暘州通信

日本の山車

◆左甚五郎 豊後日田の眠獅子

2011年02月24日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 豊後日田の眠獅子
 豊後日田の某神社のことである。不幸にして火災に遭い、社殿は全焼してしまったのだった。
 幸いにも氏子の努力で数年を経ずしてみごとに再建できたのだった。神官の喜びはひととおりではない。しかし、やがて何か物足らないことに気がついた。正面の向拝柱には何の彫刻も無かったのである。気にしかけけたら夜も眠れぬくらいに苦になってならない。思案に余って氏子総代に相談したところ、総代も驚いた。
 ところがよくしたもので、豆田の旅籠に乞食のように薄汚い貧相な一人の男が、宿代の支払いができず、宿でも思案に暮れているという。なんでも飛騨の匠とか言っているらしい。
 しめた、これはいいことを聴いたぞ、「宿賃と酒代くらいで、向拝柱に「獅子と獏」を彫ってもらおう」。総代は、飛騨の匠に掛け合って見ることにした。
 早速その話を斐太の工にすると、意外とあっさり引き受けてくれた。男は数日かかって彫刻を完成し、柱に取り付けたと言うので神主や、氏子総代、氏子らがこれを見上げて驚いた。なんだか小さな岩くらいの丸まったものが柱に取り付けてあるが、どう見ても獅子には見えない。獅子の頭すらないのである。
 これが名高い飛騨の匠の仕事だろうか? と一同呆れて見上げていたがそのうち次第に腹を立て、怒号が飛び交うと、斐太の工を怒鳴りつけた。
 斐太の工は悄気かえり、ほうほうの態で、逃げるように日田の町から出て行ったのだった。
 あとに残った神社関係者は腹立ちも収まらないまま、しばらくは、斐太の工を罵っていたのだが、まあできたことは仕方が無い。聞くところによると、左甚五郎というえらい名人が肥後のほうでお仕事をなさっているそうな。それが終わったらこちらに回ってもらい、作り直してもらったらどうだろう。困惑していた一同は、やっと愁眉を開き、さっそくだれかを使いに立てようということになったのだった。
 異変はそれから三日後の朝に起こった。神社の前で蒼白になって震え、腰の抜けた一人の男がうずくまっていたのである。ただならぬ様子に早朝から多くの野次馬が集まってきた。男はただただ震えていたが、やがてやってきた代官所の役人らが、ようやく聞き出した話は、この男、このような立派な神社だから、さぞかし賽銭箱にはたんまり御賽銭があるだろうと昨夜遅くに忍び込みいざ、賽銭箱に手を掛けたところ、どこかで怪しい唸り声がし始め、やがて、首を擡げるや、巻き毛を振るわせ、真っ赤な眼を剥いて大声で吼えたのであった。男はこれを見て仰天し腰が抜けて動けなくなったと言うのだった。
 さて、そのころ左甚五郎は、肥後熊本城の客人として招かれていた。先年の【竹製の水仙】のお礼を述べたいということで招かれたのだった。日田の使いはその左甚五郎に会って吃驚仰天、なんと先日皆で怒号と罵声で追い払った斐太の工ではないか。
 左甚五郎はただただ恐れ入っている使いに言った。
 「いや、わしも悪かった。獅子も夜番をするからには昼は寝ておかんとのう」

◆02871 細江神社祗園祭

2011年02月24日 | 日本の山車
◆02871 細江神社祗園祭
□社名 細江神社
□所在地 浜松市(旧細江町) 気賀
□祭神
タケハヤスサノオノミコト 建速素盞嗚尊
クシイナダヒメノミコト 奇稻田姫尊
□祭は七月下旬。
□山車
山車(太鼓臺)がでる。
・呉石
・跡川
・上町
・中区
・下村
・油田
・清水
(順不同)
□汎論
 細江神社の創祀は不明だが、延喜式神名帳に記載される古社である。
 延喜式神名帳に記載される【名神大社 角避比古神社(かくさくひこじんじゃ)】は、浜名郡新居町に祀られる神社であったが、天災に遭い社殿ほか一切をを失ったが、ご神体は伊目の十三本松に漂着した。里人は隠岐大明神の地に仮宮を建てて祀った。しかし、ほどなく十二年後に再び地震による大津波のため流されて、細江町気賀(現浜松市北区)の赤池に漂着した。気賀の里人はこの地に社殿を建て、【牛頭天王社】として祀るようになった。細江神社とは資金の距離にあり、細江神社の神幸蔡には牛頭天王社を御旅所として巡行がある。
 神輿が赤池の御旅所に着くと御奉安祭賀行われ、巫女神楽の奉納のあと【出引】とよぶ太鼓臺の市街地曳き廻しが行われる。
 神の宿泊された翌日は、各地区の出引が御神輿に随い、天王小路から井口河岸に向けて出発し、ご神体を【神輿舟】に移し、屯倉水で海上安全祈願祭をを齋行したあと、御囃子を演奏しながら屋臺舟七艘、約二〇艘の伴舟とともに奥浜名湖を西気賀まで渡御となる。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇式内社・旦飯野神社/新潟市
2011/2/23(水) 午前 8:45
... 「和名抄」(930年代完成)に記載の「蒲原郡日置郷」に ... 明治22年11月5日朝日地内の諏訪神社と合併し 社名を旦飯野神社と改称した明治32年社殿改築 明治四十一年村内の稲荷神社  石動神社 下諏訪神社 十二神社を合併した昭和5年村社に列せられる ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/51692340.html

◇太田姫稲荷神社
2011/2/21(月) 午前 11:53
... 大正12年(1923)の関東大震災では社殿が焼失、湯島天神に避難したが、昭和3年(1928)に再建。 ... 「新撰東京名所図会」の記載によると、太田姫神社の境内にあり本殿の傍らに接する宮で、例祭や修繕の費用が幕府から支弁されていたといわれます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tomo4628tomo/11115958.html

◇氷川神社と獅子(狛犬);川越市郭町 三芳野神社6
2011/2/15(火) 午後 3:57
... 新編武蔵風土記稿に記載されているもう一つの     "諸人 ... その幣殿と拝殿が三芳野神社の外宮     (天神外宮)となり、明治五年に氷川神社境内     (宮下町)に移され、八坂神社社殿として現存して     います。確証はありませんが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sakado_iwasaki/51664131.html

◇筑波山神社:茨城県つくば市
2011/2/10(木) 午後 7:55
... その時参拝した筑波山神社のお話しです。 ... いただいたパンフに記載がありました。       山頂には徒歩・ケーブルカー・ロープウェイで行けるようです。 社殿の左手奥の方。           この先でお会いしたご年配の方に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/marumarukusatu/63907939.html

◇ウカノミタマ祀る須多神社
2011/2/9(水) 午前 9:07
... 之御魂命  島根県八束郡東出雲町須田にある須多神社は、須多社(すたのやしろ)として、出雲国風土記に記載されています。  この神社は、9号線から雲南市方面に向かう道路をすすみ ... 境内自体は狭く、社殿のほかは、境内社と「氏子会館」という建物が ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/shuichi19670412/8669713.html