暘州通信

日本の山車

●721 大規模林道高山市区間はなぜ開通しないのか? 1

2006年06月22日 | 行政・司法問題

 ところで、岐阜県が施工する事業になぜ高山市が関係してくるのか?
 そこで、岐阜県に、大規模林道が開通しないことについて、その事情がわかる文書の公開を求めたところ、このほどその文書が公開された。
 そこでさっそくその文書を見てゆくと奇怪な事情が浮上してきた。


00652 中津祇園祭

2006年06月22日 | 日本の山車
・京町
最初建造の祇園車は玖珠町に譲渡されたが、さらに同町の塚脇に譲渡された。現存しない。

・古魚町
最初に建造した祇園車は豊前市魚町に譲渡され、現在の祇園車は大正後期に建造
された。
工匠は諌山伊三郎、矢野又次郎。
塗師は増田利夫。
絵彫刻は玖渓。

・諸町
現在の祇園車は明治二四年の建造。
三代目といい一部先代の部材を使用している。

・新博多町
現在の祇園車は、昭和六年から七年にかけ塗装をしない素木の山車として建造された。
工匠は豊浦、円入。
彫刻は豊前市三毛門の楠本雲秀斎。
先代の祇園車は玖珠郡塚脇に譲渡された。

・古博多町
現在の祇園車は明治二八年の建造。
工匠は賀来政市。
先の祇園車は宇佐市の長洲に譲渡された。

・片端町
先の祇園車は豊前市下町に譲渡。
現在の祇園車は明治二十八年の建造。
昭和三年二層の山車に改造された。
工匠は佐甲光造。
塗師は増田利夫。

・殿町
当初建造の祇園車は、豊前市前川町に譲渡されたがいまに伝わらない。
現在の祇園車は、大正一〇年より昭和初期までおよそ五年かけて建造された。
工匠は村上辰治郎、田中乾造他六名。
彫刻は豊前市三毛門の楠本雲秀斎。
塗師は増田利夫。

・新魚町
昭和のはじめ宇佐市四日市の新町に譲渡した。

22456 山車の右と左

2006年06月22日 | 日本の山車
 山車を正面から見て右左とすれば納得もいくが、自動車を例に取れば右ドアといえば車からみて右のドア。右ハンドルといえば日本国内をはしる車の大多数が運転席右側。同じように左ハンドルといえば車の左にハンドルがある。
人の身体を考えれば右手をあげてといわれればどちらの手をあげるか?
この至極当たり前のことがよく混乱している。
 このまちがいは山車を曳くときにもみられ、右の曳綱。左の梃子というようなときに支障が生じる。「山車が右折れ」というと左に曲がるものがある。
山車の事故もよくあることなので注意を要する。