日本語の「づ」をローマ字でどう表すでしょうか?
パソコンを使っている人は、たいてい"du"と答えるでしょう。だって、ウィンドウズMS-IMEでもAtokでも、ローマ字入力で「づ」と変換させたければキーボードの"du"を押せば出てきますもんね。
ローマ字の主な表記方式として、ヘボン式と訓令式がありますが、実は、どちらの方式でも、「づ」の表記は"du"ではなくて、"zu"なのです。でも、キーボードで"zu"と打てば、「ず」が出てきてしまいますね。「づ」と「ず」は、発音は同じでも、日本語のカナ表記は区別されます。「人ずくり」ではなくて「人づくり」。「づかん」ではなくて「ずかん」。「少しづつ」ではなくて「少しずつ」。全く同じことが、「じ」と「ぢ」にも言えます。パソコンでは、「じ」は"ji"もしくは"zi"、「ぢ」は"di"と入力します。ややこしいといえばややこしい。
ローマ字とは、日本語をアルファベットで表記したものです。「ローマ字」という呼称は、アルファベットがもともと古代ローマで使われていたラテン文字であることに由来します。日本語を表記するのに、私たちは漢字・仮名を使うのが当たり前のように感じていますが、実は、漢字や仮名を廃して、日本語表記をローマ字に統一しようという動きが、これまで少なくとも2回ありました。明治時代と第二次世界大戦後です。
明治時代、西洋の「進んだ」文化がどっと日本に入ってきましたが、その中の一つに「文字」つまりアルファベットもありました。知識人たちの中には、漢字や仮名を「遅れた」「非近代的な」文字とみなし、これを廃してローマ字で日本語を書き表そうと主張する人たちも多かった。また、明治政府自体がローマ字採用への動きを見せていたことも事実です。
明治の初期、宣教医として来日していた米国の医師ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn=「オードリー・ヘップバーン」と同じ名前ですが、当時の日本人には"p"の音が聞き取れなかったのか、「ヘボン」と表記されます)が、日本最初の本格的和英・英和辞典を編纂します。その中で用いられた日本語のアルファベットによる表記方法が「ヘボン式」です。ヘボンは英語を母語とする人ですから、当然、その表記は「英語風」でした。たとえば、「ち」という発音をヘボンは"chi"と表記します。「つ」は"tsu"、「し」は"shi"、「ちゃ」は"cha"、「ふ」は"fu"。彼には、「ず」と「づ」の違いなんてわかりません(たぶん)から、どちらも"zu"と表しました。「じ」と「ぢ」も同じで、どちらも"ji"です。また、「ん」は原則として"n"ですが、子音B、M、Pの前に来る「ん」の場合は、"m"となります。たとえば、新聞は"shimbun"。
この表記方法に反撥したのが、国語学者たちでした。日本語を表記するのに、どうして英語の発音に拠らなければならないのか。そこで、ローマ字論者で物理学者の田中館愛橘(たなかだてあいきつ)が1885年に発表したのが、のちに「日本式」と呼ばれる方式です。「ち」は、「たちつてと」という子音"t"+母音のグループに入るのだから、当然"ti"、「つ」は余計な"s"なんて付けないで"tu"、「し」も"si"というように、日本語の音韻に忠実に並べたのが日本式です。日本式では、「お」と「を」は違うだろうというわけで、前者は"o"、後者は"wo"と表します。
ヘボン式と日本式の対立(?)が深まる中、両者の折衷案として、1937(昭和12)年に内閣訓令として公布されたのが「訓令式」。基本的には「日本式」をベースにしていますが、違うのは「だぢづでど」と「ぢゃぢゅぢょ」です。つまり、
日本式:da di du de do dya dyu dyo
訓令式:da zi zu de do zya zyu zyo
訓令式では、「ぢ」と「づ」にヘボン式で用いられている"z"を採用しています。また、日本式の「を」="wo"はやめて、"o"としています。こうして、「お上」がローマ字表記の決定版を出したことで、ローマ字表記方式は一件落着…かと思われました。
ところが、第二次大戦後、米国の占領下で再び「ヘボン式」が日の目を見ることになったのです。そこで、1954(昭和29)年、先の内閣訓令を廃止して、改めて内閣告示として公布し直されたのが、現在の日本の標準規格となっている、「訓令式新表」です。旧・訓令式とほとんど同じですが、いくつかの音については、ヘボン式(「標準式」としています)及び日本式の表記を「第2表」として掲げ、「国際関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合」に限りこちらの表記も認められるとしています。具体的には、
ヘボン式(標準式):sha shi shu sho tsu cha chi chu cho fu ja ji ju joの14音
日本式:di du dya dyu dyo kwa gwa woの8音
です。こうなると、事実上、どの方式を使ってもいいということですよね。実際、外務省のパスポートの氏名表記やJRの駅名表示、道路標識のローマ字表記は、外国人向けということもあるのでしょうが、ヘボン式をベースとした独自の対照表があるようですし。
京都に本部を置く「社団法人日本ローマ字会」。「日本式」の生みの親である田中舘愛橘により設立された団体ですが、近年、「99式」という新しい方式を提唱しています。基本は、「発音ではなく、カナでどう表記されるかにしたがって変換する」というもの。たとえば、「東京」は「とうきょう」ですから"toukyou"、「コンピューター」は「こんぴゅうたあ」なので"konpyuutaa"と表記されます。したがって、これまでのどの方式にもあった、「長音を表す記号」(母音の上に - や ^ )を付ける必要がなくなるので、パソコン入力に最適、というのが売りのようです。
ただ、この方式に対しては、ほかのローマ字団体の批判もあるようで。日本ローマ字会のサイトには「日本ローマ字会の沿革」という年表が載っていて、これを見ると、日本のローマ字の歴史がよくわかる。表記の方式や方針をめぐって、いくつもの団体が分かれたり一緒になったり…。ローマ字表記がなかなか統一できないのも無理はありませんね。
ところで、ローマ字がこれから日本語表記の「唯一の」手段となる可能性はあるのでしょうか。つまり、漢字や仮名を廃止するということ。
ローマ字は、小学校で必ず習うことになっていますが、かつては、日常的にローマ字を使うことはほとんどありませんでした。使うとしても、せいぜい自分の名前を書くくらいで。ところが、パソコンの普及で私たちは毎日ローマ字を使うようになっています。仮名や漢字に変換するという目的ではあるにしろ、その使い方は、訓令式、ヘボン式、日本式がごちゃまぜになっているような気がします。「ヘボン式」だとたとえば「し」を打つのに"shi"と3回キーを叩かなければならないので「訓令式」で"si"で間に合わせてみたり、かと思うと、「を」は「日本式」に"wo"と打つし、最初に言ったように、「づ」は「日本式」の"du"じゃないと出てこない。
「Romazi dake de kakareta bun'nsyou o zissai ni yonde miruto,yominikui koto kono ue nai.」
こんなふうに、ローマ字だけで書かれた文章を実際に読んでみると、読みにくいことこの上ない。私たちは、あまりにも長いこと、漢字と仮名の表記に慣れすぎています。とくに、わたしたちがいかに「かんじ」でぶんしょうをりかいしているかということについては、たとえば、このようにかなだけのぶんしょうにおきかえてみれば、あきらかです。
ローマ字論者の人たちは、要するに「慣れ」だとおっしゃるかもしれません。ただ、漢字と仮名は、確かに単なる「文字」ではありますが、その背景には、日本が培ってきた文化や伝統が潜んでいるのです。そう簡単には捨てられないでしょう。
結局、ローマ字は、パソコンの日本語入力と外国人向けの案内表示ぐらいしか用途はないのではという気もします。前者はヘボン式だろうが訓令式だろうが日本式だろうが、自分の打ちやすいやり方を使えばいい。後者の場合は、外国人にとってもっとも理解しやすいヘボン式がふさわしいと思われます。
ローマ字が日本語を書き表す唯一の文字とならない限り、ローマ字の表記方法、別に統一されていなくても、あまり不自由はないのかもしれませんね。
パソコンを使っている人は、たいてい"du"と答えるでしょう。だって、ウィンドウズMS-IMEでもAtokでも、ローマ字入力で「づ」と変換させたければキーボードの"du"を押せば出てきますもんね。
ローマ字の主な表記方式として、ヘボン式と訓令式がありますが、実は、どちらの方式でも、「づ」の表記は"du"ではなくて、"zu"なのです。でも、キーボードで"zu"と打てば、「ず」が出てきてしまいますね。「づ」と「ず」は、発音は同じでも、日本語のカナ表記は区別されます。「人ずくり」ではなくて「人づくり」。「づかん」ではなくて「ずかん」。「少しづつ」ではなくて「少しずつ」。全く同じことが、「じ」と「ぢ」にも言えます。パソコンでは、「じ」は"ji"もしくは"zi"、「ぢ」は"di"と入力します。ややこしいといえばややこしい。
ローマ字とは、日本語をアルファベットで表記したものです。「ローマ字」という呼称は、アルファベットがもともと古代ローマで使われていたラテン文字であることに由来します。日本語を表記するのに、私たちは漢字・仮名を使うのが当たり前のように感じていますが、実は、漢字や仮名を廃して、日本語表記をローマ字に統一しようという動きが、これまで少なくとも2回ありました。明治時代と第二次世界大戦後です。
明治時代、西洋の「進んだ」文化がどっと日本に入ってきましたが、その中の一つに「文字」つまりアルファベットもありました。知識人たちの中には、漢字や仮名を「遅れた」「非近代的な」文字とみなし、これを廃してローマ字で日本語を書き表そうと主張する人たちも多かった。また、明治政府自体がローマ字採用への動きを見せていたことも事実です。
明治の初期、宣教医として来日していた米国の医師ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn=「オードリー・ヘップバーン」と同じ名前ですが、当時の日本人には"p"の音が聞き取れなかったのか、「ヘボン」と表記されます)が、日本最初の本格的和英・英和辞典を編纂します。その中で用いられた日本語のアルファベットによる表記方法が「ヘボン式」です。ヘボンは英語を母語とする人ですから、当然、その表記は「英語風」でした。たとえば、「ち」という発音をヘボンは"chi"と表記します。「つ」は"tsu"、「し」は"shi"、「ちゃ」は"cha"、「ふ」は"fu"。彼には、「ず」と「づ」の違いなんてわかりません(たぶん)から、どちらも"zu"と表しました。「じ」と「ぢ」も同じで、どちらも"ji"です。また、「ん」は原則として"n"ですが、子音B、M、Pの前に来る「ん」の場合は、"m"となります。たとえば、新聞は"shimbun"。
この表記方法に反撥したのが、国語学者たちでした。日本語を表記するのに、どうして英語の発音に拠らなければならないのか。そこで、ローマ字論者で物理学者の田中館愛橘(たなかだてあいきつ)が1885年に発表したのが、のちに「日本式」と呼ばれる方式です。「ち」は、「たちつてと」という子音"t"+母音のグループに入るのだから、当然"ti"、「つ」は余計な"s"なんて付けないで"tu"、「し」も"si"というように、日本語の音韻に忠実に並べたのが日本式です。日本式では、「お」と「を」は違うだろうというわけで、前者は"o"、後者は"wo"と表します。
ヘボン式と日本式の対立(?)が深まる中、両者の折衷案として、1937(昭和12)年に内閣訓令として公布されたのが「訓令式」。基本的には「日本式」をベースにしていますが、違うのは「だぢづでど」と「ぢゃぢゅぢょ」です。つまり、
日本式:da di du de do dya dyu dyo
訓令式:da zi zu de do zya zyu zyo
訓令式では、「ぢ」と「づ」にヘボン式で用いられている"z"を採用しています。また、日本式の「を」="wo"はやめて、"o"としています。こうして、「お上」がローマ字表記の決定版を出したことで、ローマ字表記方式は一件落着…かと思われました。
ところが、第二次大戦後、米国の占領下で再び「ヘボン式」が日の目を見ることになったのです。そこで、1954(昭和29)年、先の内閣訓令を廃止して、改めて内閣告示として公布し直されたのが、現在の日本の標準規格となっている、「訓令式新表」です。旧・訓令式とほとんど同じですが、いくつかの音については、ヘボン式(「標準式」としています)及び日本式の表記を「第2表」として掲げ、「国際関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合」に限りこちらの表記も認められるとしています。具体的には、
ヘボン式(標準式):sha shi shu sho tsu cha chi chu cho fu ja ji ju joの14音
日本式:di du dya dyu dyo kwa gwa woの8音
です。こうなると、事実上、どの方式を使ってもいいということですよね。実際、外務省のパスポートの氏名表記やJRの駅名表示、道路標識のローマ字表記は、外国人向けということもあるのでしょうが、ヘボン式をベースとした独自の対照表があるようですし。
京都に本部を置く「社団法人日本ローマ字会」。「日本式」の生みの親である田中舘愛橘により設立された団体ですが、近年、「99式」という新しい方式を提唱しています。基本は、「発音ではなく、カナでどう表記されるかにしたがって変換する」というもの。たとえば、「東京」は「とうきょう」ですから"toukyou"、「コンピューター」は「こんぴゅうたあ」なので"konpyuutaa"と表記されます。したがって、これまでのどの方式にもあった、「長音を表す記号」(母音の上に - や ^ )を付ける必要がなくなるので、パソコン入力に最適、というのが売りのようです。
ただ、この方式に対しては、ほかのローマ字団体の批判もあるようで。日本ローマ字会のサイトには「日本ローマ字会の沿革」という年表が載っていて、これを見ると、日本のローマ字の歴史がよくわかる。表記の方式や方針をめぐって、いくつもの団体が分かれたり一緒になったり…。ローマ字表記がなかなか統一できないのも無理はありませんね。
ところで、ローマ字がこれから日本語表記の「唯一の」手段となる可能性はあるのでしょうか。つまり、漢字や仮名を廃止するということ。
ローマ字は、小学校で必ず習うことになっていますが、かつては、日常的にローマ字を使うことはほとんどありませんでした。使うとしても、せいぜい自分の名前を書くくらいで。ところが、パソコンの普及で私たちは毎日ローマ字を使うようになっています。仮名や漢字に変換するという目的ではあるにしろ、その使い方は、訓令式、ヘボン式、日本式がごちゃまぜになっているような気がします。「ヘボン式」だとたとえば「し」を打つのに"shi"と3回キーを叩かなければならないので「訓令式」で"si"で間に合わせてみたり、かと思うと、「を」は「日本式」に"wo"と打つし、最初に言ったように、「づ」は「日本式」の"du"じゃないと出てこない。
「Romazi dake de kakareta bun'nsyou o zissai ni yonde miruto,yominikui koto kono ue nai.」
こんなふうに、ローマ字だけで書かれた文章を実際に読んでみると、読みにくいことこの上ない。私たちは、あまりにも長いこと、漢字と仮名の表記に慣れすぎています。とくに、わたしたちがいかに「かんじ」でぶんしょうをりかいしているかということについては、たとえば、このようにかなだけのぶんしょうにおきかえてみれば、あきらかです。
ローマ字論者の人たちは、要するに「慣れ」だとおっしゃるかもしれません。ただ、漢字と仮名は、確かに単なる「文字」ではありますが、その背景には、日本が培ってきた文化や伝統が潜んでいるのです。そう簡単には捨てられないでしょう。
結局、ローマ字は、パソコンの日本語入力と外国人向けの案内表示ぐらいしか用途はないのではという気もします。前者はヘボン式だろうが訓令式だろうが日本式だろうが、自分の打ちやすいやり方を使えばいい。後者の場合は、外国人にとってもっとも理解しやすいヘボン式がふさわしいと思われます。
ローマ字が日本語を書き表す唯一の文字とならない限り、ローマ字の表記方法、別に統一されていなくても、あまり不自由はないのかもしれませんね。
パソコンで、漢字変換が出来ないでつまずくのは、大抵じとぢ、づとず、でここで初めてひらがなの間違い気づくのです。
「きづく」など、すぐ「きずく」と書いてしまいます。
子供が中学受験のときは、このひらがな表記が国語の重要問題でした。
「じしん」など普段間違えて書くことは無いのですが、問題として考えると「ぢしん」のように思ってしまうから不思議です。
ローマ字のおかげで「正しい仮名遣い」を覚えるというのは確かにあるかもしれませんね。
ま、最近の変換ソフトはとても親切で、間違った仮名遣いで入力すると、ちゃんと教えてくれますけど。ますます機械に頼りそうでこわいですね。
この問題、メルマガ「頂門の一針」の昨年1月16日號で書いたので御一讀いただけるとさいはひです。URL は
http://melma.com/backnumber_108241_5962727/
2月11日號の讀者の聲欄に擴張ヘボン式への設定方法を書いたけれど、定義ファイルの作り方がメールでは面倒。
なほ、昨年12月16日號のテトラグラマトンと題する小文も讀んでほしい