年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

やっと気がついたのか

2016-10-02 00:00:00 | Weblog

 水処理会社のT君と度々寝る前のバカ話をすることがある。昨夜はメール交換ではなくお話をすることになった。話題は「普通の人」のことである。私と違ってT君は、どちらかと云えば越してきた今までのことを振り返れば、異常のほどのことではなく、特殊とか希少の方が近いと思っていた。

 特殊方面から言えばT君はお勉強の方の成績は忘れてしまったが、なぜか女子学生に大変人気があった高校時代を覚えていて、私の友人などにもいつもうらやましがらせておった。本人はすまし顔をしていたが・・。自分からすればそれは異常に映るくらいで感受性豊かな10歳台後半、いわば青春時代真っただ中、映画「青い山脈」を彷彿するほどのことであったろうと。

 それが昨夜の就寝前電話会談?で解明した。T君は「普通」の人ではなかった。「普通」の人が持っている、ズカズカと人の懐に入り込むあこぎなことをしない。人の話を静かに聴き、そして静かにニコニコとあいづちを打つことに長けており、反対に要望にはきちんと応える対応のごとくで、面倒くさそうなそぶりを見せることはない。通常人であれば、わかった分かったそのうちな・・持って行くよとか、やってやるよと言いながら難から逃げるがT君は面倒なことでも誠意を示してやり遂げておる。畢竟マイペースでそれらをやっている。たいていの「普通」の人は、なんでや、で、どうした、まだか・・などの言葉で相手を攻め立てるような按排ではある、に対してT君はそれがあまりないようである。

 私の日ごろの行状を知っているT君からみれば私はど真ん中の「普通」の人であることがわかり、この年齢にして納得。するとT君から、オソスギルよ・・などと忠告されてしまった。でも「普通」ではあっても「特殊」のほどではなかろうが・・と反論したところでやっぱり遅すぎたようで・・・

 私より若い人に対して付き合いの浅い深いに関わらず遠慮会釈なく好きなことをしゃべらせてもらった今まで、多くの人にうざがられうっとうしいと思われていたことにやっと理解する。

 距離感をいつも考えながらおしゃべりしていたが、よく考えてみれば自分と他の人とは距離感覚が違う、価値観が全く違う、考え方が全く違うことを認識するものの、遠方であろうと眼の前であろうと同じように掴むことが自分の異常さかもしれない。

 何十年もお付き合いのある人でもはるか向こうに立っていると思う人おれば、昨日初めてあった人でも旧知の感覚でお話する人がいる。しかしそれはすべて自分側の感覚、相手の感覚はまた違うってことなんだろう。

 この際自分も「普通」の人から脱出しようかと・・・。