「やっていた」、いや「絶対にやっていない」…。
真実は二つに一つですから、大相撲界を揺るがしている八百長問題、どちらかがウソをついていることになりますね。
「火のないところに煙は立たない」と言いますが、この問題は今に始まったことではなく、これまでも何度も「煙が立ってきた」ことです。普通に考えれば、「やっぱりそういうことって実際にあるんだなあ」と思いますよね。
大相撲は、確かに特殊な世界です。日本にしかないプロスポーツ。"リーグ"もたった一つしかなくて、日本大相撲協会がすべてを取り仕切っています。「プロスポーツ」にもいろいろあって、「見せる」ことを至上とするプロレスなどは、「八百長」であることを前提として成り立っているようなものです。プロ野球やサッカーのJリーグは、華麗なプレーを「見せる」ことももちろん大事ですが、チーム競技であることを考えても、そのプレーは常に真剣勝負と考えていいでしょう。チームの勝敗によっては、個人としてのプロ選手の処遇を大きく左右することもあります。
大相撲の場合はどうでしょうか。ある程度年数を経れば、それなりの力を持った選手(力士)はランキング(番付)が上がっていきます。最高ランクの横綱になれば、もはやランクが下がることはありません。もちろん、下から実力ではい上がってくる力士もたくさんいます。
厳しい稽古で鍛え上げた肉体と肉体がぶつかり合う真剣勝負。ところが、一人につき年間90試合(15試合×6場所)の中で、その何試合かは「カネ」で勝敗が左右したものだとしたら、これほど興醒めなことはありませんな。今ではあまり大相撲中継を見ることもなくなりましたが、子どもの頃は、プロ野球より大相撲の方に興味があったくらい、北の湖や輪島、貴ノ花(初代)の取組に一喜一憂した私としては、本当に残念なことです。
もし本当に八百長が横行しているのであれば、いっそ、大相撲もプロレスのように、「見せる」スポーツに衣替えしたらどうでしょうか。小さな力士が巨漢をなぎ倒したり、ありとあらゆる多彩な技を繰り出す力士がいたり、コミカルな動きで笑わせる力士がいたり。「ショー」だと割り切れば、そもそも八百長だなんて疑惑を持たれることもないし、裁判沙汰になることもないわけで。
そこまで「改革」するのは現実的でないと言うなら、せめて、「無気力相撲」や「千秋楽勝ち越し相撲」など、疑惑を持たれるような取組には、毅然とした処分で臨んでほしい。何より、力士一人一人が必ず真剣勝負をしているということを、稽古や相撲内容自体で証明するしかないのではと思います。八百長なんていう悪習は、根こそぎ大相撲界から撲滅するべきだし、そういう決意をすべての力士(外国人力士も含めて)が見せてほしいと思う。
それにしても、大相撲に「長い伝統がある」ことは認めますが、それが逆に改革の足かせになっているとしたら、この際、伝統はひとまず脇に置いといた上で、抜本的な見直しも必要ではないのか。そもそも、「国技」だなんて位置付けているのがまちがい。スポーツなんてそれぞれ好き嫌いがあるわけだし、「国のスポーツ」を押しつけるのはおこがましいとしか言いようがありません。「国技」の割には、相撲は基本的に「男」のスポーツだし、たとえば小学生が全員必修かというと、もちろんそうではない。まずは「国技」を脱却することから始めなきゃいけない。大相撲は、もはやそういう瀬戸際にまで来ていることに、大相撲協会の幹部は気づくべきだと思います。
真実は二つに一つですから、大相撲界を揺るがしている八百長問題、どちらかがウソをついていることになりますね。
「火のないところに煙は立たない」と言いますが、この問題は今に始まったことではなく、これまでも何度も「煙が立ってきた」ことです。普通に考えれば、「やっぱりそういうことって実際にあるんだなあ」と思いますよね。
大相撲は、確かに特殊な世界です。日本にしかないプロスポーツ。"リーグ"もたった一つしかなくて、日本大相撲協会がすべてを取り仕切っています。「プロスポーツ」にもいろいろあって、「見せる」ことを至上とするプロレスなどは、「八百長」であることを前提として成り立っているようなものです。プロ野球やサッカーのJリーグは、華麗なプレーを「見せる」ことももちろん大事ですが、チーム競技であることを考えても、そのプレーは常に真剣勝負と考えていいでしょう。チームの勝敗によっては、個人としてのプロ選手の処遇を大きく左右することもあります。
大相撲の場合はどうでしょうか。ある程度年数を経れば、それなりの力を持った選手(力士)はランキング(番付)が上がっていきます。最高ランクの横綱になれば、もはやランクが下がることはありません。もちろん、下から実力ではい上がってくる力士もたくさんいます。
厳しい稽古で鍛え上げた肉体と肉体がぶつかり合う真剣勝負。ところが、一人につき年間90試合(15試合×6場所)の中で、その何試合かは「カネ」で勝敗が左右したものだとしたら、これほど興醒めなことはありませんな。今ではあまり大相撲中継を見ることもなくなりましたが、子どもの頃は、プロ野球より大相撲の方に興味があったくらい、北の湖や輪島、貴ノ花(初代)の取組に一喜一憂した私としては、本当に残念なことです。
もし本当に八百長が横行しているのであれば、いっそ、大相撲もプロレスのように、「見せる」スポーツに衣替えしたらどうでしょうか。小さな力士が巨漢をなぎ倒したり、ありとあらゆる多彩な技を繰り出す力士がいたり、コミカルな動きで笑わせる力士がいたり。「ショー」だと割り切れば、そもそも八百長だなんて疑惑を持たれることもないし、裁判沙汰になることもないわけで。
そこまで「改革」するのは現実的でないと言うなら、せめて、「無気力相撲」や「千秋楽勝ち越し相撲」など、疑惑を持たれるような取組には、毅然とした処分で臨んでほしい。何より、力士一人一人が必ず真剣勝負をしているということを、稽古や相撲内容自体で証明するしかないのではと思います。八百長なんていう悪習は、根こそぎ大相撲界から撲滅するべきだし、そういう決意をすべての力士(外国人力士も含めて)が見せてほしいと思う。
それにしても、大相撲に「長い伝統がある」ことは認めますが、それが逆に改革の足かせになっているとしたら、この際、伝統はひとまず脇に置いといた上で、抜本的な見直しも必要ではないのか。そもそも、「国技」だなんて位置付けているのがまちがい。スポーツなんてそれぞれ好き嫌いがあるわけだし、「国のスポーツ」を押しつけるのはおこがましいとしか言いようがありません。「国技」の割には、相撲は基本的に「男」のスポーツだし、たとえば小学生が全員必修かというと、もちろんそうではない。まずは「国技」を脱却することから始めなきゃいけない。大相撲は、もはやそういう瀬戸際にまで来ていることに、大相撲協会の幹部は気づくべきだと思います。
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