玉依姫 様 (四七四)
>私のブログ(江戸時代の村の記録を読む・作田村旧記)をご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/miyamoto83885/folder/416380.html?m=lc&p=5
玉依姫の思ったこと。江戸へ至る街道はどこを通っていたのだろうか? (上総の国 夷隅郡作田村 江戸への道のり二十二里)と旧記に記してあるが、キロ数に換算すると88キロメートルである。現在いすみ町に住んでいる人が、東京まで車で行くとするとだいたい100キロメートル以上走ると思います。
とすると、年貢米はどのようなルートで江戸に運ばれたのでしょうか?
……古代から、江戸時代にかけて海運、河川運の【水運】のはたした役割は非常に大きなものがあります。たとえば、蔵の町・栃木の【巴波川・うずまがわ】は、江戸との水運があり。江戸の町で曳かれた屈指の山車、【静御前山】は、もと江戸日本橋の伊勢、小田原、瀬戸物の三町共有の山車でしたが、栃木に引き取られ、この巴波川を船で運んだと伝えられています。
やはり、江戸時代、仙臺藩(仙台)よりの、江戸送りの【宮城御蔵米(みやぎおくらまい)】の流通経路は、海運でしたが、その経路がちょっと変わっていて、海路を直接江戸に運ぶのではなく、犬吠埼から利根川を遡航、佐原(現香取市)で川舟に積み替え、さらに利根川を遡行し、武蔵で【荒川】、隅側を下って、【江戸両国の蔵前】で陸揚げされました。この理由は、秋の収穫時期を過ぎたころは台風の季節で、仙台を出て、犬吠埼を回ると延々とつづく【九十九里浜】の砂浜ばかりで、暴風に見舞われると風除けの湊がなく、遭難の危険度がひじょうに大きかったためといわれます。
この水運を利用した物資の輸送は両総(上総・下総)の良質な農産物、加工品である味噌、醤油なども江戸に積み出され、佐原はその集散地として殷賑を極めました。これを司ったのは近江商人(滋賀県)でした。佐原には立派な山車があり、佐原小唄とともに全国でも有数の山車囃子が知られますが、これらの山車のルーツは当初は近江商人が寄贈したものでした。だから、佐原の山車は関東に見られる山車とは形態が異なる【近江水口】、【近江日野】に見られる露臺式の山車の系統を曳いています。あまり知られないことですが、近江水口祭には、山車のあとから笛を吹きながら、水口曳山のあとにつく佐原のひとたちがあり、もう長いあいだにわたって行われてきましたから、水口のほうでも公認? となっています。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・汗だくで栃木路朝から夕まで
2011/7/18(月) 午前 9:12
... 1:00自転車で山車会館 2:00巴波川舟遊び 2:30塚田伝説館~例幣史街道散歩 ... 幸をソウシテやっぱりクソ暑い日になった(謎) で巴波川舟あそびぞな。 ゆらゆらーっとな。 こんな感じで、巴波川の水運は行われていたのじゃろうて。観光 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/toskieni_k/29940923.html
第13回大旅行140(栃木市・藏の街1)
2009/12/16(水) 午前 2:26
... この水路はただの用水路ではなく、水運用の水路だったのでしょう。 後で分かった事ですが、この水路は巴波川とその附属水路で、下流で渡良瀬川 ... しかし、展示している山車はこれだということです(写真⑰)。本物の山車を交代で展示しているところは全国 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/shigeaki0430/49620620.html
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
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玉依姫の思ったこと。江戸へ至る街道はどこを通っていたのだろうか? (上総の国 夷隅郡作田村 江戸への道のり二十二里)と旧記に記してあるが、キロ数に換算すると88キロメートルである。現在いすみ町に住んでいる人が、東京まで車で行くとするとだいたい100キロメートル以上走ると思います。
とすると、年貢米はどのようなルートで江戸に運ばれたのでしょうか?
……古代から、江戸時代にかけて海運、河川運の【水運】のはたした役割は非常に大きなものがあります。たとえば、蔵の町・栃木の【巴波川・うずまがわ】は、江戸との水運があり。江戸の町で曳かれた屈指の山車、【静御前山】は、もと江戸日本橋の伊勢、小田原、瀬戸物の三町共有の山車でしたが、栃木に引き取られ、この巴波川を船で運んだと伝えられています。
やはり、江戸時代、仙臺藩(仙台)よりの、江戸送りの【宮城御蔵米(みやぎおくらまい)】の流通経路は、海運でしたが、その経路がちょっと変わっていて、海路を直接江戸に運ぶのではなく、犬吠埼から利根川を遡航、佐原(現香取市)で川舟に積み替え、さらに利根川を遡行し、武蔵で【荒川】、隅側を下って、【江戸両国の蔵前】で陸揚げされました。この理由は、秋の収穫時期を過ぎたころは台風の季節で、仙台を出て、犬吠埼を回ると延々とつづく【九十九里浜】の砂浜ばかりで、暴風に見舞われると風除けの湊がなく、遭難の危険度がひじょうに大きかったためといわれます。
この水運を利用した物資の輸送は両総(上総・下総)の良質な農産物、加工品である味噌、醤油なども江戸に積み出され、佐原はその集散地として殷賑を極めました。これを司ったのは近江商人(滋賀県)でした。佐原には立派な山車があり、佐原小唄とともに全国でも有数の山車囃子が知られますが、これらの山車のルーツは当初は近江商人が寄贈したものでした。だから、佐原の山車は関東に見られる山車とは形態が異なる【近江水口】、【近江日野】に見られる露臺式の山車の系統を曳いています。あまり知られないことですが、近江水口祭には、山車のあとから笛を吹きながら、水口曳山のあとにつく佐原のひとたちがあり、もう長いあいだにわたって行われてきましたから、水口のほうでも公認? となっています。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・汗だくで栃木路朝から夕まで
2011/7/18(月) 午前 9:12
... 1:00自転車で山車会館 2:00巴波川舟遊び 2:30塚田伝説館~例幣史街道散歩 ... 幸をソウシテやっぱりクソ暑い日になった(謎) で巴波川舟あそびぞな。 ゆらゆらーっとな。 こんな感じで、巴波川の水運は行われていたのじゃろうて。観光 ...
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第13回大旅行140(栃木市・藏の街1)
2009/12/16(水) 午前 2:26
... この水路はただの用水路ではなく、水運用の水路だったのでしょう。 後で分かった事ですが、この水路は巴波川とその附属水路で、下流で渡良瀬川 ... しかし、展示している山車はこれだということです(写真⑰)。本物の山車を交代で展示しているところは全国 ...
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