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一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

原発建設時の津波の想定は10メートル以下

2011-03-30 06:28:58 | 日記
是は今日の新聞に出ていたこと。太平洋沿岸に津波は何回も襲来している。それほど古くはない歴史的にみて、10メートルと越えた津波が来ていることは確かである。何故、このような想定をしたのだろうか。それは、建設費が膨大になり、採算が見込めなる可能性があるからだ。
これを許可した当時の通産省はどうなのか。当然天下りの人間が過去穂で着るように取り計らったわけである。今、東京電力を始め、全国の電力会社に何人の高級官僚が天下っているのだろうか。彼らは、設置基準の緩和を条件に天下りを受け入れさせているということだ。
物を造るときに、行政や司法が介入することは当然起る。自動車や電気製品は輸出先の国が厳しい条件を求めるため、日本が勝手に条件を緩くすることは出来ない。電力業界は、まさに官僚との癒着が生んだ条件設定である。設置基準を決めた当時の通産省は、建設省が大金を掛けて10メートルの堤防を造ったことは知っていたはず。建設省は、堤防を造るのが仕事、ところが通産省は原子力発電所を造りたいが、条件が厳しすぎると、建設コストが膨大に膨れ上がり、電力会社の考える電力料金とのバランスが取れなくなる。津波対策だけで膨大な費用が掛ってしまうと、本体の建設費に影響が出てしまう。そこで考えたのが、条件緩和である。津波は10メートル以上のものは襲来しない、と云うことにすればいいのである。
日本のお役所が、縦割りであることの欠点がここに現れている。通産省と建設省は全く異なる官僚組織、彼らの進める仕事に食い違いがあっても全く関係はないのである。国民がどんなに困ろうと、それは知ったことではない。要は原子力発電所を計画通り造ればいいのであって、津波のことなど関係ないのである。
あの10メートルの堤防を易々と越えた津波は、その想定がもっと低い堤防であれば、今回の事故は天災だけではなく人災の部分も多く含まれている。たまたま、女川原子力発電所は、設置場所が崖の上にあったから津波の被害は免れたのである。偶然が救ってくれたとしかいえない。
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東電管理職者全員、福島原子力発電所に駐在せよ

2011-03-29 09:02:36 | 日記
東電の管理職者には、現在の緊迫した状況が伝わっていない。現場作業がどれだけ大変な仕事なのか解っていない。管理職者は最低1週間くらい現場に駐在し、現場作業の手伝いをしたらどうか。そのくらいのことをしないと、今の緊迫した状況は恐らく解らないであろう。
オフィスビルで仕事をしているだけでは、現場の声は伝わらない。実際に現場に入って、一所に作業をして始めて現場の辛い仕事が理解できるというもの。学校を卒業して現場作業を全く経験していない人も大勢いるはず。そのような人、特に管理職者には、今福島原子力発電所で何が起きているのか、どんな作業をしているのか、実際に見て、実際に作業してみてはじめて解るというものである。
小生も、オフィスで事務作業をしていることが殆んどであったが、現場を管理する部門に転属になったとき、沢山の現場に行った。そこでは想像を絶するような作業が毎日続いていた。事務所にいたのではそのようなことは全くわからないのである。経験から判断してみると、現在の東電の管理職者には、今の現場の状況を理解させるためにも絶対に駐在させるべきである。
その経験が今後仕事を進める上でどれだけ役に立つか。何年か経って始めてその経験を生かすことが出来るのである。現場に駐在すれば、今現場作業員が死ぬか生きるかと云う瀬戸際に立って仕事をしているのが良く解るはず。
東電は、この状況を全部の管理職者に現場駐在経験をさせ、それをこれからの社員教育の教材としていかなければならない。一般教育と違って、危機管理の教材にもなる。特に管理職者に求められる会社の危機管理は重要な仕事である。普通の現場ではないということを体で覚えることが最も重要なことなのである。知識ばかりが教育ではないということを教えるいい機会である。
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日本に過酷な試練

2011-03-29 06:19:45 | 日記
日本人は何も悪いことをしていないのに、何故神様はこのような過酷な試練を残してくれたのか。残酷といえば余りにも残酷なことである。もう少し離れたところに地震が発生していれば、もう少し時間を置いて津波が来てくれれば、と云うことだ。戦後の苦しい中、経済発展を遂げた日本に再度の試練を与えてくれた。
今回の東北大震災は、戦後最大の地震災害であろう。今までにも何度か大地震に見舞われてきたが、今回の地震と大津波には勝てなかった。特に津波は地球上で起きる津波のうちでも最大級のものである。このような自然の驚異を防ぐ手立てはない。何しろ、過去に事例がないからである。
近代国家として確立している日本には、これから乗り越えなければならないことが沢山ある。経済の立て直し、国民生活の確立、社会福祉特に高齢者対策、若者の就職、子供の教育、など様々な問題が山積している。今、日本は過酷な試練を迎え、これからどのように立ち直らせることが出来るのか。
隣の国、中国は表面的には繁栄を謳歌しているが、内部では様々な問題が表面化している。日本は、中国とは違った国の形であり、違った方法で発展を遂げてきた。従って、日本の将来は、中国と同じような道を歩くことは絶対にない。世界の国々と歩調を合わせる、と云う日本の基本的なやり方である。平和、と云うことを前提に考える国である。力で相手国をねじ伏せるようなことはしない国である。
過酷な試練は、国民を萎縮させるのではなく、これに打ち勝っていかなければならない。今までのような経済発展は望めないかもしれないが、日本人はこんなことが出来るのだ、と云う気構えで取り組むことが必要ではないか。今までと同じでは、経済立て直しは出来ない。今の日本には何かが欠けているように見える。まず、それを見つけることではないか。
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すべてが想定外で済むか

2011-03-28 12:25:21 | 日記
原子力発電所の事故のニュースを見ていると、すべてのことが想定外という言葉で括られている。確かに地震の大きさや津波の大きさは想定外であった。しかし、原子力発電所の設計をするに当って、本当にすべてが想定外であったのだろうか。疑問が残る。
特に原子力と云う特殊な物質を使って発電するということを考えると、想定そのものを通常ではないことを多く取り入れることが必要なのではないか。放射性物質を取り扱うのに一般常識だけでは想定できないはずである。想定をするに当って、特殊物質を取り扱うことをどれほど考え抜いたものなのか。この発電所は、発電所の建設ありき、と云うことが、そもそも問題ではなかったか。設備にしても、海岸に造るという事は、当然津波のことも想定していたはず。過去に起きた津波だけを想定していたとすれば、そもそも問題なのである。
設計段階で、どのような想定をしていたのか、今となっては不明な点ばかりである。防潮堤の問題ではなく、設計そのものである。極端に言えば、津波を直接受けないための想定はなかったのか、と云うこと。若し受けるとしたら、どのようなことが起きるか、と云う想定はしなかったのか。建物を頑丈に造る事は当然必要であるが、津波を受けることも同じように考えなかったということが問題である。或は、上から飛行機や飛来物が落ちてくることは想定しているのだろうか。或は、地震により地盤沈下が起きて建物が傾く事を想定しているだろうか。
我々は、家を造るときに、ある部分までの想定はしている。しかし、住宅として、上から物が落ちてくる想定はしていない。しかし、原子力発電所の場合、住宅と違って、想定そのものが違うのではないか。想定を考えた時、誰がそれを検討したのだろうか。
専門家の間で検討した設計上の想定とはいったいなんであったのか。今、事故の現状を見ると、何か違っているように思えてくる。想定そのものが甘かったとしか言いようがないのである。だから、すべてを想定外として済ませようとしているのである。
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集中することの危険性

2011-03-28 06:17:48 | 日記
このブログでも、度々取り上げ、書いてきたことかもしれないが、リスク管理の基本のようなもの、それが集中することの危険性である。資産運用では、運用する資産を集中させてはいけないということ。例えば、株式が良ければすべて株式に、投資信託が良ければすべて投資信託に、外貨投資がよければ外貨投資に、不動産が良ければすべて不動産に、というようなもの。電力の場合も、水力、火力、原子力、代替エネルギーと云うバランスをとった供給源にすることが重要なのである。また、この場合も、設置場所にも関係してくる。
残念ながら、代替エネルギーについては、間がすべての電力供給を賄うだけのものになっていないという事情がある。風力発電や波力発電など、自然界のものを使ったものがもっと普及できればいいのだが、まだまだ発電コストは高すぎる。家庭用太陽熱発電も、設置費用と発電力との関係は、現在の発電コストに及ばない。
日本の場合、火力発電所を出来るだけ原子力発電所に移行したいという希望が強かった。それは、石油エネルギーを使うことと、環境問題の関係からである。エネルギーの中で、もっとも環境に適しているものは何か、と云う疑問を解くために、原子力を選んだ。お国の事情から、原子力を選ばざるを得なかったのである。問題は、リスク管理である。原子力を選んだからには、そのリスク管理をしっかりと、慎重に進めなければならない。それが国の努めであり、電力会社の義務でもある。
電力の受容と供給から生まれた原子力発電が危険性を伴なうことは過去の事故を見れば良くわかる。過去を参考にするとしたら、管理監督は今まで以上に行なわれなければならないもの。今回の事故を見ると、何か杜撰な気がしてならない。本当に原子力の怖いところを理解しているのだろうか、と云うことである。何も、事故がなくても、原子力と云うものは極めて危険なものだということは素人目にも解る。しかし、この危険なものでも、取扱を充分に研究し、慎重に取り扱うことによって素晴らしいエネルギー源となるのである。
原子力が悪い、と云う概念を持つことは良くない。物事の基本をしっかりと見つめて、電力需要を賄うための手段として、或は、環境を守るためとして、原子力発電を進めてきたわけである。国はもっと厳しい指導をすべきであり、今までのような甘い気持ちを棄てさせることが重要である。
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