年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ウドの大木

2011-05-05 00:00:00 | Weblog
 
 私にとって毎年の楽しみの中では、もしかしてウドの香りを嗅ぐことが最大のお楽しみかもしれない。スーパーの野菜コーナーに並べられている白く長いいかにも畑で栽培しました、というウドは香りがなく、深山で自生するウドは山の霊気が入っているように思うほど、香りが違う。で、今年も行きました。高知県境に住むM君から電話あったのが先週である。いつ来るの?と聞かれたから、今年の気温を考えると遅い方がいいだろう、と思い、5日に行くことを伝えた。
                        
 ウドの大木・・だと言う。図体ばかり大きくなって、なんの役にも立たない、そのようなことをウドに例えて言われる。確かに木材などの用途には、まったくダメ、しかし、ある目的をもった、例えば家財の材料とか建築資材とかの、一つの用途に向かって使う、などの利用は出来ないものの、いかなるものも取り得はあることを考えれば、ウドの良さは十分にある。例えば仕事においてそこの部署では不適当だとしても、他に利用できる事を見つける、のも大切なこと。適材適所などと人の配置をめぐっていわれるが、自分の周りを見渡せば、人物からして適材であると思える人が適所には就いていない、また適材とは思えぬ人物が、適所に就いているなどのことが見えるとき、人の業を感じる。役に立たないものは、この世に存在しない・・・と自分は考えている。どのような不具合のものでも、どのような役立たずであっても、この世にいる限り、どこかで役に立っている・・・と考えている。
 だからウドをなんかの道具や材としてみる輩からは、役立たずと見えるだろうが、適材適所、から考えると、ウドは、春を告げる食材として最も自分は嬉しいものである。
 M君と奥さんのT子さんと3人で彼の持ち山に入る。3人で2時間も採ると、袋いっぱいになった。タラの芽とウド。しかし今年は寒い日が多かったので例年に比べると、生育が遅かった。10日は遅い。昨日のヒカゲツツジと同様に。
                                       
 彼の山に行く途中、五十崎の大凧合戦に出くわした。山中にも川をまたいで鯉幟が風に吹かれて泳いでいた。ましてや、M君の奥さんのT子さんが、我が家に昨年相談に来られた時に比べると、随分と目に力があったので、体力が回復していることがわかり、私も嬉しかった。