暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (四三五)

2013年07月17日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四三五)
 越前小濱は、平城京の大和朝廷とのあいだに、大陸とを結ぶ中継湊として深いかかわりがあり、小浜と大和を結ぶ道路が確立されていたと推察されます。
 古代においては九州から次第に畿内に移行した文化は、日本海側、瀬戸内の海運によるところが大きいでしょうが、日本海側の出雲王国の拠点港は、京都府の宮津が最も大きい位置を占めており、現在の京都府宮津市と大阪府の和泉地方と結ばれていました。その街道は現在の丹波を経て、兵庫県・大阪府の境にある【天王峠】をへて能勢へ、猪名川の上流域から河川沿いに一庫(ひとくら)を経て池田。さらに大阪・梅田、御堂筋、大阪・なんばからは国道二六号線、大国町(大国町は、大阪・奈良を結ぶ国道二五号線の分岐点)を経て大和川河口、そして堺(和泉)へと到ります。もっとも、そのころの、現在の大阪市は、上町台地が、茶臼山までのびる細い岬状で、その西部はほとんどが渺々たる【茅渟ノ海(ちぬのうみ)】だったと考えられます。

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