暘州通信

日本の山車

00097 揖斐祭

2006年06月30日 | 日本の山車
長浜形式の曳山が五臺ある。当番制で曳山をだし、子供歌舞伎を奉納する。
「おばば」の民謡で神輿が練られることから「おばばまつり」の別名がある。
揖斐祭藝山と子供歌舞伎は昭和43年3月岐阜県の重要民俗資料に指定された。
揖斐祭は、享保年間に始まるといわれる。
曳山で行われた山藝の主な藝題をあげると次のようになる。

三番叟
狐忠信
塩汲み
義経千本桜、初音の旅
義経千本桜、河津館より吉野山
熊谷陣屋
咲分牡丹?景清
鎌倉三代記、三浦別れの段
一ノ谷嫩軍記、生田森陣屋の段
一ノ谷嫩軍記、熊谷陣屋の段
伽羅先代萩、足利家御殿の場
新版太閤記、石山閑居の場
妹背山婦女庭訓、竹に雀の場
本朝二十四孝、十種香より狐火大詰めまで
源平咲分牡丹畑
寿三番叟
寿二人三番叟
寿三人三番叟
蝶花形名歌の島台、小坂部館の段
加賀見山故郷之錦絵、花見の場より仇討ちまで
忠臣蔵、大石山科閑居より吉良屋敷討ち入りまで
月の縁勇婦之鑑、更級忠節全通し
絵本太功記十段目、夕顔棚より尼崎の段
鏡山旧錦絵、長局の段


揖斐祭の図が復刊されており、これをみると、
享保十二丁未四月初卯日
せうせう山 下町
高砂山 上町
おとりやま 中町

とあって、上、中、下町には山車が曳かれている。せうせう山とは猩々山のことでる。


00036 垂井曵山祭

2006年06月30日 | 日本の山車
長浜の影響を強く受けた山車3臺を曳き、子供歌舞伎が演じられる。

垂井町
岐阜県の南西部に位置する。1954年10月に垂井、宮代、表佐、府中、岩手の五村および河村の一部が合併して町制を布いた。東海道線に沿い、古くは美濃の国府が置かれた所で、中仙道と美濃路の分岐点にかたる駅として発達した。
曵山の始まり
文和2年(1353)6月、南北朝期、南朝軍がは一時京都を制したが、このとき北朝後光厳天皇は垂井に難を避けられた。このとき京都の祇園社僧の顕詮と宰相律師顕深は綸旨を奉じて午頭天王を勧請し、垂井の行在所である黒木御所に分祀した。
やがて、京都は戦乱がおさまり、足利尊氏は帝を京都に迎えるため垂井に出向き、9月25日帝は京都に還御された。
里の人々は、これを祝し、花山三臺を作って曳き始めたのが現在の曵山の始まりという。祀られた午頭天王を垂井の総産土神として創祀することになり後光厳帝により午頭天王社と命名された。
江戸時代にいたり、天文元年、長屋城主は神地、神殿を寄進し現在の地に遷座した。
神社名は明治の神仏分離令により、従来の名称から八重垣神社に改められた。

五月一日は足揃え、
二日は試楽、
三日は本楽、
四日は後宴。
と祭りは四日におよぶ

・西町攀鱗閣
文化五年(一八〇八)の作

・中町紫雲閣
明治三年(
長浜の藤岡和泉により大改造

・東町鳳凰山
寛政一〇年(一七九八)の作

三つの山倉前で初日の芸を披露する

試楽
午後〇時より山を曳き各町内で芸を披露する午後六時になると各町の山はその年の順序により、上り山といい青年たちによって曳行され八重垣神社に整列する。
一番山が芸を奉納し試楽宵山の儀式が終了すると、下り山の囃子にのって三臺の山は各町内に帰る。

本楽
午前一〇時八重垣神社で祭礼が行われ、正午には「古式練り込み行事」が行われる。
各町内でその年の稚児歌舞伎に出演する男子の小学生が衣装をつけて練りこむ。山名人の道中着を着た二人の露払いが鉄杖を曳きながら先頭に立つ。つづいて大太鼓を二人で前後に担ぎ、一人の打ち方がつく。次に榊と幣を持つ、二人の烏帽子姿の子供神幟二本、茶箱をかついだ供、歌舞伎役者の芸児、これに紋付き、羽織、袴に白足袋、紅白の扇子を持った青年が日傘を差して付き添う。
神社に着くと一番山から順に歌舞伎を奉納し、芸を終えた山から「下り山」の囃子に乗ってさがる。これを客山という。

後宴
町内で午後に奉芸を行う。
夜十一時頃、氏神社の方に山を向け、千秋楽の芸能を奉納する。これを名残りという。
花車は安永年間に舞台づくりの構造になり、子供による能狂言が行われてきたが、文政年間にさらに改造され、稚児歌舞伎を奉納するようになった。
各山はいずれも精巧優雅な作で、漆塗りに蒔絵を施し、金具、絵画、彫刻は繊細華麗で岐阜県の重要文化財に指定されている。

00037 加子母水無神社祭

2006年06月30日 | 日本の山車
00037 加子母水無神社祭
岐阜県中津川市加子母(旧加子母村)中切。
水無神社
祭は9月下旬。
山車2臺を曳く。
山車上で湯取り神事をおこなうからくり人形があって湯取り神事祭ともいう。
人形は明延宝2年甲寅歳8月(1674)の古いものだが作者は不明。古来より伝わる「湯取り神事」で、山車上段の樋の前方の釜の湯を巫女が笹につけて観客に振りまいて魔除けのお祓い神事を演じる。同時に禰宜人形は御幣を振る。このあと山車の宮入が行われ、神社前の坂をのぼる。前人形の采振り禰宜の所作で伊勢神宮の神木陸曳きに使われる太い曳縄綱で、一気に坂道を上がるが、このとき綱を持った青年たちが大声をあげて途中で突然任意の方角に駆け出し、観客を綱の内にとりこんでひきたおしてしまう荒っぽい行事がある。
 みごと観客を綱のうちに取り込むと歓声や笑い声が上がる。
いちど撮影をしていたときこの綱にとりこまれ、もみくちゃにされ、引き倒されて各所をすりむき、カメラは大破してしまったことがある。
 祭見物は、玉垣の上から拝見するのが賢明だ。

明治座と加子母歌舞伎
東濃地方(美濃東部)は「地芝居」が盛んで、

加子母の明治座は昭和48年に加子母歌舞伎保存会が発足し、毎年秋には村人たちにによる地歌舞伎が上演される。歌舞伎役者市川団十郎さんの監修で、大歌舞伎の役者さんと村人の役者が創作歌舞伎「袈裟と盛遠」を演じたのも自慢である。
明治座は小高い山のふもとにあり、興行が近くなるとなると各色の幟がはためいて、いやがうえにも雰囲気をもりあげる。建物は明治27年建造の古い農村舞臺で、本格的な回り舞台にセリ、両花道や二階席も設けられた珍しい劇場形式の建築物。県指定有形民俗文化財の指定を受けている。
昼夜興行の通し狂言では、いまでは中央で見られなくなった歌舞伎も演じいられている。水無神社秋祭とあいまって村人のおおきな楽しみだった。

参考
・高山市(旧宮村)に飛騨一ノ宮水無神社
・長野県木曾に水無神社
がある。

地芝居
近隣地
・各務原市村国座
・東白川
・中津川市
・恵那市
・瑞浪市の相生座
・福岡の常磐座
・蛭川
・下呂の鳳凰座
・長野県大鹿座
・静岡県佐久間
など。










00468 美江寺お蚕祭

2006年06月30日 | 日本の山車
山車が曳かれる。大正年間初め頃より二月の初午に「お蚕まつり」が行われるようになって、養蚕組合や円鏡寺の檀家が山車を出して曳いた。猩々の人形を山車の上にかざった。人形は藁や竹で作り、山車の上から繭団子、餅などをまき、ときに金子が投げられることもあって人々はあらそって拾った。
明治24年10月28日の濃尾大震災で罹災し、しばらく曳かれなかったが復活した。
「笠松町史」上下、昭和32年12月20日、岐阜市美江寺町観昌院美江寺祭。
猩々の曳山を曳く」。の記載がある。
「山」は「文字なし、車偏の山」