◆左甚五郎 豊後日田の眠獅子
豊後日田の某神社のことである。不幸にして火災に遭い、社殿は全焼してしまったのだった。
幸いにも氏子の努力で数年を経ずしてみごとに再建できたのだった。神官の喜びはひととおりではない。しかし、やがて何か物足らないことに気がついた。正面の向拝柱には何の彫刻も無かったのである。気にしかけけたら夜も眠れぬくらいに苦になってならない。思案に余って氏子総代に相談したところ、総代も驚いた。
ところがよくしたもので、豆田の旅籠に乞食のように薄汚い貧相な一人の男が、宿代の支払いができず、宿でも思案に暮れているという。なんでも飛騨の匠とか言っているらしい。
しめた、これはいいことを聴いたぞ、「宿賃と酒代くらいで、向拝柱に「獅子と獏」を彫ってもらおう」。総代は、飛騨の匠に掛け合って見ることにした。
早速その話を斐太の工にすると、意外とあっさり引き受けてくれた。男は数日かかって彫刻を完成し、柱に取り付けたと言うので神主や、氏子総代、氏子らがこれを見上げて驚いた。なんだか小さな岩くらいの丸まったものが柱に取り付けてあるが、どう見ても獅子には見えない。獅子の頭すらないのである。
これが名高い飛騨の匠の仕事だろうか? と一同呆れて見上げていたがそのうち次第に腹を立て、怒号が飛び交うと、斐太の工を怒鳴りつけた。
斐太の工は悄気かえり、ほうほうの態で、逃げるように日田の町から出て行ったのだった。
あとに残った神社関係者は腹立ちも収まらないまま、しばらくは、斐太の工を罵っていたのだが、まあできたことは仕方が無い。聞くところによると、左甚五郎というえらい名人が肥後のほうでお仕事をなさっているそうな。それが終わったらこちらに回ってもらい、作り直してもらったらどうだろう。困惑していた一同は、やっと愁眉を開き、さっそくだれかを使いに立てようということになったのだった。
異変はそれから三日後の朝に起こった。神社の前で蒼白になって震え、腰の抜けた一人の男がうずくまっていたのである。ただならぬ様子に早朝から多くの野次馬が集まってきた。男はただただ震えていたが、やがてやってきた代官所の役人らが、ようやく聞き出した話は、この男、このような立派な神社だから、さぞかし賽銭箱にはたんまり御賽銭があるだろうと昨夜遅くに忍び込みいざ、賽銭箱に手を掛けたところ、どこかで怪しい唸り声がし始め、やがて、首を擡げるや、巻き毛を振るわせ、真っ赤な眼を剥いて大声で吼えたのであった。男はこれを見て仰天し腰が抜けて動けなくなったと言うのだった。
さて、そのころ左甚五郎は、肥後熊本城の客人として招かれていた。先年の【竹製の水仙】のお礼を述べたいということで招かれたのだった。日田の使いはその左甚五郎に会って吃驚仰天、なんと先日皆で怒号と罵声で追い払った斐太の工ではないか。
左甚五郎はただただ恐れ入っている使いに言った。
「いや、わしも悪かった。獅子も夜番をするからには昼は寝ておかんとのう」
豊後日田の某神社のことである。不幸にして火災に遭い、社殿は全焼してしまったのだった。
幸いにも氏子の努力で数年を経ずしてみごとに再建できたのだった。神官の喜びはひととおりではない。しかし、やがて何か物足らないことに気がついた。正面の向拝柱には何の彫刻も無かったのである。気にしかけけたら夜も眠れぬくらいに苦になってならない。思案に余って氏子総代に相談したところ、総代も驚いた。
ところがよくしたもので、豆田の旅籠に乞食のように薄汚い貧相な一人の男が、宿代の支払いができず、宿でも思案に暮れているという。なんでも飛騨の匠とか言っているらしい。
しめた、これはいいことを聴いたぞ、「宿賃と酒代くらいで、向拝柱に「獅子と獏」を彫ってもらおう」。総代は、飛騨の匠に掛け合って見ることにした。
早速その話を斐太の工にすると、意外とあっさり引き受けてくれた。男は数日かかって彫刻を完成し、柱に取り付けたと言うので神主や、氏子総代、氏子らがこれを見上げて驚いた。なんだか小さな岩くらいの丸まったものが柱に取り付けてあるが、どう見ても獅子には見えない。獅子の頭すらないのである。
これが名高い飛騨の匠の仕事だろうか? と一同呆れて見上げていたがそのうち次第に腹を立て、怒号が飛び交うと、斐太の工を怒鳴りつけた。
斐太の工は悄気かえり、ほうほうの態で、逃げるように日田の町から出て行ったのだった。
あとに残った神社関係者は腹立ちも収まらないまま、しばらくは、斐太の工を罵っていたのだが、まあできたことは仕方が無い。聞くところによると、左甚五郎というえらい名人が肥後のほうでお仕事をなさっているそうな。それが終わったらこちらに回ってもらい、作り直してもらったらどうだろう。困惑していた一同は、やっと愁眉を開き、さっそくだれかを使いに立てようということになったのだった。
異変はそれから三日後の朝に起こった。神社の前で蒼白になって震え、腰の抜けた一人の男がうずくまっていたのである。ただならぬ様子に早朝から多くの野次馬が集まってきた。男はただただ震えていたが、やがてやってきた代官所の役人らが、ようやく聞き出した話は、この男、このような立派な神社だから、さぞかし賽銭箱にはたんまり御賽銭があるだろうと昨夜遅くに忍び込みいざ、賽銭箱に手を掛けたところ、どこかで怪しい唸り声がし始め、やがて、首を擡げるや、巻き毛を振るわせ、真っ赤な眼を剥いて大声で吼えたのであった。男はこれを見て仰天し腰が抜けて動けなくなったと言うのだった。
さて、そのころ左甚五郎は、肥後熊本城の客人として招かれていた。先年の【竹製の水仙】のお礼を述べたいということで招かれたのだった。日田の使いはその左甚五郎に会って吃驚仰天、なんと先日皆で怒号と罵声で追い払った斐太の工ではないか。
左甚五郎はただただ恐れ入っている使いに言った。
「いや、わしも悪かった。獅子も夜番をするからには昼は寝ておかんとのう」