知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

人生を決めるのはマインドと戦略。

2011年12月28日 | スキルアップ
フィギュアスケートは、受験のときから見ています。
フィギュアスケートは、論文試験と似ているからです。

フィギュアスケートには、ショートプログラムとフリースケーティングがあり、
合計得点で競われます。

ショートプログラムは、2分50秒で、
 アクセルジャンプ
 ステップからのジャンプ
 ジャンプコンビネーション
 フライングスピン
 足換えスピン
 スピンコンビネーション
 ステップシークエンス
の7つの要素を取り入れ、
同じジャンプを飛んではいけないというルール設定があります。

これは、論文試験と同じです。

時間内で、設定されている論点を取り入れ、まとめあげる。

このことに気がついてから、論文は結構得意になりました。

知っていることを書こうという発想から、
点が取れるように書こうという発想です。

飛びたいものを飛ぶという発想から、
点が取れるように飛ぶという発想。

こういった発想は、
学部試験でも役立つと思うので、
論文試験のイメージとして持っておくとよいと思います。

また、企画書の作成でも役立つと思います。
書きたいことを書くのではなく、クライアントに評価される要素を取り入れてまとめあげる。

一つ一つの精度を上げていく。
もちろん、練習でできないものは、本番でできないので、
何度も何度も練習して、自然にできるようにする。

途中で失敗したら、柔軟に構成(飛ぶジャンプの難易度)を変える。
ほかの選手の点を見ながら、構成を変える。

一流の選手は、この辺がうまいわけです。

高橋選手は、フリーで失敗しまくっていましたが、
ショートプログラムの高得点で逃げ切りました。


高橋選手が強くなった理由は、怪我という困難を克服したことにあると思います。
一時期、引退も覚悟したというドキュメンタリーを見ていたので、
ドラマを見ているように、リアルを見ていました。

その後の目覚ましい活躍は、映画みたいな感じです。

そして、もう一人、東日本大震災で練習場を失った羽生選手。
こちらも、困難を克服して結果を残しています。

グランプリシリーズの出場が確実。


やはり、マインドが重要なんだろうなと思います。

困難な状況が人を成長させる。


戦力外通告を受けた選手のドキュメンタリー。
ここでも、困難な状況といえます。

困難を乗り越えるには、
 覚悟と戦略
が必要だと思います。

戦略は、自分以外の知(名コーチ、トレーナーなど)によって補う必要があります。

一つの球団で結果が出なかったということは、
 何らかの理由がある
ため、
 その理由を克服するための戦略(知)を取得しないと同じ結果になる
確率が高いということです。

その知を授けるのがうまい人が、野村監督というわけです。

よく、努力すればいいとか、精神論だけで乗り越えようという人がいます。
ただ、多くの場合、うまくいかない。

理由は、知の要素が足りないからです。


このことに気がつくには、
 痛い失敗を繰り返す
必要があります。

がんばっている人ほど、
 がんばっているのだから結果が出るはず
という思い込みがあります。

そのため、うまくいかないと落ち込む。
 自分はもうだめだ。才能がないんだ。

これで、試験を諦めてしまった人がたくさんいます。

実は、才能がないのではなく、
 がんばる方向性が違う
ということが往々にしてあります。

それを教えてくれる人を捜す。
お金がかかっても雇う。

僕も、痛い経験をしています。
不合格の経験
株の下落(このおかげで他人ではなく、自分に投資するようになりました。
そのおかげで、他人のビジネスにお金をつぎ込むより、
自分のビジネスにつぎ込んだ方が、リターンが大きいことがわかりました。
あと、会計情報は当てにならないのと、とんでもない経営判断をする経営者がいるという現実もわかりました。)
税を考えずに利益をあげたこと(税理士をうまく使うことで、かなり節税できたことが後で判明)。
専門家や知(スキル)の必要性を実感。



 専門家にお金を払えるかどうか
 知を取り入れることができるかどうか
が、
 人生を決めることになります。

もちろん、マインドがなければ、そもそもスタートラインにもたてないので
 マインドは、必要条件
です。
しかし、十分条件ではない。

その欠けている条件が、戦略ということです。

高橋選手には、励まし支えてくれた名コーチが、
羽生選手には、全国のアイススケートショーに参加させてもらえるような環境が、整っていた。

マインドや努力に、戦略が加わってこそ、
 成長する。

このシンプルなルールに気がつくために、
 僕は多くの時間とお金を使いました。

ただ、人生の比較的早い段階で気がつけたので、
 その後の成長は比較的うまくいっているのかな
と思います。

これを読んでくれている人は、
 お金と時間を節約できる
かもしれないですね。
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激動の2011。

2011年12月28日 | 国家論
今年は、日本の歴史上、かなりインパクトがある年でした。
おそらく、戦後これほどの死者・行方不明者が出た年はなかったと思います。

町も破壊され、自然の恐ろしさを体験。
放射能に汚染され、これから何十年も後始末に追われることになる。

そして、露呈したリスク管理能力のなさ。

政治家の無能ぶりが露呈することで、逆に力を持った官僚機構。
官僚による、大きな国家の推進。

それにより、復興を名目とした
 大型公共事業の復活。

そのための重税政策。

それによる愛国心の低下。
企業の海外移転。
国民のモラルハザード。

それにより、生活保護の受給者の急増。
脱税の横行。

自助努力の低下。


*****

これが現実であり、どんどん悪化していくと思います。

国家論を書き始めたのは、国を頼りにしていては、
 今後大変なことになりますよ。
 だから、今のうちに知的に成長して、自分で何とかできるようにしたほうがいいですよ。
というスタンスのものでした。

震災が目くらましに使われていますが、
 重税政策はどんどん進んでいく
と思います。

リスクヘッジとしては、
 知的に成長して活動領域を広げる
ということです。

知的に成長することで、
 今までの活動領域から飛び出す
ことができます。

この知的には、
 ITのスキルや、語学、専門技術などが含まれています。

同じ職場で同じような仕事ばかりしていると、
 成長速度が落ちる
ので、
 そこでしか役に立たない人材になってしまうおそれがあります。

年末のこの時期は、
 この一年と振り返って、次の一年につなげる時期
です。



僕は、この一年はかなり良い年でした。
その分、来年のへ―ドルが高くなるわけですが、
 自分のハードルをさらに上げて、どこまでできるかチャレンジしてみよう
と思っています。

今年のテーマは、今までできなかったことへの挑戦と、収入のアップでした。
来年は、ビジネスの効率化やITの整備と、慈善事業を中心にして、
 仕事を減らして(収入を減らして)ライフプランを充実させる
ことを目的にしようと思っています。

国家は統治能力がないですし、
無駄なことばかりやっており、
生活も厳しくなっていくわけですが、
それでも日本はよい国だと思っています。

日本を旅して、自然の美しさやおいしい食べ物を満喫すると、
 日本人でよかった
と思います。

だからこそ、無駄な公共事業で高速道路が新設されるのを見ると、残念な気になるわけです。
それよりも、既存の道路を整備していった方が、少ない予算で地元民も役立つようになると思います。

そのためには、地元のことをよく分かっている人が、
 地元の発展のために計画を練っていく
必要があるわけです。

そのためには、地方分権を推進して、予算と権限を移譲する必要があります。
しかし、国家公務員は自分の利権を手放さないので、
 時代遅れの明治型の中央集権国家で、非効率で無駄な国家経営を行い、世界から取り残されていく
ことになってしまいました。

今後、この動きは加速し、
 東南アジアの都市にさえ負けてしまう地方が続出する
ことになるはずです。
(アジアには、平均的な日本人よりも生活レベルが上の人達が結構います。)

都市の繁栄は、職をもった人々に支えられています。
日本の地方から、工場が東南アジアに移転していけば、
 繁栄の基礎を失った地方は、過疎が進み、高齢者だけが取り残される
ことになるはずです。

そして、
 そういった高齢者を支えるために、都市で働く人々の税負担はどんどん上がり、
 所得税が50%という時代が来るかもしれません。
 すでに、高額所得者はそれくらい負担しています。

今の税制の基本は、取れるところから取るということ。
取りやすいのは、サラリーマンで、
 取りにくいのは、無職者です。

2012年も、民主党政権が続くので、官僚支配の政治は免れないと思います。
民主党には、官僚とやりあうだけの智恵も、スキルもないからです。


ただ、国家と運命を共にする必要はありません。
国家と個人は、相似の関係にはないからです。

国家が滅んでも、個人が平穏に暮らす方法はあるはずです。
それを探すのが、知の力です。
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コーヒー事件②

2011年12月19日 | スキルアップ
コーヒー事件続き。


代わりにトイレットペーパーを持ってきて
拭いたところ、その若いビジネスマンがどういう行動にとったか?


隣の人が席を立って、床を拭き始めれば、当然、分かるはずですが、
この若者は、イヤホンをしてiphoneで音楽を聴きながら、寝ている様子。


問題解決方法として、
 知らんぷり作戦
に出たわけです。

この方法は、相手が何も言ってこなければ、これでやり過ごすことができるわけですが、
かなりのリスクをはらんでいます。

おそらく、僕が若く見え、あまり言ってこないように思ったのだと思います。



ここで、知らんぷり作戦のリスクにこちらが挑んだら、どうするかなと、
この若者の問題解決能力に興味がわいてきました。
カバーを取り外して、雑巾にしてコーヒーを拭く人物ですので。

笑顔で、
 すみません。鞄が大変なことになっているんですけど。
と言ってみました。

知らんぷり作戦は、相手が泣き寝入りしない場合には、
誠実に対応したとき以上のリスクがあります。

その若者は、イアホンを外すことなく、
 すみません。
と言っただけでした。

やりすごすつもりのようです。


ここでは、こちらの問題解決能力が試されることになります。
・まぁ、謝ったからいいか。
と、その場をやり過ごす。
これによって、新たなトラブルを避けることができ、時間やエネルギーのコストを無駄にせずにすむ。

・きちんとした対応をとる。


これは、ケースバイケースです。
相手や損害額などによって、臨機応変に対処するとよいと思います。



ちなみに、僕は、この若者をちょっと反省させてやろうと思いました。

こういう時に、大声を出したり、怒ったりしては、こちらが不利になります。
あくまでも、目的を設定して、その目的を達成する手段を考えるわけです。

例えば、仮に、鞄のクリーニング代を請求するという目的を設定したとします。

その目的をどうやって達成するか?
これが、問題解決能力です。


ここからは、僕がとった行動で、これが正解というわけではありません。
実社会では、正解がたくさんあります。


まずは、相手と言いあっても仕方がありません。
一番ダメなのは、
 なんだ、その態度は!
というセリフです。

これで、争点がずれます。目的達成から遠ざかる。

では、どうしたら?

状況分析をします。
まずは、立場を優位にします。

僕が被害者で、相手が加害者という設定を作る。
ここで、どなってしまったら、若い人を怒鳴りつけているぞとなり、
 僕が加害者で相手が被害者という設定
になります。

では、どうしたら?


まずは、乗務員を呼びます。
 隣の方が、コーヒーをこぼされました。

乗務員は、驚いてやってきます。
乗務員が来ることで、周りの視線が集まります。

その際に、親切そうに、後ろの方に声をかけます。
 床に鞄を置かれていますけど、大丈夫ですか?

その人は、びっくりして鞄を見ます。

視線が集まったところで、若者が拭いて、そのままにしてあったコーヒーが滴るカバーを乗務員に渡します。
 こんな風になっているのか。
と周りは驚きます。

このときに、
 僕が被害者で相手が加害者という設定
が成立します。

乗務員は、
 あなたの鞄は大丈夫ですか?
と聞いてきます。

実は、かかってしまっていて…

乗務員は、
 お客様同士の話になってしまいますが、クリーニング代を請求されるなどしてはどうですか。
とアドバイスをしてきます。

当然、知っていますが、なるほどと言うような感じで、若者を見ます。

このとき、若者は、ようやく事態の重大性に気がつきます。

これが、知らんぷり作戦のリスクです。
誠実に対応していれば、その後の問題は生じなかったかもしれないのに、
知らんぷりをすることで、最悪の事態を迎えることになるということ。


名刺をもらえますか?
 名刺は持ち合わせていないので…

こういうときは、名刺をもらうのが一番です。
理由は、携帯番号は変えられても、会社はそう簡単には変えられないからです。

では、携帯の番号を教えてください。
 もたもた。

 ちょっといいですか。
と借りて、iphoneから、自分のiphoneへ。


後は、クリーニング代を請求すればよいわけです。
もちろん、払ってくれない場合もあります。

その場合に備えたらどうしたらよいか?

iphoneなどで、ネットに接続して、
クリーニング代の相場を調べて、その場で示談してしまうという方法があります。

 鞄のクリーニングは、2000円程度でありますね。
 では、その金額を頂ければ、それ以上の請求はしませんが。
など。

それで、手帳などを破って、領収書を書いて渡しておく。
これで、示談成立。
ポイントは、その場で済ませてしまうということです。

特に、少額の場合、いちいち請求をすると、時間とお金が無駄になります。


ただ、金額が大きい場合には(コーヒーをこぼされて、火傷をしたなど)、
 身分証明書の提示を求める。
(ないと言い張ったら、カード類を見せてもらうと名前が本名かどうかは分かる。場合によっては、乗務員に身元の確認を頼む。火傷の場合は、過失傷害の容疑があるため、乗務員は協力せざるを得ない)。
 被害状況を写真で撮っておく。
 やり取りを録音しておく。
 乗務員の名前を控えておく。
などすると、よいと思います。

後で、争ってきたときに対応するためです。
こういうことを知っておくと、交通事故の場合にも役に立ちます。

問題解決能力は、瞬時の判断が必要となります。
あとで、冷静になった時に、よい解決方法が浮かんでも遅いわけです。

その場の瞬間に、ベターな選択をしていく。

スポーツやゲームと同じです。

観客席からは、もっとこうすればいいのにぃなどと、言われますが、
 やっている本人からすると、瞬時に対応することはかなり難しい
わけです。

常に冷静に対応できるわけではない。

問題解決能力も同じです。

人生では、いろいろな問題が降りかかってきます。
それは、良い行いをしているか、悪い行いをしているかは無関係です。

その降りかかってきた問題について、
 うまく処理して、スキルアップしていけば、人生を切り開いていく
ことができ、
 対処を誤れば、道から外れてしまう
ということもあります。

しかも、与えられる問題は、
 どんなに問題解決能力が高い人でも対処が難しいもの
も含まれているわけです。

そのため、
 どんな人も悩みながら、知的に成長し続ける必要がある
というわけです。

問題を解決して、反省しているうちに、問題解決能力が高くなり、
 より困難な問題を扱えるようになっていく。

それによって、
 希少性が生まれ、収入なども増えていく。

これが、問題解決能力と収入の関係です。




*****

ちなみに、僕は、電話番号と名前を聞きましたが、請求するつもりは全くありません。
実は、初めから請求するつもりなどありませんでした。
なぜなら、その手続の手間を考えると、自分の仕事をしていた方が、経済的には得だからです。

それに、僕の目的は、クリーニング代の回収ではなく、
 この若者の問題解決能力の調査だったので。

ただ、中にはクレーマーもいますが、
 誠実に対応することが一番よい
と思います。

クレーマーだったら、それを問題として設定し、
 別途、弁護士に相談するなど別の対応をすればよい
と思います。
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知的成長の核は、問題解決能力。コーヒー事件①

2011年12月19日 | スキルアップ
僕が、持っている自分のモノで、
 一つだけ手元に置いておける
と言われたら、
 時間をかけて培ってきた問題解決能力を選ぶ
と思います。

お金やステイタスも、
 問題解決能力があれば、取り戻せる
と考えているからです。

今、問題解決能力が低い人が増えてきているので、
 スキルの価値としても非常に高い
と思います。

学歴よりも、問題解決能力の方がずっと重要です。

ただ、問題解決能力は、磨くのに時間がかかる。
そして、さらに、習得できない環境になっています。


その理由は、親が、親のスキルを失いつつあるからです。

例えば、子供がミルクをこぼして、泣いている。

 ○○ちゃん、大丈夫。大変。
 すぐに拭くからね。
 お着替えしましょうね。
と、全てをやってしまう。

○○ちゃんが、いじめられて、帰ってきた。
 すぐに、学校に乗り込み、いじめた生徒を怒鳴り付け、先生をつるし上げ、
 教育委員会に苦情の電話を入れる。


これでは、問題解決能力が育たない。

こういう過保護の環境で育った子供は、
 自分で問題を解決しよう
という意思が育たない。
そのため、
 問題解決能力も育たない。

問題解決能力は、
 主体的に考え、行動し、うまく行ったり、失敗しながら身につけていくもの
だからです。


*****
なぜ、問題解決能力について、書いておこうと思ったのかというと、
 出張での出来事
が原因です。

「コーヒー事件」


新幹線で隣の若いビジネスマンが、コーヒーを窓のところに置いていた。
立ち上がったときに、コーヒーを落としてしまった。
床にこぼれてしまったが、幸い、だれも気がついていない。
そこで、こっそり処理することに。

ただ、残念ながら、ティッシュがない。

どうしよう?



これが、問題解決能力。
この若者は、どんな行動をするのかなと、世代分析をしようと思い、僕は、観察をし始める。



僕だったら、
 トイレに行って、トイレットペーパーを持ってくる。
 周りの人に、ティッシュを借りる。
 乗務員から、雑巾を借りる。
など。

これが、問題解決能力。
コーヒーをこぼしたという問題を、うまく解決する能力。




この若いビジネスマンは、何をしたかというと・・・

頭の場所についているカバーをはがして、床を拭き始めた。
隣で気がつかないふりをして、本を読んでいた僕は、
この突飛な行動に笑いそうになりながら、我慢。

そのカバーどうするんだ…


当然、拭ききれないので、少し残っている。このままでは僕の方に流れてきてしまう。
また、鞄を床に置いていたため、少しかかっている。
もう少し、この若者の行動を観察してみたくなる。


そこで、僕がトイレットペーパーを取りに行って、拭いて、被害を最小限にとどめる。


この若いビジネスマンは、他の人に拭いてもらった場合、どういう行動にとるか?

これも、問題解決能力。


僕なら、
 ありがとうございます。とお礼を言う。
 かかっていませんか?大丈夫でした?
 本当にすみませんでした。

大した被害ではないので、これでうまく解決できるはず。



この若者はどういう行動をとったのか?

続きは、次回。 
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65歳まで雇用義務化。

2011年12月15日 | 国家論
年金支給年齢を65歳にすると、空白期間ができる。
そうなると、食べてはいけない。
そこで、65歳まで働けることにする。

なるほど!
そうすれば、食べていけるね!!

非常に、官僚らしい考え方です。


官僚の考えの特徴は、
 先送りにする。
 責任逃れをする。
 押し付ける。

こういった特徴が出ている非常に分かりやすい例です。

まず、年金の支給年齢を上げざるを得ないのは、
 自分たちのずさんな年金設計のため。

少子高齢化は、当然、予見できることなので、
 そのデータに基づき、運用をする
必要があるわけです。

支給金額も、徴収システムも、そのデータに基づいて行われるわけです。

しかし、そのスキルがない。
そのため、多額の運用損失を出している。
おまけに、自分たちの利権にするために、非常に高いコストを払っている。

民間の保険会社では、成り立たない。
民間の保険会社で、コストが高すぎると、
 保険の掛け金の割に支払われる金額が少なくなる
ため、選ばれなくなるからです。

最近では、自動車保険がかなり競争が激しくなっているわけですが、
ネット系の保険会社の勢いが増しているのも、
 コストが少ない
ため、保険料を安くできるからです。

年金機構のような高コストでは、魅力的な商品はできないわけです。
そのため、
 強制加入にしておかないと成立しない
ということです。


年金制度の失敗の責任から逃れたい。
なんとか、先送りにしたい。

その方法として、支給年齢を引き上げる。

ただ、定年から年金支給までの空白期間を、どうしよう。

では、民間に押し付けよう。
 65まで雇用を義務化。

官僚は痛くも痒くもない。
責任を押し付けて、解決したかのように装う。

その結果、責任の所在が分からなくなり、追及も緩くなる。




雇用の裁量に国家が、関与してくるとどうなるか。

 スキルのない60歳以上の社員は、給与以上の働きをしてくれない。
 しかし、解雇できない。65歳まで義務だから。

銀行などの案内係で、高齢の従業員が増えているのも、こういう現象だと思います。
ただ、銀行の中では、そこそこの地位にあったためか、態度が偉そうな人がいます。

顧客サービスの観点からすると、むしろマイナス。


また、
 高齢者を解雇できない=新入社員を採用できない
ということになります。

人件費には、限界があるため。

そうなると、新卒の採用率がさらに悪化する。

では、政府は何をするか?

 3年目までは、新卒として扱いましょう。
と企業に指示する。

また、出てきました。
民間に責任を押し付ける。


新しいアイデアを出すでもなく、自分たちで何かをするわけでもない。
民間に責任をなすりつけ、
 ビジネスがしにくいようにしているだけ。

そんな政府は、必要ないと思います。

こういった指示や義務化のための法律を作るのにも、
 莫大な人件費がかかっている
わけです。

そんな無駄な法律を作るくらいなら、
 法律を作らず、公務員の数を減らした方がよほど国益にかなう
と思います。

これが、小さな国家。


大きな国家は、
 官僚があらゆることに、首を突っ込み、
 分かりもしないのに、口を出し、
 かき回して、
 民間に責任を押し付ける
ということ。


自己責任の原則を強化し、国家は最終手段にとどめたほうが、
 国民は知的に成長し、自立するし、
 経済もよくなる
はずです。

国家が、しゃしゃり出て行って、
 65歳まで働かせなさい
と、事業主に命令する姿は、
親が、しゃしゃり出て行って、
 うちの子を学園祭の主役にしなさい
と、先生に命令するクレーマーと大差はないと思います。


仕事は、実力で奪い取る。
おこぼれで仕事をさせてもらうのではなく、
 必要だから、うちで働いて下さい
と言わせる。

そのためのスキルを若いうちから、磨いておく。

知的に成長して、
 国家の庇護の下、65歳まで働く
のではなく、
 自分の定年を自分で決められるようなコントロールする側の人間になる。

そのためには、他の人よりも、努力をしなければならないかもしれません。
しかし、後にコントロールされる側の人生を歩むよりも、
 若いうちから、つらくても、コントロールする側の人生を歩んだ方がよい
と思います。

もちろん、これは、
 生き方に関するもの
なので、
 好みの問題です。

そのため、
 正解などない領域
です。

ただ、どちらを選ぶかという問題。


一つ言えることは、
 もう、競争は避けられない時代に突入している
ということ。

IT化やグローバル化によって、
 島国であったはずの日本が、海がなくなることで世界とつながった
ということ。

そうなれば、
 大競争時代に突入
です。

中国人、韓国人、インド人、タイ人、マレーシア人と
 競争する
ことになります。

 日本人だから、日本人特別手当をつけておきましたよ。
なんていう時代は終わりつつあります。

 同じ仕事なんだから、同じ金額ね。文句ありますか?
という時代がすぐそこに来ています。

そういう時代に、
 65歳まで雇用を義務化します
などという政策をしているのが、我が国。

韓国や中国は、世界で戦えるように強い企業をより強く、
身軽にしているのに、
 日本は、足枷をどんどん付けて行き、円高でも苦しめている
わけです。

一番、喜んでいるのは、サムソンやヒュンダイなどです。
ソニーやトヨタに、足かせが増えれば、より競争は有利になるからです。

空洞化が激しい時代に、企業に使えない人材を押し付けることになりうる政策をとれば、
 使える人材を大切にして、使えない人材を手軽に切れる
という国にみんな行ってしまうはず。

既存の会社も恐ろしくて、採用を増やすことなどできません。


 消費者が、まずいし、高いけど、このお店のために、ここで商品を買うことにするよ。
とは、言わないはず。
 事業主も、使えないし、給料も高いけど、この人のために、65歳まで雇い続けるよ。
と、言わないはず。

それを、国が強制するということ。

 消費者に、まずいし、高いけど、このお店のために、地元の商店で買わなければならない
と義務化したら、大きな批判が起こるはず。

市場経済というのは、基本的には、
 買う者と売る者の選択の自由のもとに成り立っている
のであって、
 労働市場も同じルールの下で成り立っている
わけです。

人権保障の観点から、最低賃金など、社会権による修正は、認められるわけですが、
 それを超えて、年金政策の失敗を民間に押し付ける
というのは、なんだか違和感を感じます。

ただでさえ、日本は、解雇事由が限定されており、
 雇用に慎重にならざるを得ない
わけですが、
 今後ますます、その傾向は強くなる
と思います。
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貧困の最も恐ろしい現実。

2011年12月12日 | 国家論
これから最も恐ろしいのは、
 若い世代の老後
です。

20代や30代では、あまり現実味がないかもしれませんが、
 現実をしっかり学んでおいて、自分の人生に役立てた方がよい
と思います。

こういう先を見越して、現在の行動を修正するスキルは、
 コントロール第2原則
なわけです。


意外に知られていないのは、
 格差は、高齢者の方が大きい
という現実です。

60歳以上になると、働くことが難しくなり、
 収入は年金だけになる
人も多い訳です。

年金は、厚生年金(大企業)や共済年金(公務員)などでは、
 月額30万円程度もらえる人
もいますが、
国民年金では、
 月額4万円
程度になってしまう人もいます。

さらに、掛け金の年収が少ないとそれすらもらえません。
生活保護に突入する訳です。

ところが、さらに、健康を害していたり、認知症などになると、
 平穏な生活が送れなくなる
わけです。

では、どうしたら?
健康と所得の関連性のデータがあります。


働いていた時の年収100万円未満の高齢者では、健康があまりよくないと答えた数値が35%。
年収が上がるに従って、その数値は下がっていき、
働いていた時の年収400万円以上の高齢者では、21%。

また、教育年数とも関係するとのこと。
教育年数が6年未満の高齢者だと、健康があまり良くないと答えた数値が36%。
徐々に下がっていって、
教育年収が13年以上(高卒以上)の高齢者だと、24%。
教育と年収の関連性もあるので、どちらの要因が、より健康に影響するのかは、
わかりませんが、
 教育や年収と、健康との間に関係がある
といえそうです。

この研究データをどう生かすのか?

若いうちに、知的に成長して、自分を教育する年数を増やし、年収も増やす。
高齢者になっても、健康でいられるようにする。

年金はあてにならないものの、ないよりはいいので、きちんと納付をする。
また、余裕があれば、個人年金など保険会社のものをかけておく。
さらに、不動産投資など不労所得があれば、なお安定。
退職制度がないビジネスを持っていれば、なお安定。

高齢者の格差において、上にいけるような戦略を若いうちから立てておくわけです。

もちろん、ハイパーインフレの恐れもあるので、円のみでの金融資産は、激減する可能性もあります。
そのため、ドルやユーロ、元といった通貨や、株、投信といった有価証券、金などの現物資産などの
 バランスも大切
かもしれません。


ただ、一番安心なのは、実は、家族やコミュニティーに所属しておくという保険です。

子供が知的に成長して、稼げるように、しかも親を敬うように教育する。
いざという時には、裕福な子供が、親に感謝の気持ちをもって、援助してくれるようになる。
これは、論語マスターのはじめの頃に、養うにしても、親と家畜とは違う。という下りで出てきました。

これが、古き良き時代の日本の儒教的システムです。
実は、それを再確認するために、論語を読んでいる訳です。



僕が考える理想社会は、
 地方分権型の社会
です。

これは、国家論で書いてきたことです。大学で勉強していました。


地方のコミュニティーが機能するように構成し直す。

地方自治体は、チェックがしやすいので、
天下りや随意契約などの不正も、オンブズマンを中心に監視できるという利点があります。

そして、工夫次第で費用対効果が高い福祉政策も実現できる。
何も国の基準による介護施設など作らなくても、地方の実情に応じた施設を作ればよいわけです。

その上で、運営をNPOや地元の高校、大学などのボランティアが、積極的に参加し、
それらの人も、いいことしたなぁという善意の気持ちの再確認と、福祉における知的成長が果たせる。

こういった安心感が、高齢者を中心とした消費を呼び込み、地方の経済が促進される。
若い世代も、将来高齢者になっても幸せに暮らせるということがわかっているので、
安心して年金を納めることができる。

この信頼は、スウェーデンシステム。

公務員も補助金に縛られることなく、住民の方だけを向いて、費用対効果の高い政策を打ち出せる。
このことが、公務員に対する信頼につながり、税金をきちんと納めてくれる住民を増やすことができる。

すべての住民が、コミュニティーの意識を持ち、モラルを守り、まわりに配慮しながら暮らしている。
隣の人を気づかい異常を感じたら、どうかしましたか?と訪ねていける。
これが、虐待や孤独死を防ぐ。

独居老人は、子育てに苦しむ若い離婚した母と契約を締結し、子供の面倒をみる。
これにより、独居老人にはアルバイト料が手に入り、待機児童問題もクリア。

仕事がないため生活保護をもらっている世帯は、
 行政から保護費受給資格として、一定の業務を与えられる(公園清掃、ペンキ塗り、道路清掃、防犯パトロール…)。

今は、業務を付する運用はなされていません。
そのため、もらわないと損というような風潮が進み、戦後混乱期を抜いて、過去最高の受給率です。


こういった身近な人達が支えあっていくシステムこそが
 社会
というものです。

社会は、助け合いから成り立っています。
これは、社会学を学べば出てきます。

今の日本が壊れているのは、
 コミュニティーが崩壊し、それを国家という非効率な組織が代替しようとした
ことからおこっています。

生活保護の急増も、本来は家庭や親戚というコミュニティーで解決すべき問題だったものが、
 形骸化したために起こっている
ものです。

子供や親戚が面倒をみるのが普通の発想ですが、
 関係のないお金持ちから資金をもらっている
状況です。

これは、国家が介在し、税金⇒保護費という名前の変更によって、
 見えにくくなっている
ためです。


それぞれの構成員に役割を与え、
 その構成員は、役割を果たすことで生き甲斐と生活の糧を得る。

人材等の遊休資産を徹底的に活用することで、
 みんなが幸せになれる社会を実現する。

ただ、この前提には、儒教的な精神が不可欠となります。

 働かなくても、生活保護がもらえればそれでいいや。
というフリーライダーがいては、
 悪貨が良貨を駆逐する
ようになるからです。

これが、現代版の徳治主義的な民主主義国家体制だと思います。
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貧困化から身を守る方法

2011年12月11日 | 国家論
国家の貧困化により、平均年収が下がり続ける。

これは、空洞化による職の喪失のほか、
 市場の多様化
が原因です。

普通に考えて、
 同じ仕事をしている人には同じ給与を払う
のは当たり前。

ところが、現在は、国籍により、
 給与が10倍も異なる。

経営者であれば、
 安いほうがよい
と思うのも当然。

そのため、
 アジアの労働力のスキルが高くなり、
 日本人の労働力のスキルが低くなる(あるいは、IT化により大してスキルがいらない)
場合、給与水準は、低い方に引きずられて均一化していくわけです。

これが、労働市場のグローバル化。

この現象は、あらゆる先進国でおこっています。

国家として、これを打破する方法は、
 商品の戦略が参考になります。

商品は、コモディティ化すれば、価格競争になります。
ティッシュペーパーは、ドラッグストアで安いものを買う人が多い。

これに、特殊事情が加わると高くても売れます。
しっとりしたティッシュペーパーなど。

高くても売れるようになるには、
 希少価値が不可欠。

そうなると、
 大量の公務員を排出する現在の教育制度
では、希少価値が生まれにくいため、
 教育制度を起業家育成の教育に切り替えていく。

日本のような資源がない国が生き残るには、
 高くても買ってもらえる商品やサービスを開発し続けなければならない。

そのためには、
 人材がコモディティ化しないようにする
必要があるということ。


ただ、日教組が支配する教育システムでは不可能。
そこで、自分で自分を教育し直す必要がある。
これが、知的成長戦略。

つまり、自分のスキルを磨いて、希少性を生み出す。
それにより、高くてもお金を払ってもらえるようにする。

なぜ、高くてもお金を払うのか?
 それ以上の利益を得られる
からです。

例えば、なぜ、本を買うのか?
 その本を読んで自分の生活に生かせば、その本の価値以上の価値を手に入れることができるから。
なぜ、ITのツールを買うのか?
 そのツールを使えば、仕事を効率化でき、そのツールの価値以上の価値を手に入れることができるから。

なぜ、その人に高い給与を払うのか?
 その人を使えば、多くの売り上げを上げることができ、その人の給与以上の価値を手に入れることができるから。

なぜ、その人に高いお金を払うのか?
 その人を使えば、その人に支払ったお金以上の価値を手に入れることができるから。

ここでいう、価値はお金に限らず、幸福感というのも含まれます。


ここまでで、iMacの消費の記事とつながったことがわかると思います。

貧困化していけば、売れない商品が増えていく。
同時に、採用されない人材も増えていく。

ただ、すべての商品(人材)が売れない訳ではない。
売れる商品(人材)も当然ある。
そのために、ほかにはない希少性を身につけていく。

では、どうしたら?
 「みんなと同じ」という高度成長期の成功のルールを忘れる。

すでに、ルールは変わっています。
1990年頃から変化の兆しはありました。

 いかにみんなと違うようにしていくか?

みんなと同じ=コモディティ化した商品

そのため、価格競争になる。
つまり、年収はどんどん減っていく。

みんなができない何かを持つ。

もちろん、日本全体でみればそんなものはないはず。

しかし、小さなマーケットでは、そういうものがあるはず。
自分の会社の自分の部署でみてみる。
そうすると、PCが使えない人が結構いるはず。

その部署では、自費でパソコン教室に通って、PCを使いこなせるようになれば、
 希少性持った人材
となります。

まずは、小さな希少性から始める。

経理に詳しい、税務に詳しい、法律に詳しい、マーケティングに詳しい、
フリーソフトに詳しい、アプリに詳しい、

スタイルがよい、肌がきれい、
お茶の入れ方がうまい、会話がうまい、

お客さん受けが良い、iPadでデータ管理をして顧客提案をしている、
雑誌を自費で買って、他社製品を勉強している、
ビジネス書を買って、日々勉強している、
効率よく仕事ができる、
いつもプラス思考で回りも元気が出る・・・

 この人すごいな
と思う人から、スキルを学んでいく。

サイラーが能力者から能力を吸収していくように、
 自分の人生に役立つスキルを吸収していく。

素材は山ほどあり、可能性も無限にあります。

森永氏の年収120万円の本を読んで、なんとなく、いやぁな気分になりました。
 あなたが悪い訳ではないんだよ
的な、責任の押しつけの論法と、貧しく暮らしていきましょう的な、人生の希望がなくなりそうな内容です。

 若い人は、可能性がたくさんあって、努力次第でなんとでもなるんだから、がんばろう
というような僕のような考え方は、彼の論理でいえば、弱者の敵のような存在なんだと思います。
強者の論理ってやつです。

ただ、弱者って?
弱者も、知的に成長し続ければ、徐々に強くなっていく。
少なくとも、そう信じて努力をすべきです。
しかも、その方法は、ちょっとしたコツがあって、
 そのコツをマスターすると、加速度があがっていき、楽になります。

おそらく、脳の前頭葉が活性化するのだと思います。
頭がいいから、強者だからっていうのではなく、
 訓練次第でスキルが上がっていく
というものだと思います。

そういうことをいうと、
 努力できるのも才能だ
という論法を持ち出してくる人がいます。

 僕はその才能もないんだ。

実は、この続けるとか、努力するというのも、
 才能ではなく、スキル
なわけです。

これも、ちょっとしたコツをつかめば、続けるのに苦労しなくなる。
試験勉強もそうだったし、このブログもそうです。
このブログは、今のところ、非営利目的です。

仕事をすれば、その分、所得は上がるかもしれない訳ですが、
あまりこのブログをお金につなげようという意識はなく(アフィリとか、広告をいれていないのもそのため)、
個人的には、ボランティア活動のようなイメージです。

 近くに、マイナスのことばかりいう人しかいない
とか、
 本をたくさん読んでいるような人はいない
という環境に恵まれていない若い人に、
 自分も知的に成長するために、がんばってみようかな
と思ってもらえるようになれば、このブログの意義があるということ。


 国家が機会を均等にすべきだ。補助を与えるべきだ。
と叫んでも、結局、何もならないわけです。
そんな能力も、そんな強い意志を抱いている政治家や官僚はいないからです。

だったら、森永氏のいうように諦める?

若さという資源があれば、その資源を使って、自分の力で少しずつ知的に成長していくことができます。
今たくさん稼いでいる人も、少しずつスキルをアップさせて、その給与に値する人材になっているわけです。
もちろん、親が金持ちでたくさん援助してもらえる人もいます。

しかし、そうでないからといって、諦める必要はないと思います。

世の中は、決して平等ではないし、善人ばかりでもない。
これは、人類の歴史を学べば明らかです。

ただ、今の日本は、少なくとも、生まれながら人生が決まってしまう身分社会ではないはず。
(あと20年したら、そういう社会になると思いますが・・・)

今のうちから、知的に成長して、平穏に暮らせるスキルを身につけておく。
そして、余力ができたら、
 貧乏な家に生まれた人は、成り上がる機会さえ与えられない20年後の国家
で、
 ソーシャルビジネスやボランティアを通じて、そういう子供たちを支援する。

これから先を見据えて、現在の行動を決める。

これが、
 コントロールできないことも、時間をさかのぼらせることによって、
 コントロールできるようになる
というコントロール第2原則です。

4年前から書き続けていますが、ついに、現実のものとなってきたという感じです。
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貧困化へ。

2011年12月11日 | 国家論
ちょっと、重いテーマ。

日本の再浮上の可能性は、厳しい。

理由。
筆頭が、円高と重税政策による空洞化。
仕事がなくなれば、失業者をどう養っていくのかという問題が生じる。
就職難は、実はこの現象の現れ。

技術力の低下。
これは、教育の問題も含む。一朝一夕では身に付かない職人の技術を次の世代に伝承しきれていない。
そのため、日本の優位性が乏しくなる。
また、データーを取り込めば、ロボットがかなり代替できるようになってきているのも要因。

ライバルたちの成長。
アジアの若者は、チャンスとばかり、教育(自己投資)に力を入れ、豊かになることを目指している。
これは、高度成長期の日本と同じ。

日本は、高齢化が進む。
高齢者は、特にものを必要としないので、お金を使わない。
ものを買う若い世代は、お金がなくてかえない。

若者の車離れや、家離れは、そもそもお金に余裕がないということの現れでもある。
マンションのローンも組めない人が増えている。
曲の違法ダウンロードも、フリーで楽しんでいるのも、お金があまりないため。

月給10万円程度でがんばっている若者も多い。


国家として、これでは、浮上の見込みはない。
国民が成長して、豊かになる環境が整備できない国家は、国家としての役割を果たしているとはいえない。

それなのに、危機感がなく、どうでもよい大臣の問責決議案の審議に時間をかけている。
沖縄の人も、大臣の発言云々といった感情論よりも、
 基地問題や、沖縄復興、特にカジノなどの特区構想などを話し合ってもらった方が有益であるはず。

この国が、こうなってしまった理由は、
 議員と官僚の質の低下。
そして、そんな議員を選んだ国民。


では、どうしたらいいのか?
自分の身は、自分で守る。

どうやって?
それが、知的に成長する。

かつてのユダヤ人があらゆる国家の迫害にあいながらも、知力で乗り切ったように、
架橋が中国王朝の迫害から、知力と結束で乗り切ったように、
 このままではやばいな
と気がついている人が、
 自分の努力で、荒波を乗り越える
ようにする。


まず、重要なことは、国家が貧困化しても、
 すべての国民が貧困に喘ぐ訳ではない
ということです。

これは、統計学を学ぶとよくわかります。
あくまで、平均値をもとに、貧困化が進んでいますね。
などとやっている。

平均給与は、400万円となり、下がっています。
といっても、非正規雇用の100万円から、1億以上のばらつきがあるということ。

そこで、平均が下がっていっても、
 自分の給与が下がる訳ではない
ということを意識する。

では、どうすれば、国家の貧困科から逃れられるのか?

これが、適応能力。

例えば、ユニクロは、貧困化が進めば、利益が上がるビジネスです。
100円均一もそう。

衣食住は、必ず必要となる。
今までは、ブランドを買っていた人が、ユニクロで買うようになる
お金は出せないので、安くそこそこの質がよいものを買う。

また、医者など、どうしても必要となるビジネスについては、
 給与は下がりにくい。



ビジネス分野の選択と、その会社や事業で生き残っていけるスキルを身につけておく。
 リストラの対象から外れる。
 会社が倒産した場合には、他者への再就職の声がかかる。
 顧客に選ばれる。

そのために、戦略を練って、知的に成長しておく。

 そのスタートは早い方がよい。
というか、
 多くの人が既に始めている
と思います。

特に、若い世代は、ある程度の危機感を持ってがんばった方がよいと思います。
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税金と宝くじとの共通点。

2011年12月09日 | 国家論
議員報酬の削減法案。
議員定数の削減法案。

どれも、なし崩し的な感じで、時間稼ぎに終わりました。

まぁ、国会議員なんてこんなもんでしょう。


信頼できない人、モラルのない人が国会議員や官僚になるような国では、
 国家が大きくなるのは、国民を幸せにしない
と考えています。

大きな国家、小さな国家と議論する前提として、
 信頼できる議員と官僚なら大きな国家でもよい
が、
 信頼できない議員と官僚なら小さな国家にすべきだ
という思想の持ち主です。

正確に言うと、リバタリアン思想ではないかもしれないですが、
 今の日本に限っていえば、リバタリアン
です。

 頭のいかれてしまった人に、刃物を持たせてはいけない。
小さな国家の思想間は、結局こういうことです。


 福祉主義国家は、善人のような耳障りの良さ
を感じますが、
 これも、一種のマジックです。

競馬や宝くじの収益金が、
 車いす購入に役立てられています。
とアピールしているみたいなものです。


そして、宝くじと税金には、共通点があります。

何か?

そう、胴元の存在です。

例えば、宝くじは、売り上げの中から、
 莫大なTVCM料、協会の運営費など経費
などで半分程度引かれます(テラ銭は、競馬で25%くらい。宝くじはその倍!)。

その残りを当選者で配分するというのが、システムです。

投資として考えると、買った瞬間、半分は持っていかれている訳です。

税金も同じ。
 税金から、恵まれない人にお金が渡されているんですよ。
といっても、
 半分以上が、公務員の給与や、天下り団体の協会維持費、関連業者の懐に入っていっている
わけです。

本当に、役立てるのであれば、
 納税者から、恵まれない人を手助けするNPOへ直接わたるようにした方が効率が良い
わけです。

ところが、現在は、寄付金控除はごくわずか。


僕は、介護、福祉、恵まれない子供たちの救済など、社会的な問題に対し、
お金が使われるということには賛成です。
ただ、官僚などに膨大な中間マージンがさっ引かれるのは、納得がいかない。


では、どうしたらよいか?

僕が出した答えが、ボランティア活動です。

がんばって働いて1800万円を超えると最高税率37%、プラス住民税10%。846万円 手取りはおよそ960万円
さらに、高額所得者に対する課税が強化されるので、その率は上がっていきます。

働く時間をセーブして、800万円に抑えれば、税率は20%、プラス住民税10%。240万円 手取りはおよそ560万円

1000万円の所得の差は、手取りの差にすると、400万円の差になる訳です。

余った時間を、ボランティアやソーシャルビジネスに費やした方が、
 よっぽど世のため、人のためになる。

税金のうちの8割は、実際に恵まれない人に支給されるまでになくなってしまう(中間マージンとして奪われる)と仮定すると、
実際に福祉に当てられるお金は、
 846万円の税金のうち、170万円
 240万円の税金のうち、48万円
ボランティアやソーシャルビジネスでの活動を金銭換算して、年130万円以上であれば、
高額な税金を支払うよりも、
 世のため、人のためになっている
ということ。
1800万円を稼ぐスキルを持っている人であれば、年130万円を超える貢献をすることは比較的容易なはず。

僕は、宝くじも、競馬も、
 胴元にお金が回るのが納得いかない
ので、やりません。

税金についても、同じ思考です。

もちろん、税理士の先生に依頼して、きちんと支払っていますが、
 税率がどんどんあがっていくのであれば、仕事をセーブして、もっとボランティアやソーシャルビジネスに力を入れよう
と考えています。
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