最小単位は、個人。
最大単位は、主権国家レベルでみると、国家。
小さな国家は、
国家が行うべきは、軍、貨幣、司法、広域・長期的プランニングなど、国家しかできないこと
に限定すべきというもの。
それ以外は、個人が自助努力で何とかする。
それを補うものとして、
地方自治体
が存在する。
その地方自治体は、
地方のコミュニティなどと連携して、低コストで最大の教育・福祉
が実現できるように戦略を練っていく。
おそらく、財政が破たんしたのちには、
このようなシンプルな行政システムになっていく
と思います。
ただ、こうなってしまうと、
国の権限
が小さくなるので、
いままでのシステムで恩恵を受けていた人たちが黙っていない
わけです。
国家公務員のOBの天下り団体は激減するわけですし、
そもそも誰も、国家公務員を尊重してくれなくなる
からです。
メリットがないものを、優遇するなんてことは、
市場原理のもとでは、考えられない
からです。
つまり、シンプルなシステムにしていくということは、
市場原理
をいろいろな分野に導入していくということです。
ただし、市場原理は、
暴走する恐れがある
ため、
WINWINや中庸の思想
などといった、
哲学、モラル、商慣習、商道(儒学的な思想)
と、
法規制
という両輪によって、
暴利をむさぼろうとする輩を排除する(法家の思想)
を教育に取り入れていく必要があります。
個人が、知的に成長して、
一人一人が起業家の思想を身に付けた時には、
国民が税金を払ってくれる資本になります。
そういう国家は、
プライマリーバランスが安定してくる
ことになり、
イノベーションも起きやすく
商取引も活性化する
ことになります。
今の、日本の閉塞感は、
従業員が多すぎる
ということです。
誰かに雇ってもらうという思想から、
自分でお金を稼いでやろう
という思想に切り替わる人が増えると、
そこで、ビジネスが増えていく
ので、
社会が活性化する
ことになります。
そこで、失敗した人に対しては、
リベンジの機会
が与えられるような、セーフティーネットを用意します。
こういうのが、国家の役割です。
そして、福祉においては、民間の助け合いの土壌を作り上げていくわけです。
国民が自分のことのみならず、他人のことを考えられる
ようになる。
自分に厳しく、他人に寛容な精神。
そのためには、
知的に成長する
必要があるわけです。
その結果、うまくいった場合には、
今度は、今までのお礼として、
別の困っている人に手を差し伸べる。
自分でスキルアップを果たし、
お金も稼ぐことができる
ようになると、
衣食足りて礼節を知る
と言われるように、
他人にも優しくできる基盤
ができます。
そのときに、
自分のお金を他人の幸せのために使える
わけです。
これは、
税金で国家が介在するのと、全く異なった結果を生む
ことになります。
今、国は増税で対応しようとしています。
しかし、これでは、
税金を払う方はとられた
という意識、
もらう方は、もらって当然
という意識しか生まれません。
これが、民間レベルで行われると、
お金や活動を与えた方は、よいことをした
という喜び、
もらう方も、ありがたい
という感謝が生まれます。
これが、エネルギーの交換です。
大きな国家は、国民が国に頼り出します。
競争がなく、楽だからです。
小さな国家は、自分で何とかしないといけないので、
みんなが努力をする
ことになります。
そうせざるをえないわけです。
ゆとり教育で競争を取り除いた結果、
国際レベルは一気に落ちてしまい、大学はついていけない学生の対応に困惑し、
採用する企業は、何も知らない学生に驚いている
という現状が生まれてしまいました。
きつく注意すると、すぐやめてしまう若手社員も多いそうです。
人は、競争の過程で、成長する。
戦国時代という過酷な時代に優秀な思想家(諸子百家)が生まれたように、
環境が厳しいほど、努力して、良いものが生まれる
わけです。
競争により、努力をする。
努力により、自分を磨く。
その過程で、人間性も磨くことができる。
そうなると、他人に迷惑をかける人が少なくなる。
そのため、
統治のためのコスト(警察、司法、刑務所、刑務官・・・)
などが減る。
努力をして、自分で稼げる人が増えれば、
福祉のためのコストも減る。
自分だけ楽をしよう
とする人が減れば、
良い国家が生まれる。
小さな国家で、国はあまり国民に関与しない。
国家は、背後から、うまくいかない場合にだけ手をさしのばす。
良くできた親のような存在であるべきです。
何でも干渉し、甘やかし、思い通りにさせ、
学校の先生にクレームを言いに行くような親では、
子供は親が死んだときに、社会でやっていけない人間になってしまいます。
大きな国家は、こういう干渉する親と同じです。
国民から、自分で何とかしようという気概を奪う結果となります。
子供手当がよい例です。
国家は、環境を整備したのちは、自由にどうぞと見守る。
そこで、競争が生まれ、よりよいサービスや商品が誕生する。
競争というと、ぎすぎすしているように思えるかもしれないですが、
ゲームととらえる
べきです。
お客さんに選んでもらうためのゲーム。
負けた。
今度は、負けないぞ。
よし勝った。
勝った方も、負けた方に配慮する。
理由は、負けたものがゲームを止めてしまうと、一人ではゲームができないからです。
そのために、敗者復活戦もある。
それが、理想的な国家だと思います。
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最大単位は、主権国家レベルでみると、国家。
小さな国家は、
国家が行うべきは、軍、貨幣、司法、広域・長期的プランニングなど、国家しかできないこと
に限定すべきというもの。
それ以外は、個人が自助努力で何とかする。
それを補うものとして、
地方自治体
が存在する。
その地方自治体は、
地方のコミュニティなどと連携して、低コストで最大の教育・福祉
が実現できるように戦略を練っていく。
おそらく、財政が破たんしたのちには、
このようなシンプルな行政システムになっていく
と思います。
ただ、こうなってしまうと、
国の権限
が小さくなるので、
いままでのシステムで恩恵を受けていた人たちが黙っていない
わけです。
国家公務員のOBの天下り団体は激減するわけですし、
そもそも誰も、国家公務員を尊重してくれなくなる
からです。
メリットがないものを、優遇するなんてことは、
市場原理のもとでは、考えられない
からです。
つまり、シンプルなシステムにしていくということは、
市場原理
をいろいろな分野に導入していくということです。
ただし、市場原理は、
暴走する恐れがある
ため、
WINWINや中庸の思想
などといった、
哲学、モラル、商慣習、商道(儒学的な思想)
と、
法規制
という両輪によって、
暴利をむさぼろうとする輩を排除する(法家の思想)
を教育に取り入れていく必要があります。
個人が、知的に成長して、
一人一人が起業家の思想を身に付けた時には、
国民が税金を払ってくれる資本になります。
そういう国家は、
プライマリーバランスが安定してくる
ことになり、
イノベーションも起きやすく
商取引も活性化する
ことになります。
今の、日本の閉塞感は、
従業員が多すぎる
ということです。
誰かに雇ってもらうという思想から、
自分でお金を稼いでやろう
という思想に切り替わる人が増えると、
そこで、ビジネスが増えていく
ので、
社会が活性化する
ことになります。
そこで、失敗した人に対しては、
リベンジの機会
が与えられるような、セーフティーネットを用意します。
こういうのが、国家の役割です。
そして、福祉においては、民間の助け合いの土壌を作り上げていくわけです。
国民が自分のことのみならず、他人のことを考えられる
ようになる。
自分に厳しく、他人に寛容な精神。
そのためには、
知的に成長する
必要があるわけです。
その結果、うまくいった場合には、
今度は、今までのお礼として、
別の困っている人に手を差し伸べる。
自分でスキルアップを果たし、
お金も稼ぐことができる
ようになると、
衣食足りて礼節を知る
と言われるように、
他人にも優しくできる基盤
ができます。
そのときに、
自分のお金を他人の幸せのために使える
わけです。
これは、
税金で国家が介在するのと、全く異なった結果を生む
ことになります。
今、国は増税で対応しようとしています。
しかし、これでは、
税金を払う方はとられた
という意識、
もらう方は、もらって当然
という意識しか生まれません。
これが、民間レベルで行われると、
お金や活動を与えた方は、よいことをした
という喜び、
もらう方も、ありがたい
という感謝が生まれます。
これが、エネルギーの交換です。
大きな国家は、国民が国に頼り出します。
競争がなく、楽だからです。
小さな国家は、自分で何とかしないといけないので、
みんなが努力をする
ことになります。
そうせざるをえないわけです。
ゆとり教育で競争を取り除いた結果、
国際レベルは一気に落ちてしまい、大学はついていけない学生の対応に困惑し、
採用する企業は、何も知らない学生に驚いている
という現状が生まれてしまいました。
きつく注意すると、すぐやめてしまう若手社員も多いそうです。
人は、競争の過程で、成長する。
戦国時代という過酷な時代に優秀な思想家(諸子百家)が生まれたように、
環境が厳しいほど、努力して、良いものが生まれる
わけです。
競争により、努力をする。
努力により、自分を磨く。
その過程で、人間性も磨くことができる。
そうなると、他人に迷惑をかける人が少なくなる。
そのため、
統治のためのコスト(警察、司法、刑務所、刑務官・・・)
などが減る。
努力をして、自分で稼げる人が増えれば、
福祉のためのコストも減る。
自分だけ楽をしよう
とする人が減れば、
良い国家が生まれる。
小さな国家で、国はあまり国民に関与しない。
国家は、背後から、うまくいかない場合にだけ手をさしのばす。
良くできた親のような存在であるべきです。
何でも干渉し、甘やかし、思い通りにさせ、
学校の先生にクレームを言いに行くような親では、
子供は親が死んだときに、社会でやっていけない人間になってしまいます。
大きな国家は、こういう干渉する親と同じです。
国民から、自分で何とかしようという気概を奪う結果となります。
子供手当がよい例です。
国家は、環境を整備したのちは、自由にどうぞと見守る。
そこで、競争が生まれ、よりよいサービスや商品が誕生する。
競争というと、ぎすぎすしているように思えるかもしれないですが、
ゲームととらえる
べきです。
お客さんに選んでもらうためのゲーム。
負けた。
今度は、負けないぞ。
よし勝った。
勝った方も、負けた方に配慮する。
理由は、負けたものがゲームを止めてしまうと、一人ではゲームができないからです。
そのために、敗者復活戦もある。
それが、理想的な国家だと思います。
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