一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

アメリカの銃社会の悲劇、永遠に続くだろう

2016-06-15 05:06:23 | 日記

『米フロリダで銃乱射、約50人死亡 史上最悪の犠牲』という記事をまたもや読むことになった。一般家庭に、小学生の手に、銃がある限り社会から銃の悲劇を無くすことは出来ないだろう。大体、一般家庭に何故自動小銃やライフル銃が必要なのか。単発の拳銃位なら今のアメリカ社会だと仕方がないか、と諦められる。いや、例え単発拳銃だって日本人からしたら絶対に家庭に持ち込むことは有り得ない。

アメリカの銃社会は一種の癌である。それも進行癌である。止めるには相当の覚悟が必要だ。少なくとも、アメリカライフル協会から政治献金を受け取っている国会議員たちが政治献金を一切やめることが出来なければならない。それが出来なければ、銃乱射事件は永遠に泊ることはないだろう。自動小銃やライフル銃が一般家庭に何丁あるのだろうか。1軒に1丁ということは有り得ない。

複数個の銃を所持している家庭は、誰でも銃を使う状態になっている。特に年少者がいる家庭では銃の保管や取扱いに注意をしている、というが果たしてそれだけで銃の暴発事故を防ぐことが出来るのか。銃乱射事件の裏側には、銃を幼少時から取り扱い、大人になってからも何時でも発砲できる状態になっている。そのような状態で、情緒不安定になった人間が銃を取り出して騒動を起こしたら多くの死傷者が出るのは当たり前だ。

銃が手元になければ銃乱射事件は起きない。銃がない世界はアメリカ社会では考えられないのだ。そのような社会を作ってきた西部開拓時代は終わっているはずなのに、なぜ今でも銃の保持を信仰しているのか。銃を保持していないと見の安全は保てないのか。そんなことはない。日本の社会を見ると解るはずだ。個人での銃の保持は原則として認めない、という社会であれば、銃乱射事件はそうたびたび起こるものではない。

銃が手に届く、いや何時でも銃を手にすることが出来る、そんな社会を無くそうという事が国家として決められないところがアメリカ社会なのだ。国民が反対運動を広げればいいのだが、そのように進まない。何処かの誰かが銃社会を推進する必要があるのかもしれない。銃の無い社会を求めることに努力していない、という事になるのだろう。銃で身を守ることなど出来るはずがない、というのが現実なのだ。

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