暘州通信

日本の山車

◆04714 池田天白神社祭

2011年02月28日 | 日本の山車
◆04714 池田天白神社祭
□社名 池田天白神社
□所在地 磐田市(旧豊田町)
□祭神
□祭は十月上旬。
□山車
山車(屋臺)四臺を曳く。
・六上 上若 
新町と竜東の合併によりできた町。
山車の建造は昭和六十三年。
新町は明治中期に建造した山車があった。そのご森町の山車を譲りうけて曳いたが、火災に遭い焼失した。しばらく山車の無い時期を経て、戦後間もない昭和二十三年に建造した。この山車は昭和末期まで曳いたが、現在の山車を新らしく建造し、旧臺は菊川町に譲り渡した。
竜東には、昭和一〇年代に建造した山車があったが、新町との合併により新町の山車を曳くようになった。
・六下 藤美若
上町と宿が合併してできた町。
山車の創建は明治中期。現在の山車の建造は昭和五十三年。工匠は浜松市東伊場の高塚房太郎。
・七上 中若
中町と田中が合併してできた町。
中町は明治中期には山車をより曳いていた。大正末期に中泉町西新町の三層の山車を譲り受け二層に改修して曳いたが老朽化により、昭和三〇年代に廃臺となった。
田中は昭和初期より山車を曳いていたが、その後中泉町石原町より二輪の山車を譲り受けて曳いたが、中町との合併により、磐田市の大藤二区に譲り渡した。
現在の山車の建造は昭和五六年。工匠は森町の安間宇太郎。
彫刻は浜松市の早瀬広。
・七下 南若
四区の合併でできた町。
山車は昭和五十一年の建造、工匠は浜松市東木場の高林材木店。
合併前はそれぞれの地区に山車があったが、合併後は統合された山車を曳くようになった。
(順不同)
□汎論
 神社の創祀は不詳。社記によれば、奈良時代の孝謙天皇期、養老二年(七一八)ー 神護景雲四年(七七〇)と伝える古社である。
 豊田町(現磐田市)は、天竜川の左岸に開けた町である。かつては山車も竹ごとに形態が異なっていたが現在は、重層、無蓋、素木造りで、大きさもほぼ同じとなっている。夜明かりを点燈して曳かれる山車は一段と艶やかである。
 当地区の山車の呼称は屋臺である。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇総集編 歴史のまちなみ  5. 北陸
2011/1/31(月) 午後 9:16
... 平成20年6月、 伝建地区 (重要伝統的建造物群保存地区)に指定されました。  平成の大合併などによって古くからの地名が消え、ひらがなや「南アルプス市 ... 軒下に敷かれた笏谷石、三国祭でくりだす山車の収納蔵...。  かつて、井原西鶴に「北国 ...
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