暘州通信

日本の山車

◆05767 屋形石祇園神社祭

2011年02月07日 | 日本の山車
◆05767 屋形石祇園神社祭
□社名 屋形石祇園神社
□所在地 佐賀県唐津市屋形石
□祭神
□祭は七月下旬。
□山車
山車(山笠)が一臺出る。
・先部(さくべ)
□汎論
 屋形石祇園神社の祭礼には現在山笠が一臺出ているが、戦前には二臺あったと伝わる。

◆03686 唐房祇園社祭

2011年02月07日 | 日本の山車
◆03686 唐房祇園社祭
□社名 唐房祇園社
□所在地 佐賀県唐津市唐房
□祭神
□祭は七月中旬。
□山車
山車(山笠)が二臺出る。
□汎論
 唐房祇園社の祭礼には戦前は、
・幸手組 一丁目
・秋葉組 二丁目
・八郎組 三丁目
・蛭子組 四丁目
・高札組 五丁目
・原組 六丁目
の六区が浜崎型の山笠を出していたと伝わる。現在は二臺出ている。

◆00624 風治八幡川渡神幸祭

2011年02月07日 | 日本の山車
◆00624 風治八幡川渡神幸祭
福岡県田川市魚町
風治八幡宮
□祭礼は五月下旬
□山車
・大通り
・魚町
・番田町
・新町
・川端町
・橘通
・鉄砲町
・三井伊田
・栄町
・上伊田
(順不同)
□汎論
 風治八幡宮、白鳥神社の御輿に続いて、山笠一〇臺が英彦川をわたる。山笠とよばれるが、唐破風屋根のある山車である。中心に柱がたち、頂部に丸い輪が取り付けられる。「荒ぶる神・スサノオノミコト」はこの輪に降臨するという。川渡りとはこの降臨した神を禊するの意味だと言う。川に入った山笠は前後にゆらし水しぶきがあがる。山車上、屋根の上には人が乗るから見るからにひやひやする。
無事川を渡り終えた神輿、山笠は翌日の還御のさいにもう一度川をわたる。
神殿での「みたまうつし」のあと、神輿、幟山、踊山などが彦山川を渡って御旅処に向かう。翌日の還御も、お旅処を出たあと再び彦山川を渡って神社にもどる。花笠や幟(馬簾)で飾った一〇臺の山笠が、掛け声も勇ましく川を渡る。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇夏祭り「浜崎祇園山笠」
2009/8/1(土) 午前 6:26
... の唐津市浜玉町の夏祭り「浜崎祇園山笠」に行ってきました。 記録的豪雨の24日の翌日でしたから「どうかなぁ?」と心配して出かけましたが、商店街の中を山笠が通る時は、幸い雨も止み、写真も撮ることが ... 木で作られた山車の「ギシ!ギシギシ!!」という唸 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sakuranoensezaki/20287217.html

◇博多祇園山笠~ファイナルまで後2日!王さん登場☆
2009/7/13(月) 午後 11:20
昨日の成田祇園祭に引き続き本日は、博多祇園山笠の記事です。 こちらもクライマックスの追い山まで後2日! 本日13日は、今年の各流れの山車を市民にお披露目する「集団山見せ」 そして毎年福岡にゆかりがある ... 翌日の追い山に向けての最終調整です。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/motuo26/19572418.html

◇櫛田神社@福岡
2009/1/12(月) 午後 6:37
... なるほど、翌日から大祭があるから準備しているわけですか。 ... 櫛田神社といえば。。。博多祇園山笠ですよね。 ってことで、山車が飾られていたので、そちらの画像も写してきました。 出来れば、祇園山笠自体を見に来たいなぁ~。
 http://blogs.yahoo.co.jp/weissburst/58277993.html
 
◇小倉祗園太鼓
2005/8/16(火) 午前 10:04
... 毎年七月 第三土曜日を含む前後三日間 山笠に据え付けられた太鼓の音が無数に重なる ... 飾り付けた山車や踊り屋台が、 今日の太鼓を据え付けた山車になり、若衆がその太鼓を威勢よく打ち 鳴ら して町中が勇壮な太鼓の音で ... また、翌日の夜、太鼓広場で披露 さ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kent00jp/9321602.html


◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 二〇

2011年02月07日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 二〇
 梶曲阜(かじきょくふ)、照顔齋が、商用で江戸に旅したときの様子を克明に記した自筆の道中記『照顔齋道ノ記』がある。これを見ると、旅は東海道を下り、帰りは中山道を通っている。須賀川のたよ女とは江戸で逢ったはずだが、その記録は見当たらない。木曾についたとき、土産を買っているがそのときの句に、

   桶の輪を 藤で曲げたる 木曾土産

 とある。よほど珍しかったらしい。伊丹の酒樽は、醸造用から、販売用まで竹の箍(たが)で締めたものだった。その竹材は、西は有馬、北は佐井寺(吹田市)、水無瀬から京都洛西にまで及ぶ厖大なものであった。現在もなお竹林が見られる。神足(こうたり)の錦水亭はその筍料理で知られ、旬の季節には訪れる人が多い。

◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一九

2011年02月07日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一九
 梶曲阜(かじきょくふ)、通称大和田屋金兵衛こと照顔齋は、各地の俳人と交わりがあったが、その交流を物語る例を挙げておこう。
 奥州須賀川(福島県須賀川市)に、市原たよという女性がいた。通称は須賀川のたよ女の名で知られる。安永五年(一七七六)に裕福な酒造家に馬あれ、七人の兄弟とともに育てられたが、婿を迎えて家業を継いだのがこのたよであった。
 ところが、多予が三十一歳のとき突然不幸が訪れた。夫の有綱が三人の庫を残して先立ったのである。家業と子育てで艱難の暮らしが続き、ついに過労でたおれたが、このころ、近くに住む、俳人の石井雨孝にすすめられて、俳句の道を志すようになった。
 たよは八十九歳で生涯を閉じるまでに、およそ四千句を残し、句集に『浅香市集』ほかがある。晩年に、松尾芭蕉の、

  風流の はじめや奥の 田植え唄

 の句碑を、十念寺の境内に建てている。
 須賀川のたよ女は、伊丹郷町の俳人とも交流を持っており、照顔齋に味醂(みりん)の醸造方法を尋ねており、照顔齋は懇切に教えている。