年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

今日も1冊

2013-11-26 15:41:18 | Weblog
 昨日の朝日新聞の記事下広告で見つけた岩波新書が、むのたけじ著とあった。著者が懐かしい。珍しく古本ではなく、早速本屋さんで購入する。パラパラとめくる。毎日の日付入りの言葉が並んでいる。むのさん独特の書き方である。自分の誕生の日の言葉を探す。「いのちは睡らない。休まない。日々8万6400秒を働きづめだ。みんな、いのちに応えて生きなくては。」、と記していた。

 朝方仕事に出かける前、紅葉したケヤキに朝日があたる駐車場でMさんと立ち話。話題になったのは、昨日の南予での交通事故のこと。なんでも80歳のダンプの運転手が対向車線を飛び出して車と正面衝突したとか。二人で話題になったことは、80歳にして現役の運転手の仕事をしていることであった。この年齢ともなると通常仕事をしていない人が多い。にもかかわらず現役で運転手の仕事をしていることの背景は、いかがなものであったか・・ハローワークでは、高齢者の雇用について60歳にしてまだ働きたいという意欲はわかるが、つまり就労意欲はあるが、仕事能力は確実に低下している、と教えられた。だから60歳定年である。確かにキャリア形成において、年と共に身体的能力は落ちるが、年齢を重ねるごとに反対に職業能力がアップするところもある、という発達理論を出した学者もいるにはいたが、果たしてそれがダンプ運転手に当てはまるのかどうか、わからない。
 今は、突然やってくるものではない。昨日までの過去の継続されたものが積み重なり、結果としての今がある。そして今が明日へと続くことになる・・と考えると、ダンプの80歳運転手は、今までどのような過去があったのだろうか。Mさんと二人で推測することになった。80歳にして現役の運転手とは、いったい何か、について話が深まる前に私の出勤時間となる。
 はたして、帯紙にあるように、80歳のダンプ運転手は、何かをやり遂げるために仕事をしていたのだろうか、それとも現世にやり残したことを埋め合わせをする必要性があったのだろうか・・・
 今日の松リハ、1周100mの回廊を妻と二人で歩いた。もちろん介添えなし。二人で横に並んで歩いたのは6月の何日以来だろうか。

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