
青森県立美術館のプレオープンイベントとして開催された県民参加型演劇「津軽」を見てきました。先週の土日に引き続き、2週連続公演の今日が最終日です。
美術館そのものは来年7月オープンですが、収蔵品を運び込む前のがらんどうの展示室を利用しての「移動型」の芝居。つまり、舞台が物語の進展に合わせて移動するのです。もちろん私たち観客もそれに合わせて大移動します。
「津軽」というタイトル通り、太宰治の「津軽」をベースに、現代と過去を行ったり来たりする設定で芝居は進みます。「津軽」で太宰がたどった、青森→蟹田→弘前→金木→小泊というコースに沿って、各展示室に舞台と客席が設けられています。
青森編の舞台は60年前の青森駅。舞台は、縦横21m、高さ19.5mの巨大な空間。シャガールの舞台背景画3点が展示されることになっている地下2階の「アレコホール」です。久しぶりに故郷に戻ってきた太宰が青森駅に現れるところから今日の長い物語がスタートしました。そこに、この物語の牽引役となる太宰ファンの現代の女子大生2人組。大阪弁のテンポのいい掛け合いはまるで漫才。そして、地元民役の純粋津軽弁がほっとさせてくれます。
太宰と女子大生の3人は弘前劇場の劇団員ですが、残りの役者はすべて県民からのオーディションで選ばれた皆さんとのこと。「県民参加型」とうたっているのはそういうわけなのです。うまい人も素人っぽい人もいましたが、みんな与えられた役に一生懸命なことがびんびん伝わってきて、気持ちが良かった。
青森編の途中から、隣の部屋に移動。何しろ200名もの観客一斉に移動するのです。全員が再び席に着くまでかなりの時間がかかります。でも、移動して舞台も雰囲気もガラリと変わることによって、その都度新しい気分で楽しめることに気づきました。舞台が変わる、だけでなく客席も変わる。しかも全部自由席なので、舞台を見る視点もどんどん変わっていくのです。
2つめの会場は、真ん中にしつらえられた「クスヲキ」(←右から読む)が芝居の中でもそのまま生かされていました。役者たちはこの売店を舞台としながらも、時には観客席の間に入ってきて芝居をします。売店をはさんで、観客席の向こう側は美術館のレストスペース。そこにも、役者(太宰の愛人役3人連れ)が「登場人物」としてソファに腰掛けています。もちろんセリフも言います。ところが、移動の際に誘導されたらしい何人かの観客も隣のソファに座っていて、彼らは反対側から芝居を見ているのです。不思議な空間でした。
青森編が終わり、蟹田編の舞台となる1階のシアターへ。220席ほどの小さな劇場ですが、それまでのホールでの芝居が、反響でセリフが時折聞き取りにくかったこともあったのに比べると、しっかり聞こえるのがうれしい。蟹田編は今日の芝居の中でも一番気に入りました。太宰を「津軽式」に歓待する友人のまるで「地」のような津軽弁。奇妙な父娘による「私小説とブログ」論。
実は、「南部」出身の私にとっては、「青森県立美術館」を舞台とする演劇がなぜ「津軽」なの?という思いも少しあるのです。「津軽」だけが「青森県」ではないはず。というか、「津軽」だけで「青森県」を語ってほしくない、という南部人特有のフクザツな気持ち。でも、蟹田編で「南部せんべい」が出てきたから、ま、いいか…!
それにしても、蟹田編の最後に、舞台の奥の壁がゆっくりと降りてきたのにはたまげました。その向こうには4層ぶちぬきとなっているアレコホールが見えてくる…。美術館の構造を完璧に生かした舞台効果には脱帽ものでした。おまけに、見えてきたアレコホールには紅白幕が張られ、大宴会場に早変わりしています。
そうです。今日の演劇は「昼食付き」なのです! 午前11時から午後5時までという1日がかりの芝居。蟹田の友人宅で始まった宴会に合わせるように、観客にも昼食がふるまわれます(といっても、もちろん2,500円のチケット代に昼食代も含まれてはいるのですが)。弁当と、ホタテの稚会のみそ汁、リンゴ(役者の方のリンゴ園でとれたもの)、そして、蟹田で「何もないけど」と言われて太宰に供された大量のカニとガサエビ(通称シャコ)。思い思いに車座になって、さっきまで舞台にいた役者の方々も一緒になって、おいしくいただきました。

午後のスタートは弘前編。弘前城の花見会場が舞台です。場所取りで争う「ノンプロ演劇部」のOLと弘前大学演劇部の学生たち。見かねた例の女子大生2人組が、彼らを合体させた芝居を打たせる。太宰が登場する劇中劇でしたが、残念ながらあまりよく理解できませんでした。

弘前編の会場の横に「お座り」する奈良美智の高さ8.5mの巨大犬をながめながら次の舞台へと移動します。太宰の故郷、金木編は津軽鉄道芦野公園駅が舞台です。この会場は、特設ステージから見て直角の位置左右に客席が設けられていました。右側の客席からは、斜め左手に左側の客席が見える格好です。
金木編では、駅員が「生きること」について太宰に熱く語るくだりが面白かった。逆に、地元の姉妹による「津軽鉄道の車両は東横線の車両」うんぬんの話は、私としては不要だと思いました。結局、太宰も「東京」─「津軽」という比較から抜け出せなかったわけで、そういうとらえ方はますます津軽を卑屈にさせるだけだと思います。いい加減、東京との意味のない比べっこはやめたいと思うのです。
それはともかく、いよいよ本日のラストステージ、小泊編です。舞台は三たびアレコホール。意外なことに、役者は目の前のステージではなくて、ずっと上方に登場しました。先ほどの、アレコホールと一体化しているシアターの舞台奥。そこで芝居が行われているのです。観客席から見ると、15mほどの高さを見上げることになるでしょうか。太宰の「津軽」と同じように、今日の芝居のクライマックスも、「タケ」との感動的な再会シーンでした…。
こうして長い長い物語が終わりました。肩と首にかすかな痛みを感じながら外に出ると、いつの間にかもう真っ暗でした。
「県民参加型」というのは、役者が一般公募されたからというだけでなく、観客も「参加」できるという意味だったのですね。私たちが積極的に「参加」しようという意志があったかどうかは別として、私は、今日の演劇に関わったすべてのスタッフ、役者の皆さんに最大級の拍手を送りたいと思います。芝居そのものももちろん十分見せどころがあったし、またこれまで例がないと思われる「観客席の移動」の際の指示や誘導は申し分ないものでした。「みんなでいいもの創りたい」、「みんなで満足してもらいたい」、「みんなで成功させたい」という思いがあったからこそと思います。
「参加」して本当によかったです。
美術館そのものは来年7月オープンですが、収蔵品を運び込む前のがらんどうの展示室を利用しての「移動型」の芝居。つまり、舞台が物語の進展に合わせて移動するのです。もちろん私たち観客もそれに合わせて大移動します。
「津軽」というタイトル通り、太宰治の「津軽」をベースに、現代と過去を行ったり来たりする設定で芝居は進みます。「津軽」で太宰がたどった、青森→蟹田→弘前→金木→小泊というコースに沿って、各展示室に舞台と客席が設けられています。
青森編の舞台は60年前の青森駅。舞台は、縦横21m、高さ19.5mの巨大な空間。シャガールの舞台背景画3点が展示されることになっている地下2階の「アレコホール」です。久しぶりに故郷に戻ってきた太宰が青森駅に現れるところから今日の長い物語がスタートしました。そこに、この物語の牽引役となる太宰ファンの現代の女子大生2人組。大阪弁のテンポのいい掛け合いはまるで漫才。そして、地元民役の純粋津軽弁がほっとさせてくれます。
太宰と女子大生の3人は弘前劇場の劇団員ですが、残りの役者はすべて県民からのオーディションで選ばれた皆さんとのこと。「県民参加型」とうたっているのはそういうわけなのです。うまい人も素人っぽい人もいましたが、みんな与えられた役に一生懸命なことがびんびん伝わってきて、気持ちが良かった。
青森編の途中から、隣の部屋に移動。何しろ200名もの観客一斉に移動するのです。全員が再び席に着くまでかなりの時間がかかります。でも、移動して舞台も雰囲気もガラリと変わることによって、その都度新しい気分で楽しめることに気づきました。舞台が変わる、だけでなく客席も変わる。しかも全部自由席なので、舞台を見る視点もどんどん変わっていくのです。
2つめの会場は、真ん中にしつらえられた「クスヲキ」(←右から読む)が芝居の中でもそのまま生かされていました。役者たちはこの売店を舞台としながらも、時には観客席の間に入ってきて芝居をします。売店をはさんで、観客席の向こう側は美術館のレストスペース。そこにも、役者(太宰の愛人役3人連れ)が「登場人物」としてソファに腰掛けています。もちろんセリフも言います。ところが、移動の際に誘導されたらしい何人かの観客も隣のソファに座っていて、彼らは反対側から芝居を見ているのです。不思議な空間でした。
青森編が終わり、蟹田編の舞台となる1階のシアターへ。220席ほどの小さな劇場ですが、それまでのホールでの芝居が、反響でセリフが時折聞き取りにくかったこともあったのに比べると、しっかり聞こえるのがうれしい。蟹田編は今日の芝居の中でも一番気に入りました。太宰を「津軽式」に歓待する友人のまるで「地」のような津軽弁。奇妙な父娘による「私小説とブログ」論。
実は、「南部」出身の私にとっては、「青森県立美術館」を舞台とする演劇がなぜ「津軽」なの?という思いも少しあるのです。「津軽」だけが「青森県」ではないはず。というか、「津軽」だけで「青森県」を語ってほしくない、という南部人特有のフクザツな気持ち。でも、蟹田編で「南部せんべい」が出てきたから、ま、いいか…!
それにしても、蟹田編の最後に、舞台の奥の壁がゆっくりと降りてきたのにはたまげました。その向こうには4層ぶちぬきとなっているアレコホールが見えてくる…。美術館の構造を完璧に生かした舞台効果には脱帽ものでした。おまけに、見えてきたアレコホールには紅白幕が張られ、大宴会場に早変わりしています。
そうです。今日の演劇は「昼食付き」なのです! 午前11時から午後5時までという1日がかりの芝居。蟹田の友人宅で始まった宴会に合わせるように、観客にも昼食がふるまわれます(といっても、もちろん2,500円のチケット代に昼食代も含まれてはいるのですが)。弁当と、ホタテの稚会のみそ汁、リンゴ(役者の方のリンゴ園でとれたもの)、そして、蟹田で「何もないけど」と言われて太宰に供された大量のカニとガサエビ(通称シャコ)。思い思いに車座になって、さっきまで舞台にいた役者の方々も一緒になって、おいしくいただきました。

午後のスタートは弘前編。弘前城の花見会場が舞台です。場所取りで争う「ノンプロ演劇部」のOLと弘前大学演劇部の学生たち。見かねた例の女子大生2人組が、彼らを合体させた芝居を打たせる。太宰が登場する劇中劇でしたが、残念ながらあまりよく理解できませんでした。

弘前編の会場の横に「お座り」する奈良美智の高さ8.5mの巨大犬をながめながら次の舞台へと移動します。太宰の故郷、金木編は津軽鉄道芦野公園駅が舞台です。この会場は、特設ステージから見て直角の位置左右に客席が設けられていました。右側の客席からは、斜め左手に左側の客席が見える格好です。
金木編では、駅員が「生きること」について太宰に熱く語るくだりが面白かった。逆に、地元の姉妹による「津軽鉄道の車両は東横線の車両」うんぬんの話は、私としては不要だと思いました。結局、太宰も「東京」─「津軽」という比較から抜け出せなかったわけで、そういうとらえ方はますます津軽を卑屈にさせるだけだと思います。いい加減、東京との意味のない比べっこはやめたいと思うのです。
それはともかく、いよいよ本日のラストステージ、小泊編です。舞台は三たびアレコホール。意外なことに、役者は目の前のステージではなくて、ずっと上方に登場しました。先ほどの、アレコホールと一体化しているシアターの舞台奥。そこで芝居が行われているのです。観客席から見ると、15mほどの高さを見上げることになるでしょうか。太宰の「津軽」と同じように、今日の芝居のクライマックスも、「タケ」との感動的な再会シーンでした…。
こうして長い長い物語が終わりました。肩と首にかすかな痛みを感じながら外に出ると、いつの間にかもう真っ暗でした。
「県民参加型」というのは、役者が一般公募されたからというだけでなく、観客も「参加」できるという意味だったのですね。私たちが積極的に「参加」しようという意志があったかどうかは別として、私は、今日の演劇に関わったすべてのスタッフ、役者の皆さんに最大級の拍手を送りたいと思います。芝居そのものももちろん十分見せどころがあったし、またこれまで例がないと思われる「観客席の移動」の際の指示や誘導は申し分ないものでした。「みんなでいいもの創りたい」、「みんなで満足してもらいたい」、「みんなで成功させたい」という思いがあったからこそと思います。
「参加」して本当によかったです。
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