知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

平穏に生きる⑤(国家論③)

2007年09月28日 | 国家論
では、税金が高く、生活の保障が薄い国家はどうなるか。

 不安がいっぱいの社会
 拝金主義的な社会(脱税などが増え、国家への愛着が薄れた社会)
 自己中心的な社会(衣食足りて礼節を知るということからも、自分のことだけでも大変で、他人を思いやる余裕が乏しい社会)
となっていってしまう可能性が高いと思います。
今でも、耐震偽装問題、振り込め詐欺などなど、片鱗が見られる気もします。

税金が高くなる理由は、
国家の運営のコストが高く効率が悪いこと(官僚国家の弊害)と、
今まで積み重ねた多額の国債発行による財政難のためです。
今年度の住民税のアップに驚いた人も多いと思います。

福祉が削減される理由も、財政難です。
医療費削減のため、入院患者の退院を迫る政策が打ち出されています。
治療より予防という、前向きなスローガンの元、
実質的な医療サービスの削減がなされています。

本来は、国が、国民が努力(競争)により自由に豊かになれる基盤を確保したうえで(自由主義)、
積極的に多くの人が平穏な生活を送ることができるような社会の実現に向けた政策(社会政策 福祉主義)を行わなければならないのでしょうが(「修正資本主義」といったりします)、
税金の使い方をうまくチェックするシステムがなく(会計検査院の組織の弱体化及び形骸化)、
国民も政治に無関心であったことから(投票率が40パーセントを切る)、
国民の幸せよりも、
政治家の地元後援会(票)と官僚(癒着構造)の幸せのみを重視した政策(対費用効果の薄い公共事業)や、
天下りシステムが構築され(グリーンピア問題など)、
そのシステムを維持するために税金が遣われるようになってしまい、
その結果、多額の負債を抱え、本当の意味で国民の幸せや福祉に回す予算を捻出できなくなりつつあるのです。

そのため、福祉の名の元に
介護保険が創設されました。
介護については、従来は税金で一定の補助が行われていたが、財源不足のため、40歳以上の者に保険料という名の負担を課したのです。
なお、介護保険料は今後、増額される虞があり、負担者の年齢が引き下げられる可能性もあります。
消費税も、福祉目的を謳い、3パーセントから5パーセントに増額されました。
今後、福祉目的税として数十パーセントに上げられる可能性が高いと思われます。
なお、消費税の福祉目的税化が行われ、十数パーセントになったとしても、現在のチェック体制が不十分な状態の元では、国民の税負担が増えただけで、平穏な生活につながらないと考えられます。

そのため、税金が高く、生活保障が低い国になる可能性が高いわけです。

ここでいう税金には、所得税、消費税などの目に見える負担の他、
国民健康保険料、国民年金、介護保険料など、本来福祉行政に一部協力する負担や、
ガソリン税、タバコ税など生活に伴う負担、
高速道路料金等といった道路政策上無料化を予定してたが財源確保のため目的を替え存続させた国民負担等すべて含みます。

税金が高いという、意見に対しては、所得税や消費税のみを上げ、国際的には高くないという反論があるのですが、国民の負担は、所得税、消費税のみではなく色々な名目で課せられており、享受できる社会保障についても、まったく違う点を重視すべきだと思います。
ただ、国民皆保険という制度自体は、医療という最も重要なサービスを受けやすくしているので、良い制度だと思います(医療費、薬価など見直すべき点はたくさんありますが)。

このような国で、平穏に生きるためには、
 国に頼らず、自分で平穏に生きるための知識を得て(知的武装)、
 あきらめないで努力をして、自分なりの成功をつかみ(自己実現 私益)、
 困っている人にその成功を分けてあげる存在になること(社会貢献 公益)
が大切だと思います。

社会貢献も、結果として
 自分が平穏に生きる
ことにつながるからです。

そのための知的武装について、以後、考えてみます。
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平穏に生きる④(国家論②)

2007年09月27日 | 国家論
現在の日本は、生存権(憲法25条)を認めており、福祉国家にあてはまります。

しかし、今後、国家の財政難を理由に福祉に遣うお金は削減され、「民間にできることは民間に」という、消極国家化の方針が打ち出されており、消極国家に向かっていると考えられます。

サイクルとしても、積極国家的政策により、財政難になると、消極国家政策により、福祉財源等が削減され、それにより貧富の差が激しくなると国民の不満が爆発し、政権が交替し、再び積極国家的政策が打ち出されることになります。

ただ、日本の場合、他の国とは大きく異なるのが、強大な官僚国家体制が存在しているという点です。
日本は、唯一成功した社会主義国家といわれるほど、官僚主導で国家が形成されてきました。
官僚は、偏差値が高く勉強ができるので、成功した事例(先例)を元に政策を打ち出す能力に長けています。
そのため、日本が発展途上にあった時代には、欧米をまねて、国力を発展させました。
しかし、日本が発展してしまい、自分たちがリーダーとして何かをしなければならなくなったときに、先例がないため、行き詰ってしまいました。
その一方で、創造性の豊かな民間が、創意工夫により、経済を発展させていきましたが、資源と安い労働力をもつ中国など大国により技術を真似され、安くてそこそこよい製品を生産されてしまい、日本の優位性(コストパフォーマンス 技術力)が低下しつつあります。

そこで、日本企業は、安い労働力がある他の国で生産をすることにしました。
これにより、空洞化が進み、特に地方で大手の下請けを行っていた企業が潰れ、地方の産業が衰退することになりました。

さらに、国際競争力をつけるため、人件費を抑えるため、給料やボーナスを削減したり、「派遣」という雇用形態が増え、国民の給与水準も低下して行くことになります。

経済の行き詰まりがすすむと、生活不安が生じ、人々は子供を生むことを止めたり減らすので、小子化がすすむことになります。
すると、多くの若者が高齢者を支えるという年金システムも崩壊の危機に立ち、ますます生活不安がすすんでいくわけです。

それにもかかわらず、官僚の基本的行動形態としては、
 権限を増やすこと
に向かっており、
 自らの権限を奪われることに対しては猛烈に抵抗する
ので、時代に合わなくなった規制や団体も形や目的を変えて存続し、
税金を吸収しています。

この団体を外郭団体と呼び、官僚の天下り組織となっています。

このように官僚組織が肥大化し、無駄な団体が存在するなど、国家運営に多額の費用がかかるとなると、国家運営費にまずお金が流れるので(官僚やそのOBを養うお金)、なかなか税金が国民の利益になるようには遣われないわけです。

必要のない外郭団体や対費用効果の低い外郭団体は、廃止すべきなのに、官僚の抵抗が強いためなかなかできないのが現状です。
また、膨大かつ内容が複雑であり国民には実態がよく把握できません。

こうした状況は、社会契約論からは、おかしなものです。
国民としては、自分たちの生活の平穏のため、それに見合った対価を払うというのが原則なのに、
国家運営に必要なお金を対価とは関係なく「徴収」されることになるからです。

これは、王権神授説と同じようなものです。
王権神授説は、王が権力を神から授かったというもので、国民は王から、一定の権利を与えられた存在に過ぎません。

そうすると、
 権利を与えられている見返りとして、税金を払え
ということになるので、そこには対価に見合ったサービスという概念は出てきません。

明治憲法は、王権神授説的なものなので、現行憲法になっても明治憲法の天皇の位置に、官僚組織がとって変わったというイメージが、近いと思います。

こうした体制を崩すためには、投票率が100パーセント近くなって、政治家が国民の利益を代弁する国会を形成し、国会による行政のコントロールが十分に行き届くことが必要ですが(国民の利益にならない外郭団体、規制はすべて廃止することが可能)、今の30パーセント程度では、政治家は、票を集めてくれる人たちの声しか反映しないので、現状が変わることは期待できないと思います。

通常、
 消極国家は、税金が安いが、国民の生活の保障は薄い
 積極国家は、税金は高いが、国民の生活の保障は厚い
わけですが、今の状態から予測すると、これからの日本は、
 税金が高く、国民の生活の保障は薄い
という道をたどっていく可能性が高いわけです。

消極国家は、自己責任重視です。老後には不安があるのですが、税金が安い分、自分で貯蓄運用し、老後に備えることが可能です。
積極国家は、安心重視です。税金が高いのですが、老後の生活の保障がされています。そのため貯蓄がなくても、それほど心配がありません。

しかし、積極国家の負担と消極国家のサービスという国家においては
 自分の力で、何とかしないといけない
わけです。
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平穏に生きる③(国家論①)

2007年09月26日 | 国家論
*補足**********************************
 平穏に生きる(国家論)は
  国に任せておいたら、平穏には生きられないので、
  自分なりに努力して(知的武装)
  自分の成功をつかみ(私益)
  社会にも還元しよう(社会貢献 公益)
 という、「国に任せておいたら、平穏には生きられない」という点について書いています。

 現状からすると、自分でがんばらないといけないという
 モチベーションを高める目的で書いています。
 
*************************************

今回は、マクロ的な視点で国の役割などについて、まとめてみます。

ロック、ルソー、ロールズなどの思想を元にしていますので、正確に知りたい人や興味のある人はさらに調べてみて下さい。

まず、人が存在しています。生きていく上で必要なものはそろっています(原初状態)。
それぞれに、農業などを営み、ものを造り、生活してそれなりに幸せに暮らしています。
しかし、財産ができるようになると、それを横取りしようとする人たちが出てきます。人々は異民族に襲われ、財産を奪われたりして、異民族に苦しむようになります。

そこで、人々を守る仕事を専門にする人がでてきます(警察の仕事)。
人々はお金を払う代わりに、財産、生命等を守ってもらいます。
そのうちに、敵も強くなるため、警察も集団化し、統制がとれるようになります(軍隊 権力)。
人々は、軍隊(権力)と自分たちを守ってもらうよう契約をします。
お金を出すので治安を守ってもらいたいという契約です。
これにより、
 人々は財産や生命等を守ってもらえるという権利を取得し
 権力に対しお金(税金)を払わなければならないという義務を負担する
ことになりました。
これを「社会契約」といいます。

この社会契約論は、国民主権を基礎付けるものです。
国家権力の正当性を、国民に求めるからです。
 国民が契約により、権力の発動を信託しているから、権力は正当性を持つ
というわけです。

そのため、権力は神から与えられたという王権神授説と対比するものであり、ルソーの社会契約論は民主主義を発展させる理論となったのです。

国家のスタイルも国民が決定しなければなりません。

国家スタイルとして、消極国家(夜警国家)と積極国家(福祉国家)があります。
消極国家とは、国家(権力)が行うことは、軍隊等最小限に限り、市民の自由を重視する考え方です。
積極国家とは、福祉行政など、国民の生活に国が積極的に関与し、できるだけ多くの有用なことを国が行っていこうとする考え方です。そのため、規制が必要となりますし、税金も消極国家に比べて高くなります。また、国家権力が強くなり、行政国家現象という行政権が主導となり、官僚が力を持つことになりやすくなります。

国民がこれらのスタイルを望んで契約をしているから、国家権力は正当性を持つわけです。

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