ちょいと間があいてしまいましたが、確認しておくと、現在、第3巻をたどっているところです。今回は、第3巻の、主に後半部分となります。
「動物事件」で警察に保護されたウランを、アトムが引き取りにやってきます。二人が出て行くのとちょうど入れ違いに入ってきた男を、アトムは人間なのかロボットなのかわからなかった、と言う。男の名はアブラー博士。ペルシア王国から国際会議出席のため来日した、というのは口実で、実は、彼こそプルートゥの生みの親。行方がわからなくなったプルートゥを探しにやってきたのです。
アブラー博士。「地上最大のロボット」では、やはりプルートゥを作った覆面男「アブーラ博士」として登場します。彼は、ある時は「ゴジ博士」と名乗り、プルートゥに対抗させるため、ボラーという最強ロボットを作る。ところが、その実態は、サルタンの元・召使いロボットだった…という設定。ロボットが、ロボット同士の醜い争いをやめさせようとしたというわけです。『PLUTO』では、アブラー博士は、見るからにアヤシイ男。
アブラー博士は、猛獣が逃げ出した現場近くの公園にプルートゥが潜んでいると踏み、別の人間型ロボットを出動させます。そのロボットは、さらに子飼いのロボットを持っている。口から大量のゴキブリメカを吐き出してプルートゥの捜索にあたるのです。この場面は漫画とはいえ、けっこうグロテスクです。
そのころ、ウランもまた、公園で「誰かが泣いている」気配を感じ取っていました。ウランは学校をさぼってその「誰か」を探しに行く。そこにいたのは、倒れている一人のおじさんでした。彼もロボットだとわかったウランは、「エネルギー触媒」を買ってきて彼に飲ませてやるのでした。
彼は、自分がどこから来たのか、何者なのか一切わからないと言う。彼が倒れていた傍らには、壁一面に描かれた奇妙な絵。それを自分で描いたのかどうかもわからない。しかし、ウランと接するうちに、彼はしだいに自分が何者であるかを思い出していく。壁に今度は一面の花畑の絵を描いて見せたり、ウランの目の前で枯れかかった植物に手をかざして蘇らせたり…。
「すごいよ!! あなたって命を吹き込めるんだもん!!」と、無邪気に喜ぶウラン。ところが、彼の中には、消すことのできないもう一つの「イメージ」があることを彼自身はよくわかっていました。それは、生命のない世界、つまり「死」の世界…。その「イメージ」に支配された彼が恐怖のあまり発した言葉。─それは、例の、「ボラー…」でした。必ず、「死」や「砂漠」のイメージとともに登場する謎めいた言葉。単なるうめき声なんかでは決してない、大きな意味を持つキーワードなのでしょうね。
男は、ウランに「本当の自然」を見せてくれます。竜巻を起こし、雨を降らせ、どんどん植物を育たせ、花を咲かせていく。それは、彼のウランへの最後の恩返しだったのかもしれない。そんな二人の前に現れるアトム。ウランを心配したアトムが、お茶の水博士を連れてやってきたのです。彼の周りに「異常な電磁波が渦巻いている」ことを感じたアトムは、ウランに彼から離れるように言う。男は、「アトム」という言葉に鋭く反応し、突然、内部から「怒り」を膨張させる。
「たくさんのロボット… 死…」
「あんな奴ら… 奴… 死ねばいい… 僕は何人殺して…」
男がつぶやくその言葉こそ、プルートゥの「心」の叫びだったのかもしれません。そう、男の体は、公園の工事に従事する作業用ロボットの一般生活用のボディでしかなかった。男の体には電子頭脳が仕込まれておらず、池の中に潜むプルートゥの「魂」が強力な電磁波で遠隔操作しているに過ぎなかったのです。
ようやくプルートゥの居所を突き止めたアブーラ博士は、池のほとりにたたずみ、命令する。
「戻ってこい。命令通りアトムを…殺せ。」
その命令に呼応するかのように、池の中から恐ろしい姿を表すプルートゥ。アトムと対決するために。いや、対決「させられる」ために…。
ここで描かれるウランは、限りなく無邪気でいとおしい。男の描いた花畑の絵を見て、ウランは涙を流すのです。ロボットの涙。それがちっとも不自然に感じられない。
涙はそこからやってくる
心のずっと奥のほう
ブルーハーツの「情熱の薔薇」の一節を思い出します。
「動物事件」で警察に保護されたウランを、アトムが引き取りにやってきます。二人が出て行くのとちょうど入れ違いに入ってきた男を、アトムは人間なのかロボットなのかわからなかった、と言う。男の名はアブラー博士。ペルシア王国から国際会議出席のため来日した、というのは口実で、実は、彼こそプルートゥの生みの親。行方がわからなくなったプルートゥを探しにやってきたのです。
アブラー博士。「地上最大のロボット」では、やはりプルートゥを作った覆面男「アブーラ博士」として登場します。彼は、ある時は「ゴジ博士」と名乗り、プルートゥに対抗させるため、ボラーという最強ロボットを作る。ところが、その実態は、サルタンの元・召使いロボットだった…という設定。ロボットが、ロボット同士の醜い争いをやめさせようとしたというわけです。『PLUTO』では、アブラー博士は、見るからにアヤシイ男。
アブラー博士は、猛獣が逃げ出した現場近くの公園にプルートゥが潜んでいると踏み、別の人間型ロボットを出動させます。そのロボットは、さらに子飼いのロボットを持っている。口から大量のゴキブリメカを吐き出してプルートゥの捜索にあたるのです。この場面は漫画とはいえ、けっこうグロテスクです。
そのころ、ウランもまた、公園で「誰かが泣いている」気配を感じ取っていました。ウランは学校をさぼってその「誰か」を探しに行く。そこにいたのは、倒れている一人のおじさんでした。彼もロボットだとわかったウランは、「エネルギー触媒」を買ってきて彼に飲ませてやるのでした。
彼は、自分がどこから来たのか、何者なのか一切わからないと言う。彼が倒れていた傍らには、壁一面に描かれた奇妙な絵。それを自分で描いたのかどうかもわからない。しかし、ウランと接するうちに、彼はしだいに自分が何者であるかを思い出していく。壁に今度は一面の花畑の絵を描いて見せたり、ウランの目の前で枯れかかった植物に手をかざして蘇らせたり…。
「すごいよ!! あなたって命を吹き込めるんだもん!!」と、無邪気に喜ぶウラン。ところが、彼の中には、消すことのできないもう一つの「イメージ」があることを彼自身はよくわかっていました。それは、生命のない世界、つまり「死」の世界…。その「イメージ」に支配された彼が恐怖のあまり発した言葉。─それは、例の、「ボラー…」でした。必ず、「死」や「砂漠」のイメージとともに登場する謎めいた言葉。単なるうめき声なんかでは決してない、大きな意味を持つキーワードなのでしょうね。
男は、ウランに「本当の自然」を見せてくれます。竜巻を起こし、雨を降らせ、どんどん植物を育たせ、花を咲かせていく。それは、彼のウランへの最後の恩返しだったのかもしれない。そんな二人の前に現れるアトム。ウランを心配したアトムが、お茶の水博士を連れてやってきたのです。彼の周りに「異常な電磁波が渦巻いている」ことを感じたアトムは、ウランに彼から離れるように言う。男は、「アトム」という言葉に鋭く反応し、突然、内部から「怒り」を膨張させる。
「たくさんのロボット… 死…」
「あんな奴ら… 奴… 死ねばいい… 僕は何人殺して…」
男がつぶやくその言葉こそ、プルートゥの「心」の叫びだったのかもしれません。そう、男の体は、公園の工事に従事する作業用ロボットの一般生活用のボディでしかなかった。男の体には電子頭脳が仕込まれておらず、池の中に潜むプルートゥの「魂」が強力な電磁波で遠隔操作しているに過ぎなかったのです。
ようやくプルートゥの居所を突き止めたアブーラ博士は、池のほとりにたたずみ、命令する。
「戻ってこい。命令通りアトムを…殺せ。」
その命令に呼応するかのように、池の中から恐ろしい姿を表すプルートゥ。アトムと対決するために。いや、対決「させられる」ために…。
ここで描かれるウランは、限りなく無邪気でいとおしい。男の描いた花畑の絵を見て、ウランは涙を流すのです。ロボットの涙。それがちっとも不自然に感じられない。
涙はそこからやってくる
心のずっと奥のほう
ブルーハーツの「情熱の薔薇」の一節を思い出します。
手塚版(オリジナル)は表層的に単純明快な勧善懲悪を前面に出しながら、その裏側に潜む選民意識やヒエラルキーについて唾棄すべき悪としてストーリが構成された作品でした。読者年齢層に合わせた描画やセリフ回しは、今改めてみると非常に高度に設定されている事に驚きます。
翻り、浦沢版(リメイク)はより深く社会的背景、複数国家間の対立や改まらない人種問題を加え、浦沢直樹と言う作家の画を持ってよりリアルに事の本質に迫ってみようと言う、ともすればオリジナルが時節的に出来なかった事を再現してみた、と言うのが本作ではないか、と考えます。つまり、まぎれもない手塚作品である、と。
では何故、今、この時代にこの作品が提案されたのでしょうか?
管理者様のお考えを頂ければ幸いかと思います。