知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

よりよい社会を作るためには

2020年08月28日 | 国家論
新自由主義の考え方は、
 自由を重視する
ため、
 国家の関与を最小限にする
ものです。

これは、強者にとっては都合のよい考え方になります。

他方、弱者保護を重視し、
 平等を強調する
と、
 平等を実現するためには強大な国家権力(官僚組織)が必要となる
ため、
 必然的に行政国家現象
を招きます。

ソ連も中国も
 共産党の一党独裁体制であったこと
からも、分かります。

共産主義を実現するため、
 官僚は自分たちが唯一絶対の正義とみなします。

その官僚組織を維持するために、
 他者には不寛容であり、強い制裁を課す。

共産主義を実現する唯一の組織を守ることが正義だからです。

そして、
 国民の平等を目指していたはずなのに、
 官僚組織は肥大化し、
 組織の幹部は富を得て、国民は貧しい
という状況を生み出します。

ただ、多くの国民は貧しくも、平等であるので、
 平等という理念は実現している。
貧しいことに腹を立てた国民が、
 官僚組織を破壊する
ことがないように、
 監視を強化し、
 二度と逆らわないように見せしめのため厳罰に書する。

監視社会と司法へが関与はセットになっています。

共産主義は、
 組織内部でも権力を持たない者は迫害されやすい。
そのことを自覚しているため、
 権力闘争が激しくなる
というわけです。


そんな共産主義社会より、
 多くの国民にとっては、努力した者が豊かになれる
という自由主義の方が望ましい。

ただ、
 自由主義も行き過ぎる傾向がある
ため、
 修正して、富をうまく配分し、みんなが幸せになれるようにする
必要がある。

ここで、
 功利主義の理念
が入ってくるわけです。

修正資本主義は、 
 資本主義に、福祉主義を加えることで、みんなが幸せになれるようにしよう
というものです。

おそらく、修正資本主義の概念が正しいことについては、
 多くの人が納得する
はずです。

修正の道具として用いられるのが、
 税と法律
です。

税は、豊かな人に税金を課して、貧しい人を助ける。
法律は、豊かな人が力を濫用することを防止したり(独禁法)、
貧しい人でも豊かになれるような機会を与えるために役立つ(教育制度)。

問題は、
 どの程度の修正を加えるか
という点。

あまり修正をしなければ、自由主義と変わらない、弱肉強食の世界になる
修正を加えすぎると、共産主義と変わらない、国家権力に統制された自由のない世界になる。

ここで、
 ロールズの無知のヴェール。

自分の境遇をヴェールで覆い、分からない状態で、判断する。

つまり、
 自分が豊かであるか、貧しいか、若いか、年老いているか
 有能であるか、そうでないのか
個人の情報が全く分からない状態で、
 制度を制定する
のであれば、
 自分が恵まれない環境であることを前提に、制度を制定する
ことになるため、
 正義に適う判断ができる
ということ。


今はお金を稼ぐ能力を持ち、実際に稼いでいたとしても、
 事業が破綻し、無一文になったり、
 病気で働けなくなったり
 老いて判断能力を失ったり
します。

そのときに、
 福祉制度って重要なんだな
と実感することになります。

最初は、新自由主義が重要だと確信していても、
 弱者の立場に立って世界を見たときに、自分の正義が間違っていた
と思い知らされる可能性があるわけです。

このような弱者の立場に立って、
 制度を見る
ということは、
 無知のヴェールをかぶって判断する
ことで実現できるわけです。

生活保護で暮らしていた人が宝くじが当たって1億円を手にしたものの、
 数%の資産税が制定されて、預金にも税金がかかるようになり、数百万円ずつ減っていく
という経験した場合、
 税金、取り過ぎだろ
と思うようになるはずです。

今まで受け取る立場だったのが、与える立場に立ったからです。

女性は、就職や昇進、キャリア形成で不利だと実感しつつも、
子供を産んで育てる経験ができて本当によかったと実感する人もいる。

男性も、責任が重いし、プレッシャーが多いとか思いながらも、
バリバリ働けるから、女性でなくてよかったと思っている人もいる。

結婚して、家族と一緒でよかったという人もいれば、
煩わしさがなく、お金も余裕があって、人生を1人でも楽しめるので独身でよかったという人もいる。

結局、いろいろな人がいて、いろいろな価値観をもち、いろいろな環境の中で、
それぞれ、よい面も煩わしい面も持ちながら、生きているというわけです。

いろいろな人のいろいろな面を理解しつつ、
 自分がどんな立場だったとしても、まぁ、この程度の規制なら、受け入れられるかな
という
 絶妙なバランスを取る
のが、
 正義である
というわけです。

 この程度の規制なら受け入れられるかな
という感覚は、
 時代やそのときの財政状況などによっても変わってくる
ことになります。

かつては、
 クーラーは贅沢品
という時代があったので、
 生活保護者はクーラーを設置してはいけない
ということになっていました。
今から考えると考えられないわけです。

オフィスでの喫煙は当たり前の時代もあったくらいですから、
 時代の感覚は変わっていく
ということです。

ただ、
 メディアもSNSも、絶対的な正義を押しつける
傾向が強くなっています。

不寛容の時代になりつつあるということです。

いろいろな人がいるのだから、
 あまりにも厳しい基準を設定する
と、
 息苦しい時代になってしまいます。

喫煙の場合では、
 オフィスで吸うというのは迷惑がかかる
ものの、
 喫煙スペースをなくす
というのは、
 行きすぎなような気がします。

最近では、建物内の喫煙スペースも、消えつつあります。

これは、
 たばこを吸わない人が増えている
ため、
 喫煙者の視点が欠けるようになっている
ためです。

無知のヴェールをかぶって、自分が喫煙者だったら、
 ちょっと、やり過ぎだよな
と思うはず。

無知のヴェールの意識がないと、どうしても多数派の見解が
 「正義」を決めてしまう
ということになります。

現在は、たばこを吸わないことが正義であり、
 喫煙者は周囲の健康を害する悪である
というわけです。

僕はたばこを吸いませんが、行きすぎた規制は、
 自由を侵害するリスクを孕んでいる
ので、
 否定的な意見
を持っています。

たばこを吸わない人の強行意見は、
 健康を害するから、規制すべきだ
ということになります。

ただ、こういう理論で規制が進むと、
 将来はお酒も規制の対象となるリスクがあります。

IARC(国際がん研究機関)では、
アルコール飲料は、発がん性があり、
肝臓がん、口腔咽喉がん、喉頭がん、食道がん、
結腸がん、直腸がん、乳がんと関係している
という報告があります。

飲酒運転による死亡事故や、
アルコールによる暴行事件もあり、
 アルコールに対する批判的な意見が多数派になる
と、
 規制がどんどん進むおそれがある
わけです。

お酒が楽しみであるという人にとっては、
 発がん性が認められても、晩酌をする自由を奪わないでくれ
と思うはず。

よりよい社会を作るためには、
 いろいろな人がいることを念頭に、
 みんな幸せに感じることは異なるのだから、
 できる限り自由を認めようという寛容さが不可欠だと思います。

 まぁ、いろいろな意見があるよね
 そういう考え方もできるよね
 それは、言い過ぎだけど、まぁ、目くじら立てて起こることでもないよね
 この程度の規制なら、みんな妥協できるよね
その判断を
 無知のヴェールをかぶって、自分がどの立場か分からない状態を想像して判断する。

この想像力と寛容性。

これを失うと、
 共産主義者が自分の考えに反対する勢力を根絶やしする
のと同じように、
 「暴力」でしか物事が解決しなくなる
わけです。

これが、
 中国共産党が大多数の人が貧しい生活を送っていると認めながらも、 
 南シナ海に軍事費を使いまくっている
理由です。

話しても分からない人には、武力で対抗するしかないわけですが、
 日本国内の同じ日本人であれば、もうちょっと寛容性があってもいい
と思います。

SNSの炎上や、批判ばかりで建設的な意見のないメディア、
 反政府運動の活動家のような野党議員
等を見ると、その思いが強くなります。

特に、国会議員は
 日本をよりよい社会にしたい
という目的は一致しているはずです。

あとは、手段を議論するだけなので、
 無知のヴェールをかぶって、「正義」の選択をする
ことで、今よりよい社会につながるはずです。

日本国民しか、投票権がなく、
国会議員は、日本国民でなければなれないのは、
 日本がよりよい社会になって、
 日本国民が幸せに暮らせるようにする役割を担っている
からです。

隣国にどう思われるかというようなことは
 判断要素にはなりえない
わけです。

敵地にあるミサイル発射台を攻撃することが、
 日本国民の平和な暮らしを守るのであれば、徹底的に行うべきである
ということになります。
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日本人の誇りとは?

2020年08月25日 | 国家論
世界史を学ぶと日本という国家の特質が分かります。

日本にやってきた外国人の本では、
 勤勉、優秀、温厚な民族として民度の高い
国民として描かれています。

そんな日本人は、
 大国の清がイギリスに敗れ、植民地化されていく姿
を見て危機感が強くなっていきます。
特に、福沢諭吉は1862年に香港で、イギリス人が中国人を犬のように扱うのを見たとのこと。
このことは、1868年の慶応義塾の開校のモチベーションとなっていることは明らかです。

 ヨーロッパ人がアジアやアフリカなど他の人種(黄色人種や黒色人種)を奴隷にしている
ということは、
 自分たち日本人もそうなるおそれがある
ということを物語っています。

そうならないようにするために、
 富国強兵路線
を選択し、
 そのためには、未来を担う人材の育成が不可欠である。

これが、慶應義塾や「学問のすゝめ」の根幹にあります。

日本は、
 イギリスからは、株式会社、銀行などビジネスの仕組み。
 フランスからは、民法。
 ドイツからは、憲法、刑法。
を学び、取り入れました。

最先端の欧州から情報(知)を入手して(入口)、
自国との整合性を検討し(経路)
法制度を整備し、国家を導いた(出口)。

時代は、
 帝国主義。

富国強兵により、国力をつけ、
 植民地経営を行い、経済圏を確立する
というのが、
 この時代のビジネスモデル
です。

ブロック経済のように封鎖されても、生き残れるようにするには、
 植民地を確保する
ことが不可欠なわけです。

資源の確保、安い人件費(奴隷)、市場の開拓。

植民地にどの程度自由を与えるのがよいのかは、
 植民地のリソースによって異なる
わけです。
激しい抵抗をする植民地は、
 鎮圧のためのコストがかかる
ため、
 ある程度の自由を認め、同民族の支配者よりいい暮らしができる
と思わせる方が支配がしやすく、トータルの利益が大きくなる。

抵抗をしない植民地は、
 力で押さえつけておけばよい
ため、
 徹底的に搾取し、最大の利益を生み出す。

ゲーム理論と同じように、
 相手が取る選択肢

 自分の選択肢に影響を与える
というわけです。

イギリスやフランスが日本侵略を諦めたのも、
 武士を中心に徹底抗戦された場合
自国の被害も大きくなるということもありました。

その間にアフリカや東南アジアなどの他の植民地を奪われかねない。
清の場合、政治の混乱や武人の能力や兵器のレベルから、植民地支配を選択。

日本の場合は、力で押さえつけるよりも、
 取引相手として、うまく利用した方が自国の利益になる
と判断した。

日本は、イギリスを中心に国際法を学び、
欧米列強と付き合いながら、富国強兵を実現しました。
そして、人類史上初めて、イギリスの支援の元にロシアを撃破。
これは、アジア人がヨーロッパ人を始めて打ち破った戦争です。
ロシアにいじめられていたトルコは、一気に親日となりました。

日本は、太平洋戦争時には、
 東南アジア諸国のヨーロッパ勢力を駆逐しました。

大東亜戦争を肯定的に論じることは、戦後教育からはタブーとされています。
ただ、客観的に歴史を見た場合、当時の帝国主義の時代としては、
 国際法が認めている戦争による領地獲得行為
にすぎないわけです。

侵略や植民地支配は今の時代の基準で考えれば、非人道的な行為ですが、
 当時は、国際法に基づき欧米諸国が行っていた
ということを前提に議論すべきことだと思います。

ただ、戦争に負ければ、領土を失うというのも、当然のことです。
植民地が独立し、当該民族が政権を担うというのも、国際法で認められていること。

 日本は戦争に負け、なんとか北海道、本州、九州、四国を失わずにすむという条約
で講和ができたということです。
そのため、日本の領土については、1951年のサンフランシスコ講和条約が基本となります。

歴史を考察すれば、東京裁判が、
 日本人が韓国や東南アジアを侵略した残虐な加害者であるため、罰せられた
というのは、誤りです。
それで、罰せられるのであれば、欧州列強が皆罰せられることになります。

ナチスドイツは、ユダヤ人に対するジェノサイドを行ったので、
 ジェノサイド条約が定められた1948年以降であれば正当性を有する
わけですが、
 南京大虐殺の証拠の質と国家の関与
という観点からすると、ジェノサイド条約でどこまでの範囲が処罰できるか微妙です。

戦争犯罪人を処罰する論拠がなく、
 連合国の論理でことを収めるためのセレモニー
というのが、ニュルンベルク裁判と東京裁判というわけです。

戦争犯罪についての成文法はありません。
そのため、
 ジェノサイド条約同様、人道に対する罪
という、批准していなくても拘束されるという慣習法を論拠にします。

ただ、人道に対する罪は、
国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、
絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為と規定される犯罪概念。
とされており、
 中国のチベット、ウイグル政策はどうなんだ
という気がします。


東南アジア諸国が親日なのは、その前のオランダやイギリス、フランスの植民地支配が過酷だったため。
後から入ってきた同じアジア人の日本人に対しては、それほどひどい扱いを受けていなかった。

韓国も、その前にロシアの植民地になっていた場合には、
日本に対する見方が変わった可能性があります。

日本の植民地政策を学ぶと、
 欧州の植民地政策を大きく異なる点があります。
それが、大学、ダム、道路、鉄道などの社会インフラの整備です。

台湾は、日本統治時代の建物を残しており、総統府などがあります。
韓国は、日帝残滓として文在寅のもと、取壊しに力を入れていますが、
たくさんのインフラが韓国の戦後復興を支えました。
このことは「反日種族主義」においても触れられています。
1995年まで、朝鮮総督府庁舎も取り壊されていなかったということが
日本のインフラのすごさを物語っています(地震がないというが日本と異なりますが・・・)。
ちなみに、旧ソウル駅などは残っています。

もちろん、他の民族に支配されたという歴史は、アイデンティティを傷つけるものであり、
屈辱的なことだと思います。
その民族共通の屈辱感をうまく利用すれば、
 まとまりの悪い民族でも、国家をひとつにまとめることができる。
それが、韓国の反日教育です。

日本人は、そのことを理解し、大人の対応をすればよいと思います。
大人の対応というのが、国際法です。

国際法は、戦勝国である連合国によって作られたものであるため、
 日本、ドイツ、イタリアは悪の枢軸である
ことが必要となります。
ニュルンベルク裁判も東京裁判も、
 戦勝国が敗戦国を裁き、平和を取り戻す
というセレモニーで会ったと考えれば、よく分かります。

そのため、
 日本は悪くなかった、他の帝国主義諸国と同様だ
 むしろ、結果として欧米列強から黄色人種のアジアが独立する契機を作ったのだ
と言おうものなら、
 修正主義者のレッテルを貼られる
ことになります。

せっかく作り上げた連合国の秩序を乱す思想だからです。
ただ、歴史を見れば、そういう側面があることは否定できない。

日本人は、そのことを意識し、
 帝国主義の時代の流れに、うまく対応したことに誇りを持ちつつ、
 別にそこで争う必要もないため、口には出さないでおけばよい
と思います。

これが、大人の対応です。

問題は、むしろ、反日主義者の日本人です。
日の丸を燃やしたり、国歌を国歌と認めず、他国の利益のための言動を行う。
そういう人が国会議員にもいるというのが驚きです。

自分の国を愛したり、国旗や国家を大切にするというのは、
 世界中どこでも当たり前のことです。
外国人の友人が多い人は、
 外国人がいかに自分の国に誇りを持っているか
が分かると思います。

 自分の国を愛し、誇りを持っている
人であれば、
 その代表者である総理が土下座させられている像を作られたのであれば、
 自分たちが侮辱されたと感じるはずです。

他の国や民族を侮辱する行為は、ヘイトスピーチ同様、
 低俗的な行為であり、国際社会からはそういう国民性だ
と認識されることになります。

そんな人と誰も友達になりたいとは思わないし、
ビジネスなどで取引をしたいとは思わない。

 韓国人の一部の低俗的な行為とそれを止めさせない国民性
が、
 国際的に韓国の評価を落としている
というわけです。

そんな無礼を働きながら、
WTOで散々日本と争っておきながら、
 次期WTO事務局長に立候補した韓国のユ・ミョンヒ
は日本が支持してくれると思っていると語っているとのこと。

厚顔無知というのは、こういうことを言うのだと思います。
(厚かましく、恥知らずなさま。他人の迷惑などかまわずに、自分の都合や思惑だけで行動すること。)


これから、コロナ後の大恐慌、東南海地震、財政問題、少子高齢化と
 日本社会に試練がたくさん訪れる
ことになるはずです。

ただ、歴史を学ぶと、
 日本はクールに乗り越え、逆境で強さを発揮し、
 多くの犠牲を払いながらも、精神的に豊かな国家であり続けている
ということが分かります。

貧しい人でも学べる「寺小屋」は、中世の寺院から始まり、
江戸時代には農村にまで拡大し、識字率の向上に貢献していたとのこと。
読み・書き・そろばんを子供ができたのは、学ぶことを大切にしていた国民性ゆえ。
(ウィキペディアより引用)
 江戸期に寺子屋による学問の指南が一般町人の間に定着しており、
 江戸時代ないし明治初期における日本の都市部の識字率は世界的にも高い水準にあった。

知的に成長することで、困難を乗り越えられる。

日本人の誇りは、勤勉であり、努力し、植民地支配されることなく、国体を護持し続けていること。
世界を見ても、こんな国はありません。
これから来るであろう試練も、勤勉に努力することで乗り越えられるはずです。
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本の読み方について。

2020年08月23日 | スキルアップ
「世界標準の経営理論」を読み終えました。
800頁の大作なので、時間がかかると思ったものの、
読みやすかったため、20日くらいでした。

本を読む際には、
 目的を決める
とよいと思います。


・調べるため(辞書代わり)
・役に立ちそうなスキルをもらうため(ビジネス書・マニュアル・レシピ)
・インスピレーションをもらうため(自伝)、
・感性を磨くため、楽しむため、悲しむため、感動するため(小説)
・知的に成長するため(科学・美術・学問としての学術書)
・人として成長するため《歴史・哲学》

情報を得るためであれば、
 必要な箇所を拾い読み
することで十分です。

知的に成長する(身につける)ためであれば、
 線を引いたり、考えたりしながら、熟読する
必要があります。

 線を引きながら(汚しながら)読む、ノートを取りながら読む
 机に座って読む
 参考文献を読みながら読む
ということで、理解が深まります。
この場合、速読はあまり意味がありません。

今回の本では、イノベーションについて役立ちそうだったため、
 「構想力の方法論という本」
を途中で読破しました。
こちらの本は、読みにくい本だったため時間がかかりました。

 線を引きながら読む
のは、
 2回目を読む際に、時間が早くなる
ためです。

そのため、
 何度も読まない本は、線を引く意味はない
と思います。
ノートを取るのも、
 後で見返すため
なので、
 見返すことがないならノートを取る意味は少ない。

 机に座って読む
のは、
 線や書き込みがしやすい
ことと、
 集中して読むことで頭に残りやすい
ため。

参考文献についても、
 より理解を深める
ことで、
 自分のものにしやすくなる
ため。

これらを実行することで、
 その本を読破できる可能性が高くなる
と思います。

 線を引く
ことで、
 達成感が生まれる
ので、
 毎日少しでも読むという習慣が身につきやすい。

特に、
 民法などの分厚い基本書
を読む場合に、
 今日はこの章を制圧しよう
と線を引きながら読むと、
 達成感が心地よいので、意外と読み進められる
はずです。
最近、内田民法Ⅲ(第4版)が出たので、久々に読んでいます。

ビジネス書などは、
 役立ちそうなスキルに付箋を貼りながら読む
とよいと思います。
こういう本は習得するというよりは、
 宝探しのように、役立つ情報を見つける
という感覚で読む。
線を引かなくてよいので、電車の中は最適です。

電車の中でリアルの本を読んでいる人を見かけなくなりました。
絶滅危惧種のような感じで、
 まれに見かけると勝手に仲間意識を持ってしまいます。
5年前は結構いた記憶ですが、スマホの普及で激減した感じです。

最近は、圧倒的に、スマホ族が占めています。

電子書籍をスマホで読んでいる人もいると思います。
ただ、
 研究では、紙の本の方が学習効果が高い
と言われています。

特に、知識やスキルを習得するために本を熟読する場合は、
 線を引いたり、書き込んだりする
という点で、
 紙の本の方が有益
だと思います。

ただ、重いし、保管が大変というデメリットも。
そのため、
 ビジネス書などスキルをピックアップする程度でよい場合

 小説など楽しむための読書
の場合は、
 僕も電子書籍を利用しています。


最近では、YouTubeなどで、
 本の要約コンテンツがある
ので、
 本を読まなくても動画見ればいいんじゃない?
という意見もありそうです。

ただ、
 実際に本を読んだ人と、コンテンツを見た人とでは、
 習得に違いがある
はずです。

概念を理解するためには、
 文脈や前後関係といったコンテクスト
が重要だからです。

このコンテクストが
 概念の記憶や理解を助けてくれる
わけですが、
 他人がまとめた情報
では、
 ごっそり抜け落ちてしまう。

そのため、
 分かった気になる
ものの、
 実際に使いこなすのは難しい。

面倒でも、
 本を読んだ方が、結果として身につきやすい
というわけです。


よい本をじっくり、読むことで、理解力が磨かれる。
概念を理解したり、論理展開を意識したりすることで、思考力が磨かれる。
文章に慣れ親しめば、表現力が身につく。

本の知識も得られ、思考力と表現力のトレーニングもできる。

ただ、時間がかかるため、
 ビジネスマンはそれほど多くの時間を割けない。

だから、
 大学時代が重要となる
わけです。

若いときに身につけたスキルは、
 後の長い人生の武器となる
ため、
 投資効果も高い。

読書量と年収との相関関係があるという研究もあります。

さらに、
 読書方法や読書のテーマを研究すると、
 経済学や経営学などのほか、歴史や哲学といった幅広い分野が読まれている
ということです。

ビジネス書をたくさん読むより、
 様々なテーマの良書を読んだ方がスキルアップにつながる
というわけです。

これは、「世界標準の経営理論」からも説明ができます。

お金を稼ぐのは、アイデア(イノベーション)を生み出すクリエイティブな人物である。
イノベーションは、「知の探索」と「知の深化」が重要である。
「知の探索」とは、幅広い知識を有し、知を組み合わせること。
「知の深化」とは、知識を深掘りしていき、アイデアを収益化すること。
知の探索(横)と知の深化(縦)は、ベクトルが異なるので、両立が難しい。

ただ、
 様々な分野の本を、深く読む(熟読する)ことで、「知の探索」と「知の深化」を両立する
ことができる。

よって、
 様々な分野の本を深く読む人は、お金を稼ぐことができる。


 「世界標準の経営理論」は、思考の軸として使って欲しい
というのが、著者の思いで、終章に熱く書かれています。
 経営理論に関しては、研究者志望でもない限り、本書で十分だから、経営理論のビジネス書を読む必要はない
ということです。
それより、経済学、心理学、社会学などの良書を読んでほしいと。

これも、「知の探索」「知の深化」に関連しています。

ただ、残念ながら、本を読む人や、いろいろな学問を学ぼうという人が減っています。

逆に言えば、
 「思考の軸」という武器を持っている
ことで、
 有利にビジネスを展開できる
ことになります。

これが、
 格差を生み出す
ことになる。

格差は、
 本を読んで努力してスキルを磨いていこうという人が存在する以上、なくなることはない。
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「世界標準の経営理論」がすごい点(入口・経路・出口で考察)

2020年08月19日 | スキルアップ
前回紹介した「世界標準の経営理論」。
590頁まで読み終えました。
内容は高度なのに、非常に読みやすく、面白い。

アマゾンの評価が高い理由がよく分かりました。

著者は、特に、ビジネスパーソンに読んでもらいたいということです。
その意図は、
 この本のテーマでもある「日本企業の再生」
にあると思われます。

経営理論を思考の軸として身につけたビジネスパーソンが増えることで、
 日本企業が再生する
というわけです。

ここまで読んでみて一番感動したのは、
多くのビジネス書で書かれている
 人材の多様化と風通しがよい組織
が、
 企業の成長に不可欠である
ということが、
 エコロジーベース(生態系)の進化理論
から説明されていて、腑に落ちたことです。

詳細なテーマは、いずれ触れるとして、
 この本の最大の魅力である「読みやすさ」
について、
 前回の内容である入口・経路・出口から説明します。



 大学の授業は、とてもつまらない
と思っている人が多いはず。
 教授が自分の本を読んでいるだけ
とか、
 難しすぎて意味が分からない
とか。

なぜ、こういうことが起きるかというと、
 学者は、出身大学・師弟関係(研究室)・論文数・他の教授の評価によって、その評価が決まる
からです。

 教えるのがうまい
という要素は、あまり学者の評価につながっていない。
学生による授業評価アンケートが生まれてはいるものの、
 教授を縛るものではない。


表現は、
 入口 知覚
 経路 記憶
    表現
 出口 叙述
という課程を経ています。

経路の中に、記憶・表現という二つが含まれています。
三分類に収まらない場合は、このように、内容に応じてまとめるとよいです。

入口 何かを見て、気がつく(知覚)。
経路 その内容を記憶する(記憶)。
   どのように表現するかを考える(表現)。
出口 伝達する(叙述)。

刑事裁判では、
 証人の証言において、この過程に誤りがないか
をチェックします。

このチェックの機会(反対尋問の機会)が与えられない証拠は、
 伝聞証拠
といって、
 原則として証拠能力が認められない
ことになります。

知覚 見間違いでは? あなたの視力は? 当時の状況は明るかったですか?
記憶 記憶力は? かなり時間が経っているのでは?
表現 見たことと異なる表現(嘘)では? お金をもらっていますね?
叙述 言い間違いでは?  

入口  経路(思考) 出口
知覚  記憶 表現  叙述
A   A  A   A  ・・・Aを見て、Aと記憶し、Aと表現しようと思い、Aと証言(正しい証言)
A   B  B   B  ・・・Aを見て、間違ってBと記憶し、Bと表現しようと思い、Bと証言(記憶間違い)
A   A  B   B  ・・・Aを見て、Aと記憶したが、Bと表現しようと思い、Bと証言(嘘の証言)
A   A  A   B  ・・・Aを見て、Aと記憶し、Aと表現しようと思ったが、言い間違えてBと証言(単なる言い間違い)


この表現過程に従い、表現のスキルをまとめることができます。
入口 インプット  知覚 観察力・洞察力・読解力
経路 思考     記憶 記憶力
          表現 思考力・構成力
出口 アウトプット 叙述 文章力・表現力

これを学者の例に当てはめて考察してみます。

学者として、論文が評価される場合、
 観察力、洞察力、思考力(まとめる力)などで、優れている
ことが多い。

論文の文章力は、そこそこでも、
 内容が斬新であったり
 うまくまとめられていたり
すれば、
 評価される
ことになります。

学生に教えるスキルは、
 わかりやすく伝える
 興味を持ってもらえるように工夫する
というように、
 表現力が問われる
ことになります。

そのため、
 地位と名誉のある学者でも、表現力がいまいちだと
 授業はつまらない
ということになります。

地位と名誉がすでにあれば、
 学生のために、教え方を工夫しよう
というモチベーションは生まれない。
そもそも、
 学者は研究が重要である
という思考であったりすると、そんな発想すらない。

学生が、資格試験予備校に流れたのは、
 合格に直結することが学べる
ということだけでなく、
 授業がわかりやすい
ということも大きな理由です。

「世界標準の経営理論」は、
 世界の経営理論をビジネスパーソンの「思考の軸」になる
ように、
 まとめていく
というものなので、
 著者の知覚
は、さほど多く記載されていません。

優れているのは、
 どのように表現しようかという構成力(表現)

 読みやすい文章(叙述)
です。

このような読みやすい本があるのと反対に、
本を読んでいて、頭に入ってこないことがあります。
その場合には、
 入口・経路・出口
で、原因を探るとよいと思います。

著者の能力の不足。
著者の出口(文章力)が足りないため、読みにくい。

自分の能力の不足。
自分の入口(読解力)が足りないため、理解が難しい。

これら両方ということもあります。

大学の授業がつまらないのも、
 実は、両方ということが多い
と思います。
大学は、中学・高校と異なり、高度な内容を教えるため、
 予習は不可欠ですが、該当箇所のテキストを読まずに出席する学生も多い。
そのため、
 自分の入口(読解力)が足りない。
加えて、
 教える方も、親切丁寧な表現ではない。
両方の理由から、
 講義がつまらないもの
となり、
 大学の存在価値が減っている。

ビジネススクールの場合、
 発言することを余儀なくされるため、予習していく
ことになるわけですが、
 大学は大人数なので、予習しないと恥をかくという危機感はない。

これを防ぐには、
 サンデル教授の授業のようにあてまくる
という講義スタイルがよいわけですが、
 ソクラテスメソッドの授業は、高度な構成力・表現力が求められる
ので、 
 教授の負担(スキルの問題)が大きくなる。
そのため、
 日本ではあまり行われてはいない
というわけです。


この入口・経路・出口によるそれぞれのスキルのまとめは、
 上司から、話が分かりにくいと言われた場合
に、役に立つと思います。

入口 インプット  知覚 観察力・洞察力・読解力
経路 思考     記憶 記憶力
          表現 思考力・構成力
出口 アウトプット 叙述 文章力・表現力

なぜ、自分の話が分かりにくいのかを、
 入口・経路・出口で分析する
わけです。
その上で、その能力について書かれた本を買って、よく読んで理解します。
理解したら、本で学んだことを、繰り返し練習します。練習あるのみ。

上司に、話が分かりにくいと言われて、
 「わかりやすく話す方法」という本を買ったとしても、
話の構成に問題があるのであれば、改善は期待できません。
三段論法や結論からまとめるなど、
 「文章の書き方」などの構成力についての本
が必要だからです。

滑舌が悪いのであれば、表現力を高めるために、
 「話し方」の本
が必要となります。
発声練習や「ういろう売り」でトレーニングしたりする。

自分の苦手なところを見つけ(入口)、
本を買って読んで、理解し(経路)、
繰り返し練習する(出口)。

弱点克服にも、
 入口・経路・出口の型
は役立ちます。


今回のブログの記事も、
 入口 導入
 経路 入口・経路・出口と表現過程の説明
 出口 まとめ
で構成しています。

このように、入口・経路・出口の型は色々なところで、使えるのでおすすめです。
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スキルアップで役立つ「型」(フレームワーク)

2020年08月17日 | スキルアップ
 膨大な情報をマスターしなければならない
場合に役に立つのが、
 「型」(枠組み・フレームワーク)を設定する
ということです。

最近やたら、外資系コンサルの○○という本が増えていますが、
 コンサルタントが提示するフレームワーク
もこの「型」です。

フレームワークを使うと、
 自分の思考をまとめやすい
 相手に思考を伝えやすい
というメリットがあります。

この点も、前回紹介した「世界標準の経営理論」で触れられています。
経営理論として、支持を集めるためには、
 フレームワークを提示できるかどうか
が影響するということでした。
 ファイブフォース分析のマイケル・ポーター
などが例に挙がっています。
ファイブフォース分析とは、
 「供給企業の交渉力」
 「買い手の交渉力」
 「競争企業間の敵対関係」
という3つの内的要因と、
 「新規参入業者の脅威」
 「代替品の脅威」
の2つの外的要因
から、業界を分析する手法のことです。

こういう「型」があると、
 どんな事実を集めて(リサーチ)、
 何を分析すればいいか(分析)
の指針となります。

そのため、
 時間の節約につながる
とともに、
 質の高い分析ができる
というわけです。

コンサルの結果を提示される側も、
 一つ一つの要素に従い、ロジカルに説明される(伝達)
ため、
 理解しやすい。

つまり、こういう「型」を持っておくと、
 知的に成長する
上で、非情に有利であるということです。

また、「型」は、
 リサーチ、分析、伝達
で役に立つだけでなく、
 記憶
においても有益です。

例えば、
 弁護士が膨大な法律の条文を記憶できるのか?
 六法全書でお目当ての条文を見つけることができるか?
も、この「型」に答えを見いだすことができます。

法律の条文は、
 パンデクテン方式
に従って、
 配列されている
ので、
 条文の場所が覚えやすくなっている。

民法だと、 
 総則
 物権
 債権
 親族
 相続
という編で分類されいて、
 総則の中も同様に分類されている
ので、これだけ覚えておけば、
 ある程度の場所が分かる
というわけです。

このパンデクテン方式も、
 広い意味では「型」「枠組み」といえます。

このように、
 「型」は、情報の整理・記憶
に役立ちます。

そのため、自分の「型」を身につけておくと、
 複雑な事柄を的確に把握できる
ので、
 スキルアップに役立ちます。

逆に、「型」がないと
 何をしたらよいか分からず、場当たり的に動く
ことになり、
 無駄が多くなります。

政府のコロナ対応がまさに場当たり的な対応。
2月の時点で、「型」に従って、
 やるべきことを明確にしておけば、後の混乱は防げた
と思います。
 

思考の整理に役に立つ「型」として、おすすめなのが、
 入口、経路、出口
という三分類法です。

フレームワークとしては、
 空(事実)→雨(解釈)→傘(行動)
という空雨傘のフレームワークと捉えることができます。

僕の中では、空雨傘のフレームワークも、
 入口・経路・出口の一類型
と位置づけています。
入口・経路・出口の三分類法は、
 シンプルで色々使えるので、使いこなせるようになる
とスキルアップの優れた武器になると思います。

例えば、コロナ対策を引き合いにしてみます。

県の担当者でコロナ対策を考えるように無茶ぶりされた場合。
普通の担当者であれば、とりあえず、
 通常は前例を確認する
ことになります。
ところが、
 使えそうなものが見つからない。
そのように、
 前例が使えない場合には、自分の頭で考えるしかない
わけですが、
 こういうときに威力を発揮します。

とりあえず、
 入口
 経路
 出口
とノートに書いて、線で区切る。

その上で、どんなことが必要かを考えていく。
この場合は、
 入口 感染者を見つける
 経路 治療や隔離
 出口 退院
と大きく分ける。
その上で、それぞれにつき、具体的に検討していく。

入口の感染者を見つけるのは、
 PCR検査が必要だろう。
では、PCR検査は、どのタイミングで行えばよいか?
 ・4日間以上発熱症状があり、渡航歴がある人
 ・症状があり感染の疑いがある人
 ・濃厚接触者
 ・接触者
 ・全員
と、範囲を拡大しながら、カテゴライズしてみる。
その上で、
 失われる利益 リソース(たくさん実施すれば費用がかかる)
 得られる利益 たくさん実施すれば蔓延防止のリスクを防ぐことができる
などを総合的に判断する。

今は、症状があり感染の疑いがある人で足りるということになるわけですが、
 ウイルスの危険性が高い
場合(感染するとエボラのように死ぬ確率が高い)には、
 接触者や全員というように蔓延防止の方向に向かう
ことになります。
 蔓延防止のリスクを防ぐという得られる利益の価値
が劇的に高くなるからです。


経路は、
 陽性者となった場合は、どうするの?
という話で、
 失われる利益 リソース(病院に限りがある、ホテルの用意に費用がかかる)
 得られる利益 蔓延の防止(家族や周囲の人に感染させるリスクを防げる)
などから、総合的に判断することになります。

症状に応じて、
 病院、ホテルなどの施設、自宅などの振り分けを行う
というのが合理的です。

最初に大阪モデルということで実施され、東京など全国に広がっていきました。


出口は、
 退院や施設の退所の条件やその後をどうするか
という話。
 失われる利益 リソース(費用がかかるので、陰性になれば早く退院して欲しい)
 得られる利益 蔓延防止(偽陰性のリスクや再発のおそれがあるので、2度のチェック、14日は隔離したい)
などから、総合的に判断することになります。


議論をする際に、
 これは、入口の話、経路の話、出口の話と分けて考える
と、
 議論を整理する
ことができます。

 医療機関の逼迫を招くから、PCR検査は抑止的であるべきだ
という主張については、
 医療機関の逼迫は、治療をどうするかという経路の話なので、
 症状に合わせて、ホテルや施設を用意し、対応すればよい
と反論ができるわけです。

あくまでも、入口(感染者を見つけるためにどうするか)というところが、
 議論の争点
なわけで、
 治療の話は別の問題と論点を整理することができます。

PCR検査の正確性に問題があり、
 偽陰性(陽性者なのに陰性になった)の人が自分は大丈夫だと
 誤信して動き回れば感染者が増す
という主張に対しては、
 いかにして、陽性者を見つけるか
という入口の目的からすれば、
 偽陰性の問題は、争点から外れる
ということになります。

 偽陰性の人もいるので、気をつけて行動して下さいね
という告知を徹底すればすむからです。

また、偽陽性(陰性なのに陽性と判定)の場合、
 間違って隔離することになるので、人権侵害だ
ということを、
 PCR検査の抑止的運用の理由
とする見解もあります。

ただ、これを言い出したら、そもそもPCR検査をすること自体が問題となります。
いかにして陽性者を見つけるかという目的からも外れてしまいます。

PCR検査がある程度の信頼性が認められるのであれば、 
 それにより、例外的な過誤があったとしてもやむをえない
という前提のもとに、
 制度を設計せざるを得ない
ということは、
 当然の前提となります。

裁判は、えん罪のおそれがあるから、
 抑止的であるべきだ
と言っているのと、論理構成は同じ。

犯罪が蔓延するのを防止するには、
 一定数のえん罪が発生する
としても、
 裁判を行っていく必要がある。

ウイルスの蔓延を防止するには、
 一定数の偽陽性が発生する
としても、
 PCR検査を行っていく必要がある。

論理的には、同じです。


ただ、
 こういった判断をするためには、ある程度の情報が必要となる
わけです。

特に、ウイルスの危険性は、すべての施策に影響を与えます。

そう考えると、
 4月の時点では未知のウイルスで情報やデータも少なかった
ことから、
 ある程度、過剰な対応もやむを得なかった
のかもしれません。

個人的には、休校と非常事態宣言はすべきでなかったと思いますが、
 強く責められるかというと、当時の情報量では仕方がないかな
という気がします。

ただ、PCR検査の要件の緩和と、症状に合わせた隔離措置については、
 もう少し早い時期にしておけば、国民も安心できた
と思います。


こんな感じで
 入口、経路、出口で分析する
と、
 やるべきことが見えてくる。

会社のプロジェクトの企画も、
 入口、経路、出口
で分類し、
 必要なリソースをまとめていく
と漏れがなく、
 合理的な判断ができる
と思います。
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ダイナミック・ケイパビリティから考える保健所の「コロナ対策」

2020年08月09日 | スキルアップ
最近読んでいる本。
アマゾンの書評が経営学の本として異常によかったので買ってみました。



 経営理論を「思考の軸」として使ってもらえるようにする
というコンセプトで執筆されていて、
 体系的にまとめられており読みやすく、ためになります。

今まで読んできたたくさんの本をカテゴライズできるため
(この本は、目次のここのことだなというように体系づけできる)、
頭の整理もできます。

現時点では、800頁中の300頁なので、半分まで行っていないですが、
知的に成長できる要素がたくさんありました。

色々書きたいところですが、今回は、
 ダイナミック・ケイパビリティについて。

ダイナミック・ケイパビリティについては、
 この本では、確たる定義はない
という記述です。

あえて訳せば、
 ダイナミック 動的な
 ケイパビリティ 企業が全体として持つ組織的な能力(リソース・強み)
で、
 事業環境に合わせて組織的な能力(リソース・強み)を変化させる(組み合わせ直す)
ということになります。

ダイナミック・ケイパビリティで成功した例として、
 IBMが、時代に合わせて、
 メインフレーム事業→サーバー事業→ソリューション事業
と変化していったケースが紹介されています。

ダイナミック・ケイパビリティを高めるためには、
 センシング(事業機会・脅威を感知する力)をつける。
そのために、
 幅広い知識・経験が得られるようにする。

また、
 サイジング(感知した事業機会を「とらえる」力)をつける。
そのために、
 既存の組織とは独立した組織・リーダーシップ・予算と
 シンプルルールにとどめ、予想外の事象には、柔軟に対応できる権限を与える。

富士フイルムの例で言えば、
 カメラフィルムでは生き残れないぞと脅威を感知するのが、センシング。
カメラフィルムのナノ技術は、
 化粧品を肌に浸透させるために使えそうだと事業機会をとらえて、
 研究者が、予算をある程度、自由に使って画期的な化粧品の開発に取り組むのが、サイジング。

数頁を数行にまとめているので、正確な知識は本を読むとよいと思います(300頁~)。
富士フイルムの例は、僕が勝手にまとめたもの。

*****
今の日本に必要なのが、このダイナミック・ケイパビリティです。
日本の法体系(民法、刑法、民訴、刑訴)は、
明治時代に作られたものが改正を経ながら、未だに使われています。
民法がようやく2020年4月から債権法の大改正がなされましたが、
 基本的な目次(パンデクテン方式)に大きな変更はありません。

憲法も戦後1946年11月3日に成立し、1947年5月3日に施行され、
 73年間一度も改正はありません。

新憲法制定(8月革命説)に伴い、地方自治法も制定されました。

ウィキペディアでは、
「1999年7月には地方分権改革を目指した大がかかりな改正(2000年4月1日施行)が行われ、
この改正地方自治法を「新地方自治法」(松下圭一)と呼ぶこともある。
この改正によって機関委任事務は廃止され、
国と地方の関係は「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係へと変わった。」
とありますが、
 事実上、予算の縛りによって、「上下・主従」の関係は維持されている
といえます。

中央政府(官僚)の意識も上下・主従関係があることは、
 泉佐野市に対する報復措置(裁判では違法が認定)

 「Go To トラベル」における東京外し
など、
 逆らったらどうなるか覚えておけよ
という「お金を人質にした強制」からもみてとれます。

明治時代、あるいは終戦後から、今までの間に、
 PC、タブレット、スマホ
 メール、ライン
 ラジオ、白黒テレビ、カラーテレビ、地デジ、YouTube
 クレジットカード、スイカ、ビットコインなど仮想通貨、コンビニ決済(アマゾンポイント)
と技術の変化は激しいのに、
 国の法体系や行政の根本的な仕組みや事態は変わっていない。

こういった時代の変化に合わせて、
 日本のリソースを作り直していく
ことが求められています。

日本のリソースの作り直しの中には、法体系や行政組織の仕組みのほかに、
 中央と地方自治体の役割分担
も含まれます。


ダイナミック・ケイパビリティを活かして、
 新型コロナウイルスの対応
について考えてみます。

今回のような感染症は、
 保健所の一部門が担当する
ということになっています。

保健所は、通常業務を前提に人員が配置されているため、
 いきなり、パンデミックの対応をしろ
と言われても、知識や経験はありません。

まだ、死亡率が低いため、現在は落ち着いていますが、
 冬に凶暴化し、重症化率や死亡率が急激に上がってきた際に、
 パニックになるおそれがあります。

そのため、パンデミックという異常事態によって、
 保健所に求められている仕事が変化している。

この現状に合わせ、
 保健所のリソースを組み合わせ直していく必要がある
ということです。

ここで、
 ダイナミック・ケイパビリティが生きる
ことになります。

まず、センシング(事業機会・脅威を感知する力)をつける。
そのために、
 幅広い知識・経験が得られるようにする。

脅威を感知するためには、
 保健所の限られた職員だけでは無理
です。

 医師会、大学、民間の検査会社、タクシー業界、ホテル業界
と協力して、
 幅広い知恵やリソースを活用できるようにする。

 PCR検査、抗原検査などの実施→早期発見→早期治療、隔離
という封じ込め策を立案し、実行するために、
 幅広い人材(組織)と協力する。


次に、サイジング(感知した事業機会を「とらえる」)。
そのために、
 既存の組織とは独立した組織・リーダーシップ・予算と
 シンプルルールにとどめ、予想外の事象には、柔軟に対応できる権限を与える。

的確な措置を講じられるように、
 国から県への権限と予算を委譲する。

マニュアル化によるシンプルルール。これによって、雑務の負担が軽減する。
予想外の事象には、柔軟に対応できるように、保健所職員に権限を与える。
いちいち、対応を協議したり、国にお伺いを立てずにすむため、的確かつ迅速な対応ができる。

自宅療養は、感染拡大をもたらすため、原則認めない。
現に、家庭内感染が増えていることや、
陽性者が買い物に行きクラスターが発生した事例あり。

「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」を
国民に周知徹底し、厳格に適用する。

ホテルは嫌だという人には、
 勧告した上、従わないと法律に従い、強制隔離する
と伝える。

自宅での療養者や待機者の管理は、保健所のスタッフがいちいち電話する必要があり、
 負担が大きい。

そのため、
 軽傷者や無症状者は、ホテルを原則とする
ことで、スタッフの管理の負担を軽減する。
ホテルによる隔離は、
 外出を防止できる
とともに、
 重症化の早期対応
という面でもメリットが大きい。

入院は、医療機関を圧迫するため、極力避ける。

移動は、
 感染対策を施した提携タクシーを利用する
ことで、
 陽性者、救急車の負担軽減

 タクシー業界へのサポートにつながる(Go Toより助かるはず)。

保健所という組織をパンデミックに合わせて、他業種と協力しながら
 リソース(人員、施設、設備、スキル、ノウハウ)を組み合わせ
現在の課題に的確に対応できるようにする。

これが、
 ダイナミック・ケイパビリティの活用
です。

企業が時代に合わせて、強みを変化させ、生き残っていく理論は、
 国や自治体が時代に合わせて、リソースを組み合わせ直して、生き残っていく
ことにも使えるというわけです。
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情報の偏りのリスク。

2020年08月04日 | 国家論
最近は、コロナのニュースばかりで、
 そのほかの重要なニュースの入手が難しい
状況になっています。

ワイドショーのメリットは、
 ニュースを題材に掘り下げる
という点にあります。

ニュースは事実のみ、
しかも、表現方法には、厳格な中立性という縛りがある。

ワイドショーは、
 ニュースではないというスタンス
で、
 この放送法の縛りを回避している。
そのため、
 意見ということで、自由な表現ができる。

本来は、学者などの専門家や、
 実際に体験した人の意見を取り入れる
という目的でしたが、
 最近は視聴率ということで、芸人やアイドルといったタレントの自由な意見
が多くなっています。

また、テーマや時間配分も視聴率により変動するので、
 コロナが視聴率が取れるとなれば、かなりの時間を割く
ということになります。

そのため、
 多様なニュースを深掘りする
という役割を果たさなくなってきています。


今、世界が大きく変わろうとしています。
新型コロナウイルスがきっかけで、
 中国共産党の覇権主義

 それに対するアメリカ・イギリス
の対立の激化が早まった感じです。

中国では、洪水が長江のみならず、黄河でも起こっており、
 その反面で、干ばつも起きている
という異常気象の被害が報告されています。

異常気象は、世界中で起きています。
 海面の上昇、大規模火災(乾燥)、洪水、ゲリラ豪雨、ハリケーン、巨大台風
など、
 10年前には見られなかったスケール
で起こっています。

自然災害に襲われると、
 国家は財政や経済に影響が生じる
ことになります。
さらに、
 コロナにより、経済が壊滅的になっており、失業者も増え、
 お金が回らない事態に。

このような場合、
 独裁国家では、敵を設定し、国民の不満を外に向ける
必要に迫られます。

そのため、香港の支配や、尖閣や南沙諸島への進出の動きと、
 国内の混乱(コロナ、不況、失業、洪水)とは関係性が高い
と思われます。

日本政府は、
 事なかれ主義
で、
 リスクの種があったとしても、見て見ぬふり
をします。

それで、起こった後で、
 予見できなかったと主張して
 パニックになり、極端な行動を取る。

これの繰り返しで、
 国民がそのつけを払わされることになる。

太平洋戦争も、バブル崩壊も、東日本大震災の東電対応も、新型コロナウイルスの対応も、
 このままではやばいことになるぞ
と分かっている人は、事前に警告している。
しかし、うまく対応できずに放置し、
 起こった後で、あたふたする。


中国共産党の脅威は、覇権主義や国内の人権侵害からも明らかなため、
 日本が取るべきスタンスは、アメリカとの関係強化にある
わけです。

中国共産党の危険性については、
 情報統制や批判した者が適正な裁判をなく投獄されている
ことから、よく分かります。
まさに、独裁国家。
日本がこんな国家に支配されることになったら、自由などなくなります。
尖閣のみならず沖縄の領有権も主張し始めているため、
 沖縄県民については、リスクがあります。
すでに、
 沖縄の新聞、メディア、政治家は中国の影響を深く受け、
 基地問題も含め、反日の傾向が強くなっています。

しかし、
 ワイドショーが中国共産党の危険性を深掘りする
ことはありません。

正しい情報がなければ、
 日本がこれからどういった道を進むことがよいか
という
 決断をすることはできません。

中共は、
 情報操作を得意とする
ため、さらにやっかいです。

しかも、
 孫子の兵法を巧みに使いこなす
ため、
 お金を使って議員や経営者を取り込む
のも得意です。
孔子学院や留学生をうまく利用するのも、
 戦略的には優れている。
こういったことは、日本外交も学んだ方がよいところです。

その犠牲は、
 尖閣や沖縄を失い、
 お金や軍事的脅威をちらつかせられ、
 属国のような扱いをさせられる国民が負う
ことになります。
日本のメディアは、
 中国とアメリカの覇権争い
だというように、 
 人ごととして捉える傾向があります。
これが、
 これからの世界情勢や日本に大きな影響を与えることになる
という意識が希薄なような気がします。

日本にとって一番危険なケースは、
 オバマ民主党政権時代に取り沙汰されたアジアは中国、それ以外はアメリカという
 覇権二分論
です。

バイデン財団やバイデンの息子に中国の資金が大量に流れていることから明らかなように、
 バイデンと中共との結びつきは強固。
確かに、アメリカ議会は中共の脅威を意識し、反中共の姿勢を明確にしているものの、 
 法律は強固なものでも、執行者(行政)が裏道を作る
ということはよくあるため、
 なし崩し的になり、バランスを取る方向にシフトする
おそれもあります。

いずれにせよ、
 21世紀を考えた場合には、日本は自分の身は自分で守る
というように、
 そろそろ、親の庇護を離れ、自立する必要がある
というわけです。

今は、自衛隊に敵国の基地を攻撃することを認めるか議論されていますが、
 自衛隊の法整備により、自分の身は自分で守る
ことを明示するわけです。

メディアが掘り下げて検討すべきは、
 これからの日本がどういう国家になるべきか
ということだと思います。

ただ、
 視聴率は取れなさそうですので、コロナや芸能人の不倫
に時間が取られることになります。

これが、衆愚政治を生んでいる元凶です。
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