暘州通信

日本の山車

◇00199 葦嶽山

2010年01月05日 | 日本の山車
◇00199 葦嶽山
広島県庄原市本村町野谷
□汎論
葦嶽山は、昭和九年(一九三四)に酒井勝軍氏により「日本ピラミッド」として紹介されたことでよく知られる。標高八一五メートル。いわゆる神南備山であり古代祭祀遺跡と考えられる。

◆06369 太郎坊宮

2010年01月05日 | 日本の山車
◆06369 太郎坊宮
滋賀県東近江市(旧八日市市)八日市緑町
阿賀神社(太郎坊宮)
□祭神
マサカツアガツカツハヤヒアメノオシホノミミノミコト 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
□汎論
阿賀神社は、古来「太郎坊さん」の通称でよく知られる。創祀は、欽明天皇期に聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を創建しその霊験があったことより創建されたと伝えられる。
太郎坊の名称は天狗の名で、京都鞍馬の次郎坊天狗は弟だという。神社の守護神とされる。標高三五〇メートルの赤神山の中腹に鎮座する。赤神山は巨岩の露出する神南備山と考えられ、磐坐が存在する古代祭祀の旧跡と推定される。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇イガハチマングウ
2010/1/4(月) 午前 9:51
... 結構立派なお社で、 戦国時代の松平家の氏神として創建された神社。 松平家→徳川家なんで、家康様のゆかりの神社です。 戦国ブームなのだが、地元のスーパースター家康 ... 「狐」「弁天さま」「浦安の舞」「巫女さま」「天狗さま」 と、よく分からない http://blogs.yahoo.co.jp/tengoqu/30870770.html

◇セレクト ...
人か、天狗か、黒い影!誰にも見せぬその正体! -由岐神社-
2009/10/16(金) 午前 7:13
今日の一枚:「由岐神社」(京都府京都市左京区) 叡山電鉄鞍馬線の終着の鞍馬駅に着くとそこには天狗のモニュメントが… そう、ここは霊山として知られ密教による山岳修験の場とし ... 祭神:大己貴命      少彦名命 創建:天慶3年(940年) 別名:靫明神
 http://blogs.yahoo.co.jp/ogasen25/30478483.html

高住神社と天狗杉
2009/10/5(月) 午後 1:28
... 藤原恒雄によって創建された歴史の深いお社。      豊前 ... 英彦山豊前坊は、天狗伝説の地であり全国でも屈指の大天狗の神社です。     ここの高住神社は老杉深々として、天狗伝説にふさわしい雰囲気が漂っています。    豊前坊天狗神とし ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/siratamarule/21679684.html

◇鞍馬天狗 由岐神社
2009/5/6(水) 午後 11:00
... から歩いて10分のところに鎮座する「由岐神社」に参拝した。 「鞍馬駅」では天狗さんのお出迎えだ。いよっ!「鞍馬天狗」!! 駅前の土産物屋を過ぎるとすぐに「鞍馬寺」の「仁王門 ... ところで「由岐神社」の創建は天慶三年(940年)だ。 938年の大地震と939年に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ymura8553/16140213.html

内々神社の天狗岩
2006/4/25(火) 午後 2:29
... ②③ 絵の中央にある、「天狗岩」は拝殿の後部のもっと高い 位置にあり ... 創建は嘉暦年間(1326-29)以来240年間余、内内神社の別当を 勤め当寺住職を兼ねたが、天正元年(1573)二十五世実尊は 別当を辞した。同三年堂于を消失したが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/32826079.html

◆30014 山車の起源

2010年01月05日 | 日本の山車
◆30014 山車の起源
 これは仮説である。
 ドルメンの渡来。
 ドルメンは、和名では支石墓と表記されている。ブルトン語で dol は机、men は石を指す。基本構造は、柱となる柱石、支えとなる支石、をたて、そのうえに鏡石(かがみいし)、蓋石(ふたいし、がいせき)がのる。天井石、上石の名称もある。
 フランスのブルターニュ半島のドルメンは「ドルメン」の名が最初に付けられたことでも知られる。ヨーロッパ、アフリカ、インド中国、朝鮮半島などのアジア各地、南アメリカ、日本とその分布域は広範で、その態様もさまざまで、構造的に石組みのみにとどまらず、土で覆われたもの、羨道をもつものもあり地方的に分化したさまざまな形式があり、それぞれに名称がつけられている。
 わが国のドルメンは、その分布は、主として九州北部から西部であるが、わずかながら南九州におよんでいる。
筆者は、およそ紀元前二〇〇〇年ころ、にはじまった弥生文化と稲作にともなって建造され、古代祭祀のこなわれた神南備山、甘南備山山上の巨石遺構である磐座、磐船などは、ドルメンの影響をうけて建造されたものと推定するが、ドルメンと指摘されていても、自然石の露頭と区別できないものもある。稲作の普及と深い関係があったと思考する。また、ドルメンは墳墓としても築造されており、円墳、上円下方墳、前方後円墳などに移行していったと推定している。