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カクレマショウ

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「ピカソの大きな作品宇宙」(2)─ミューズ(女神)としての女性 その1

2008-10-25 | ■美術/博物
ピカソの人生には、常に女性が寄り添っていました。「私は恋愛の情にかられて仕事をする」と彼は語っていた(「pen」2008年10月15日号)そうですが、ピカソにとって、女性は「創造の源泉」であり、その時つきあっていた女性によって、彼の作品の背景が見えてきます。年代を経るごとに次々と変わっていくピカソの作風には、その時々の愛していた女性の影響がありありと見てとれるのです。

ピカソが愛した女性は、よく知られているところで次の7人。

─フェルナンド・オリヴィエ
1904年、パリでピカソ(23歳)と知り合う。ピカソと同年齢。6年ほどつきあう。

─エヴァ・グエル
1911年頃からピカソ(30歳)と4年ほど生活を共にするが、結核で死去。

─オルガ・コクロヴァ
ロシアバレエ団のバレリーナ。1917年、27歳でピカソ(36歳)と知り合い、翌年結婚。1921年には息子ポール誕生。1935年に別居、離婚に応じないまま1955年に死去。

─マリー=テレーズ・ワルテル
1927年、17歳の時にピカソ(46歳)出会う。1935年、娘マイヤ誕生。ピカソの死後、1977年に自殺。

─ドラ・マール
写真家。1936年頃、30歳の頃にピカソ(55歳)と出会う。マリー・テレーズとピカソをめぐって争う。

─フランソワーズ・ジロー
21歳の画学生だった1943年にピカソ(62歳)と出会う。1947年、息子クロード誕生。1949年、娘パロマ誕生。1953年、子どもを連れてピカソのもとを去る。

─ジャクリーヌ・ロック
1953年、35歳の時にピカソ(72歳)と出会う。1961年、ピカソ(80歳)と結婚。1973年、ピカソの死を見届ける。1986年、自殺。

2人と結婚し、3人との間に子どもを4人。特に、後半生の「お盛ん」ぶりなんて、すごいとしか言いようがないですね。もちろん、この7人のほかにも浮き名を流した女性は数知れず…。ピカソと「彼女」たちをめぐるエピソードには事欠きませんが、特に興味深いのは、オルガという妻がありながら、同時並行で進んでいたマリー・テレーズとドラ・マールとの関係。その前に、まずはオルガと出会う前のピカソにさかのぼってみましょう。

若い頃にパリにアトリエを構えていたピカソは、マティスやブラックといった作家と知り合う中で、キュビズム(立体主義)にたどり着いていました。その頃つきあっていたエヴァは、したがって、キュビズム風に表現されることが多かった。たとえば、国立新美術館で見た「ギター「私はエヴァを愛す」」(1912年)は、立体的に描かれたギターと、その下に1枚の紙切れという構成。紙切れには最初、タイトルの言葉が書き込まれていたといいます。なぜかは知りませんが、あとで消されたのだとか。近づいてよく見ると、確かにうっすらと文字の跡が見えました。エヴァ自身の姿はどこにも出てきませんが、タイトルが、ずばりピカソのエヴァへの想いを表しています。

ロシア・バレエ団のバレリーナだったオルガと出会ったのは、まさにモダン絵画の最先端を行く「時代の寵児」として脚光を浴び始めていた頃でした。ところが、オルガと出会って、子どもができて幸せな家庭を持ったとたん、ピカソはあんなに冒険的だったキュビズムをあっさり捨てて、平和的でやさしい作風に戻っていきます。いわゆる「新古典主義」と呼ばれる時代です。それを象徴するのが、国立新美術館の「肘掛け椅子に座るオルガの肖像」(1918年)。



同じポーズをとるオルガの写真も残っていますが、写真の方はけっこうきつい表情をしているオルガが、ピカソの筆によっては何ともやさしげな顔に描かれています。写実的ではありますが、ちゃんと内面も見せることができるピカソの人並みでない才能を感じます。背景がろくに描かれていないのは、オルガ自身の美しさを強調したかったためではないでしょうか。そして、オルガとの間にできた息子ポールも、サントリー美術館の「ピエロに扮するパウロ」(1925年)で、その愛くるしさが真正面から表現されています。

ところがところが、そんな平和な家庭生活に満足するピカソではない。結城昌子『ピカソ 描かれた恋』では、「オルガがピカソ夫人でしかなくなったとき、ピカソは彼女に愛想をつかした。」とあります。つまり、ピカソが愛したのはバレリーナとしての美しくきらびやかなオルガだった。妻となり母となってバレエから早々と離れてしまったオルガには、もはや魅力を感じなくなったということでしょうか。あまりにも勝手といえば勝手な男。しかし、それもピカソなのです。

そして、彼はあっさりと新古典主義を捨て、再びキュビズムへと戻っていきます。オルガを描いたと見られる作品も、「肘掛け椅子のオルガ」と同じ作家の手による同じモデルを描いたものとは思えないようなシュールな作風に変化していきます。顔の形は究極までに歪められ、色遣いも暗い色調になっています。「そしてピカソは、オルガとの不和から生じる息苦しさを不気味な人体に託すかのように、奇妙奇天烈な歪んだ人物像を描きつづけた。」(『ピカソ 描かれた恋』p.56)。

この「不気味な時代」の影を潜めさせたのは、新たに登場する女性、マリー・テレーズという「ピチピチギャル」であり、「泣く女」のドラ・マールだったのです。(…続く)
 

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