年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ナンジャイな

2016-10-11 00:00:00 | Weblog

 今日のロシアW杯最終予選対オーストラリア戦を見てると、こりゃナンジャイの感想。
 いつも出てる解説者、こりゃアカンやろ。冷静な解説ができないことは素人の自分が聞いててもよくわかるほど。一言で表現すれば、「実」ではない“虚”の世界で登場して喋っている感じ。そして「実」の方は「昔の名前で出ています」ゲーム内容。ゲーム内容に至っては落ち着きのないドタバタ感がありすぎたようで・・・しかし、あれで1-1のスコアは上等上等。今の日本代表の世界の中でのレベルは昔とは違うことを理解していないと・・。若い人、新しい人が次々とピッチに出なければ・・・と思うけどなぁ。
 おりしも当地方民間放送局のアナウンサーの20年前とおんなじ人が同じ口調で毎日毎日夕方のニュース番組を喋っている顔を見たり、いつもの女子アナが品のよろしくない大口開けて雑談風のお喋りしている画像を観るにつけ、エエ加減で若い優秀な人に代れよ・・と思うことと同じようで・・・活気がない。いずれもベテランを使えば安定はするが変化は期待できない。未来が予想できない。

 気温もグッと下がってきた。20度を切った。

 お山もスッキリ見え始めた。

体育の日

2016-10-10 00:00:00 | Weblog
 前回開かれた東京オリンピックの開会式があった10月10日は私が高校2年生の時。始まった2~3日後に修学旅行に行った。班ごとに分かれて自分はサッカー会場に行った。ピッチの緑色が異常に美しかったのを覚えている。

 脊柱管狭窄症は痛みを伴う歩行困難の面倒くさい症状がある。この症状で苦労している人が多いようでテレビやラジオで解説をし、本屋に行けば専門書が解説本が目につく。最近のトレンドだろうか。
 しかし、今日は体育の日、身体を動かさねば・・とお弁当持参でお散歩。

 池をぐるっとまわり

 『崇高』『秘められた愛情』の花言葉を持つ河骨の花を池に見つけ、

 脇道にお茶の花(花言葉:『追憶』『純愛』)も見つけた。そして秋を代表する萩が

 つつましく咲いており(花言葉:「思案」「内気」「想い」「柔軟な精神」「柔らかな心」)、足元には

 どんぐりが落ちている。これらのどんぐりが、宝物であり遊び道具であった時が確かに自分達は在った。
先月までの射るような光から少し乾いた光りになった陽射しの下、近所のノリさん所有の明神山荘に到着。

 ベンチに座ると秋の濃い気配が目に入る。

 東の石鎚山も秋山に・・・


肌寒い

2016-10-09 00:00:00 | Weblog
 いつの間にか半袖Tシャツから長袖シャツに替わった。しかもその上に薄手の上着を羽織る。でも久万高原に上がると吹く風に冷たさを感じる。

 秋もいよいよ本番となる季節に入った、寒露と呼ばれる。朝起きぬけに畑に足を向けると草の冷たい露に足元が濡れる。菊の花が咲き、稲刈りも大方終わる時期となり、山の木々の葉は紅葉の準備に入る。
 久万青銅山廻廊前のメタセコイヤの葉っぱも色づく準備をしておる。

 寒さに震えながらいつもの明神レストハウスで昼ごはん・・10分で食べ終え、急いで午後の礼拝へ

 終了後、安積先生の説教が載った冊子、「アドナイ・エレ」ができて

 その感想をみんなで分かち合うことにする。
 しかし自分は、Iさんの書かれた文章に目が向いた。

 Iさんは私と同年代の人。この2~3年前まで、自ら障害を持ち家に閉じこもっていた人。数歳下に障害者となった妹さんがいて、兄妹の二人で支え合いながら生きていたひと。懸命に妹さんを支えていられたことをお聞きしていたが・・数年前に亡くなられた。…そして・・・さらに私に向かって許しを請うようにして話してくれることに、もう少し妹にしてやれることがあったのではないかと・・いう。病気につき入院手術の費用は兄であるIさんが借金をしてまかなった。持ち山に入り花木を採り市場に出しながらやっと今年、その数百万の借金を返した、などとホッとした顔して云っている。春夏秋冬といろんなところに妹さんをドライブに連れて行ったと懐かしそうに言う。私の実家そばの道の駅にも妹といっしょに行ったよ~と。Iさんは山里にある大きな家に一人で住んでいる。急に寒くなったのでコタツを出したいなぁ・・などと云ってた。でも私は牧師夫妻とけしかけておる。民宿をやろうぜ・・薪と竈(おくどさん)に羽釜があるだけに客に自炊させて、ウマいご飯を炊かせ、山菜を出してやり、帰りには掃除してもらえば、チト楽するのではないか・・とけしかけておる。

初めての運動会

2016-10-08 00:00:00 | Weblog

 いつでも、どのような時でも話し相手に事欠かないのはありがたいことであると思う人は多いだろう。特にケータイ電話がポケットに入って以来は・・。
 しかし、話し相手がたくさんいようとあるいは少なくいようと、自分は常に一人であることを意識することは・・原点である違いない。

 今日は1歳10か月足らずの孫の運動会。でも始まる9時頃は雨が降っておる。急きょ場所変更し同市内にある施設の体育館で行われることになった。さっそく孫の応援に・・。

 まだ2歳に到達していないのに・・心臓がバクバクしてるのとチャウやろか、

 お母さんがそばにいないと、ひとりになるとやっぱり泣いてしまう。

 年長組さんのリレーに保護者は興奮する。

 この幼児園はキリスト教系だから5歳のキリン組さんから1歳組のリス組さんまでみんなで輪になってお祈りをしていた。よく聞いていると感謝のことである。

 この子達があと20年もすれば大人になることを思うと・・その間の成長プロセスが、環境によって規定さると思うと・・良い環境をつくらねば・・。

神輿音頭の曲が流れて

2016-10-07 00:00:00 | Weblog
 三橋美智也の唄う「神輿音頭」は当地方の10月7日祭り当日のテーマソングとなっている。この曲が一日中エンドレスで電柱にくくりつけられたスピーカーや公民館のスピーカーから聞こえてくる。この唄に市民は慣れ親しんでいる。

 このところの気温の変化に体がついていけないんだろうか・・調子が悪い。朝っぱらから布団に横になる。何かしようとするも動く気持ちが起きない。女性に比べて男性の方が少ないと云われる自律神経失調症を自分に疑っている。眼をつむりラジオをつけっぱなしにしてウトウトしていると、祭囃子の太鼓の音が聞こえてきた。だんだんと大きくなる。起きて窓から見ると神輿の行列が通り過ぎた。

 まともな姿勢での歩行困難な日々があると、法被を着て普通に歩く人の姿を見るだけでも・・みんな元気があっていいなァと思ったりする。
夕暮れになって布団から飛び起きた。少し良くなったみたい。Hさんを誘い宮入前のお神輿を見学。

 ここは野田神社の氏子連中。大人の人はお酒を飲みワッショイワッショイの掛け声をかけ神社の方へお神輿を担いで行った。

3Vの法則

2016-10-06 00:00:00 | Weblog
 今までにいろんな人から此れ見よがしに上から目線で教えられたことに、‘Verbal’(言語情報:言葉そのものの意味・話の内容等)が7%、‘Vocal’(聴覚情報:声のトーン・速さ・大きさ・口調等)が38%であり 55% が ‘Visual’(見た目情報)などの、他人が判断する7-38-55の3Vの法則が一般化されて強調されるあまり、聞かされる自分たちも、そうかそうか人は見かけか・・などと喋り方や着衣のことや顔の表情とか容姿全体の方向に注意が飛んでしまうことがある。この実験をしたアルバート・メラビアンはある一定の条件の中で得られた法則であることを何かの本に書いてあったが、都合の良い独自解釈が伝染しているようで、それはそれでものの伝わり方として面白いナァと思ってしまう。

 でも問題は私の目の前に座っている相談者のこと。薬物違反で捕まるとか、もの盗りで捕まるとか、罪名のついた人が今後どうやり過ごせばいいのか・・とかはたまた真面目に一生懸命仕事をしていたが4月から異動してきた上司とそりが合わずウツになり辞めようかと云ったりする人のこと。相談に来られる人にとって人生の大きなターニング地点であるだろうことを推測すれば、人生の重大事に見た目などと外見を適当に偽るもんじゃないなぁ・・と思うことによく遭遇する。

 前進・成長・飛躍・努力・気合い・根性・克服などのことに照らし合わせると、すべてに×がついて回るような時期、何もかもうまくいかず壁にぶちあたっているような、行き詰るような感じのこと。

 どのようにみんなやり過ごしているんだろうか、・・と聞きたくなるようなこと。まさかアルコール依存の対象者に、まぁ酒でも飲んで気分転換よ・・とは口が裂けても言えないこと。 

 まぁボチボチとやりゃいいがなぁ・・。

ゲートキーパー足り得るだろうか

2016-10-05 00:00:00 | Weblog
 夕方、国道を東に向けて家路につこうと車を走らせていると西側の低い空には明るい黄色の色味があったのに東向う正面の空は真っ黒な雲が湧いておった。と、突然大粒の雨がフロントガラスをたたいてきた。大きな音がする。台風の余波であろうが、この台風18号も当地では大きな被害が出なかったことに安堵するも、ニュースを見れば被害情報が報じられている。どうしたんだろう、甚大な被害が増加しているように感じるが・・・。

 午後一で復職支援の相談に入る。会社側には復職の意思を伝えました・・とか、医師の診断書を人事部に提出しました・・とか、kさんが先週同様相談室内で明るい顔して話しかけてきた。彼もRe・スタートの号砲を少しの不安を併せ持ちながら待っている様子である。彼が私に話したことは「自分」についてのこと。時間をかけて振り返って考えていた様子。ずいぶん気がついたことがあったらしい。
 さぁ帰ろうかと椅子を立つとお祭りのお神輿の掛け声が遠くから聞こえてくる。地方祭が始まったのだ。おそろいの法被を来た人たちが大街道商店街の入り口に大勢いるのを見つけた。じゃぁ・・と靴を履こうとすると、、何やら電話が、、そして私に受話器を回された。つまり、難儀な内容の電話相談らしい。電話受付の人に聞けば自死念慮を持っている様子だとか。

 電話の向こうは、ご主人は単身赴任中、お子さん二人を持つご婦人であった。詰まって追い込まれている話を、何も答えずただただ電話で聞くばかり。エ~、そうですか、そうでしたか・・辛いでしょうね・・ホ~・・が私の利用できる言語。そして睡眠状況を聞き取り、医師からのお薬のことを聞きとり、ご飯のことを聞きとる。相手さんが少し落ち着いたのち、またしんどい時には電話で話してよ~で終わり。相手が何か答えを求めようとしているが、私が答えるべくものはない。ただただ聴くだけの相談事の初歩の仕種。自死念慮があるだけに次回の相談を約束して終了とする。

 「こころ塾」出勤の前には保護観察所に出向いて出所者の就職先のことで、マッチング可能な協力雇用事業主のことで担当者と打ち合わせ。今月は釈放前の就職内定を3件出したいと思っている。

ノーベル賞・・

2016-10-04 00:00:00 | Weblog
 赤や白、ピンク色の彼岸花が咲き、

 水引の花も咲く時期は、金木犀の香りがそこら辺り一面に漂う。

 そしてフヨウの花も咲き、お祭り前には稲刈りも終了となる。
 昨日発表されたノーベル賞のこと、出身高校の同級生がTVに出てお祝いを述べていられた。「ふっこう」出とか。そういえば昔自分の現職時に九州福岡出身の仲の良い同僚がいて、福高出身であった彼は「ふっこうふっこう」と満面の郷土愛をしゃべりながら焼酎をあおっておったナァ・と懐かしく思い出す。

 ノーベル賞のこと、晩ごはんを二人で食べながらお互いの出身高ではノーベル賞受賞されたOBが居れヘンなぁ・・と自慢話のことになった。妻の方は、昔建築家丹下健三が出ているではないか、トランペットの近藤等則がいたではないか・・と。じゃ調べてみようかとタブレットのネットで検索すると妻の方はプロ野球選手も多く出ているではないか、一方私の方の卒業生を検索すると、昔懐かしい琴姫七変化の松山容子の名前が出てきた。50年以上も前のTVドラマ。伊丹十三さんも東高から転学し卒業生となっている。それは知らなかった。
 で、共通しているのはアナウンサーが多いことである。ナンジャイな・・ノーベル賞のことではない。

 そういえば20数年前にノーベル文学賞受賞された大江健三郎さんの時の役所の壁にぶら下がった垂れ幕を思い出す。6年前にも化学賞を受賞された鈴木章先生の垂れ幕が出身地の鵡川町役場やバス停に大きくぶら下がっていたのを車の中から見つけた。今回の大隅先生も「ふっこう」の校舎には頭に祝の漢字の垂れ幕があるんだろう・・みんなすごいナァ。

またやって来る

2016-10-03 00:00:00 | Weblog
 どうしたんだろう・・毎回毎回強い台風が来ている。どうなってるんやろか。

 教育などのこと、自分の柄にも似合っていないが、命令を受け90分間恥をさらけ出す。恥をかくのに慣れたが、指導などのことには慣れない。日本画家堀文子さんのモットー、「群ない・慣れない・頼らない」を目指している自分としては、慣れることにも注意をはらう。
 で、昨日の日曜日に逃げるようにして作った資料
今回は受刑者が外に出る不安に的を絞ってのお喋り会とした。

 日中はまだ蒸し暑さの残る中で、時おり冷たいそよ風が身体にあたる。秋風が吹く季節、そろそろこのようなエエ加減な仕事から撤退しないとナァ・・などと思ったりする。でも・・今月はあと2本、60分と90分のお喋り会を言い渡されている。(><)。主張する迷惑を考えねば。みっともなかろう・・と。


 朝早く妻が大阪から帰宅する。子の親に対する介護計画である。私の母親は有料老人ホームの入所を考えている。私と妹の家から近い場所が望ましい。そして奈良の義母はどうあればよいだろうかと・・・。現在東大阪のケア施設に入所している義母とまた義兄に我々の計画を打診するために妻が出かけて行き今朝帰って来た。

やっと気がついたのか

2016-10-02 00:00:00 | Weblog

 水処理会社のT君と度々寝る前のバカ話をすることがある。昨夜はメール交換ではなくお話をすることになった。話題は「普通の人」のことである。私と違ってT君は、どちらかと云えば越してきた今までのことを振り返れば、異常のほどのことではなく、特殊とか希少の方が近いと思っていた。

 特殊方面から言えばT君はお勉強の方の成績は忘れてしまったが、なぜか女子学生に大変人気があった高校時代を覚えていて、私の友人などにもいつもうらやましがらせておった。本人はすまし顔をしていたが・・。自分からすればそれは異常に映るくらいで感受性豊かな10歳台後半、いわば青春時代真っただ中、映画「青い山脈」を彷彿するほどのことであったろうと。

 それが昨夜の就寝前電話会談?で解明した。T君は「普通」の人ではなかった。「普通」の人が持っている、ズカズカと人の懐に入り込むあこぎなことをしない。人の話を静かに聴き、そして静かにニコニコとあいづちを打つことに長けており、反対に要望にはきちんと応える対応のごとくで、面倒くさそうなそぶりを見せることはない。通常人であれば、わかった分かったそのうちな・・持って行くよとか、やってやるよと言いながら難から逃げるがT君は面倒なことでも誠意を示してやり遂げておる。畢竟マイペースでそれらをやっている。たいていの「普通」の人は、なんでや、で、どうした、まだか・・などの言葉で相手を攻め立てるような按排ではある、に対してT君はそれがあまりないようである。

 私の日ごろの行状を知っているT君からみれば私はど真ん中の「普通」の人であることがわかり、この年齢にして納得。するとT君から、オソスギルよ・・などと忠告されてしまった。でも「普通」ではあっても「特殊」のほどではなかろうが・・と反論したところでやっぱり遅すぎたようで・・・

 私より若い人に対して付き合いの浅い深いに関わらず遠慮会釈なく好きなことをしゃべらせてもらった今まで、多くの人にうざがられうっとうしいと思われていたことにやっと理解する。

 距離感をいつも考えながらおしゃべりしていたが、よく考えてみれば自分と他の人とは距離感覚が違う、価値観が全く違う、考え方が全く違うことを認識するものの、遠方であろうと眼の前であろうと同じように掴むことが自分の異常さかもしれない。

 何十年もお付き合いのある人でもはるか向こうに立っていると思う人おれば、昨日初めてあった人でも旧知の感覚でお話する人がいる。しかしそれはすべて自分側の感覚、相手の感覚はまた違うってことなんだろう。

 この際自分も「普通」の人から脱出しようかと・・・。