暘州通信

日本の山車

◆00115 藤枝祭 更新

2012年09月06日 | 日本の山車
◆00115 藤枝祭 更新
□社名 飽波神社
□所在地 静岡県藤枝市藤枝(岡出山)
□祭神
スクナヒコナノミコト 少彦名命
配祀
セオリツヒメノミコト 瀬織津姫命
エイスミコト 蛭子命
アメノオシホノミミノミコト 天忍穗耳命
境内社
金山神社
七ツ森神社
□祭は一〇月上旬(三年毎)
山車(屋臺)を曳く。
□山車
・栄区 
山車は平成七年の建造。
町印は結び柏
大正十年の町村制施行により、鬼岩寺字河原町、辻、益津字上伝馬の三地区が合併して栄区ができた。三地区の和合と繁栄を願い、柏葉三枚を組み合わせた「結び柏」が町印となった。一説に、以前河原で行われていた歌舞伎役者の家紋だったともいう
・木町 
山車の創建不明。
町印はカタカナのキ
明治期までは山間部で伐りだされた木材は、瀬戸川の水運が利用された。金吹橋から勝草橋までの間に、木材を引き上げる土場があって、製材業者があつまり木町の町名がついた。
・小坂
山車は大正十一年の創建。
平成一〇年に再建。
町印
菱小 
一説に、蓮華寺山と岡出山の間がかつては接続し小さな坂があったことから小坂の地名が生まれたという。
・上伝馬
山車の創建不詳、前島に譲られた。
平成八年再建。
町印は分銅紋
上伝馬は、古くから門前市付近は伝馬の駅だったといわれ、江戸時代には伝馬の中継ぎと両替商の屋敷があり、東海道藤枝宿の中心だった。両替には幕府が定める分銅が使用され、幕府が定めた分銅が使われ、「法馬」という字があてられている。つまり、伝馬町には町の歴史にこめられた分銅の法馬と上伝馬の「両方の馬」がかかっている。
・益津
山車は平成七年の建造
町印は三枡印(みますしるし)
歌舞伎十八番や、成田山(千葉県成田市)にゆかりの深い成田屋、市川家の家紋が三枡紋である。益津区では、いれこになった「隅立三つ入子枡」を町印にしている。
・千歳
山車の建造は不詳。
千歳区の町印は千歳の松
千歳区は旧鍛冶町と吹屋町が、合併して出来た地元の若一王子神社境内には八幡太郎義家の手植えと伝える「千歳の松」があり、町の名もこれにちなんでいる。光淋松の家紋が基になっている。
・左車
山車は、昭和五五年の建造。
左車区の町印は源氏車。
左車の町名は、建長四年後嵯峨天皇の皇子宋尊親王が鎌倉幕府の将軍に任ぜられて下向したとき、輿車の左輪が破損したため修理したが、その車輪を奉納したのが「左車神社」だという。
・岡出山
山車は平成十三年の建造。
岡出山区の町印はお組
岡出山区が昭和五十二年、飽波神社大祭の祭に参加したとき町印を募集し、岡、出、山の三文字を組み合わせた町印が選ばれた。
・長楽寺
山車の創建は不明。
長楽寺区の町印は蝶
長楽寺の「長(ちょう)」は、音の「蝶(ちょう)」に通じるということで町印となった。古代には鳥や、番(つがい)の蝶を、人の霊魂と考える思想がある。当初は蝶が羽を広げたものだったが、提燈屋の松浦定次郎により現在のかたちになった。備前蝶、鎧蝶紋が参考にされている。
・市部
市部区の町印は井桁(いげた)
横町は従前山車を引いていたが、昭和二十五年に市部の横町、本市部、前原が合併した。それまでの「横町」で曳いていた屋擡は「角立四つ目紋」だったが、合併後は市部の「い」を井桁でかこうかたちとなった。「蔭隅立井筒」と呼んでいる。
・五十海(いかるみ)
山車は平成七年の建造。
五十海区の町印はご組
五十海(いかるみ)の地名は「怒る水(いかるみ)」で、古代には、葉梨川、朝比奈川、瀬戸川などが合流する地形でしばしば氾濫した。原木神社と八坂神社は、ともに葉梨川の氾濫を鎮める神として祀られた。
・白子
山車の建造は不明。
白子区 ~菊一定紋~
天正十年の本能寺の変により徳川家康は、堺から伊賀を越え伊勢の白子にいたり、ここで、土地の小川孫三の舟で三河に渡り、無事駿府に戻りことができた。功をもって、小川孫三はその功績を賞で現地に居住を許された。しばらく旧地をしのび新白子町といったがいまは白子になっている。
・下伝馬
山車の創建は不詳、
平成十三年に再建された。
下伝馬区の町印は「輪違い」
この輪違いの町印は、馬の轡(くつわ)を象徴している。
ナデシコ科の植物にワチガイソウがある。
・原
山車
平成十九年に新臺建造との情報提供をいただいた。
町印は「総陰花菱」 
原と総陰花菱の関係は不明。
□汎論
 飽波神社は、延喜式神名帳、駿河國二二坐中、益頭郡(ましづこおり)に記載される四坐のうちの一坐。創祀は社記によると仁徳天皇期六年(三一六)とある。古くは「あくはじんじゃ」とよばれていたらしい。江戸時代の呼び名は「川関大明神」だったと伝わる。岡出山の麓に鎮座するが、蓮華寺山につづき、一体となった社域があったと推定される。伝承によれば、キスミレの自生地としても知られる高草山山頂に祀られていたとある。祭神と併考すると、その説には説得力がある。高草山から岡出山は古代祭祀の神南備山ということになろう。
 出雲系の神が祀られ、またセオリツヒメノミコト(瀬織津姫命)が配祀されているのが目を惹く。
飽波神社大祭に参加する一四町(区)には、それぞれの町印がある。町印はその町(区)を象徴するものでありそれぞれ由来がある。
□問い合わせ
〒426-0025
藤枝市藤枝5-15-3
電話 054-643-2915
Fax 054-643-2915

地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
20120720 更新

◇月夜の山車 福島稲荷神社例大祭
2011/10/10(月) 午後 5:45
... ( 勧請=分霊は 大阪・聖神社説と伊勢外宮の豊受比売大神説があります ) その後、本格的な社殿建造は安倍清明の孫が担当したのだそうです。 9日の夕刻から夜にかけて、駅前に集まった20台の山車を見たとき、 わたく し夏林人はこの土地 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/cdbxp540/21628665.html

◇川越祭りの山車を見る前に川越を散策してきました。
2009/10/19(月) 午後 9:32
... 山車の曳きまわしは午後6時半からなのに駅構内や駅前 ... 会館(結婚式場)には何度か行ったことがありますが神社は初めてでした。    ここには馬鹿でかい鳥居があります。    ⑦ 時の鐘  川越を代表する建造物ですね。実際に一日4回自動的に鐘が突かれます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yamamurayuji/30739811.html