人が嫌がってやらないことが自然にできるようになる。

そこに、
 希少性が生まれ、スキルに繋がる。


役に立たない資格を取得するよりも、
 あたりまえだけど、他の人が煩わしいと考えやらないことを、
 自然にできるようになることの方が、
 人生では役に立つスキルである
と思います。

今の教育は、甘やかしていき、結果として使えない大人を作っていく。
その最たる例が、
 一流大学を卒業しても就職できず院に進まざるを得ない人達
です。

 そんな職場は俺に向いていない。
 俺がやりたいことではない。
 そんな二流企業には行きたくない。
 福利厚生が不十分だ。
 給料が安すぎる。
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自己責任。

2013年10月24日 | スキルアップ
大きな国家は、財政破綻を起こす。

この理由は、
 国民が過剰な福祉を要求
し、
 政治家は民主主義の名のもと、その要求を飲まざるを得ない
からです。

そうなると、
 結局は、少数派や選挙権のない者(将来の国民)の負担で、
 現在の過剰な福祉を行っていかざるを得ない。

 国債発行などが、上限を超えると、破綻につながる
というわけです。

古代ギリシア、ローマなども同じような流れで、
 力を失っていきました。

民主主義の弊害。


結局は、
 働かざる者食うべからず(自助努力)
 支払った対価に相当するサービスしか受けられない(有償性)
という原則を忘れてしまうと、
 国力はどんどん低下していく
ことになります。

明治時代に、日本が発展していったのは、
 国民が働いていた
からです。

 働いて、税金を納める。

福祉の充実は、
 行きすぎると、人々の働く意欲を奪う
ことになる。

そのため、
 ライフスタイルとして、自分で設計できるような仕組みをまずは作っておき(自助努力)、
 その仕組から漏れる人達をセーフティーネットとして救う(これが福祉)
スタイルを国家として作っていく必要があります。

これは、知的能力が高い国民ならば可能であり、
 これを教えるのが教育
です。

例えば、
 20万円稼いだら、税金を支払って10%は将来のための貯蓄に回しましょう。
 それを福利で運用していくと、老後にこれだけのお金が残ります。
 それでも不安であれば、つきづき1万円の保険をかけて行きましょう。

こういうライフプランは、ファイナンシャルプランナーが得意とするものですが、
 小学校から学ばせる
わけです。

これにより、
 お金をどのように運用していけば幸せになれるのか
というスキルを高めて行くことができる。

算数が将来のためになる。

離婚した場合、多くの女性が貧困生活に追い込まれ、児童手当がないと生活できない状況にあると知っていれば、
 家庭生活を継続させるためのスキルを学んだほうが、生活は安定する。

結婚して会社を辞めると、再就職は難しく、給料が激減するという現状も教える。

家庭科は、家庭を大切にすることで、
 自分の幸せにつながる
ことを教える。

社会は、どのようにして社会が成り立っているかを、
 社会契約論からさかのぼって教える。

法律はなぜあるのかを考えさせる。

学校の先生はあまり実社会のことを知らない人が多いので、
 様々な有資格者を講師に招いて、幸せに生きるためのコツの授業をしていくと、
 役に立つスキルを習得することができる
ようになると思います。

詐欺の手口、破産に至る経緯、パチンコ業者の手口、ネット系の落とし穴…

世の中、楽して儲かるなんてものはないので、
 地道にスキルを積んでいき、
 嫌なことも我慢したり、
 会社でうまくやっていくためには、嫌いな奴にも愛想笑いをしなければならない。

 転職回数が多い人は、次の就職が難しくなる。
 数か月でやめると会社に問題があっても、何かあるのではないか疑念を持たれ、不利益に扱われる。


 耐えることも、長い目で見れば、自分の成長につながるので必要だ。
そういうことを若い時期に教えてくれる人がいるかどうかで、
 その後、戦略的に行動できるようになる
はずです。

多くの人が、感情的に行動して、大損をする。

そこで、冷静になって、後で得になる方を選択し、戦略的に行動する。

最後は、自己責任である。
国家は、助けてくれない。福祉も期待できない。

年金など激減するか支払時期が大幅に遅くなるので、
 貯金や個人年金を設定しなければ老後は極貧生活に追い込まれる。

福祉という甘い幻想に頼り過ぎると、
 財政破綻した後に訪れる「自己責任論」の犠牲になる
と思います。
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法の役割。

2013年10月21日 | スキルアップ
日本の場合、
 法より「恥」が重視される社会
といわれてきました。

 土下座して許してもらう
という発想は、
 恥ずかしい思い(屈辱)
をするので、
 許して下さい
というイメージ。

西欧では、
 恥の概念が通用しない
ので、
 きちんと責任を取る
というのは、お金なり、代替措置ということになります。

韓国でも、
 膝まずく
という行為は、日本の土下座のようなイメージ。

中国でも歴史的にみると、
 頭を地面に打ち付けて許しをもらう
という行為が出てきます。

土下座というのは、
 一種の制裁
というように考えることができます。

約束が守れなかった、相手に迷惑をかけた。
そのための制裁。

西欧では、
 制裁は、処罰か損害賠償のどちらか。


ここで、
 ルール
というものが出てきます。

みんなが守らなければならないルール。

このルールをどう作っていくのかということが、
 非常に難しい。

ルールを厳しくしすぎると、何でも縛られてしまい、窮屈になる。
ルールを緩くしすぎると、人に迷惑をかける人が出てきて、みんなが損をする。

では、どうしたら・・・

このバランスをうまくとっていくのが、重要なわけです。


ただ、
 大前提として、「法」は論理的に判断できる
というものでなければなりません。

一番問題なのは、
 論理ではなく、感情で法解釈を曲げてしまう
ケースです。

法的安定性といったりします。

 法律では、こうなるな
ということを検討して、行動に出るため、
 後から、全く違うようになると、安心して行動できなくなる
わけです。

例えば、韓国の司法は、感情で動いています。
条約で解決済みの問題を、国民感情に迎合するように解釈し直して(不合理な解釈)、
 自国に有利な判断に持っていっている
わけです。

日本では、司法権の独立という考えのもと、
 与党や国民からこうしろ!と言われても、不合理な解釈はできない
わけです。

朝鮮学校周辺でのヘイトスピーチの差し止め、損害賠償の裁判などは、
その表れだと思います。

個人的には、韓国の日本人学校でヘイトスピーチが繰り広げられた場合、
同様の判断が出るかは微妙だと思います。


司法は、
 憲法やその上の「法」にのみ拘束される。


これが、重要な原則です。


組織を形成する際に、
 秩序を維持するために法(ルール)
が必要となります。

法は、行為を制約するという側面とともに、
 行為を保障するという側面
も有しています。

つまり、
 そこまでしない場合は、その行為を保障するよ。
 それが理由で、罰したりはしないよ。
というもの。

これは、罪刑法定主義という原則と絡んできます。
(罪刑法定主義は、刑事法の原則。)
法で定めていないことで、罰を受けることはない。
これにより、安心して行動できるわけです。

この原則は、揺らぐことがない。

法の役割は、
 行為を制約することによって、他の者の自由を保障する
ということにありますが、
 さらに、制約する行為を明確することにより、その者の自由を保障する
という機能もあります。
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単一化。

2013年10月20日 | 国家論
最近、
 何十年に一回だとか、何百年に一回だとか言われる自然災害
が多発しています。

震災、津波、洪水、台風、竜巻、9月の気温・・・

CO2、偏西風の変化、地球温暖化など様々な原因が考えられるわけですが、
 ここ2000年以降の開発
が影響している可能性はかなり高いと思います。

2000年以降、
 世界が単一化してきています。

グローバル化の波。

ITやスマホの世界中の普及がアシストしています。

 ITは、コストがかからない
ので、
 比較的簡単に導入ができる。

そこから、情報を入手。

価値観が単一化していく。

日本のように便利な生活をしていく国があれば、
 自分たちの国も開発すれば暮らしがよくなる
と思うわけです。

有り余るマネーが世界中を流れているので、
 成長が見込まれる国への投資は比較的容易になっている。

そのため、
 資源開発、都市開発
が今までの未開の地で起きている。

つまり、あまったマネーを利用した開発が世界規模で起きている。

アフリカ、アマゾン、東南アジア、中国の内陸部。

当然、木が切られ、環境は激変する。
人々に車が普及すれば、ガソリンによるCO2は激増。
工場ができれば、廃液などの規制が不十分であることから、河川は汚染される。
急速な経済化は、格差を生み出す。

環境が激変する。

地球への負荷はますます増えて行く。

だからといって、開発をやめるようにいうことは出来ない。
先進国はすでに、開発済みだからです。

これが、世界が直面している問題。

CO2規制が旨く行かないのも、
 規制したいと思う国は、先進国が中心。
 規制などしてもらったら困るという国は、これから開発で成長しようとする国が中心。

中国は、世界2位の経済大国となった後も、
 まだまだ国全体では、途上国であると主張し、規制から逃れようとしている
わけです。

その代償が、何十年、何百年以来の大洪水や干ばつ。



木や土には、水をストックしておく力がある。
そのため、洪水対策になる。
また、土の自浄作用で、汚染が食い止められたりする。干潟の役割がこれ。

すなわち、
 環境問題を考える上では、木や土をいかに残していくか
を考えなければならない。

アスファルトの地面では、水を蓄えることができないので、
 下水や川に流さざるを得ない。

極端な豪雨では、処理しきれなくなって、氾濫する。

都市に大きな公園が増えれば、
 快適な生活環境と洪水のリスクの減少
という恩恵が受けられる。

さらに、地震の際の避難場所にもなりうる。


しかし、都市の土地は、お金になるので、
 公園にするくらいなら、ビルを建ててテナント料をもらうようにした方が得
という発想。

市や県の土地や国有地の売却は、そういう判断も働いています。


ここで、小さな国家と大きな国家。
 小さな国家は、国家の財産や事業を少なくし、民営化して行った方がよい
という価値観を持っています。

しかし、
 小さな国家であったとしても、
 こういう財産や土地は、結局は市民、国民の為になるので、保有してもよい
という修正は必要となるを思います。

それが、公園や保有林などだと思います。

民間に任せておくと、ビジネスにより、長期的な視点が欠け、結果として
 永続的な成長が見込めない
という場合には、
 規制をかける正当性
が生まれる。

それを説明した上で、社会契約論によって信託を受けた権力を使い、
 みんなのためになるような政策を行う。

これが、政治というものです。



同じように、
 こういった考えを、世界中に広げて行く必要がある
わけです。

グローバル社会は原則として、自由。
しかし、長期的な視点から、
 みんなのためになるような規制をかける。

現在は、CO2の削減など、「多国間条約」という仕組でこの規制をかけようとしています。
しかし、
 世界が一体化していく現在においては、そろそろ世界政府的な国家間の仕組が必要となっています。

条約に批准していなくとも、
 守らせることができる。
経済制裁のような制裁を発動できる。


現在は、ジェノサイド(大量殺戮の禁止)など一定の行為については、
 条約に批准していなくとも守らなければならないルール
があると言われています。

自然環境の悪化も、
 長期的に見れば、ジェノサイドのように多くの人の命を奪う結果をもたらす
ことになります。

ジェノサイドは故意に、
 自然破壊は知らないうちに、ということですが、
 大勢の人の命を奪うという結果自体は大差がない。

開発のスピードを落とすには、
 マネーの量を減らす。
しかし、世界規模の不況になる。

アメリカは、それを恐れて、金利の引き上げを思いとどまりました。
新興国は助かりましたが、濫開発は世界中で起こっています。
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大きな国家は難しい。

2013年10月10日 | 国家論
今、日本が向かっているのは、
 大きな国家。

消費税、社会保険料はどんどん上がっていく。
他方で、
 年金は削減されていく。

なぜ、こういうことが起きるのか。

 少子高齢化?

そんなことは、何十年も前から分かっていたはず。

運用に失敗した?

そもそも年金は、
 場当たり的な存在であって、民間の保険会社のような制度設計ができていなかった。

 足りなくなれば、取ればよい。支給を減らせばよい。
ということがまかり通るからです。

民間の保険会社であれば、債務不履行ということになります。

年金機構などは、無駄の温床。
制度もやたら複雑。
縦割り行政の弊害で、国民年金、厚生年金、共済年金と分かれていて、
 それぞれに利権団体がくっついていて、お金が支給以外のところに、経費として流れている
わけです。

手段がおかしいのではなく、
 無駄というボトルネックが存在するのに、そこには何ら対処しない
からです。

無駄というボトルネックはいたるところに存在しています。


国会議員の数はあんなにいるの?
多額のお金をかけるほど、参議院の価値はあるの?
国会議員の歳費は、適正なの?
官僚の退職金は、適正なの?

国会議員の数の削減も、自民党の安定政権によって、どこかに行ってしまいました。
選挙がないと、自分たちに不利なことなど言わなくなる。
選挙がないと、国民に不利なことは行いやすい。
消費税増税も、選挙がないから、できたこと。


議員定数の削減は民主党と自民党がやり合っていたのに、
 自分たちに不利なので、本音はやりたくない
わけです。

官僚組織の削減も同じ。
財団法人の仕分けも同じ。

財政の穴はいっぱい空いているのに、
 そこを塞がず、負担ばかり増やし続ける。


これでは、
 大きな国家でも、小さな国家でも、
 国民を幸せにするという目的は達成できない

行政改革はなぜ難しいのか?

それは、
 目的が議員や官僚の現状維持に設定されている
からです。

官僚が求めているのは、
安定。

安定を求めるで、
 お金が足りなくなれば、支出の削減ではなく、収入を増やす。

その簡単な方法が、増税や社会保険料の値上げというわけです。

大きな国家になれば、際限なく国民の負担は増えて行くことになります。

そして、ないところからは取れないので
頑張って働いている人の負担が増えていく。
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目的と手段。

2013年10月07日 | 国家論
目的を達成するために、
 複数の手段が存在する。

時間がかかったり、労力がかかったりするが、
 どの手段でもゴールにたどり着くことができる
ということが多い。

人生において、途切れている道は、存在しない。

 脇道に入ったり、戻ったりしながら、
 最終的にはゴールにたどり着くと考える道に巡り合える。
 
これは、結構大切なことです。

例えば、大学受験。
よくお勧めの参考書がベストセラーになり、
 受験生がみんな使っている
という現象が起きます。

しかし、その参考書を使わないと合格できないわけではない。

予備校で勉強するか、自習を中心とするのか。

すべて、合格という目的の達成の為の手段であるわけですが、
 唯一絶対
というものはない。

自分にあっている者、
予算の関係で取りうる手段が限られている者。

必ずしも、
 取りうる手段はみな同じではなく、公平ではない
かもしれないものの、
 自分が取りうる手段で最善のものを選択し、努力をすれば、
 その目的を達成することは可能。

そう考えると、希望が生まれてくるはずです。

逆に、
 手段が合っていても、別のボトルネックが存在する場合、
 目的を達成することはできなくなる。

最高の参考書を使っていても、
 読み込みが甘ければ、合格できない。
最高の予備校も、最高の先生も同じ。

かつて日本の最難関と言われた司法試験では、
 3%くらいしか合格できない
ので、
 不合格になると別の予備校に通い出す
人がいました。

そういう人は、合格しにくい。

それは、予備校という手段が間違っていたから、合格できなかったわけではなく、
 試験の問題を解けなかった
という別の原因(ボトルネック)で不合格になっているので、
 なぜ、問題が解けなかったのか(ボトルネックはどこか)
を検討し、
 ボトルネックの排除(体調管理、ケアレスミスの防止、必要な知識の補充)
に力を入れたほうが、目的達成に近づくわけです。

何年も落ち続けた人が、
 自分は知識不足で落ちているんじゃないんだな
とボトルネックの存在に気が付いたとたんに合格することは、
 意外と多かった
と思います。

勉強仲間の一人が合格すると、
 他のメンバーも合格し出す
というのも、
 あいつの程度の知識で合格できる
ということは、
 知識が問題なんじゃないんだな

 ボトルネックの存在を意識できる
からです。

身近に合格者がいないと、
 知識不足が原因で落ちているのではないのに、
 合格に必要な知識をさらに上のラインに設定し、
 全ての予備校を回って、
 あらゆる判例や学説の知識を入れようと躍起になる。
そのため、
 ゴールから外れて行ってしまう
ということです。


この発想を前提に、
 国家についてみてみると、色々なことが見えてきます。

例えば、
 大きな国家と小さな国家。

これも、
 国民を幸せにするための手段の違い
にすぎません。

目的は、国民を幸せにする。

どちらを選択しても、
 うまく機能すれば、目的を達成できる。

大きな国家は、税金をたくさん取るけれど、
 福祉が充実しているので、安心して生活できる。
 教育関連の費用もかからないので、知的に成長し、自分のやりたい仕事を目指せる。
 自分の仕事で頑張って稼いで、税金をたくさん支払う。

つまり、大きな国家を成立させるためには、
 税金をたくさん払うことに理解を示す自立した国民が必要となる
わけです。


小さな国家は、税金はあまり払わなくてよいけれど、
 福祉は充実しておらず、セーフティーネット程度。
 そのため、自分で保険をかけたり、個人年金を設定したりしなければならない。
 しかし、国家の役割が小さければ、民間の仕事が増えることになる。
 また、みんなで助け合わなければ生活できないことから、
 かつての日本のように、町内会や自治会などの活動がさかんにならざるをえない。
 近所づきあいなどやずらわしいことも増えて行く。
 問題が存在することが前提の国家であるため、社会企業やNPOなど、志を同じくする人達の活動も活発になる。
 
つまり、小さな国家で国民を幸せにするという目的を達成するためには、
 国家は最低限のサービスを提供しないということに理解を示す自立した国民が必要となり、
 かつ、問題解決のためには自治会やボランティアの存在が不可欠だから協力しようという共助精神を有する国民の存在が不可欠となる。

 小さな国家、かつ、共助精神の欠如
ということになると、
 弱肉強食で、町中に餓死者や生活できない人があふれる
ことになるので、
 治安も衛生面も悪くなり、最終的に全ての国民にとって不幸な結果になる。

貧民救済における教会などの活動は、小さな国家の問題点の是正という側面を有していたといえます。

大きな国家は、国家が行い、
小さな国家は、自分や仲間(ボランティア)が行うということ。

今の日本は、どんどん大きな国家へと向かっていますが、
僕は、小さな国家+共助の精神というスタイルが、日本には望ましいと思っています。

 新自由主義+社会企業家の促進
というスタイルです。

基本は、競争社会。
競争から漏れても大丈夫なように、社会企業家やNPO、ボランティア、自治会など
 余力がある者が少しずつ自分たちの時間やお金やスキルを出し合って、
 よりよい社会を築くための活動を行う。

そこには、感謝のつながりが生まれ、自尊心も高まるというメリットも生まれる。
これを、国家がやると、「当たり前」という感覚と、「なんで俺がやらないといけないんだ」という
 自己中心的な考え
が一般的になってしまう。

 大きな国家は、自分勝手で努力しない国民を生む
というリスクがあります。

 何でも国に頼ろうとする。
 自分で考え、努力しようという自立の精神が失われる。

大きな国家の最大の問題は、
 国民が努力をしなくなる
ということ。

これは、社会主義の崩壊とリンクする。
大きな国家と社会主義は、根っこの部分は同じ。


そして、気がつかないうちに国民の精神性は、
 サービスは受けたい
が、
 対価は払わない
というものへと切り替わっていく。

 違法のダウンロードの抵抗感がない
のも、同じ精神性。

 払いたいやつが払えばよい。

大きな国家では、
 そういう精神性が広まると、一気に財政破綻を起こす
ことになります。


小さな国家の利点は、
 お金を払っていないから、これだけのサービスでも仕方ない
という市場経済の原則が前提となるということ。

 お金がないから、ブランドは買えない。

市場経済の普通の原則。

国家も同じ。

誰かが支払っているから、
 行政のサービスが受けられる。

そして、
 自分が支払っていることを理解する
ようになると、人々はこう思うわけです。
 
 なんで、こんな行政サービスにカネを払わなければならないんだ!

 費用対効果はどうなんだ!

こうなると、
 人々が予算に厳しい目を向けるようになる。
 会計監査院の報告書をチェックするようになり、行政を批判するようになる。
 行政に罰則や懲戒を加えられるような法案を作るよう、議員に詰め寄るようになる。

その結果、
 仕分け作業に向かう
ことになり、
 最終的には小さな国家に向かうようになる
わけです。
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不足の充足。

2013年10月02日 | スキルアップ
 お金がない。
 才能がない。
 人手がいない。

不足。不足。不足。

だからといって、不幸せだとはいえない。

 お金があふれている。
 才能もある。
 人でも一杯。

充足。充足。充足。

だからといって、幸せだとはいえない。


不足と充足にテーマを設定してみると、
 足りない
ことが、
 幸せにつながる
ことも結構ある。

これを頭に入れておくと、
 ちょっと、クールに生きられる。

上を見たらきりがないように、
 お金は足りない。

だからこそ、知恵を絞る必要が出てくる。
その知恵を生かして、
 うまく乗り越えられたときに、充足感が生まれる。

それが、幸せにつながる。

 カネがないなら、知恵を出せ。
 不足から充足へのシナリオを描くのが、「知恵」。


今の日本は、
 足りないなら、もっと、絞りとれ。

だれでもできる方法論。
知恵はない。

構造改革、行政のスリム化、IT化による効率化などは、
 法律を変えたり、ITを勉強したりと、「知恵」が必要。

だから、本格的にやろうという機運もない。
 行政は、仕組として大きくなろうとする。
とかつて行政学の教授が行っていたように、
 行政は、自分の権限を大きくすることで、天下り団体を作り、組織に貢献できる
ので、
 どんどん大きくなろうとする
わけです。

そういう性質をもっていることを、国民が知っておかなければならない。

消費者被害があると、消費者庁を作りましょう。消費者予算ゲット!
裁判官批判があると、裁判員制度を作りましょう。法務省予算ゲット!

震災では、国土交通省予算ゲット!そのほかもおこぼれゲット!
オリンピックのために、文科省にスポーツ庁を作らないとねぇ!!

どんどん大きくなっていく。

お金はないのに!
知恵もないのに…


予算的な面もそうですが、
 行政機関が大きくなると、国民の質が低下していく
ということが、一番の問題です。

どういうこと?

例えば、消費者庁。
国民の質が高ければ、不要。
消費者被害に引っかからない国民であれば、必要ない。

そういう国民を学校で育てていく方が、消費者庁をつくるよりも重要。

詐欺会社の手口、消費者金融で追いつめられる人の消費傾向を知ろう!

消費者金融で、破産したAさんから学ぼう。
 消費者金融の利率、○○%。
 50万円を○○%で借りたため、月の利息は、○○円。
 Aさんの月給は、アルバイトなので、15万円。
 Aさんの食費は、○○万円、国民年金が○○万円、健康保険が○○万円、その他の支出が○○万円。
 借りたのち、5年で破産。

では、破産したAさんのインタビューを見てみましょう。
 いやぁー、借りるときは、こんなに利息の支払いが大変だとは思ってなかったんすよね。

住宅ローンで破産したBさんから学ぼう。

未公開詐欺で1000万円を損したCさんから学ぼう。


消費者庁をつくって、広報活動をするよりも、
 世の中は、甘くないということを教える授業
 世の中には、悪人がいっぱいいるということを教える授業
 世の中では、社会的な責任が伴うということを教える授業
 世の中では、他の人に迷惑をかけないようにしなければ、自分も迷惑をかけられるという授業
 最終的には、刑務所で世の中から隔離され、いったん隔離されると復帰が難しいという授業
をした方が、より効果的だと思います。

そのため、少年院、刑務所についての社会見学は、中学、高校では必須にすべきだと思います。
中学生で裁判傍聴を行っている学校もありますが、
 初めて手錠でつながれた人が入ってくるのを見ると意識が変わるらしい。


行政が肥大化すると、
 至れり尽くせり
という感じになってしまい、
 国民の知性が低下する
おそれがあります。

家電で家事が機械化すると、
 掃除の仕方が分からなくなる
ように、
 冷凍食品が発達すると、魚や肉のさばき方や、だしの取り方が分からなくなる
ように、
 国家がなんでも介入するようになると、自分で問題を解決する方法が分からなくなる
わけです。

これが、大きな国家の最大の弊害です。

そして、
 大きな国家は、知らないうちに、リスクをはらんできます。

どういうこと?

結局、
 国家は、
 徴税権限

 徴兵権限
を求める存在であるということ。


どういうこと?

対内的に、国家が体制を維持するためには、
 予算を組み、公務員を潤す必要がある
わけです。
国家体制の維持にはカネがかかる。

そのために、徴税権は不可欠。
消費税増税は、徴税権の強化ということ。
見えない税金である社会保険料、厚生年金、国民年金、介護保険料なども、
 国民から徴収するという意味で徴税権に含まれると考えられます。

 いや、僕は病院行かないから、健康保険入らないよ!
 僕は年金入らないから、厚生年金はいらないよ!
という自由がない。

強制。

これが、徴税権の仕組。


そして、
 対外的には、話合いで解決できなければ、戦争せざるを得ない。
 戦争の全段階は、武力による威嚇。
 武力には、カネがかかる。そのための徴税権。
 さらに、戦争には、兵が必要。
 そのための徴兵権。

自民党議員が、
 憲法改正して、自衛隊が自衛軍になっても、徴兵制はないですよ。
 今は、兵器が進化しているので、徴兵制で数年入っても、役に立たないから必要ないんです。
といっていたが、無知。

イラク、アフガンでは、
 イギリス兵とアメリカ兵がかなり死んでいる。

それらは、志願兵ではあるものの、
 第一段階は、カネがない人が、仕方なく入隊。
 第二段階では、徴兵制。

そうすると、今、仕事を頑張っている人にも、
 韓国のように徴兵制度が導入されて、訓練を義務付けられる
ということになりかねない。

少子高齢化で、
 外国人の兵に対する信用の問題
からすると、
 国家主義者たちは、日本人の若者に訓練をしてもらいたい
と考えるのが当然。

自分たちは、年齢を理由に徴兵制の枠外に設定すればよいだけのこと。


そして、一番厄介なのは、
 徴兵制で、兵を訓練する指導的役割の人が、賢人であるとは限らない
というリスク。

 馬鹿に権力をもたせるとロクなことはない。

何回か出ていますが、
 安全な所にいる国会議員や行政官僚は、派兵しましょう!
というだけ。
 
死んだら、
 国家のために命を落とされました。名誉の戦死です。
 我々は、あなたを誇りに思います。
 遺族の方に、お悔やみ申し上げます。


それで、すまわれたらかなわない!!

これが、
 大きな国家の最大の弊害。

国から権限を奪い、小さな国家にしておくと、
 戦争がしにくくなる。

 憲法で権力を縛る。


 カネも自由にできない。


国民は、不足を感じながらも、自らの知恵で対応する。


 右翼と言われてもかまわない!


個人的には、愛国心は強い方ですが、
 この国を愛すれば愛するほど、そして、知的に成長すればするほど、
 この国の政治家と官僚に権限を持たせてはいけない
と思うようになると思います。


国民は、本当に「良い人が多い」国だと思います。
世界に誇れる。

これは、豊かな自然のおかげで、
 略奪しなくても、生き残ってこれた
という農耕民族の気質が背後にあると思います。

しかし、
 充足すると「知恵」がなくなる
ように、
 政治家や官僚を厳しく育てる
という気質はまだ身についていない。

お上に従え。

江戸時代と変わらない。


ただ、
 日本は生き残りが難しい国家になっていく
はずなので、
 不足により、知恵を磨き、充足できるような努力をする
ことになると思います。

早めに、
 不足を認め、どうしたらいいかなと知恵を絞っておくと、
 いざという時に役立つ
と思います。

大きな国家がどんどん大きくなっていき、いよいよ収奪の時代が始まります。
このブログが始まったころから、国家論で書いていますが、
 自民、民主、自民
という流れを受け、
 いよいよ本格化してきた感じ
です。
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