年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

初夏の気温

2011-05-07 22:17:38 | Weblog
 ちょっと調子が落ちている感じがする。何をやろうにも、まぁ、いいっか・・と投げやりになってしまう。疲れている、と自分でも思う、だから今日はゴロゴロ日とする、ことにする。といっても畑のブルーベリーの周りの草むらをやっつけなければならないし、植木鉢の花も何とかしなければならないし、この機会に読みくさしの本3冊を読了しなければならないし・・・などと、ねばならないことが山ほどある。
 妻はお仕事にお出かけにつき、1人で過す1日。朝出かける妻が、夕方から封切の映画「岳」を見に行こうか、と言ったけれどネットで調べると、近くのシネマサンシャインでは上映されていないようだ、遠くの映画館まで行かないと見ることが出来ないことがわかった。今夜の映画はパス。
気持ちよい朝の時間、庭の椅子に座りコーヒータイム、何も考えずボ~ッとすること30分、眠くなってきた。温かいので椅子に座ってウトウトしてしまう。
 結局本日生産的なことといえば、腰まで伸びた畑の草を2時間ばかし抜いたことくらい。腕が痛くなった。腰は明日になってみないとわからない。

連休の合間

2011-05-06 00:00:00 | Weblog
                         
 20歳未満の人が収容されている少年院へ行く。17歳の少年Jとの就職についての話し合いである。Jのハタラクことについての希望や将来のことなどしばらく雑談したあとは、私の話す時間になった。どのような人がハタラク場所において望まれているか・・・①生活習慣がしっかりしている人(だから、夜中にバイクを大きな音を出しながら走り回るような習慣のある人は、チトハタラク場所にはふさわしくないよなぁ)②コミュニケーション力がある人(といっても、仲の良い友達同士であれば良くおしゃべりが出来るけれど、年のはなれた人や嫌いな人や苦手な人と、よく話し合いが出来るかどうかだよなぁ)③しっかりと目的をもって仕事をやる人(仕事には全て、意味がありますよ、自分の目的とか、又会社の目的もあるよなぁ、お金を稼ぎたいとか、お客さんに喜んでもらいたいとか、いろいろと)④やる気のある人(ずっと継続するやる気の人のことですよ、つまり我慢が出来る人かなぁ、粘る人もいいよなぁ、根性のある人、コンジョウ焼とはちょっと違うけどネ)まぁ、そのような人が望まれるワケよ・・・J君はニコニコ顔して聞いてくれていたが・・・・サテ
 
 いつまで私の場合、ハタラクことが出来ようか、社会のためとか人様のためなどといつまでも思いながらも仕事をする分には良いかもしれないが、市場原理からいえば消費者側が拒否する時期を見ていないと、迷惑することだし、老害を振り撒くほどにモウロクすることだけは避けたい・・・17歳の少年が労働市場に入ることの難しさと、そろそろ労働市場から撤退しなければならない63歳の老人の去り方の難しさが表と裏になって見えた本日、今日の苦労は今日にて終了する。        
                                           

ウドの大木

2011-05-05 00:00:00 | Weblog
 
 私にとって毎年の楽しみの中では、もしかしてウドの香りを嗅ぐことが最大のお楽しみかもしれない。スーパーの野菜コーナーに並べられている白く長いいかにも畑で栽培しました、というウドは香りがなく、深山で自生するウドは山の霊気が入っているように思うほど、香りが違う。で、今年も行きました。高知県境に住むM君から電話あったのが先週である。いつ来るの?と聞かれたから、今年の気温を考えると遅い方がいいだろう、と思い、5日に行くことを伝えた。
                        
 ウドの大木・・だと言う。図体ばかり大きくなって、なんの役にも立たない、そのようなことをウドに例えて言われる。確かに木材などの用途には、まったくダメ、しかし、ある目的をもった、例えば家財の材料とか建築資材とかの、一つの用途に向かって使う、などの利用は出来ないものの、いかなるものも取り得はあることを考えれば、ウドの良さは十分にある。例えば仕事においてそこの部署では不適当だとしても、他に利用できる事を見つける、のも大切なこと。適材適所などと人の配置をめぐっていわれるが、自分の周りを見渡せば、人物からして適材であると思える人が適所には就いていない、また適材とは思えぬ人物が、適所に就いているなどのことが見えるとき、人の業を感じる。役に立たないものは、この世に存在しない・・・と自分は考えている。どのような不具合のものでも、どのような役立たずであっても、この世にいる限り、どこかで役に立っている・・・と考えている。
 だからウドをなんかの道具や材としてみる輩からは、役立たずと見えるだろうが、適材適所、から考えると、ウドは、春を告げる食材として最も自分は嬉しいものである。
 M君と奥さんのT子さんと3人で彼の持ち山に入る。3人で2時間も採ると、袋いっぱいになった。タラの芽とウド。しかし今年は寒い日が多かったので例年に比べると、生育が遅かった。10日は遅い。昨日のヒカゲツツジと同様に。
                                       
 彼の山に行く途中、五十崎の大凧合戦に出くわした。山中にも川をまたいで鯉幟が風に吹かれて泳いでいた。ましてや、M君の奥さんのT子さんが、我が家に昨年相談に来られた時に比べると、随分と目に力があったので、体力が回復していることがわかり、私も嬉しかった。

ヒカゲツツジを愛でる

2011-05-04 22:12:36 | Weblog
 
 陽のあたるところで見るよりも、日陰でキリッと咲く薄黄色のヒカゲツツジが、自分は最もきれいだと思う。可憐で素朴で自己主張をしていないにもかかわらず、何だか気持ちがフワッと落ち着く花である。同じ時期に咲く、対照的に濃いピンク色のミツバツツジは、サンサンと陽のあたる場所に主張して咲いているので山肌の新緑の中でも目立つがゆえ、輝かしくきれいだと思う反面、遠くから眺める花であろうか、だからヒカゲツツジは寄り添いたくなる花になるんだろう。
                   
 例年の行事ごと、銅山峰ヒュッテに向かう整備された登山道を今年も県職業訓練校々長のIさんと二人でほとんど冗談・駄洒落を喋りあいながら約90分、他の登山者に追い越されながらゆっくり歩く。もちろんヒカゲツツジやミツバツツジを愛でながら。でも今年は昨年に比べて、寒い日が多かったせいか、上部は1週間ほど早かった。まだ蕾の状態である。しかし下の方は、やっと花びらが開いてこれから見せますよ、という状態であった。天気もよく黄砂もここは飛んできていないようですっきりとした空気の中を歩く。
 4人の家族連れとたくさんすれ違った。小学生の子供を連れた家族が何組も登っていた。アァ~この家族は仲が良いご家族だなァとこちらもほほえましく感じる。それらのご家族が、連休を花街道で過しているのを見ると、我が家は、何年前かに同じようにしていたことを思い出した。
 東平の駐車場には他県ナンバーの車が所狭しと止まっている。皆さん東洋のマチュピチュの景観を楽しんでいる。今日の行動は、駐車場出発9時半、銅山峰ヒュッテ発11時半、銅山越発12時半、駐車場着15時の行程であった。    

曇りのち雨

2011-05-03 21:36:22 | Weblog
  
 ラジオをつけると、高速道路や主要国道の渋滞について、何処そこ方面は何キロ渋滞とか、何処そこの交差点から南何キロ渋滞とか、何処そこは事故のために、閉鎖中とかアナウンサーが音楽の合間に話している。GW・盆・正月の3大人口移動ウイークだから毎年のこと、それらを聞くにつけ、混んでいる所にわざわざ行かなくともいいのに・・・と考えるが、これも若さを失っている証さであろうか。車の渋滞日はジット家に引きこもっているに限る。テレビをつけることはない。そこで気になるホンを読む。野田稔のマネジメントの本である。電子メールが出来、直接いろんな部署、上司やその上の上司、又その上の上司に対して、今まではその部屋を訪ねるのも、直接の上司を通して意見を述べる、組織であったのに、PCメール便が出来て以来、上司を飛び越えて意見を述べる機会が出来たことによって、従来のピラミッド型マネジメントのあり方からワイングラス型のマネジメント手法に変わった。上と下の層があり真中は細い組織になっている。つまり中間が担っていた、浄化作用?の部署が取り払われて、直接原始データが最下から最上部へ流れ、生の意見が中間を経由することなく最上部へ行くことになる、そのように変わったが、果たして中間管理層の意味は、昔とどのように考えるべきだろうか?などの内容である。情報が真中を経由しないで下と上で決着をつけることができることは、果たしてどうなのか?情報を下ろす、あるいは情報を上げることの、今の最大関心事は、福島原発放射能線量の開示。国民を納得させる開示の仕方はなかったのか、国民が理解できる情報公開の方法がなかったのか、などと思う。
              
 午前中は伸びきった畑の草抜きを少しだけ。午後は、昼ね。夕方は母と温泉。これが私の1日。妻はお仕事。長男もお仕事の電話あり。次男はお嫁さんの実家へ車で移動中だとか、現在帯広通過中であと1時間少しで到着予定だと電話の声。3男は、国家試験のためにマックで勉強中だと言った。4男は今日も朝から勉強に行った。







GW中

2011-05-02 00:00:00 | Weblog
 
 いつまでだっただろうか、連休が楽しくて待ち望み、アレをしよう、とかあそこへ行こう、とか計画をする段階からワクワクする気持ちがあったのは、今は、失せている。しかし、とりあえず、今年もヒカゲツツジやあけぼのツツジを見に行くつもりである。また、深山の独活を採りに行きたいと思っているもののなんだか、ワクワク感が今一つ湧いてこない。で、山仲間に一緒に遊ぼうヨ、と連絡してみた。Hさんに連絡、いっしょに花を見に行こうか、と誘うと、いや今年は大阪の姉夫婦が来るので一緒に石鎚に行くからダメ、次にSさんに連絡、イヤ~明日から息子夫婦が孫を連れてくるので、家に居ないとまづいから・・と言って、Sさんもダメ。こりゃこまった、愛ワークへ用事のついでに、Kさんに連絡する。一緒に山の花を見に行こうよ、と誘う。Kさんは、行きたいね、と電話口から聞こえるも、イヤ~明日からM市へ行き、孫と遊ぶ計画があるからネ。。とこれまたダメ。代わりに電話口に出たOさんに、行こうぜと誘うも、いっぱい用事があるから///と、これまたダメ。県訓練校のおなじみIさんに、アッソボ~と連絡すると、Iさんだけは、イイヨ~と答えてくれて4日に約束を取り付けることに成功。なんと大掛かりな遊び計画なんだろうか、と溜息が出る始末。何のことはない、行き先はいつもの東洋のマチュピチュであるけれど・・・
                            
 本日のお客さんは、33才、50才、47才の仮釈放者とウツ病で失業中の40才台の男性お二人。皆さんが共通しているのは、自分はダメな人間である、と考えていることと、将来への不安。そして仕事を得ることへの飢餓感、薄い自信の人いれば、空元気の人もいる。
      

いつもの日曜日

2011-05-01 21:57:09 | Weblog
 昨夜母親から電話あり。明日朝の病院送迎を頼む、とのこと。弟も年々月々足の筋力が衰えていることが目に見えるようだ。身体を動かす力が昨年より落ちている。階段を上がるのも、腕を取り脇を支えて引っ張り上げている現状である。シャツを着替えるのも腕が上がらないので人手が要る、ビンの蓋を開けるのも指先が固まっているために蓋を開けることができない状態。だから、自分の少しの用事なら優先順位を落としてでも先に弟の用事をやらざるを得ない。これらの表現方法として、大江健三郎は、「よし、いっしょに地獄に行こう」という決心の仕方を書いてあった。
                    
 昨夜は、蒸し暑かったために寝苦しい夜、夜中の2時過ぎに目が覚めた、いくらなんでも早すぎると思い、又寝入ったがやっぱり5時半には目がさめた。朝の日課にしているブルーべりの水遣りも手なれたものである。20㍑の水を3っつの鉢にやるのに10分もかからない。実となる花芽もたくさん付いて大きくなっているのが嬉しい。何月に実が食べることができるんだろうか、楽しみである。