暘州通信

日本の山車

◆00007 大津祭 二の二

2010年01月24日 | 日本の山車
◆00007 大津祭 二の二
滋賀県大津市京町三丁目(旧四宮町)
天孫神社
□祭は一〇月上旬。
・石橋山 湊町
本座人形は寂昭(大江定基)。
古くは狂言にちなんだ「靫猿」とよばれていた。延享五年(一七四八)能楽の「石橋」に因む現在の臺名である「石橋」になった。「唐獅子山」の別名がある。
天台宗の僧、大江定基(寂昭)は修行のため宗の天台山(西涼山)に行くが、そこに架かる石の橋を渡ろうとしたとき、文珠菩薩の唐獅子が、牡丹の花に戯れているのを見た故実に因む。
正面と背面には牡丹を彫刻した見事な懸魚がある。この大きさは幅がおよそ一・五メートルにもおよぶ大きなものである。
天井の格間には菊の彫刻が施されている。
前の柱には牡丹の花や、たくさんの蕾があしらわれ、蝶が舞う。
胴幕は、中島來章の下絵で、正面は雪景色で月に三羽の雁が飛ぶ。
左側は、港の風景で、中国の三人の人物で一人は、遠眼鏡で船を見、牡丹が描かれる
右側は陸地と海を隔てて城がある。海には船が浮かび、白馬に乗った貴人がおり
出迎える人がいる。
見送り幕は、毛綴織で、上部には花束と鳥の模様が織りこまれている。
このような模様は大津祭の龍門瀧山、長浜祭の鳳凰山、京都祇園祭の鶏鉾に類型が見られる。
図柄は椅子にかける貴人を真ん中に左には貴婦人がいて、その後方には侍女が控え、右には壺を持った二人の男がいる。
後背には、遠く山並みが描かれている。
からくり
曵山奥には大きな岩があり、右手前には寂昭法師が立っている。所望の囃子が始まると岩の下方が割れて岩戸が開く。大きな目をした愛らしい唐獅子があらわれて、少し前に進んで跳ね、後ろ向きになって岩戸の中に入る。
昔は橋樋があって、曵山の前方飾られている牡丹の花に戯れる姿があったといわれる
が、今は見られない。
現在使用されている唐獅子は、昭和五十七年に復元修理された物を使用している。

・龍門瀧山 太間町
本座は鯉。鯉が勢いよく瀧を登って龍と化す機巧戯がある。
中国黄河の上流にある龍門山は、魚がさかのぼることの出来ない滝がある。この瀧をさかのぼることが出来た鯉は天に昇り龍になるといわれている。
見送幕は、国の重要文化財指定される。近年の研究で、十六世紀ベルギーで作られた毛綴織で、画題はギリシャの詩人ホメロスの叙事詩である「イリアッド」の物語。トロイ落城の情景を織りだしたといわれている。
瀧をのぼる鯉は何回か更新されているが、当初のからくりの鯉は、初代、林孫之進が宝暦十二年(一七六二)湖南の大工栄蔵の作には、寛政五年(一七九四)の銘がある。
さらに、製作年代不明の四代目林孫之進の三体が伝わる。これら三体の鯉は宵山から本祭に飾り展示される。
幕押しの彫刻「中国農村風景」は、左甚五郎作と伝える。、
からくり
曵山全体が龍門山をかたどり、天井は一面に雲を表した彫刻を施して天を表し、中央には大きな瀧がある。鯉はこの滝を尾や鰭を左右に振り動かして、落ちる水に何度も押し返されながら、幾度も上下を繰り返しつつ徐々に上へと上っていく
金色に塗られた鯉はやがて上部に達するや、やおら翼を左右に大きく広げ、そのまま、天井の雲の中へと姿を隠す。翼を大きく広げることで、鯉から龍へ変身できたことを表現している。このからくり藝は曵山の下床で、一人で操作されるため、外部からはからくりを操る人の姿は見えない。

・源氏山 中京町
本座は紫式部。全国でも二番目に古い近江八景の機巧がある。
「紫式部山」の別名がある
紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた
曵山が平安朝の王朝風の雰囲気を持つ
曵山内部は石山寺の観月臺を模した和様勾欄
下層廻りは蔀を装う
からくり
曵山中央の観月臺には紫式部が右手に持つ筆を動かし
左手に巻紙を開いている
その眼前には岩山があり
その左下にある岩戸が開いて、時代衣装の汐汲みの男女
帆掛け船を漕ぐ船頭、牛の曳く御所車
それに続く従者、傘持ちなど七体の人形が廻りながら
次々と姿を見せる。さらに岩山の中央では水車、松並木が出没して風景が変わる
執筆する紫式部、回転しながら趣向の変わった人形、背景の変化、
と三様の演出が平安絵巻を盛り上げる
近江八景
矢橋の帰帆
瀬田の夕照
粟津の晴嵐
三井の晩鐘
唐崎の夜雨
堅田の落雁
比良の暮雪
を題材にした欄間彫刻は注目に値する
天井画は、長谷川玉峰による萩、もみじ、菊など二十七種の「草花図」が描かれている。両脇柱間の三枚の羽目板には、金地に極彩色で、もみじと菊それに三羽の鳳凰を描く。

・神功皇后山 猟師町
本座人形は神功皇后と竹内宿禰。
「神功山」の別名がある
神功皇后は夫の仲哀天皇の死去後、その遺志をついで
朝鮮へ出兵し、新羅、百済、高句麗の三国を征服したと言われる
皇后で、真っすぐな釣針で鮎を釣って戦勝を占ったという鮎占伝説がある。
岩に「三韓之王者」と刻む。
皇后は凱旋後無事に応神天皇を出産したといわれることから、古来安産の守り神として信仰を集めてきた。
いまでも、皇后の人形に新しい腹帯を巻き、安産を祈願する人に授ける風習が続いている。
曵山の屋根は唐破風造で、両側面の軒にも唐破風がつくというめずらしい構造である。
内部の天井は四列六行二十四間の格間に仕切る、格天井で各格間の鏡板の画は江戸時代後期岸派の門下である広瀬柏園。 
金箔押に、菊、朝貌、梅に鶯、紅葉、鉄線、櫻、桔梗、百合、薔薇、撫子、紫陽花、藤、秋海棠、萩など各種の草花や鳥などが極彩色で描かれている
からくり
右手に神功皇后、左に竹内宿禰の人形がある。中央奥に大岩の作り物があり小さな滝が落ちている。
所望の囃子にあわせて皇后が右手に持った弓に左手をそえ、身体を岩の方に向けて弓の先で岩の左上に「三」の文字を書くと岩の上に黄金色に輝く「三」の文字が現れる。このようにして、「三韓の王者」という五つの金文字が次々と岩の上に現れる。

・月宮殿山 上京町
本座人形は、能楽の「鶴亀」にちなむ中国の皇帝。喜多流の「月宮 殿」をとり、春陽の節会のさい月宮殿において鶴亀の舞を舞い謡う。
「鶴亀山」の別名がある。
能楽の「鶴亀」にちなみ喜多流では「鶴亀」を「月宮殿」と言うところから、山車の名が喜多流によりつけられている。
中国の皇帝が、春陽の節会の儀式のとき、月宮殿において鶴亀の舞を所望したが
興にのった皇帝もともに舞いにあわせて謡った。
寛政三年(一七九一)までは、鳳凰臺山といったが、その後いまの「月宮殿山」に変わった
からくり
曵山中央奥に玉冠をつけた皇帝が控える。一段低い右手に亀の冠をつけた男子の舞人
左手には鶴の冠をつけた女子の舞人が向き合って立つ。
所望の囃子にかわると、まず鶴亀が正面に向かって静かに両手をあげ、亀は右へ、鶴は左へ廻りながら扇を広げるその後向き合って両手をおろす。
ふたたび両手を上ゲ鶴亀が逆方向に廻って、正面に向き合う。
皇帝は不動の姿勢であるが、口唇はあたかも謡うがごとく開かれている。
見送り幕は龍門瀧山と同じように十六世紀ベルギーのブリュッセルで織られた重厚な毛綴で重要文化財に指定されている。
天井は折り上げ格天井
その各格間には三十二の金銅星宿(星座)が配されている
この様式は、京都、祇園祭の長刀鉾にも見られる
唐破風の懸魚は、全体金箔をおいた牡丹彫刻である。
飾り金具は、消鍍金による精緻な地彫、毛彫などの技法が施される
(順不同)
湯立山は天孫神社の湯立て神事を問う山車で行うほかは、神社と本座人形には関連性がない。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇飛騨古川祭  青龍台のからくり奉納
2008/5/2(金) 午前 10:44
青龍台のからくり人形   福禄寿と唐子人形が25条の糸に操られています。   謡曲「鶴亀」に合わせて操られるからくり人形は大津絵「外方の梯子剃り」を   題材としたもので、唐人が梯子を登り、亀が鶴に変わる ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/miya1116jp/41897647.html

◆35671 飛騨高山の財力

2010年01月23日 | 日本の山車
◆35671 飛騨高山の財力
 飛騨高山の山車(屋臺)の華麗さ、豪華さでいまも見る人々を驚かせるのであるが、
某書では、これを「農民からの搾取」としている。しかしこれは誤りである。
 飛騨高山の財力は高山が天領であったことと大きな関わりがあり、江戸の蔵前にあった札差の制度と大きな関わりがあり、これは同じような制度で支配されていた、豊後日田(現大分県日田市)とよく似ている。
 徳川御蔵米の代金は、納入されるまでは商人の手にゆだねられていたが、この御蔵米代金の運用を任された飛騨の商人たちは、大坂(現在の大阪)の米問屋に関与し、米相場の一翼を担っていた。江戸から郡代(代官)として飛騨に来た小野朝右衛門と磯女は、山岡鐡舟の両親であるが、それ以前は江戸の蔵前で勘定をあずかる役職に会ったといわれる。
 人伝えの話であるが、明治期に大阪の九条にある松島遊郭に芸者をあげて連日豪遊している仁があるという通報をうけた大阪市の警察署では、さっそく当人の住所となっている此花区四貫島の住宅を急襲した。取り押さえられ神妙に縄についたが、驚いたことにまだ手をつけられていない金子があるのに警官は仰天した。取調べが進むうち某男が話したところによると、飛騨高山のY家から盗んできたという。当時はいまのように電話で即時通話というわけにもいかず、大阪から押収した金子とともに、捜査官、護衛の警官を含めたた数名が高山を訪れた。早速Y家を訪れると主人に事情を尋ねた。Y家の主人は警官らを自宅の蔵に案内したが、そこには夥しい現金が積まれていた、それは当時の国家予算の十分の一にも相当する金子であったが、主人は顔色一つ変えず「…そういえば、このあたりが少し足りませんかな?」と話した。
 江戸時代から明治期に代わるとき、高山の豪商らが大名に貸し付けたお金は。その借用書はすべて反故になってしまったが、それでも、高山の商人は微動もしないだけの蓄えがあったという。
 この被害にあった大新町のY家の主人は、「恐れながら、手前どもの不始末でございます。残った金子をお返しくださるということですので、被害届けも告訴もいたしませんん、なにとぞご寛大に…」と言い、並みいる警官らは一様に唖然とし、口惜しがったという。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇エフェクトクイズ2
2007/3/30(金) 午後 6:06
... ヒマラヤをはじめ、日本各地の高山を撮っている写真家「白川義員」→しらかわかずよし 150 ... 日本プロ野球の第6代コミッショナー「金子鋭」→かねことし 182、福本豊に次ぐ ... 『それでも、警官は微笑う』などで知られるミステリー作家 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ranndeli313/2128753.html

◇マキアージュ新CM 綺麗だねぇ!(「特命係長 ただのひと」は面白い/「あなたの怨み晴らします 闇の死置人」はもっと痛快)
2007/1/28(日) 午前 11:46
... 警官役で温水が登場! 「なんなんだ?こりゃ?(なんであの温水が警官役なんだ?)」と ... 「おもいっきりテレビ」の「情報特急便」で金子キャスターが出てきて 「またもや変死体が ... 犯人はかつて会社をリストラされた高山(入江雅人)だという。  闇の死置人 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/specialweek010813/46020543.html

◆35670 山車の人形

2010年01月23日 | 日本の山車
◆35670 山車の人形
 山車は、江戸時代になって、風流、練物、などから大きく変化したものが多いが、そ
の淵源をたどると、古代に山上や丘陵などに立てて神を迎えた「柱」に起源があること
が理解される。世界中に柱を起源とする祭は、ヨーロッパ各地に行われる「五月の柱(メイ・ポール」、インドのジャガンナートの山車祭、これもコナーラクの巨大石造神殿も全体が車輪上に乗る山車である。スリランカの仏教山車、リオ・デ・ジャネイロに代表されるの謝肉祭で曳かれるキリスト教の山車。ネパールの柱祭、生き神クマリの乗る山車。エジプトの赤色花崗岩でつくられた柱、オベリスクは、エジプトから運び出され、イタリア、イギリス、フランス、アメリカなどに見られ、ルクソールではお船祭が行われ、古い時代のものが神殿のレリーフに描かれる。モアイ像で知られるイースター島にも山車が曳かれる。北アメリカ、カナダには何種類かに分化したトーテム・ポールが立てられる。
 世界の山車を見てくると、日本の山車ももとは渡来文化ではないかとさえ考えられる。 巨石信仰に起源を持つ、ストーン・ヘンジ、ストーン・サークル、ドルメン、メンヒルなどの文化はわが国でも歴史のうえで重畳をなして伝来し遺存している。
 山車は世界中にひろがるが、その起源はやはり一本の柱に始まると考えられる。日本の山車もおなじように古代祭祀の柱、鉾が起源と考えられ、それは当然神社制度以前に遡る。つまり、神社もまだなかった時代に神を迎える柱が立てられていて、それが次第に移動神座へと変化している。
 日本の山車は多くは神社の祭で曳かれる。京都市の祇園祭、滋賀県長浜市の曳山祭は古い歴史があるが、山車の本座人形は神社とは直接関連を持たない。このような傾向は他の多くの地域で曳かれる山車でも見られる。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇名古屋の山車
2007/7/19(木) 午前 7:54
... 名古屋の山車は、元和八年(1622)~寛文年間の江戸時代前期に、 東照宮祭、若宮八幡宮祭に出た山車がその起源とされ、万治元年(1658)に現在の形になりました。  江戸時代後期には、那古野神社での「三之丸天王祭」に、明りを灯して祭を盛り上げる ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816oari/13524265.html



◆00023 祇園祭

2010年01月23日 | 日本の山車
◆00023 祇園祭
京都市東山区
八坂神社
□汎論
 祇園祭には歴史の古い山車、「山、鉾、傘鉾」がでる。山車には多くの優れた美術工芸 品で飾られ、重要文化財に指定されるものも多い。山車は市街を曳いて清め、神泉苑ま で曳いたあと解体保存される。近年に、町中に紊乱する悪霊、悪疫を山車に集め、山車 を解体して祓うという説が流布されているが誤りである。
 祇園祭の山、鉾、傘鉾には、中国に起源を持つ、二十四孝の郭巨、おなじく二十四孝の 孟宗、詩人の白樂天、琴の 名手伯牙山、孟嘗君、牛のまえに鎌をふりあげる蟷螂など 故事が多く引かれているが、仙人を取り上げた山車は見られない。
 山車人形は、
・長刀鉾 四条通東洞院西入。本座は稚児。
・芦刈山 綾小路通西東院西入。本座は芦刈の日下左衛門。
・綾傘鉾 綾小路通室町西入。
・郭巨山 本座は二十四孝の郭巨。
・岩戸山 新町通仏光寺下ル。本座は、天照大神、手力雄尊。伊弉諾命が屋根上に安置さ れる。
・菊水鉾 室町通四条上ル。鉾頭には金色の菊花をつける。
・橋弁慶山 蛸薬師通室町東入。本座人形は弁慶と牛若丸。
・鶏鉾 室町通四条下ル。本座は諌鼓鶏。
・月鉾 四条通室町西入。鉾頭に新月を付ける。「天王座」には月読命を祀る。
・黒主山 室町通三条下ル。本座は大伴黒主を御神体とする。
・山伏山 室町通蛸薬師下ル。山伏浄蔵貴所を御神体とする。
・四条傘鉾 四条通西洞院西入。傘の上に御幣と若松を飾る。
・浄妙山 六角通烏丸西入。本座人形は三井寺の僧兵筒井浄妙と一乗法師。
・占出山 錦小路通室町東入。本座は神功皇后。
・太子山 油小路通仏光寺下ル。本座は聖徳太子。太子山は松でなく杉をたてる。
・南観音山 新町通錦小路上ル。本座は楊柳観音、脇侍と善財童子。
・伯牙山 綾小路通新町西入。本座は伯牙。
・白樂天山 室町通綾小路下ル。本座は白樂天。
・函谷鉾 古くは稚児の一条実良だったが、いまは嘉多丸(かたまる)になっている。
・保昌山 東洞院通松原上ル。平井保昌
・放下鉾 新町通四条上ル。天王座に「放下僧」を祀る。鉾頭は「日月星」の三光。
・北観音山 新町通六角下ル。本座は楊柳観音と韋駄天。
・孟宗山 烏丸通四条上ル。本座は二十四孝の孟宗。
・木賊山 仏光寺通西洞院西入。本座信濃伏屋の里で木賊を刈る翁。
・役行者山 室町通三条上ル。本座は修験道の祖役行者。
・油天神山 油小路通綾小路下ル。本座は天神。
・鈴鹿山 烏丸通三条上ル。本座は女人姿の鈴鹿権現。
・蟷螂山 西洞院通四条上ル。本座は蟷螂。
・霰天神山 錦小路通室町西入。本座は天神。
(順不同)
 いずれも八坂神社とは関連がない。

◆00007 大津祭 二の一

2010年01月23日 | 日本の山車
00007 大津祭 二の一
滋賀県大津市京町三丁目(旧四宮町)
天孫神社
□祭は一〇月上旬。
□山車(曳山)
・西行桜狸山 鍛冶屋町
鍛冶屋町 本座は狸(塩売治兵衛)。
寛永十二年(一六三五)に狸山と称んでいたと言う記録がある。塩売治兵衛の狸面の言い伝えがあり、明暦二年に西行法師が桜の精と問答を交わすさまを表現した人形になり、西行桜と改めたといわれる。
狸は屋上に載せられ、祭の先導するようになった。それに因んで、この山は毎年くじ取らずで先頭で巡行する。
所望のからくりは、桜花の中から仙人が現われ、西行法師と問答する場面。大津祭は江戸時代初期に、鍛冶屋町の塩売だった治兵衛が狸面でおどったことからはじまったとされている。寛永一五年(一六三七年)三輪の曳山をつくり、やがて元禄、安永年間に現在の曳山が整えられた。

・猩々山 南保町
本座人形は、能楽の「猩々」にちなむ猩々。
能楽の「猩々」より名付けられた中国の金山の麓に高風という正直で孝行な若者が住んでいたある日高風は夢で楊子の里で酒を売れば豊になる
という夢にしたがいい楊子の市で酒売りをしたところ海に住む猩々がやってきて酒を飲み、舞に興じたあと、高風の正直な心をほめ酌めどもつきぬ酒壷を与える
からくり
曵山正面の奥には左手に大盃、右手に扇を持った猩々の人形がある
その手前に左手に長柄の杓を持つ高風の人形が立ち
その前に大甕がおかれている
所望になると、高風が大甕から酒を酌み猩々が持っている盃に酒をつぐ猩々は酒を飲み干し手に持つ扇で自分の顔を隠すその扇を下におろすと酒の回った真っ赤な顔が現れる
扇で顔を隠している間に顔がくるりと回転しているのである。
この仕掛けは、殺生石山の玉藻の前にもみられる。
切妻の屋根の内部は水平ではなく化粧屋根裏で裏板は軒とともに金箔おきとなっている
見送りや胴幕は中国製の綴れ織りの一種である「刻子織」
見送りは唐子遊びの図で、
獅子舞
鬼ごっこ
独楽回し
舟遊び
凧上げ
など子供の遊びをあつめ、八十余人唐子によって演出させた「唐子遊技図」である
欄間の木彫りの龍の丸彫り金の麒麟の彫刻が目を惹く

・西王母山 丸屋町
本座人形は能楽の西王母。崑崙山に住む仙女。東王府の妻だとも言 い姉弟だとも言う(異説あり)。
「桃山」の別名がある。
能楽の西王母にちなみ名付けられた。
能では長生不死を望む漢の武帝の前に西王母が舞い降り、三千年に一度咲く桃の花の枝を皇帝にわたす。その後ふたたび西王母が現れ桃の実を献じ皇帝の長寿と平和を祈る。
からくり
曵山左手柱のそばに東に住む仙人の東方朔が立ち、中央奧の台に盛装した西王母が右手に団扇頭に鳳凰冠をつけて控えている。下手の柱の内には桃が見事に実っている。所望の囃子に変わると、この桃が二つに割れて、中から右手に軍配を持った唐子が出てくる。童子は幹を前方に向かって進み、膝を屈伸するや身を翻して後戻りし、もとの桃の中に戻ってかがむと、桃は静かに閉じる。大津曳山展示館で復元された山車のうえで、巧妙な電動仕掛けのからくりが上演されている、
この曵山の屋根は瓦葺き風に仕上げてあるが、他の曵山は総て柿葺風である。
軒先には金箔張りの大きな飛龍の飾り彫刻が取り付けられる。
見送り幕は中国製の綴錦、なぜかこれを蝦夷錦と呼ぶ。
中央には正面向きの龍、下部には波間より、これから天に昇ろうとする二匹の小龍
青海波が精巧に織られる。

・西宮蛭子山 白玉町
本座人形は西宮蛭子。
西宮蛭子とは、兵庫県西宮神社のことで、西宮神社はゑびす神社の総本宮。文楽人形のもととなった西宮傀儡人形(にしのみやくぐつにんぎょう)の発祥の地とされている。
万治元年(一六五八)ころから西宮蛭子の面を祠っていたが、後に曳山に載せるようになった。その後は鯛を釣りあげた蛭子に商売繁昌を折るという。
所望のからくりは、ゑびすさんが鯛を釣り上げる。
この所作から俗に「鯛釣山」と呼んでいる。この曳山が作られたころは橋姫山と称していたが、延宝年間以後、いまの西宮蛭子山と称している。
大津祭は江戸時代はじめ、鍛冶屋町塩売治兵衛が狸面でおどったことからはじまったとされているが、.寛永十五年(一六三七年)からは三輪の曳山をつくりやがて元禄、安永年間に現在の曳山がととのえられた。

・殺生石山 柳町
「玄翁山」また「狐山」の別名がある
謡曲の「殺生石」にちなみ名付けられた
曳山の前に払子を持った玄翁和尚が立ちその奥に殺生石を形作った岩があってその中に玉藻の前がいる。
所望になると、まず玄翁和尚がほっすを動かす
その法力で奥の岩が割れ、んかから玉藻の前が現れる。手に扇を持った玉藻の前は、その扇で顔を隠すがその扇を下におろすと顔だけが狐に変わる。狐が顔を扇で隠し、再びおろすとこんどは玉藻の前に変わる。
 鳥羽上皇に寵愛された玉藻前は、じつは、白面金毛九尾の狐の化身であった。玄翁はこれを見破り石に変えるが、栃木県那須町の那須湯本温泉に飛んで殺生石になったといい、江戸時代にみちのくを旅した芭蕉も、
  飛ぶものは 雲ばかりなり 石の上
 の句を残しているが、一説にはこの句は、越中の芭蕉の門弟、麻布の句だという。面が早変わりするからくりのなかでも、構造的に面が立体的に一回転するのはこのからくりが唯一である。
化粧屋根裏の豪華な草花は京都四条派の松村景文の筆になるり、梅、朝貌、藤などを極彩色で描く。
泥よけ下四隅の金具(小口)は波、飛龍を高彫りや銀象嵌を施こす精巧な工芸品。
見送り幕は地元、大津出身の小倉遊亀による
「霽れゆく」

・湯立山 玉屋町
本座人形は、禰宜と巫女。
寛文三年(一六六三)天孫神社の湯立て神事は、この山から捧げるといい、山の建物は拝殿をかたどり、周りはその廻廊を模倣したものである。
所望のからくりは、称宜がお祓いをし、社殿を笹で湯を撒き、巫女が神楽を奏する。この所作から、「おちゃんぽ山」の愛称がある。
昔からこの湯をかけられたものは五穀成就、病気平癒、商売繁昌など縁起がよいという。最初は孟宗山といっていたが寛文年間にいまの名称となった。

・孔明祈水山 中堀町
本座人形は諸葛亮孔明。
見送りは「百福図」で、李長吉、唐の皇帝玄宗、張芝、白樂天、瑞英、仇休などの象形文字、各種の篆書、隷書による福の文字を百種を書く。
あつめ緑、朱、藍、金、白など各種の色糸を用いて織りだしている
欄間には、騎馬で橋を渡る中国人物(不明)をはじめ随所に中国風の趣をあしらっている
・郭巨山 後在家町、下小唐崎町
本座人形は、中国の故事二十四孝の郭巨。
別名「釜掘山」
天井は格天井
その格間には、椿、あじさい、牡丹、桃、梅、水仙、八重桜、菊など二十八種類の草花を金箔置き、精巧な彫刻を彫るこのような格天井に彫刻を施した山車は例が少ない
丸透彫の欄間彫刻にはにずが滝のように流れ波上を騎馬で走る中国の人物(不明という)この彫刻には焼印があって、京都の彫刻師の手になることが知られている
見送りは、一説に空海、また顔真卿の書を刺繍したという
からくり
郭巨の物語をからくりで演出する
曵山正面右手に郭巨の妻が童子を両手で抱いて立つ
左手に鍬を持った郭巨が立つ
所望になると郭巨の妻が童子をあやすように動き
郭巨は鍬を動かす
郭巨の前にある岩に鍬をふりおろすと岩の一部が回転し
黄金の釜が現れる
びっくりして目を丸くする郭巨の表情と妻の慈愛の表情がみもの。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇辛夷館
2009/2/16(月) 午後 8:57
... 木工からくりで素晴らしいのがやってるから よかったら見に行ってのこと さっそく会場である 辛夷館に行ってきました。 大澤さんのからくり人形は見て楽しい 動かして楽しいからくりでした。 ハンズ大賞の本にもいっぱい出てました 考える力が ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/xtkhg474/10477192.html

◇チェコ(プラハ2)
2008/5/25(日) 午前 11:55
プラハ城には左右に2人の守衛がいた。人形の様に動かず写真も自由に撮らせており、観光用のサービスと思われる。城内自由に観光出来た。  市民会館も彫刻で飾られうつくしい。  有名なからくり時計は巨大。大きくて写真に収まらず2枚にした。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/akawine1/38804532.html

◇からくり伊賀七
2006/10/25(水) 午後 9:05
... その柱頭には、12支の彫刻を附し方位に配しています。 こんな形の鐘楼 ... 伊賀七のからくりは、それだけに終わりません。 自宅斜め前の酒屋に酒を買いに行く 酒買い人形を作ったり(笑) 、凄い話では、 鳥のような羽を何枚か重ね合わせたものに ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sgkbf219/42871536.html

◇お祭り、無事終わりました!
2006/4/17(月) 午後 9:40
... まだ昨日終わったばかりですね・・・ 1枚目:神社に勢揃いした4台の山車、今からからくり人形の奉納です 2枚目:うちの山車の彫刻、100年以上前の作品です。支えているのは力神っていいます 3枚目:地元では有名な老舗の和菓子屋さんの軒先。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/alpinegarcons/33474922.html

◇半田 亀崎 田中組 神楽車 (詳細あり)
2005/5/22(日) 午後 7:23
... 各山車は、素木彫刻や幕等の装飾やからくり人形を有し、県指定文化財である。  亀崎のからくり人形について 半田市内山車の内19輌の山車において27体(亀崎西組の『石橋』も含む)のからくり人形がある。 ・亀崎地区には、11体 ○東組 上山人形『湯取 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/michy_f_wb4/3192709.html




◆00091 花車神明社祭

2010年01月23日 | 日本の山車
◆00091 花車神明社祭
愛知県名古屋市中村区名駅五丁目
花車神明社
□汎論
 山車の人形は、
・二福神車 名駅五丁目(旧内屋敷町)二福神車保存会。人形は恵比寿と大國の二福神で 人形戯がある。
・紅葉狩車 名駅五丁目(旧上花車町、小鳥町)。人形は更級姫(鬼女)、平維茂、従者 により機巧人形戯が行われる。 
・唐子車 名駅南一丁目(旧内屋敷町)。人形は四体あり、唐子が梅の木で倒立する機巧 人形戯がある。
 いずれも神社と人形には関連性がない。

◆00241 富士宮祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆00241 富士宮祭
静岡県富士宮市宮町
浅間大社
□汎論
 山車の人形。
・常磐、本座人形は素盞鳴尊。
・琴平。
・瑞穂区。
・福地、本座人形は鐘馗。
・羽衣、本座人形は天女。
・松山、本座人形は日本武尊。
・浅間。
・大中里。
・宮本。
・大和、本座人形は源頼朝。
・咲花区、本座人形は神武天皇。
・神田、本座人形は猿田彦命。
・城山。
・神立、本座人形は加藤清正。
・木ノ花。
・高嶺。
・二ノ宮。
・神賀。
・貴船。
・日ノ出。
・阿幸。
 山車人形と神社には関連が見られない。


◆00063 山王祭(日枝神社祭)

2010年01月22日 | 日本の山車
◆00063 山王祭(日枝神社祭)
岐阜県高山市城山
日枝神社
□祭神
オオヤマクイノカミ 大山咋神
□汎論
 岐阜県高山市は、いまでも旧国名の「飛騨」をつけて「飛騨高山」とよばれることが多い。「飛騨」の語義は不明とされるが、古い表記は「斐太」である。島根県の簸川、関東に多く見られる氷川などに通じる「ヒ」の國で、茨城県の常陸、大分県の日田、宮崎県の日向(ひゅうが)などに通じる。新潟県には斐太と斐太神社がある。奈良県には、滋賀県には「飛騨」の地名がある。「ヒ」は古代出雲系氏族にちなむと考えられる。
 熊本県も噴煙をあげる阿蘇にちなんで「火の國」とよばれるが、こちらは「ヒの国」ではない。
 高山は左甚五郎に代表される名工、「斐太の工」でよく知られるが、その系譜には謎が多い。全国には斐太の工が建立した神社、仏閣、また彫刻にも優れたものが多く残るが、これらは斐太の工が各地を遊行移動しながら建立したものが多い。また、江戸の蔵前、難波の天満、京都の二条などに出先を構えて、社寺建築受注の出張所がおかれていた。しかし、普通は半農、半工の暮らしだったようである。
 春の高山祭は、旧山王祭である。明治の以後は日枝神社と改称されたが、祭はいまでも「山王祭」とよばれており、東京の日枝神社の祭を「山王祭」とよぶように、定着した呼称には愛着と伝統がある。高山祭の山車は夙に有名であるが、その淵源は、豊臣秀吉の死去七年目の慶長九年(一六〇四)八月十二日より十八日までに齋行された、「豐国大明神臨時祭禮」に遡る。
 豐国大明神臨時祭禮には、長らく豊臣秀吉とともにあった「金森氏」の、長近(ながちか)、可重(ありしげ)親子が、奉行として加わり、臨時祭禮の終了後に拝領した品々を領国飛騨高山に伝え、町衆が高山の鎮守とした山王宮の祭禮にこれら拝領品を用いた祭が行われた。これが春の高山祭「山王祭」の濫觴である。
 春の高山祭「山王祭」で曳かれる山車「屋臺」は、
・樂臺 上一之町上組の歴史は、太鼓臺にはじまり、あらゆる山車(屋臺)に先行する 。現在の形態は露臺式で、御神幸の獅子舞の演奏を行う。厳密に言えば山車でも、屋臺でもない。
・三番叟 上一之町中組は二層の上臺前部に張り出された機関樋のうえで、機巧人形によ る三番叟で、鈴の段、黒き翁が演じられる。三番叟人形は神の依代である。
・麒麟臺 上一之町下組。
・石橋臺 上二之町、神明町は、ながらく休止していた機巧人形による獅子舞が近年復活 した。
・五臺山 上二之町中組は、江戸時代に中国の故事、「邯鄲(かんたん)」にちなみ、盧 生が能楽の「邯鄲」にあわせて舞う機巧人形戯があったと伝えられる。
・鳳凰臺 上二之町下組は、高山の山車(屋臺)のうちでも京都祇園祭の鉾に似ており真 木を高く上に鉾をたてていたが、現在は短くなっている。下部を「網かくし」で覆う。・惠比壽臺 上三之町。
・龍神臺 上三之町中組には、もと八幡祭の旧山車大八臺より、人形「猩々」を譲り受け 、のちに機巧を行う屋臺となった。機巧人形猩々(龍神)が依代となっている。
・崑崗臺 片原町は上臺で林和靖(りんなせい)と唐子の機巧戯をおこなう山車(屋臺) だったが現在は休止している。林和靖と唐子が依代である。
・大國臺は、上臺の俵の上に本座人形、大國主命がのる。
・青龍臺は、江戸時代に「娘道成寺」が演じられていて、狂言の役者が依代だったことが ある。
・琴高臺 本町一丁目。
 樂臺以外、山車(屋臺)と日枝神社には関連がない。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇飛弾高山へ☆
2008/6/2(月) 午後 11:33
... 飛騨高山、といえば私は大好きだったアニメの『機巧奇傳ヒヲウ戦記』をすぐに思い出してしまうんだけど、本当に祭りの山車とからくり人形が有名でお祭りの時期に行けば外を練り歩く?山車が見れたのにな・・・観たい!! 土曜はもう1日中ずーっと土砂降り ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/broomstar_picture2115/42592769.html

◇犬山市文化史料館
2007/1/30(火) 午前 11:40
... レーザーディスクで13町内の山車のからくりのすべてが見られます。 津田禎三(十三代津田助左衛門)による、 からくり人形をテーマとした作品「尾州機巧幻想」も展示されています。 車山のからくり人形や、祭りの資料展示。 九代玉屋庄兵衛の工房。 ... http://blogs.yahoo.co.jp/nibanya3/3719581.html

◆01613 深志神社祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆01613 深志神社祭
長野県松本市深志
深志神社
□汎論
 山車人形は
・本町一丁目
・本町二丁目
・本町三丁目
・本町四丁目の山車、本座人形は神功皇后。
・本町五丁目
・伊勢町一丁目の山車、本座人形は大黒天。
・伊勢町二丁目
・伊勢町三丁目
・中町一丁目の山車、本座人形は猩々。
・中町二丁目の山車、本座人形は神武天皇。
・中町三丁目。
・博労町の山車、本座人形は鐘馗。
・宮村町一丁目の山車、本座人形は須佐之男命。
・飯田町一丁目の山車、本座人形は高砂。
・飯田町二丁目の山車、本座人形は蘭陵王。
・小池町
・東町二丁目
 山車(舞臺)は四柱神社秋祭(しんとうまつり)にも曳かれる。
 氏子の地域が重なるが、四柱神社の氏子は安曇野方面にも及んでおり、穂高町から人形が奉納される。深志神社が現在地に遷座する以前には産土神鎮守として祀られていたことをうかがわせる。

◆00033 小松お旅祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆00033 小松お旅祭
石川県小松市橋南本折
日吉紳社(山王社)
石川県小松市橋北
蒐橋神社(諏訪社)
□汎論
 山車は舞臺のある山車(曳山)で八臺を曳く。山車にのる人形はないが当番町の山車上で子供歌舞伎を演る。子供歌舞伎の役者(子供)は神格化され「神」として扱われる。役者は女児も演じる。


◆00062 高岡御車山祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆00062 高岡御車山祭
富山県高岡市末広町
関野神社
□汎論
 山車の人形
・坂下町には山車はなく、標旗が立つ。
・通町の山車は、「だし(鉾留)」は鳥兜。本座人形は布袋と唐子。
・御馬出町の山車は、「だし(鉾留)は胡□(□は文字なし、たけかんむりに禄「やなぐ い」)」。
・守山町の山車は、「だし(鉾留)」は御鈷鈴。本座人形は恵比寿。
・木舟町の山車は、「だし(鉾留)」胡蝶(揚羽蝶)、平氏の紋であるが、兵庫県高砂の 尾上神社の社紋もおなじく揚羽蝶である。本座人形(神座)は大黒天と唐子。
・小馬出町の山車は、「だし(鉾留)」は諌閑鶏。本座人形は猩々と猿。
・一番街通(一番町、三番町、源平町)の山車は、「だし(鉾留)」は、金鐘、播州高砂 尾上の鐘を模した金の釣鐘。本座人形は尉と姥。尾上神社はいわゆる「高砂の尾上」で 、
・二番町の山車は、「だし(鉾留)」は桐。本座は熊野神。
 山車の人形は、関野神社との関連はない。



◆00055 村上大祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆00055 村上大祭
新潟県村上市
西奈弥羽黒神社
□汎論
 山車の人形は、
・安良町の山車、本座は松の木をたて、住吉をあらわす。
・羽黒町の山車、本座は茶摘娘。
・塩町の山車、本座人形は猩々。
・加賀町の山車、本座人形は日本昔話、舌切り雀のお爺さん。
・久保多町の山車、本座は住吉大社を表現する。
・細工町の山車、本座人形は三番叟。
・肴町の山車、本座人形は大鯛に乗る恵比須。
・寺町の山車、本座人形は仙人の費長房。
・小国町の山車、本座人形は二十四孝の孟宗。
・小町の山車、本座人形は大黒天。
・庄内町の山車、本座人形は忠臣蔵の大石内蔵之助。
・上町の山車、本座は正面に「羽黒山大権現」の銘がある木製の梵鐘。
・上片町の山車、本座人形は天鈿女命。
・泉町の山車、本座人形は二宮金次郎。
・大工町の山車、本座人形は高砂。
・大町の山車、本座は諫鼓鳥。
・鍛冶町の山車、本座は 二見ヶ浦の夫婦岩。
・長井町の山車、本座人形は布袋和尚
・片町の山車。
 上町の山車が本座に羽黒山大権現の銘がある木製の梵鐘をのせる。
 安良町の山車は本座は松の木をたて住吉をあらわし、久保多町の山車は本座に住吉大社 を表現しているのが眼につく。西奈弥羽黒神社とはどういう関係があるのだろうか。
 他の山車の人形は神社とは関連がない。

◆00082 皇大神宮例大祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆00082 皇大神宮例大祭
神奈川県藤沢市鵠沼
皇大神宮
□汎論
 山車の本座人形は、
・上村町の山車、本座人形は源頼朝。
・宮ノ前町の山車、本座人形は那須与一。
・清水町の山車、本座人形は神武天皇。
・宿庭町の山車、本座人形は源義経。
・中東町の山車、本座人形は浦島太郎。
・苅田町の山車、本座人形は徳川家康。
・大東町の山車、本座人形は楠木正成。
・原町の山車。
・堀川町の山車、本座人形は仁徳天皇。
 いずれの人形も、皇大神宮との関連は見られない。

◆03024 八王子多賀神社祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆03024 八王子多賀神社祭
東京都八王子市元本郷町
多賀神社
□祭神
イザナギノミコト 伊弉諾尊
イザナミノミコト 伊弉冉尊
□汎論
 山車人形は、
・八幡町一丁目、二丁目([旧一丁目)の山車、本坐人形は、神武天皇。
・八木町の山車、本座がある。
・追分町の山車、本座がある。
・大横町の山車、本座がある。
・元本郷町
・千人町一丁目
・平岡町
・八幡上町の山車、一本柱の人形山車で、幕末期には鞍馬天狗と牛若丸の人形が乗ってい た。
・小門町の山車、本座がある。
・日吉町の山車。

八幡八雲神社 下の祭の山車
・八日町一丁目、二丁目の山車、本座人形は雄略天皇。
・上八日町の山車、本座人形は、素盞嗚命
・横山町一丁目の山車。
・横山町三丁目の山車、本座人形は、織田信長が舞う羅陵王(蘭陵王)
・中町の山車、本座人形は、諌鼓鳥
・本町の山車、本座人形は浦島太郎。
・三崎町の山車。
・南町の山車。
・南新町の山車
・横山町の山車、本座がある。

・駅前銀座の山車
・宮下町の山車、鉾臺とよぶ本座がある。
・天神町の山車
・諌鼓鳥の山車、八王子最古の山車。八王子型とよばれる一本柱の人形山車であるが現在 は曳かれず保管されている。
(順不同)
 山車と人形には関連が見られない。

◆00079 川越氷川祭

2010年01月22日 | 日本の山車
◆00079 川越氷川祭
埼玉県川越市宮下町
氷川神社
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚尊
クシイナダヒメノミコト 奇稲田姫命
オオナムチノミコト 大巳貴命
アシナヅチノミコト 脚摩乳命
テナヅチノミコト 手摩乳命
□汎論
 氷川神社の祭神はスサノオノミコト、妃のクシイナダヒメノミコト、その子であるオオナムチノミコト、アシナヅチノミコト、テナヅチノミコトはクシイナダヒメノミコトの両親であり、出雲系一族の神々を祀る。
・高沢町の本座人形は、大山咋命(山王神)
・南町の本座人形は、源ノ頼朝の能舞姿。翁面で知られる。旧人形はタジカラオノミコト(手力男命)で、猩々、翁と改められている。
・志義町の本座人形は、布袋。旧蘭陵王。
・喜多町の本座人形は藤原秀卿。平将門を討った武将。
・鍛治町の本座人形は、三条小鍛冶宗近。
・上松江町の本座人形は、浦島太郎。
・江戸町の本座人形は天鈿女命、旧人形は鎮西八郎為朝。
・六軒町
・中原町山車の上部の神座には四方に金幣がつき月鉾山車といい、京都祇園祭の月鉾に凝 らしている。
・相生町
・連雀町山車の本座人形は、太田道潅。大田道潅は江戸城、川越城を築城している。
・松江町の山車は、上部に標山を設け幣束が立てられる。
・宮下町山車の本座人形は、日本武命。
・多賀町
・志多町山車の本座人形は、武蔵坊弁慶。旧臺の本座は小槌だった。
・本町には船屋臺があったと伝えられが現存しない。
(順不同)
 いずれも神社とは関連のない人形である。