暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (四四〇)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四四〇)
 これは仮説です。
 ペルーの古代遺蹟として【ナスカの地上絵】がよく知られますが。首都のリマに近い【エル・パライソ】にピラミッドがあります。このうちのひとつは最近は解されたようですね。

玉依姫 様 (四三九)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四三九)
 これは仮説です。
 エジプトのピラミッド。メキシコのピラミッドは、その築造の目的がかなり異なっているように感じられます。これを同一視点で見ることには異見もあると思いますが、私はもとはおなじ発想から生じたものと考えています。
 このあと世界のピラミッドをご紹介しましょう。
 ブラジルのマットグロッソの密林の中にはいまも未発見のピラミッドが眠っていると推定されますが、アマゾンのさらにに上流にある【ボリビア】には、古代都市の址とともに、近年ピラミッド発見が報じられています。

◆30899 沼須人形

2013年07月17日 | 日本の山車
◆30899 沼須人形
□所在地 群馬県沼田市沼須 
□汎論
 沼須町は沼田市の東南にある町で、【沼須人形】が上演される。沼須人形は、安政年間にはじまったと伝えられる。黒子が一人使いの人形を操り芝居が進行する。関西の浄瑠璃人形に似るが、いろいろな工夫がなされていて、文楽などの浄瑠璃人形そのものではない。人形遣いは人形の背後から手を入れて【牛蒡串(ごぼうくし)】とよばれる細竹を指で操作して所作を行う。京都府亀岡市の【稗田野神社】の祭礼に行われる【串人形】と似ている。
 しばらく途絶していたが、昭和五〇年に融資により復活。保存会が結成されて保存に努めている。平成七年に沼田市の重要民俗文化財の指定を受けた。
 沼田市は藩政期には美濃の【土岐氏】の支配下にあった。【橋本香坡】の父は沼田藩に仕えた士族であったが、飛び地である美作(岡山県)にあった知行地を預かり、また大阪の蔵屋敷に住んだ。橋本香坡の妻は、沼田藩士族、平尾氏の娘で静子といった。香坡は、若いとき、大阪今橋にあった【梅花社】で篠崎小竹に師事した。この縁で伊丹郷町(兵庫県伊丹市)に設立された【明倫堂】の学頭となって両親妻とともに伊丹に移り住むこととなった。ちょうどそのころ伊丹郷町宮前の岡田家に淹留していた飛騨高山の名工【谷口與鹿】と知り合い生涯の友人となった。谷口與鹿は飛騨高山の屋臺に数々の名品を遺している。
 香坡と與鹿は、安政年間には一緒に長崎へ旅している。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・白山神社  9,手挟の菊  10,拝殿入口虹梁の松 11,刻銘 谷村町上丁 彫工 福田藤右衛門俊秀 七十五才  大正三寅年四月
社寺彫刻紹介  EARTH1
 http://blogs.yahoo.co.jp/rnksr047/9435516.html
・八剱八幡神社・木更津んまち(八幡さまんまち)楽日
櫻南やさぁこりぁ日記 次のお祭りは、20日佐倉 松ヶ丘、21日人見神社
 http://blogs.yahoo.co.jp/torairo2419
・今日は午後半田市立博物館へ。……成岩西組神車は先月30日に博物館へ入ったのですが、残念ながら組み上げは見に行けませんでした。
ukokkeiの徒然草 博多遠征レポート掲載中。
 http://blogs.yahoo.co.jp/ukokkei_taya/11651240.html
・淘宝網の方面は、今すでに着いて構想の時間を変えなければなりませんと語っています。
齊白石の書画の作品の淘宝網の高値は取引が成立します
 http://blogs.yahoo.co.jp/yirenmeili7
・岩礁の間にタマンがのんびり  タマンは沖縄で人気の大衆魚、ハマフエフキのことだよ  潮にまかせてゆらゆら、ゆらゆら
がじゅ丸の『OK! now』 ご訪問ニフェーデービル! 沖縄の素潜り写真をアリンクリンお届けサビラ!拡大して見てね(*^^)v
 http://blogs.yahoo.co.jp/maxokinawa2003

地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
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玉依姫 様 (四三八)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四三八)
 これは仮説です。
 渤海の歴史は記録もほとんどなく、歴史の中で取り上げられることが少ないのは玉依姫さんのおっしゃるとおりだと思います。飛躍しますが……、滋賀県湖東、東近江市の古刹に【永源寺】が知られます。この【永源】という名称は、【永原姓(ながはらせい)】として、信越、北陸、近江地方に比較的多いといいます。この【ながはら】は、古代ウイグルの有力氏族である【ナガ・マヤ族】につながり、渤海を経て能登、あるいは小浜へと伝わったのではないかと考えられます。永井、長井、長江、長尾、長瀬、永瀬、永田、長田、長門、長戸、長野、永野、長屋、長谷、流、那珂、那賀などの姓に見られる【ナガ】は、もとはウイグルに通じる大陸起源かもしれません。

玉依姫 様 (四三八)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四三八)
 これは仮説です。
 渤海の歴史は記録もほとんどなく、歴史の中で取り上げられることが少ないのは玉依姫さんのおっしゃるとおりだと思います。飛躍しますが……、滋賀県湖東、東近江市の古刹に【永源寺】が知られます。この【永源】という名称は、【永原姓(ながはらせい)】として、信越、北陸、近江地方に比較的多いといいます。この【ながはら】は、古代ウイグルの有力氏族である【ナガ・マヤ族】につながり、渤海を経て能登、あるいは小浜へと伝わったのではないかと考えられます。永井、長井、長江、長尾、長瀬、永瀬、永田、長田、長門、長戸、長野、永野、長屋、長谷、流、那珂、那賀などの姓に見られる【ナガ】は、もとはウイグルに通じる大陸起源かもしれません。

玉依姫 様 (四三七)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四三七)
 以前、京都府の舞鶴から、北海道の小樽を結ぶフェリーに乗船した友人のお話を聞いたことがあります。だから自分の体験ではないのですが……、そのお話によると日本海から北陸の地形は見えないのに、東のかなた(北陸方面)までくると、「陸地は見えないのに【加賀白山】の山頂が望まれたのが感動的だった」といっていました。大陸と能登半島を結ぶ海路は確かにあり、この海路を経て渤海からの渡来人が能登に到っているのは玉依姫さんのご指摘どおりだと思います。
 【犬神伝説】がわずかに知られますが、北欧伝説だそうですね。この経路が大陸ー能登半島を経由している。滋賀県の【犬上川】もなんらかの関連があるらしいです。
 青森県古代の【東日流(つがる)】も能登を経て大陸と結ばれていた。という説もあります。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・日帰り ソロ夏ーリング(越前岬)
2013/7/2(火) 午後 6:44
... 出発! 周山街道で小浜市へ。 小浜市からは、梅街道を走りました~ この梅街道…走るのは初めてでしたが、空いてる上に気持ちの良い真っ直ぐ ... 店は無いかと思っていると… 越前そば屋を発見! R365沿い越前市の「山将」さんです。 名物の越前 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/red_hayabusa2012/31946334.html
・福井・小浜 / 小浜西組を歩く 1・商家町
2011/1/28(金) 午前 8:58
... 八幡神社 越前・若狭(敦賀市)から丹後の田辺(京都府舞鶴市)・宮津(京都府宮津市)までの丹後街道が通っていた。 その全体的なルートとしては、現在の国道27号線とほぼ一致 ... 「町並み保存資料館」  (旧松宮家) 小浜市小浜西組(おばまし おばまにしぐみ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kmy22jp/34052536.html
・小京都 小浜市
2010/5/18(火) 午前 11:25
越前小浜市(海のある奈良)    鯖街道の向こう京都の食文化等々を育んだ越前小浜市   京の食文化似なった越前小浜市   社寺仏閣は北陸随一と称せれれ 古寺巡礼は後を絶たない   越前小浜市 国宝巡り   日本海随一の三重塔  明通 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/at12520000/32223927.html
・小浜~越前
2008/10/13(月) 午後 10:47
越前への旅、今日は1日目の小浜編です( ̄_ ̄)ノ 舞鶴自動車道の終点 小浜西をしばらく東へ進むと、らっこ母 (ばぁば) が生まれた小浜市飛鳥が 見えてきます。 ... その道のりは、鯖街道と呼ばれています。 しばらく懐かしい場所 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/oomawatari178/26000241.html
・福井・越前・若狭食の祭典(鯖街道)
2005/10/31(月) 午前 10:58
... 資料館には、鯖街道の難行が解る「 伝説の大蛇の昔話 」などがある事。 鯖街道といわれているが、「なかなか鯖は捕れんでなぁ~。鰯やらが、道端によぉ落っておった」事。 ... 「今日は小浜もお祭やから、山本ジョージが歌ってるでぇ~♪」などなど ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/optimist_diary/14954894.html

玉依姫 様 (四三六)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四三六)
 堺(和泉)は、【ちかつ飛鳥】を経て【竹内街道】を通って、【當麻庄(たいまのしょう、たえまのしょう)】、【飛鳥(あすか)】に通じていました。
 しかし、平城京に都を置いた大和朝廷は初期には宮津と大和を結ぶこの街道を避けた形跡があり、越前小濱から石田川、安曇川沿いに琵琶湖湖西、琵琶湖沿いに、現在の大津市、勢田川沿いに【三井寺】、【石山寺】、【宇治平等院】ここで宇治川とわかれ国道二四号線あたりの街道をたどって木津、平城坂(ならさか)これを越えると【般若寺】。【東大寺】、【平城京
】にいたる古街道が成立していたと考えられます。のちの【紫香楽宮(しがらきのみや)】、
所在不明の【近江京】も大体この街道を経由したのではないでしょうか?
 大和朝廷が、一見不便な越前小濱と和泉を避けた理由のひとつに國譲後も出雲市の妨害があったこと。いまひとつは【渤海との交流】が挙げられると思います。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・日帰り ソロ夏ーリング(越前岬)
2013/7/2(火) 午後 6:44
... 出発! 周山街道で小浜市へ。 小浜市からは、梅街道を走りました~ この梅街道…走るのは初めてでしたが、空いてる上に気持ちの良い真っ直ぐ ... 店は無いかと思っていると… 越前そば屋を発見! R365沿い越前市の「山将」さんです。 名物の越前 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/red_hayabusa2012/31946334.html
・福井・小浜 / 小浜西組を歩く 1・商家町
2011/1/28(金) 午前 8:58
... 八幡神社 越前・若狭(敦賀市)から丹後の田辺(京都府舞鶴市)・宮津(京都府宮津市)までの丹後街道が通っていた。 その全体的なルートとしては、現在の国道27号線とほぼ一致 ... 「町並み保存資料館」  (旧松宮家) 小浜市小浜西組(おばまし おばまにしぐみ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kmy22jp/34052536.html
・小京都 小浜市
2010/5/18(火) 午前 11:25
越前小浜市(海のある奈良)    鯖街道の向こう京都の食文化等々を育んだ越前小浜市   京の食文化似なった越前小浜市   社寺仏閣は北陸随一と称せれれ 古寺巡礼は後を絶たない   越前小浜市 国宝巡り   日本海随一の三重塔  明通 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/at12520000/32223927.html
・小浜~越前
2008/10/13(月) 午後 10:47
越前への旅、今日は1日目の小浜編です( ̄_ ̄)ノ 舞鶴自動車道の終点 小浜西をしばらく東へ進むと、らっこ母 (ばぁば) が生まれた小浜市飛鳥が 見えてきます。 ... その道のりは、鯖街道と呼ばれています。 しばらく懐かしい場所 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/oomawatari178/26000241.html
・福井・越前・若狭食の祭典(鯖街道)
2005/10/31(月) 午前 10:58
... 資料館には、鯖街道の難行が解る「 伝説の大蛇の昔話 」などがある事。 鯖街道といわれているが、「なかなか鯖は捕れんでなぁ~。鰯やらが、道端によぉ落っておった」事。 ... 「今日は小浜もお祭やから、山本ジョージが歌ってるでぇ~♪」などなど ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/optimist_diary/14954894.html
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらに整理統合しています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/

玉依姫 様 (四三五)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四三五)
 越前小濱は、平城京の大和朝廷とのあいだに、大陸とを結ぶ中継湊として深いかかわりがあり、小浜と大和を結ぶ道路が確立されていたと推察されます。
 古代においては九州から次第に畿内に移行した文化は、日本海側、瀬戸内の海運によるところが大きいでしょうが、日本海側の出雲王国の拠点港は、京都府の宮津が最も大きい位置を占めており、現在の京都府宮津市と大阪府の和泉地方と結ばれていました。その街道は現在の丹波を経て、兵庫県・大阪府の境にある【天王峠】をへて能勢へ、猪名川の上流域から河川沿いに一庫(ひとくら)を経て池田。さらに大阪・梅田、御堂筋、大阪・なんばからは国道二六号線、大国町(大国町は、大阪・奈良を結ぶ国道二五号線の分岐点)を経て大和川河口、そして堺(和泉)へと到ります。もっとも、そのころの、現在の大阪市は、上町台地が、茶臼山までのびる細い岬状で、その西部はほとんどが渺々たる【茅渟ノ海(ちぬのうみ)】だったと考えられます。