一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

満豪開拓団の訴えと慰安婦問題

2018-11-19 05:16:14 | 日記
テレビのニュースで満豪開拓団が記念碑を建立したと言っていた。この問題、何となく慰安婦像と重なって見えてきた。戦後70年を超える月日が経って、新たにこのような記念碑を立てることに大きな意味があるのだろうか。勿論、当事者にとっては自分の人生で最も嫌な出来事だったことはことは理解ができる。しかし、そこであったことは戦場なのである。戦場では今でも同じようなことが公然と行われているはずだ。
 
あってはいけないことなのだが、記念碑像を立てることに対して果たして未来を見つめたものなのだろうか。例えば、ヨーロッパでナチスドイツによって行われた虐殺事件、アウシュビッツが有名だが、他でも行われているのである。ユダヤ人たちは虐殺に関して、このような記念碑をあちこちに立てたであろうか。それこそ建てていたらきりがない程アクサンあるはずだ。それをユダヤ人たちは耐えに耐えているのである。
 
我慢しろ、というのは簡単だが、未来を見据えてこのような記念碑の建立は問題が多い。一度建てたら、どのような事情があっても除去するのは難しい。このような悲しい事実があった、ということを後の世に残す意味は解らないでもないが、どうなのだろう。慰安婦問題も全く同じ理由で記念碑像が建てられているのである。第2次世界大戦のことは様々なことがあったのである。そういう事実を取り消すことはできないが、心の中にじっとしまっておくことはできないのだろうか。
 
満豪開拓団が厳しい状況にあり、若い女性が犠牲になったことは事実として解るが、他にも口に出せないようなことが多くあったことも事実なのである。人身売買のようなことも行われ、最後は残留孤児のようなことも起きてしまったのだ。どれが重くて、どれが軽い、という言葉では判断できない問題ではないのか。戦争が起きれば通常では考えられないようなことも起きるのである。それこそ、戦争をしないように訴えることの方が、多くの人に支持されるのではないか。
 
戦争が起きると若い女性、小さな子供たちが大きな犠牲を強いられる。家族や友人が引き放される。国が崩壊する。人間関係が失われる。戦争は決していいことではないが、今後戦争が起きないとも限らないのだ。戦争は悲劇を招く。そういうことを考えると、今回の満豪開拓団の記念碑が日本国民に果たしてどのように受け取られるのか。事実は認めても同じような記念碑が続々出来たらプラスに働くだろうか。
コメント
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