カクレマショウ

やっぴBLOG

プラモデルとボックスアートに浸る。

2008-10-04 | ■美術/博物
青森県立美術館の企画展「ボックスアート~プラモデルパッケージと戦後の日本文化」。「ボックスアート」とは、プラモデルの箱絵のことです。模型は自分で組み立てるものですから、完成品がどうなるかを見せるのはとても大事なことで、日本のプラモメーカーは、競ってボックスアートに力を入れました。その結果、ボックスアートを専門とするアーティストが育ち、箱絵そのものが「アート」として成立するようになっていったのです。

今回の企画展は、古今のボックスアートの原画を中心に、プラモデルをめぐる昭和の日本文化をたどるという構成。こういう企画展はとても興味深いですね。

プラモデルと切っても切り離せないのが「戦争」です。タミヤを初めとする日本のプラモメーカーが最初に作ったプラモデルは、「戦車」であり、「軍艦」、「飛行機」(飛行機はライト兄弟による発明直後から戦争で使われていた)でした。もちろん戦時中はまだプラモデルは登場しておらず、木製や紙製の模型だったわけですが、当時の少年たちが作りたがったのは、やはり軍艦や飛行機だったんだなあと、改めて展示を見て実感できました。戦争への憧れ、というわけではなく、最新の技術の粋を集めて作られた零戦や大和、武蔵といった戦艦の勇姿を、自分でも作ってみたい、そばに置いておきたいという気持ちは、なんとなく分かるような気もします。

先日聞いた田宮会長の話にも出てきた、また彼の著作でも紹介されている「木製模型」がどんなものだったのかも確認することができました。確かにしょぼい。戦車の模型は、なんとなく戦車の形をした木片と、あとは大砲やらキャタピラに使うらしい円筒型の木製部品が箱に入っています。軍艦の模型も、舟形の木板が数枚入っているだけ。これを貼り合わせて、自分で船の形に削っていくのでしょう。これらに比べたら、プラスチック製の模型の、なんと精巧にできていることか。プラモデル世代に生まれたことを感謝しなきゃ。

それにしても、今回、ボックスアートだけでなく、懐かしいプラモデルの実物に、こんなにもたくさん出会えるなんて思ってもみませんでした。懐かしいといっても、自分で作った覚えのあるものはほんの少しで、ほとんどは模型屋の棚の前で指をくわえて見ていたという懐かしさ。アポロ11号の月着陸船、サンダーバード・シリーズ、ウルトラセブンのウルトラホーク、米国空軍の戦闘機ファントム、そして日本の零戦。当時は、模型は大きいものほどかっこいい、という思いこみがあったので、とても買ってもらえなかった「大きな箱」のプラモデルに対しては、ほろ苦い思いもあるなあ~。大人になってから、思い切って、サンダーバードの「秘密基地」だけは買ってしまいましたけどね!

当時作ったプラモデルはもちろん手元に残っていません。プラモデルの箱も大事にとっておいたはずなのですが、一切ありません。プラモデルは、作ったあとの「保管」がとても難しいですね。ちゃんとガラスケースかなんかに入れておけばいいのですが、たいがいは本棚に飾ったり、机の上に置いておくので、何かの拍子に壊れてしまうし、ほこりもたまる。結局は捨てられてしまう運命にあるわけです…。ま、模型は「組み立てるプロセス」が命なので、そこを楽しめればそれでいいのかもしれませんが。

ただ、保管といえば、プラモデル単体ではなく、周囲の情景も作って、いっしょに保存するいう方法もあります。ジオラマです。ジオラマには、「作る楽しみ」だけでなく、作ったあとの鑑賞する楽しみもあります。今回の展示の中でも、プロによるジオラマ作品にはずいぶん引きつけられました。いったいどうやってこの質感を出しているんだろうとか、そのテクニックに考えを巡らせるのもよし、何より、情景に秘められた「ドラマ」を想像するのが、ジオラマ最大のおもしろさですね。

さて、メインのボックスアートですが、日本のボックスアートの道を切り開いたのが、小松崎茂氏。7年ほど前に亡くなられましたが、彼の描く箱絵には、それこそ「ドラマ」がありました。プラモデル文化が日本でこれだけ根付いたのも、彼の功績によるところが非常に大きいと思います。

田宮氏の本に、小松崎氏に箱絵を依頼した時のエピソードが紹介されています。当時既に売れっ子だった小松崎氏に、彼は手紙を書いた。最初のプラモデル(大和)が他のメーカーと競合の末失敗に終わり、今回、ドイツのパンサー戦車で会社の起死回生を図りたい、ついては先生にぜひ箱絵を描いてほしい。先生に社の命運を託したい…。きっぷのよい小松崎氏は、その手紙を読んですぐに田宮模型に電話をしてきて、了解してくれたといいます。あの有名な「パンサータンク」の絵はこうして生まれたのですね。迫力ある箱絵も功を奏し、田宮のパンサーは大ヒットしたのだそうです。

のちにタミヤは専属のボックスアーティストを置くようになります。その中には、小松崎氏に弟子入りしながら、1年足らずで田宮に入社してきた高荷義之氏という人もいました。私は、高荷氏の絵もとても好きでした。こんなことを言うのも何ですが、小松崎氏よりもさらに洗練されたタッチ。よりリアリティを追求した構図。今回、その原画を見ることができたのも大きな収穫でした。

ボックスアートも、今やコンピュータで描くのだとか。あー、つまらない。時代の流れとはいえ、なんかつまらない。コンピュータで描かれた箱絵が、50年後にこんな形で展覧会で展示されて、人々に、お~懐かしいと感じてもらえるとは、とても思えません。

 

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