暘州通信

日本の山車

◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一九

2011年02月07日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一九
 梶曲阜(かじきょくふ)、通称大和田屋金兵衛こと照顔齋は、各地の俳人と交わりがあったが、その交流を物語る例を挙げておこう。
 奥州須賀川(福島県須賀川市)に、市原たよという女性がいた。通称は須賀川のたよ女の名で知られる。安永五年(一七七六)に裕福な酒造家に馬あれ、七人の兄弟とともに育てられたが、婿を迎えて家業を継いだのがこのたよであった。
 ところが、多予が三十一歳のとき突然不幸が訪れた。夫の有綱が三人の庫を残して先立ったのである。家業と子育てで艱難の暮らしが続き、ついに過労でたおれたが、このころ、近くに住む、俳人の石井雨孝にすすめられて、俳句の道を志すようになった。
 たよは八十九歳で生涯を閉じるまでに、およそ四千句を残し、句集に『浅香市集』ほかがある。晩年に、松尾芭蕉の、

  風流の はじめや奥の 田植え唄

 の句碑を、十念寺の境内に建てている。
 須賀川のたよ女は、伊丹郷町の俳人とも交流を持っており、照顔齋に味醂(みりん)の醸造方法を尋ねており、照顔齋は懇切に教えている。

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